6 南オルミス第一王子アルフレッド
土の街道を五騎の蹄が踏み進む。
金色の髪は赤いリボンで束ねられ、馬の歩みに合わせて優雅に揺れる。砂塵が舞い、乾いた音が響く。赤地に金刺繍の外套が翻る。
騎士団長ガイオンと助言役二人が後に続き、最後尾にはタランに乗ったカッツォ。
オーネット領の南を回り、西の丘陵に差し掛かる。
黒い土塊に変わった地面の境が、前より下まで広がっていた。周囲の草は色を失い倒れ、丘の上から灰のような霧が静かに流れ落ちていた。
斜面の途中には、槍の列が整然と並んでいる。
盾を重ねて構え、槍で突き倒す。丘の上から降りてくる人形を押し返す。人形は崩れ、地面に還る。
突然、がしゃんと音が響いた。前線の兵士が膝をつき、崩れたはずの人形が起き上がった。周囲の兵士たちの怒声が上がる。
第二線から駆け上がった兵士たちが、倒れた兵士を抱えて下がっていく。
斜面を下った先の離れた場所に、旗が立っていた。
フラネールに掲げられているのと同じ赤い旗。描かれているのは、王家の紋章である、右向きの船に太い綱。
旗の下の兵士たちは丘を見上げ、戦列の動きを見守っている。カッツォはそのうちの一人に見覚えがあった。あの時会った、隊長らしき人物だ。
「第一線、交代!」
他の兵士とは明らかに仕立ての違う鎧の兵士が声を上げると、隊長が復唱し伝令が馬を蹴る。
「南側より騎馬接近!」
兵士の一人が、こちらの一行に気付いた。
伝令がさらに後方に張られた天幕へ向かう。
「さあ、始まるぞ」
案内役の兵士が駆けてくるのを見て、レテイスは呟いた。
天幕の前で馬を止めると、待機していた兵士が手綱を受け取った。兵士はラナリエンの見事な青毛に感嘆の声を漏らした。騎士たちの馬はみな背が高く逞しい。馬車馬のタランが居心地悪そうに連れて行かれるのを、カッツォは同じ気持ちで見送る。
赤い旗が重い音を立てはためいている。
天幕の入り口には少年が立っていた。鎧をつけておらず、身なりが良い。
少年は中に向かって声を張り上げる。
「ファムリア第一王子レテイス殿下がご到着です!」
レテイスが幕を潜る。カッツォは騎士たちの後ろに控え、隅の方へ身を寄せた。
中央に大きな地図台が置かれていた。ファムリアの国土が載った地図をレテイスは一瞥し、その奥にいる人物へと目を向ける。
ラナリエンの鬣のように波打つ、長い黒髪。黒地に金縁の軍服、緋色の外套。腰に差した剣の金細工と宝石は、鈍く異彩を放っていた。
鋭く硬質な顔立ちに、緑石の粒のような眼光。
「南オルミス第一王子アルフレッド殿下でございます」
そう言われずとも、戦場の英雄アルフレッドとはこの人であると一目でわかる風格だった。微塵も頬を緩ませることなく、誰にも視線を合わせなかった。
(……こんなに怖い人だったのか……ドレにも、こんな風に厳しい顔でいるのかな……)
十四も歳が離れていれば、怯えるのも無理はないかもしれないとカッツォは思った。
薄暗い天幕の中、空気は張り詰め、呼吸がしにくい。アルフレッド王子だけじゃない。カッツォの隣にいる騎士団長ガイオンと助言役二人からも、同じような重い威圧が滲み出ていた。
しかし、レテイスは臆さず優雅に歩み出る。
「申し入れを受けていただき感謝します」
歌声のように柔らかい一声を放ち、礼をする。その姿にカッツォは思わず見入った。
「こちらは忙しい。用件は手短に済ませてもらおう」
アルフレッド王子とレテイス王子は、声の印象までもが真逆だ。
「オーネット領の状況。それに、こちらが相手にしている精霊についてもお伝えしましょう。アルフレッド殿の軍には大変助けられていますので」
「……」
精霊を強調するレテイスの言葉に、アルフレッドはぴくりとも表情を変えない。
「異変が起きた時、オーネット領にいた商人を保護しました。どうぞ彼の口から何が起こったのかをお聞きください」
天幕にある全ての視線がカッツォに集まる。
カッツォは一度、口の中の空気を全部吐き出した。
(……俺は王子でも何でもない、ただの庶民だ。こんなところじゃ、びびって当たり前だろ)
緊張すればするほど、カッツォの口はよく動く。商人だと自分に言い聞かせれば、商人の言葉が滑り出る。
「カッツォ・エサムと申します、アルフレッド殿下。お初にお目にかかり光栄です。お噂に聞く通りのお姿で……」
見習いだということを忘れず、まだおべっかに慣れていない振りをする。
だが、アルフレッドは話を聞きもしなかった。
「フェルナンド」と名前だけを呼ぶ。
奥の隅で静かにレテイスを眺めていた、兵士でも騎士でもない装いの青年が反応した。
「では、何を見たのか説明を。……手短に」
きっちりと整えられた灰色の髪。細い銀縁の眼鏡を掛けている。灰色の服の胸元には右向きの船に波の紋章――ルペッサン御三家ネルサロス家の印があった。
(王子は庶民と話自体しないのか……。なら、この人に伝えるだけだ……あのことを)
カッツォの両手は震えていた。本当に震えているだけだ。だが、それを隠す必要はない。
「恐ろしい精霊が現れて……でっかい火の玉が空から落っこちてきたんです! 大精霊アンズィルの力だって……オーネット家の屋敷にあったもんは全部、土塊になっちまいました」
「アンズィルの力?」
フェルナンドの眉間に皺が寄る。この人はこの人で別の怖さがあるな、とカッツォは思った。
「精霊が言ったんですよ、世界を滅ぼすって! そしたらファムリアの王女様が来て……不思議な力でそいつの魔法が止まったんです」
ちゃんと今の言葉が伝わっているか、カッツォは怯えた目をしたままフェルナンドの顔を見る。ドレには悪いが、さっき見た顔を思い出して、同じ表情になるように真似をした。
「……ファムリアのミスサリア王女は、何を?」
フェルナンドの視線がカッツォの目を探る。商品を買う気になった客がする、言葉の真偽を確かめようとする目だ。
(よし……)
「わ、わかりません。王女が精霊と話したら、雲がぴたっと止まって……」
「何を話した?」
フェルナンドの冷たい声色。カッツォは正真正銘、心底怯み、思考が止まる。
「えっ……と、存在してはいけない……とか……?」
「……」
到底、フェルナンドがそんな情報で納得するはずはない。
気付くとアルフレッドもカッツォを見ていたが、すぐにふいと目を逸らした。
(あ……)
その仕草はドレにそっくりだった。黒髪に、緑の目。気難しそうな眉の形まで同じだった。
アルフレッドを見ているうちに、震えるのを忘れていた。
「ふん」
フェルナンドは眼鏡の奥でわずかに目を細める。支えの小さな石が、瞳と同じ赤紫色に光っていた。
「……我々はてっきり、ファムリアが件の王女の力で攻撃したものと考えていましたが?」
庶民の相手をするのをやめて、レテイス王子に話しかけた。
「こちらもミスサリアが帰還するまでは、南オルミスの攻撃かと緊張状態でした。しかし、互いに誤解であったようです。手を取り合い、協力してこの災害に対処すべきでしょう」
フェルナンドとレテイスの視線が、しばし交わる。
「協力とは? ミスサリア王女は不思議な力とやらであの化け物たちを止めずに、フラネールを襲わせている。我々が消耗するのを楽しんでおられるのでは?」
「魔法にも種類があります。どうか、ご理解いただきたい。精霊を御する方法は精霊ごとに違うので、まずは調査と理解が必要です。アルフレッド王子の軍隊が人形を相手してくださっていることは、既にとても大きな助けになっています。私たちも動いていることを知っていただきたく、こうして参じた次第。大変なことだとは思いますが、私たちが精霊を御するまでご辛抱いただきたい」
「我々に、人形遊びを続けろと?」
「おそらくもう数日はかかるでしょう。私たちも急いでいるのです。ミスサリアが寝る間もなく精霊を抑え続けているので」
「数日とは何日ですか」
「……十日先には、解決しましょう」
レテイスは、静かにフェルナンドを見据えた。
(……十日。それまでに何とかしなきゃならないってわけか……足りるか足りないかもわからないな……)
だがその前に、フェルナンドがその日数をどう受け取るか――。
レテイスの優美な笑顔の下にある緊張が、カッツォにも伝わってくる。
「……いいでしょう。十日のうちは協力体制を敷き……解決しなければ、我々は独自に行動を取らせていただく。どうぞよろしくお願いしますね」
フェルナンドが書きつけた合意書を、助言役のロメインが確認する。期限に日付の明記を加えさせ、レテイスが署名した。その下に、フェルナンドがアルフレッドの名を綴る。赤紫色の指輪が、地図の上でわずかに揺れた。
天幕を出た時には日が沈みかけていた。さっきの少年が篝火を灯している。レテイスたちが出てきたのを見るや、預けた馬を連れに行った。
最後に連れて来られたタランの手綱を受け取ろうとすると、少年がじっとカッツォの顔を見ている。
(……あれ?)
背が縮んでいるような気がする。顔も思ったより疲れていて、そう子どもでもないのかもしれない。しばらくまごまごした後に、ようやく話しかけてきた。
「あなたは南オルミスの方ですよね。どちらへ帰られるのですか」
「馬車があるんで、一旦あっちに戻ります……」
カッツォはオーネット港のようなアルストルのような方向を指差した。
「お見送り致します」
彼はしばらく一行についてきた。辺りを気にしているように見える。
レテイスがラナリエンに跨るのを見て、カッツォも鐙に足をかける。
(期限は十日か……。早くアルストルに戻って、ミザリーたちに伝えないと……)
「あの!」
切羽詰まった声で彼が言った。
「私と同じくらいの背格好の少年を見ませんでしたか。黒い髪で、緑の……数日前にオーネット領へ向かったはずなんです」
少年が小声の早口で告げた内容に、カッツォは驚いた。彼が探しているのは、ドレに違いない。
「どこか周りの町で……いえ、道の外れかも……どこかに……どこかにいませんでしたか!」
レテイスたちが振り向いて待っている。早くタランに乗らなければならず、話し込む暇はない。
「ソラミルさんの友人だったら、俺と一緒にいます」
彼は、ハッと目を見開いた。
カッツォはタランに跨り、ラナリエンの後を追う。陣営を抜ける頃に振り向くと少年が二人に見え、目を擦った。
一行は交代で働き続ける兵士たちを横目に、アルストルへの帰路に着いた。
アルストルの森まで戻ると、レテイスたちは隊列を崩した。レテイスとガイオンが歩みを遅くして、カッツォの横に並んだ。可哀想に、タランの背中が緊張で引き締まったのがわかった。
「おい坊主。見習いなんてやってないで、メルカーナ劇団に入ったらどうだ? 優男だし、人気が出るぞ」
ガイオンが、あの殺気をどこへやったのか、カッツォに向かって豪気に笑う。
「いや、そんな褒められたもんじゃ……」
カッツォは気まずく笑い返した。
ガイオンの馬はそのまま離れていき、ラナリエンとタランの二頭だけが残された。
「君があれほど協力してくれるとは思っていなかった。ファムリア第一王子として、感謝する」
「そ、そんな大したことはしてないですよ。緊張して、震えてただけで……」
「ふっ……早く見習いをやめて、商人を名乗るがいい。それだけ隠せるなら、十分やっていける」
カッツォは、少し買い被りすぎているのではないかと思った。
あの立場の悪い会合でもファムリアを象徴するように振る舞えるレテイスにこそ、カッツォは尊敬の念を持っていた。
「ミザリーは、俺たちのことも仲間だと言ってくれたんで……戦争になるのは嫌だなと思っただけです」
「……それはファムリアの意思そのものだ。私はミザリーに救われている。たとえ理解が及ばなくても、あの子のすることはいつも正しい。……君を連れてきたようにね」
一行がアルストルの兵舎に戻ったのは、すっかり暗くなってからだった。
見張りをしていたコーレリアが、入り口に降りてきた。
「おかえりなさいませ、レテイス王子。カッツォも、お疲れ様でした」
「コーレリア、お父様には?」
ガイオンが自分を指してみせると、コーレリアは冷たい視線を向けた。
「……騎士団長は早急に会議室へお入り下さい。ふざける余裕があるということは、うまくいったのでしょうね?」
手綱を預けたガイオンは、笑いながら中に入っていった。
「すぐに出立されるんですか。お疲れでは?」
「あちらに夜通し戦わせておいて、会合が疲れたと休むのも一興ではあるな」とレテイスは笑った。
「しかし、学者たちに会わねばなるまい。また会おう、カッツォ。十日後、私はおそらくまたアルストルにいるだろう」
「十日……」
「十日後に戦いが始まるか、もう少し猶予がつくかの違いだ。気負わずミザリーの好きにやらせてくれ。精霊に関しては、あの子の力に頼るしかないのだから」
ラナリエンが嘶き、レテイスは去って行った。三騎の馬が夕闇を駆けていく。
「ミザリーたちは町の方で宿を取りました。案内しましょう」
「カッツォ!」
「カッツォお兄ちゃん」
「カッツォ君!」
宿に入ったカッツォに、真っ先に飛びついてきたのは――シュロだった。まだシュロの大きさに慣れていなかったので、押し倒されて後ろに倒れた。シュロはカッツォの胸の上に乗り、尻尾を振りながらハッハッと息をする。
「大変なんてものじゃなかったよ」
表情からはわからないが、声音には苦労が滲んでいた。
「……大丈夫か」
「シュロ! だめだよ」
「頭ぶつけた?」
三人が心配そうにカッツォの顔を覗き込む。
「……大丈夫だよ」
子どもたちと犬に笑顔を向ける。
まだまだ普通じゃないことが続くなあ、とカッツォは思った。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




