4 悪霊ストラヴィル
振り向いた先の暗いモヤの中に人影が見えた。
(ドレか……?)
また土塊の影かもしれない。
恐怖に足が止まりそうになるが、行って確認しないことには戻ることもできない。
近付いていく。
だんだん姿が見えてきた。
ドレでも、土塊でもない。
薄い光を放つ金色の長い髪が、風もないのに揺れている。
青い瞳をした、美しい横顔。
「痛いほどわかる」
声は低く、大人の男性のものだった。
足元にはドレが倒れていた。目を閉じ、体の半分が土塊に沈み込んでいた。
「ドレ!」
立ち止まったカッツォに、男は見向きもしない。
「この怒り……悲しみ……。母の犠牲で生まれた孤独……。素晴らしい願いだ。こんな世界滅びてしまえばいい。僕もそう感じるよ」
男は屈み、ドレが握りしめている手のひらを開かせる。指の隙間にあの玉の黒い光が見えた。
「そうか……君は、僕と同じなんだね。一緒に願いを叶えよう」
「なあ、あんた……」
カッツォは意を決して話しかけた。
このままでは何かまずいことになる――そんな予感がしたからだ。
男が立ち上がり、カッツォの方を向いた。透明すぎる青い瞳の恐ろしさに、思わず喉を鳴らす。
「その子は、どうしたんだい」
カッツォは男に聞いた。ドレはぴくりとも動かない。
「ん? 気を失っているみたいだ」
案外あっさりと、男は答えた。
「……なんで、気を失ったんだい?」
すると、男は美しい微笑みをカッツォに向けた。
「いいね。質問と返事の応酬……。人間には会話が必要なんだ、そうだろう?」
この男は危険だと、カッツォの勘が言っている。
世の中を渡っていると、取引してはいけない、関わってはいけない類の人物がいる。
(でも、ドレを連れてかなけりゃ……)
この男に何をされたのかわからない。土塊に埋もれて息ができてるのか、意識が戻るか。確かめたいのに、近付けない。
「ねえ、もっと話そう」
男がカッツォに近付いてきた。
「君の願いはこの子じゃない。連れていくのは、妹じゃないのかな?」
男の言葉が、カッツォの脳裏にはっきりと、昔の記憶――幼い妹ラナの姿を思い描かせた。
「あんた……なんなんだ……」
カッツォの足が、後ろへ下がる。
「僕はストラヴィル。生気と引き換えに、君の願いを叶えてあげるよ」
吸い込まれそうな青い瞳の中に、ミシュワの花畑が見えた。
白い肌、微笑む唇。細長い指先が、目の前に迫った。
「だめだよ!」
カッツォの背後から、ミザリーの声がした。
ぴたりと、ストラヴィルの手が止まる。
「そんな叶え方をしてはだめ。死んじゃうよ」
「なんだい、君は。……人間の女は、嫌いだな」
ストラヴィルは目を細め、憎らしげにミザリーを睨む。
「変わるし、裏切る。嘘をつく。触れ合って子を生む……」
「君は精霊だね」
ミザリーはカッツォの前に出る。黄色い瞳がストラヴィルを見つめている。
「どうして人間の体を持ってるの?」
「人間は見た目を気にするからだよ。花の姿だったり透明だったりしたら気持ち悪いじゃないか。それに見てごらん、触れられる」
ストラヴィルは金色の髪や指先に触れた。うっとりとした表情で、自分の美しさに見惚れていた。
ミザリーはドレの方へ歩き出した。
「どうしてここにいるの?」
「さっきここで生まれたんだ。その子が願ってくれたからだよ、僕の存在を」
「ドレ君は、どうして君が生まれることを願ったの?」
「絶望しているからだよ! その子の世界は終わってしまったんだ。だから破滅を願ったんだよ……! 消えかけていた、母の怒りと悲しみにね。そして、父の骨を使って僕が生まれた。美しい……究極の愛だ。そう思うだろう?」
ストラヴィルは嬉しそうに言った。
「その願いを取り消すよ。君は存在しちゃだめだ」
「僕は、子どもも嫌いだな。わがままだし、傷つくことを平気で言うからね」
ストラヴィルは優雅に両手を広げた。
美しい青い瞳――中に閉じ込められているミシュワの花畑に、土塊の地面が映る。
地面が震える。
しかし、今度は地響きではなかった。
土塊が動きだし、盛り上がっていく。
カッツォの後ろの方で控えていたコーレリアが、ミザリーの前に駆け出した。
「カッツォ君! こっち!」
ミザリーの叫び声で我に返ったカッツォは、呼ばれるままドレの方へ走った。コーレリアは三人を背に、ストラヴィルに立ちはだかる。
ストラヴィルは、動くつもりはなさそうだった。
「連れて行くの? 可哀想だなあ。その子はこんなに会いたがっているんだよ……オーネット家の子孫とかいう、間違った存在に」
人の形になった土塊が、三人に向かって歩いてくる。コーレリアはすらりと白い剣を抜き、土塊に叩きつけた。土塊は崩れ落ち、地面に戻る。
「ひどいことをするなあ。せっかく元の形にしてあげたのに」
青い瞳が光る。
「な……」
コーレリアが剣を構えたまま、周囲を見回した。
土塊が再び人の形に戻る。同じようなものが何体も、次々と辺りに立ち上がる。
『“固定”』
頭の中にストラヴィルの声が響く。
土塊の継ぎ目の部分がなくなっていく。
黒くぼろぼろだった表面に、肌と服の色がつく。
カッツォが呆然と見入っているうちに、目の前の土塊はついにその人になった。
ソラミル・オーネット。
琥珀色の瞳の中に見た、二十歳前後の青年。賢く、穏やか――ドレの言った通りだ。
佇まいだけはそう思った。
目の中に、瞳がない。
ソラミルだけじゃない。
前に、カッツォが話しかけられた長男のヤシム。その傍にいた小さなマリエル。
使用人も領主も、全員同じく、瞳がない。
「うわ……なんだか、気持ち悪いね」
ストラヴィルは楽しそうに笑った。
「正統な領主は僕なんだよ。君たちは偽物、間違いだ。本当は存在してはいけないんだけど、願いなら仕方ない。人間の生気でも奪っておいで」
瞳のない人々が足を踏み出す。
ソラミルは剣を携えていた。細く長い剣が抜かれる。
「ミザリー、これは斬ってよいものですか」
「いいよ。ただの人形。人じゃない」
ミザリーの言葉に頷き、コーレリアが剣を振るう。ソラミルの剣はぶつかり合った瞬間に、ぼろぼろに崩れた。
「う……」
ミザリーが手当てをしていたドレが、小さく身じろぐ。ぼんやりと、目を開ける。
「ドレ! 良かった……」
ドレは呆然と、ミザリーとカッツォの顔を見た。
「……なにが……?」
体を起こし、その光景を目にする。
人形を見つけるなり、立ち上がった。
「ソ……ソラミル! ソラミル?!」
瞳のない目がドレを捉える。ドレはカッツォとミザリーを振り払って、ソラミルに駆け寄った。
「だめだよ、ドレ君! 生気がなくなっちゃう!」
ミザリーがドレの背中にしがみついた。
コーレリアの剣が、ソラミルの胴体を割る。
「う……うわあああっ!」
悲痛な声で、ドレが叫ぶ。
同時に何か悲鳴のような耳鳴りがして、カッツォは目を瞑った。
「?!」
突然、カッツォの体から力が抜けた。
見ると、マリエルの人形が右足にしがみついていた。
「うわっ……」
不気味な目に怯む。振り払おうとするが、力がどんどん抜けていく。
マリエルの頭を押すと、首が折れて後ろに倒れた。断面から、土塊がこぼれ落ちる。
「向こうへ!」
コーレリアがカッツォの襟首を引き、ミザリーのところまで走らせた。
ミザリーはドレを止めながら、すぐにカッツォの肩に手を触れる。
「触るだけで生気を奪われちゃう。気をつけて!」
ひどく疲れていた体が、少し楽になった。
代わりに、ミザリーがドレを抑える力が弱まった。カッツォがドレの腕を掴む。
「コーレリア、逃げよう」
と、ミザリーが言った。
土塊が再びソラミルを模っていく。マリエルの首も、コーレリアが斬り崩した人形たちも、元の形に戻っていく。
「……その方が良さそうですね」
「村の反対側へ行こうか」
「もっといい方向がありますよ」
汗を浮かべつつ、コーレリアはにやりと笑った。
「離せ! 私に触るな!」
ドレが腕を振り回して暴れる。しかし、全く力がこもっていない。立たされているのも叫んだのも辛そうで、息が上がっていた。
「そういうわけには、いかないんだよ!」
カッツォはドレを肩に担ぎ上げる。
「カッツォ君! こっち!」
ミザリーとコーレリアが呼ぶ方へ走った。
オーネット家の人形たちが追いかけてくる。その目に、表情に、感情はまったく感じられない。
ストラヴィルは丘の上で笑っていた。追いかけてくる気はなさそうだ。
カッツォは、ドレを落とさないようにしっかりと担ぎ直した。その勢いで、ドレの手から黒い玉が滑り落ちた。
拾えないのでそのまま逃げようとした時、追ってくるソラミルの足が、黒い玉を踏んづけた。
「……」
ソラミルの動きが止まった。
「……っ! 降ろせ、降ろしてくれカッツォ!」
ドレの必死な声に、カッツォは立ち止まる。暴れて落としそうなので一度地面に下ろした。ソラミルの人形が足を上げ、落ちている黒い玉を拾い上げていた。まるで人間のような動きをしながら、黒い玉を目の前に掲げる。
――黒い玉を見つめるソラミルの空ろな目に、琥珀の光が差した。
「あれ?」
と、声を上げ。
深い茶色の瞳が、ドレとカッツォの方を向く。
他の人形たちは瞳のない目のまま追いかけてくるのに、ソラミルだけは自分の体を不思議そうに眺めている。
ドレはカッツォの手を振り払い、土塊がまとわりついてくるのも厭わず、真っ直ぐソラミルに駆け寄った。
「ソラミル!」
その胸に飛び込み、まるで幼い子どものように、声を上げて泣きじゃくった。
ソラミルは一瞬驚いた顔をした。しかし、優しく微笑んでドレを受け止めた。
その光景に――カッツォの目にも、思わず涙が滲む。
「ハンドレッド様? ついに……来てくれたんですか? とても大変だったでしょう、よく頑張りましたね」
ソラミルの手が、優しくドレを撫でようとして――自分が剣を抜いていることに気がつき、首を傾げた。
右手に剣。左手に黒い玉。
きょとんとした顔で、カッツォと目が合う。それからふと横を向き、ソラミルは家族の顔をした何かがコーレリアに斬られているのを見た。
「これは一体……」
ソラミルは黒い玉を見つめる。
中に映る何かを見ている――カッツォが、そう思った時。
一瞬にして、ソラミルの顔と体がひび割れた。乾いた絵の具が剥がれ落ち、土塊が剥き出しになった。
ドレが悲鳴を上げた。
「危ない!」
カッツォは咄嗟に飛び込み、ドレを庇った。ソラミルの剣が肩を叩く。砕け散った土塊に塗れたが、マリエルに触れられたのと同じで力が抜けるだけだった。
足元に、黒い玉が落ちている。それを拾い上げ、ポケットに押し込み、ドレの手を引いて走った。
しかし、ドレの足はほとんど動かない。
「こっちです!」
コーレリアに誘導され、丘を駆け下る。
黒い地面を抜けると、土塊の人形たちの動きは俊敏さを増していった。人形が踏んだ草が萎びていく。
「このまま向こうへ走って!」
「え? 向こうって……」
コーレリアが指差しているのは、南オルミスのフラネールの町だ。
「あそこに戦える人たちがいるはずですからね」
「ええっ! そんな……」
「私たちは村へ戻って人々を避難させます。あなたの馬も連れて行って差し上げますよ。港にいなければアルストルです!」
と、ミザリーとコーレリアは逃げる方向を変える。
フラネールの方で、鐘が鳴り出した。ここまで来ていれば、あの塔からこちらの様子が見えているはずだ。
オルミスの赤い旗がはためいていた。
「あれは、アルフレッド殿下の旗だ! ドレ、もう少しだ頑張れ!」
カッツォは安心した。貴族の私兵は見返りに高額な金品を要求してくることもある。
第一王子の率いる軍隊なら安心だ。
しかし、ドレの足取りはさらに重くなった。
「……私は行けない……」
と、うつむく。
(そりゃそうだろ、あんなの見たら……!)
ソラミルの人形が生き返ったように動き――砕けた。
「だめだよドレ、立ち止まっちゃ。それじゃ生気を失って終わりだ」
地面を軽く揺らしながら、ガチャガチャと金属を擦る足音が近づいてくる。
すでに警戒に出ていた小隊が、二人を取り囲んだ。
「何者だ?」
髭を揃えた隊長らしき人物が、二人の前に歩み出た。
「ん……?」
ドレを見て彼は眉を潜めた。フードの中を覗き込まれそうになり、ドレは体の向きを変える。
「ええっと、大変なことが起きて……ほら、後ろ!」
カッツォが慌てて指をさした。人形たちが兵士のすぐ背後まで追いついてきていた。
兵士たちははじめ何事かと見ていたが、動きと瞳の異様さに気付いた者から、ぎょっとして後ずさる。
「何だ! ファムリアの攻撃か?!」
「ファムリアじゃない、土のばけものだ!」
兵士の声に、カッツォが答える。
「なんだと?」
隊長はしかめっ面をして、向かって来る者をじっと見つめる。
「兵士なら戦ってくれよ。オーネットの人たちの姿をしてるけど、あれは偽もんだ!」
カッツォは近くにいた兵士の背中を人形の方へ押しやった。人形に腕を掴まれた兵士が立ちくらみ、地面に膝をついていた。
兵士たちのざわめきに、隊長が叫ぶ。
「交戦開始!」
兵士たちが一斉に人形へ向かって行った。
「今だ、行こう!」
ドレの腕を引く。足が動く気配がない。
カッツォは正面からドレの両肩を掴み、言い聞かせる。
「あの黒い玉を調べよう、ドレ。ソラミルさんが話したのも、割れたのも、あの黒い玉を見たからだろ」
カッツォの言葉に、ドレは顔を上げた。
「使い方がわかれば、また話せるかもしれない。ソラミルさんに会いたいんだろ!」
ドレはカッツォを見つめ返し、力強くうなずいた。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




