3 婚約者ミザリー
村は黒い地面の向こう、丘陵の下に見えていた。
だが、タランが踏むと崩れる土塊の中を進めなかったので、東側を回り込んでいる。
「森の中に青い屋根が見えるだろ。あれがアルストルだよ」
「……」
ハンドレッドは御者台のカッツォに背を向け、荷台にうずくまっていた。
オーネットを越えた東の地。そこはもうファムリアだった。
ハンドレッドが読んだ昔の王家の記録には、南オルミスの要求を全て突っぱねる敵性の国とある。
ダリウスも、南オルミスとファムリアは仲が悪いと言っていた。フラネールを要塞の町にして兵士を常駐させているのは、ファムリアと戦争になりそうだからだ。
「アルストルには大きな学校があるんだぜ。それと、伝統、とかいうのがある町なんだってさ」
カッツォがずっと話し続けている。
ハンドレッドになのか、タランになのかわからないが、どちらの返事も待ってはいない。
ハンドレッドはファムリアのことを考えていた。
ファムリアの王家は精霊を使う力を持っていると、ソラミルが言っていた。
さっきの、夢のような光景の中――ソラミルは精霊と話をしていたようだった。あの焔の塊が精霊の力なのだとしたら――。
「着いたよ。村に」
御者台のカッツォに声をかけられる。
農村は、しんと静まり返っていた。
井戸の周りに集まっている者たちを見つけて、カッツォはタランを止めた。
「なあ! ……大変なことになったな。一昨日のあれ、大丈夫だったのかい」
知り合いでもいたのかと思うほど、気さくに声をかける。
「恐ろしい……」
「空が光って……」
「赤い火の塊が落ちてきた……」
村人とカッツォが話をしている。
ハンドレッドは両手で耳を塞いだ。
(知りたくない……)
さっき見たものが実際に起きたことだと理解したくない。もしそうなら、ソラミルは――。
「……行ってみるよ。ありがとう!」
馬車がまた動き出す。
耳鳴りがする。
少しして、また馬車が止まる。
「ドレ、大丈夫か?」
カッツォが荷台に上がってきて、ハンドレッドの横に座る。
「昨日の昼に村に来て、あそこを調べに行った人がいるんだって。この家に泊まったらしいから、話を聞いてくる」
カッツォがハンドレッドを気遣っている。
それすらも、知りたくない、認めたくない何かを決めつけられているように感じ、苛立ちが増していった。
「……私が行く」
ソラミルのことは、友人である自分がやるべきことだ。他人に触れられるのが許せない。
カッツォが差し出してきた手を無視して荷台を降り、入るべき家の扉を開けた。
開けようとして、扉を引いた。
「じゃあ、行ってくる!」
軽い足音と声が聞こえ、反対側からも押された扉は勢いよく開き、その縁がハンドレッドの額に直撃した。
衝撃でふらつき、片膝をつく。
「……」
「わっ、ごめん! ぶつけちゃった?」
赤い髪の少女だった。
しゃがみ込んで、ハンドレッドの顔を覗き込む。
細い手が伸びてきてハンドレッドの前髪をかき上げ、ぶつけた額にもう片方の手を当てた。
「痛いの、痛いの、飛ーんでけ」
ハンドレッドの目の前で歌を口ずさむ、ほの赤い唇。大きな黄色の瞳がハンドレッドを見つめた。
「な、何をするんだ!」
ハンドレッドは顔を真っ赤にして、少女を突き飛ばした。
「ミザリー、あなたは本当に落ち着きがない」
家の中から、呆れた別の声が聞こえた。
軽装の革鎧をつけた女性が現れ、カッツォとハンドレッドを見つけて言った。
「申し訳ございません。お怪我は治っていると思いますが、どうぞ中へ入ってください」
ハンドレッドとカッツォは、思わず顔を見合わせた。
額の痛みは、消えていた。
「俺たち、屋敷の方を調べた人がいるって聞いて来たんです。話を聞かせてもらってもいいですか」
カッツォが女性とミザリーと呼ばれた少女に言った。
急に丁寧な言葉遣いをするカッツォが、なんだか気持ち悪かった。
ミザリーはにこにこと笑顔を浮かべている。オーネット家があんな状態なのに、嬉しそうに。
ハンドレッドはずっと目を背けていた。
「君たち、名前はなんていうの?」
ミザリーがテーブルに乗り出す。
「俺はカッツォ。こっちは、ドレです」
「カッツォ君、ドレ君。よろしくね! ボクはミスサリア・カフェトー・オルミス。みんなミザリーって呼ぶよ! こっちは護衛のコーレリア」
ミザリーは軽い調子で言った。
「……その名前……ファムリアの、王女ってことですよね……?」
「そういうことです」
顔をひきつらせるカッツォに、ため息をつきつつコーレリアは答えた。
「ボクたちがアルストルにいるときに、空が黒く光ったんだ。ドッカーン! バリバリ!」
ミザリーは手を雷のようにくねらせる。
「それで、急いでここに来たんだ。そうしたら向こうがあんな風になってて……」
「白々しいことを」
ハンドレッドが初めて声を発した。
三人が顔を向ける。
「ファムリアがやったのではないのか。……オーネットを消して、次は南オルミスを攻撃するつもりだろう」
「ド、ドレ……そんなことを言うもんじゃないよ」
カッツォが驚いてハンドレッドを諫めた。
ハンドレッドはミザリーとコーレリアを睨む。
「……南オルミスの方ですか。オーネット領内でそのような発言、看過しかねます。子どもといえども」
コーレリアはハンドレッドを睨み返し、剣の柄に手を置いた。
「そんなこと、するわけないよ!」
ミザリーはハンドレッドの敵意などまったく感じてもいないような明るさで、言った。
「ボク、ソラミル君と婚約するためにここへ来たんだから」
ガタン! と、ハンドレッドの椅子が音を立てた。
「……ソラミルと……婚約?」
ハンドレッドは立ち上がり、首を横に振る。
「そんな話は聞いていない……!」
「あなたはそれを聞いて当然のお立場なのですか?」
「私はソラミルの友人だ!」
すると、ミザリーが椅子から立ち上がった。
ハンドレッドの方へ歩いてきて、「な、なんだ」と動揺する手を取った。
「じゃあ今、ドレ君はソラミル君のことが心配でしょうがないんだね」
両手のひらの温もりが、ハンドレッドの右手を包み込む。
ハンドレッドはカッとなり、ミザリーの手を乱暴に払いのけた。
「わかったような口を聞くな! 私を知ってるのは、ソラミルただ一人だ!」
部屋に響く大声で怒鳴りつける。
雇っただけの男。苛つく女。敵の兵士。
なぜソラミルがいなくて、こんな連中に囲まれているのか。
ハンドレッドは扉を乱暴に開け、家を飛び出した。
▪︎
「ドレ!」
呆気に取られていたカッツォは、飛び出して行ったハンドレッドを追おうと立ち上がった。
「ボク、何か悪いことを言っちゃったかなあ」
「おそらく婚約者だということが気に障ったのでしょう。子どもの癇癪ですよ」
カッツォは、それ見たことかと自分に言った。
貴族に関わると余計なことに巻き込まれる。平穏に暮らすには、貴族相手に儲けようなんて考えない方がいい。
(でも、ドレは……)
ミザリーたちは、オーネット家の惨状を前にして落ち着いているように見える。昨日からここにいるのだから、さっき知ったばかりのドレと違うのは当然だ。
(そう見えないからって、悲しんでないかなんてわからないけど)
さっき叫んで出て行った時、ドレは泣いていた。
怒っているだけじゃない。悲しくて仕方がないのだろう。
「ミザリー、私たちも王都へ戻りましょう」
「お父様が戻ったのに?」
「今朝、フラネールに動きがありました。彼が言ったのが南オルミスの理屈なら、ここにいるのは危険です」
きっと、コーレリアの考えている通りになる。カッツォもそう思った。
南オルミスは常にファムリアに戦争を仕掛ける口実を探している。商人の間では周知の事実だ。
「……ボク、ドレ君と友達になりたかったな。ソラミル君にも会えなかったし。こんなに上手くいかないことは初めてだよ」
「……そうですね」
コーレリアがミザリーを促す。
カッツォものんびりしてはいられない。何かが始まる前に、移動した方がいい。
(ドレはどうしたら……城下に戻ればいいかな)
そう考えた時だった。
――地響き。
「またか!」
コーレリアはすぐさまミザリーに覆い被さった。
空気を劈いて、低い唸り声のような音が家の中さえも通り抜けていく。
「タラン!」
カッツォは扉に体をぶつけながら外へと飛び出した。
怯えるタランの蹄が土を掻き、荷台が軋んで音を立てていた。カッツォはタランの首に抱きついて、「どう、どう」と落ち着かせる。
しかし、動揺したのはカッツォの方だった。
オーネット家の屋敷があった丘が、再び黒雲に覆われている。
黒雲は村の上空にも沈み込んできていた。
西へも東へも、国境を越えて広がっていく。
「ドレ! すぐに移動……」
カッツォは幌の中に声をかけた。
しかし、誰もいない。
外に出ただけだと、荷台にでもうずくまっていると思っていた。荷台の下、家の裏、井戸の周り。村の中を探し回るが、見つからない。
(オーネットを出た? 港へ行った? でも、さっきの様子じゃ……)
カッツォは真っ暗な丘の上を見る。
黒雲が地に垂れ込め、煙のように揺らめいている。その模様は、ドレが拾ったあの黒い玉のようだった。
ソラミルの手がかりを探しに行った、そうとしか考えられない。
「あー……もう! タラン! ちょっと、見てくるから……いい子にしてろよ」
カッツォは丘に走った。
「カッツォ君!」
背後にミザリーの声が聞こえたが、振り返りはしなかった。
「ドレ! どこだ、ドレー!」
カッツォは暗闇の中を進んだ。
ただただ暗く、ただ静かな黒いモヤ。
さっきよりも土塊がくっついてくる量が多い。膝で掻き分けるようにして進む。
「いないのか……?」
辺りを見回す。
黒い髪に黒い服。ドレがいても、すぐにわからないかもしれない。
「……うっとおしいな、こいつ!」
土塊を蹴飛ばした。
柔らかく崩れる感触に混じって、硬い何かが砕ける。
「なんだ……?」
カッツォはそれを拾い上げようとした。
突然、目の前の土塊が盛りあがった。
くっつきあい、まとわりつきあい、カッツォの背丈ほどまで大きくなった。土塊の一部が伸びてきて、尻もちをついているカッツォに何かを差し出した。
カッツォは、震える手で受け取った。
さっき拾おうとした――石か木片か、細長くてねじれた黒い物。分厚く重い、黒い塊だった。
「……」
土塊は人の影のように見えた。何か言いたそうだと思いながら、渡されたものをポケットにしまった。
土塊は崩れて地面に戻った。
「なんだったんだ……?」
終わってから、心臓が大きな音を立て始める。
(一体何を……何か、意味がある物なのか……?)
――その時、どこかから声が聞こえた。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




