5 預けられたもの
オーネットの港の広場に、村から避難してきた人々が到着した。顔に疲労の色を浮かべ、階段に座り込む。港の警備に来ていたファムリアの騎士たちが、彼らの大荷物を運ぶのを手伝っていた。
見ている間に馬車が何台も行き交う。
「南オルミスがファムリアに侵攻するらしい」
噂が伝わり、ファムリアへ逃げる人も南オルミスへ戻る人も、移動を始めている。
コーレリアが状況を報告すると、兄のガイリッドは呆れて言った。
「またお前は勝手なことをして」
「アルストルに増援を求めるわけにはいかないでしょ。絶対言いがかりつけられて戦争になるよ。南オルミスって、子どもまでそうなんだから。あの厄介な精霊に足止め食わせたんだから、いい判断だったと思わない?」
「……だが、その精霊への対処はどうしたらいいんだ。土塊から人形を作る魔法なんて、聞いたことがないぞ」
「やばそうな奴だった! ミザリーがいてくれて良かったよ」
ミザリーが座っている周囲には、怪我人が列を作り治療を待っていた。
「さすが、“英雄の再来”」
ガイリッドは誇らしげにその光景を見る。
「いずれここにも南オルミスが来るだろう。ミザリーは王都に戻った方がいいんじゃないか?」
「そうしたいけどこんな事態、他の誰も対処できないじゃない。ミザリーに調べてもらうしかないよ」
預かっている馬のタランは、ミザリーの横でおとなしくしている。よく世話がされているようで、人懐こい。
タランが嬉しそうに嘶いた。どうやら待ち人が来たらしい。
カッツォは広場に着くと、真っ直ぐタランの元へ向かった。ドレはミザリーの周囲の人だかりを避けて、馬車の荷台に上がる。
コーレリアが、今日は終わりですと言って人々を解散させた。
「ありがとう! コーレリアの作戦を手伝ってくれて」
「こちらこそ、タランを連れて来てもらって。さっきも俺とドレを助けてくれて、ありがとうございました」
「お利口さんだったよね、タラン!」
タランはすっかりミザリーに懐き、彼女の肩に顔を擦り寄せている。
「フラネールの軍はすぐに動きましたか?」
「ちょうど、小隊が出て来たところでした。押し付けて逃げて来ちゃいましたけど」
「それでいいんです。うまくいって良かった」
コーレリアは凛々しく微笑む。ミザリーはにっこり笑った。
「ねえ、一緒に食事をしようよ。お腹が空いちゃった!」
「……誰が、ファムリアなんかと」
ドレが、ぼそりと呟くのが聞こえた。
カッツォは二人に謝って荷台に上がり、膝を抱えているドレの隣に座る。
「断るにしても言葉を選ばなけりゃ。自分が損するだけだよ」
「雇われ人のくせに、友人にでもなったつもりか?」
ドレがカッツォを睨む。
「俺はさ……ソラミルさんの代わりになんかなれないし、精霊とも戦えないよ。ドレがもう一度これを使いたかったら、二人に助けてもらわないと」
カッツォはポケットから黒い玉を取り出そうとした。硬い欠片が手に当たる。
(……そういえば、何か渡されたっけ……)
ポケットから出した手を開く。
黒い玉と、黒い石か木のようなものの欠片。玉をポケットにねじ込んだので、欠片はさらに割れてしまっていた。
「なあに? それ」
ミザリーが、後ろから荷台を覗き込んでいた。
「ドレの大事なものなんです」
「へー。なんだか気になるなあ」
「ちょうどいいや。ミザリー王女に頼もう、ドレ」
促すが、ドレは表情を強張らせるだけだった。
その時、カッツォの手のひらの上で黒い線が揺らぎ始めた。あの時と同じように、瞳孔と虹彩を形作っていく。
「あっ……」
「何か見えるかもしれない!」
「え?」
琥珀色の瞳に宿った黒い瞳孔の奥へ、意識が吸い込まれていく。
⚫︎
机が見えた。
何かが置いてある。
女性の細い手。
革帯を巻いた紙束。細い紐で縛られている。
手は紐を解き、革帯を外した。中の紙だけを紐で縛り直し、荷物に入れる。
石畳を転がる車輪の音が、窓の外から聞こえた。
「イグニーズ様……」
革帯は机の引き出しにしまわれ、代わりに羊皮紙が取り出された。
「君をそこから連れ出したい。
そのために、オーネット家と敵対することになるだろう。
どうか信じてほしい。
必ず君を自分の屋敷に迎える力を手に入れる。
何をしても。
……愛する、君のために」
「彼が手紙に愛を認めるような男だったとはね……知らなかったな」
「レイドン様……」
「羊皮紙というのはね、千年朽ちることがないそうだよ。【アイピレイスの書】も羊皮紙に書かれているんだ。つまり、その手紙はこの愛が永遠であることを誓っているんだろうね」
レイドンと呼ばれた男はため息をついた。
「秘め続けた愛が勝利した……か。あの箱は元々彼の所有物なのだから、こうなるのは仕方のないことだったのかもしれないね。友情は壊れたが、愛に免じて、奴のしたことは許してやろうかな」
「……いいえ。私は、愛を裏切ったのです。レイドン様、どうかイグニーズ様を助けて差し上げてください……」
二人は荷物を持ち、立ち去った。
引き出しにしまわれた革帯だけが、部屋に取り残されていた。部屋には別の誰かが来て再び使われたり、しまわれたり。
――そうして、長い年月が経っていった。
⚫︎
「どうしました? 急に黙って」
幌の外にいるコーレリアに声をかけられ、三人はハッと気がついた。お互いに目を見合わせる。思わずミザリーとも見つめ合ったドレは、慌てて目を逸らした。
「今のは……」
カッツォの手のひらの上には、黒い玉と黒い何かの破片。
「これ、革帯だったんだなあ」
破片をつまんで眺める。なぜそう思うのかわからないが、そうだということを知っている。嗅いでみると、確かに革のにおいがした。
「今の何? 違う景色が見えたね!」
ミザリーが荷台に上がってきて、まじまじと黒い玉に戻ったそれを眺めた。
「そうなんです。すごいでしょう」
「昔のことのような気がする。革帯の記憶かな?」
「……記憶……」
ミザリーが言うと、それが正しいように感じる。
やっぱり、これは起こったことを映し出すのだろう。
(ドレは信じたくないだろうけど……。わかったことは受け入れないと)
過去が見えるのはわかったが、ソラミルが一瞬生き返った原因はまだわかっていない。
ミザリーに聞けば教えてもらえるかもしれないのに、ドレはミザリーのことが苦手だ。二人の性格がどうしようもなく合わないことは、見ていればわかる。
「ドレ君もお腹空いたでしょ? ストラヴィルに生気を取られたから、いっぱい食べたほうがいいよ。何が好き? ボクたちの宿で一緒に食べようよ」
「……」
ドレは動くつもりがないようだった。
(仕方ないなあ。俺が二人に頼んでやるか)
ドレの肩を軽く叩き、ミザリーと一緒に荷台を降りる。
「ありがとうございます。でも、食事が喉を通らないみたいで。あいつはそっとしておいてやってください」
ドレがどんな態度でもミザリーはきっと助けてくれるだろう。コーレリアは嫌がるかもしれないが、ミザリーには従うはずだ。
「あ……そういや、今日は三日目か」
ふと考えて、気が付いた。
色々ありすぎて忘れていたが、カッツォが雇われたのは三日間。依頼通り、オーネットまでは連れてきた。友人に会うのはドレの目的で、会わせることを頼まれたわけじゃない。
(ドレの言う通りだ。雇われ人のくせに、俺は何のつもりで……)
「三日目?」
ミザリーが首を傾げ、カッツォの顔を覗き込む。
「俺がドレに雇われてるのは、今日までなんですよ」
ドレが顔を上げ、こちらを向いた。
約束の金を貰って、面倒事から解放される。雇われ仕事とはそういうものだ。
「カッツォ君とドレ君は友達じゃないの?」
「俺はそんな身分じゃないですよ」
カッツォは自嘲した。
「身分って?」
「王族と貴族が高くて、真ん中に良家や商人がいて、低いのが庶民。その下は身分すらない、それぞれ生きている世界が違う。それが身分ってものです」
「それってただの職業じゃないの? カッツォ君はどの身分?」
「ご覧の通り、庶民ですよ」
「南オルミスはそういう国なんです。そろそろミザリーも学ばないといけませんね」
コーレリアは護衛だけではなく、ミザリーの教育係でもあるようだ。きっとこの人も王族なのだろうと、カッツォは思った。
「じゃあさ、カッツォ君はファムリアにおいでよ! 手伝って欲しいことがあるし」
「手伝い……雇ってくれるってことですか?」
「雇う? ボクたちは友達だよ」
「カッツォにも生活があります。賃金は支払うべきでしょうね」
だが、今ファムリアに行くのはどうだろう。戦争に巻き込まれないようにしないとなあ、とカッツォは考える。
「勝手に話を進めるな!」
荷台からの声に振り向くと――ドレが、相変わらず眉間に皺が寄った顔で立っていた。
「その男を雇ったのは私だ」
「今日で終わりだって聞いたよ。そしたらカッツォ君は南オルミスに帰っちゃうでしょ?」
ドレは険しい顔のまま、荷台を降りる。
「南オルミスの人間なのだから、南オルミスへ帰るだろう。ファムリアへなど行くものか」
「そんなことないよ。友達にもなれない南オルミスにいるより、ファムリアにいた方が楽しいと思うな」
「ミザリー」
「友達? 楽しい? やはり、手口が汚いな。このファムリア……」
「ドレ! さすがに言い過ぎだ」
カッツォは二人の間に割って入った。
「ファムリアとか南オルミスとか、そういうことを言うのはやめろよ。ドレは気を遣わないとだめだ、相手はファムリアの王女なんだから!」
「王女だから? だからファムリアに行くというのか? なら、教えてやる」
握りしめた拳を震わせ、ドレは言った。
「私は南オルミスの第三王子、ハンドレッド・ルペッサン・オルミスだ」
日が落ちかける広場に灯りをつけていたファムリアの騎士が、一瞬だけこちらを振り向き、仕事に戻った。
「第三王……子……?」
「えー! ハンドレッド君って、誰も見たことがない王子?!」
「ミザリー」
誰も見たことがない王子、ハンドレッド。
十年前に王妃と一緒に亡くなったとか、生まれる話自体が王妃の病気だったとか。
噂話にすら、生きてはいない。
カッツォは驚いて、そんな人物を名乗った“ドレ”を見つめる。
「……本物の王子だという証拠がありますか? ハンドレッド王子に関しては、偽者がたびたび現れていると聞いていますが」
落ちぶれ貴族の詐欺事件の話なら、カッツォも聞いたことがある。
「偽者だと? ……私が……私の?」
困惑の色を浮かべ、緑色の瞳が三人の顔を彷徨う。
「何を言っているんだ。私が私であること以外に証拠などない……!」
追い詰められた顔というより、怯えたような顔をしている。
人混みを歩けない。
金の扱い方も知らない。
世間知らずで、人当たりが悪い。
その割に素直で、たった一人の友人のことばかり考えている。
王子かどうかなんてカッツォにはわからないが、ソラミルとの関係は嘘じゃない。
「俺は、信じます……。だってあの時、ソラミルさんも……そう呼んでました。ハンドレッド様って。それが証拠じゃないですか?」
「ボクも信じるよ。だって、ドレ君でしょ。騙すんだったら最初から、自分は王子だって言うんじゃないかな?」
カッツォとミザリーの眼差しに、コーレリアはため息をついた。
「……そうですね。私もそう思います」
やけにあっさり、引き下がる。
しかし、コーレリアはドレの顔を見て戸惑うように眉を顰めた。カッツォもドレの方を向いた。
大きく見開いた緑色の瞳から、涙が落ちていた。
そんなに怖がらせたのか、と思う。
ドレも自分の涙に気付き、慌てたように顔を背けた。
「じゃあ、カッツォ君はどうするの? 一緒にいるんだったら、どっちが雇っても同じだよ」
「……一緒に?」
「うん。ストラヴィルをなんとかするのを、二人にも手伝ってもらいたいからね」
ミザリーが、にっこり笑う。
すると、ドレがぽつりと呟いた。
「……私も……手伝ってもらいたいことがある……」
「もちろん、手伝うよ! みんなで協力し合えるね!」
ミザリーは嬉しそうに頷いた。
「カッツォにも、頼みたい。金は払う……雇い人などと思うのはやめる」
ドレは乱暴に涙を擦り、自分の返事を待っている。
カッツォは少し困って、言葉を絞り出す。
「……ハンドレッド殿下、お力になりたいとは思います。俺にできることなら……」
見ているうちにドレの表情が崩れていく。
乾き切っていなかった涙が、また同じ筋を辿っていく。
「私が悪かった。頼む、カッツォ。ドレと呼んで、これまでのように話してくれ。今までだって、ずっと助けてもらっていた……」
こんな、庶民でしかない自分に必死に縋る。ドレには本当にソラミルしかいないのだ。
突然目の前に現れた第三王子のことが何もわからないまま、それだけは痛いほどわかった。
「……わかった。ドレのやりたいことが終わるまで、一緒にいるよ」
そう答えると、ドレの張り詰めていた顔が、少しだけ和らいだ。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




