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セレニアの物語  作者: さなか
第4章 序幕

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2 商人見習いカッツォ

挿絵(By みてみん)



 ――乾いた咳の音が聞こえる。


「崩落だ!」


 坑道の奥から迫る声。

 カッツォは、出口に向かって走る。

 世界が崩れる音が、後ろから追いかけてくる。


「はあ、はあ、はあ……」


 背中が重い。

 でも、降ろすわけには――。


 

「ラナ……」


 

 寝言を口にしたことに気づき、カッツォは飛び起きた。焦って辺りを見回した後、幌の外に誰もいないのを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。


 まだ空は薄暗い。霧が煙る湖の向こうに、宿場町の灯りが見える。周囲にいる他の馬車からは、いびきが聞こえてくる。

 

 うっかり拾った現雇い主の少年は、荷台の隅っこで外套にくるまっている。夜明けの雨で冷えたのか、寝ながら軽い咳をしている。


「はあ……」


 あんな夢を見たのはそのせいか。

 カッツォは乾草を敷いてある荷台に寝っ転がった。

 

(何やってんだろうな、子どもなんかに雇われて……。しかも貴族かもしれないなんて最悪だ……)


 人混みを歩くこともできず、金を財布ごと見せる。世間知らずにもほどがある。壁の中の人間かもしれないと、もっと早くに気付くべきだった。

 

(親が商人なら仕事をもらおう、なんて考えたのが間違いだったなあ……)


 もう一度眠るつもりで目を閉じる。

 しかし、横から聞こえてくる寝息と咳が気になる。カッツォは起き上がり、薄い布を一枚手に取った。

 ドレにかけてやろうとして、布があまり綺麗でもないことに気がつく。


 ドレが着ている一見地味で汚れたような色の服も外套も、よく見ると生地が分厚い。

 

(こういう中途半端な格好は危ないんだよなあ。本当に貴族の子ならそういう服を着てれば、誰も手を出せないのに)


 スリに野盗に人さらい。もし一人でオーネットまで歩かせたりしたら、どんな目に遭うかわかったものじゃない。


(あーあ。面倒ごとを拾ったなあ)

 

 昨夜ここで夜を明かすと言った時の一悶着を思い返す。


 早くオーネットへ行きたい。

 寝る場所がどこにあるんだ。

 灯りがないと寝られない。


(でも文句を言った割に、すぐ寝たんだよな)


 カッツォは小さく笑った。

 目覚めれば無愛想に睨むのに、寝顔にはまだ幼さを残している。ちょうど、同じくらいの歳か――。


「タラン!」


 考えをかき消し、荷袋を掴んで荷台から飛び降りた。


「疲れてないか? ほら、朝飯だ」

 

 タランが乾草とウンドキの根を食べ終えるころ、ドレは目を覚ました。寝ぼけているのか、カッツォを見て驚いたような顔をした。


「その辺にあるものは食っていいよ」


 カッツォは、荷台に置いてある袋を指し示した。

 ドレは袋を覗き、果実や野菜を手に取った。だが、それらを見て顔をしかめては中に戻した。

 外に出てきてカッツォの齧っている干し肉をじっと見ていたので、袋から別の干し肉を出して分けてやった。硬すぎるのか、噛み千切るのに苦労している。


「こっちの方が食べやすいだろ。ほら」


 林檎を服で磨いて差し出すと、ドレはふいと顔を背けた。好き嫌いがあるなんて、いかにも貴族らしい。

 ドレは周りにいる馬車を見回した。

 

「なぜ商人たちはこんなところで寝るんだ。あの町に宿があるだろうに」


「泊まってもいいけど、ぼったくられるよ。高い部屋に通されるし、頼んでもいない食事を出される。馬止め料もかかるしね」


「必要ならこれを使えばいい」

 

 ドレは昨日のように懐から小さな袋を取り出して、カッツォに突きつける。


「いや、そうじゃなくて! 面倒なことをいろいろ言われて、オーネットに行くのが遅れるかもしれない。だから馬車で寝た方がいいんだ。そいつは、最後にもらうから大事にしまっておきな」


 カッツォは袋を押し返した。

 あの袋の中身がクズ鉱石じゃなく銅貨や銀貨だと知ってしまったら、もう言い逃れはできない。


(貴族だなんて言われなきゃわからないよな。最後に金をもらってびっくりする……知らなかったことにしよう)


 なんとか自分に折り合いをつけ、出発の準備に身を入れる。

 タランに馬具をつけ、(ながえ)を固定する。カッツォが馬車を支度している間、ドレはじっとオーネットの方を見つめていた。


(本当に友人のことしか考えてないって感じだな……)


 ドレは少し悩んだ様子だったが、今日も御者台に乗ってきた。

 昨日の感じだと、本当は話すのが好きそうだ。だから話しかけようと思ったが、素性は詳しく聞けないし――オーネットの領主の息子のことにも触れない方が良いだろう。

 かと言って、自分の仕事の話も、なんだかんだで貴族に繋がる。


 カッツォはため息をついた。

 

「……だから、考えなくていいんだって……」


「?」


 ドレが怪訝そうな顔をして、こっちを向いている。


「あー……なんていうか……独り言だよ。独り言っていうか、いつもタランと話してるからさ。な、タラン」


 体を揺らし、タランが嘶く。

 

「……家族だと言っていたな」


「そうだよ。羨ましいかい?」


「……羨ましい」

 

 ドレの声は車輪の音に紛れ、はっきりと聞こえなかった。

 

 

 その日はほとんど休まず街道を進み、次の宿場町があるサフラス川の近くで馬車を止めた。翌朝――三日目の朝には、高い塔のある国境沿いの町フラネールが見えてきた。

 カッツォが商人見習いを始めた頃、フラネールは国の端っこにある小さな農村だった。それが数年前から塔や壁が建てられ始め、要塞へと変わった。

 入るには通行証が必要だ。カッツォ自身は通行証を持っていないが、商人に雇われて町中に入ったことはある。新しいフラネールは兵舎が並ぶ物々しい雰囲気で、かと思えば、物陰には娼館の客引きがいる。

 あまり近づきたくない町だ。


「あそこを通る必要はない。南側から直接オーネット家の屋敷に行け」


 ドレもそう言ったので、街道を南に逸れ、農場の道を行く。


「……」


 おかしい。


 そう思ったのは、丘を登った頃だ。

 あの有名な青いミシュワの花畑が見えない。

 変わった木の実のにおいもしてこない。

 行き交う人の声も、羊や牛の鳴き声も。

 

 タランが勝手に足を止め、ふごふごと鼻を鳴らした。

 

 ある一線を境に、何もかもが喪われていた。

 オーネット家に続くはずの農道は途中で途切れ、真っ黒な地面が視界に広がった。


「……どうなってるんだ?」

 

 カッツォとドレは呆然と前を見つめた。遠くの方に海が見え――その手前に港町と、小さな村が見える。


「いや……この辺にあったはずだろ……」


 カッツォは御者台から飛び降り、地面にしゃがみこんだ。

 黒く、光を吸い込むような地面。土塊(つちくれ)が積もってできていて、見た目だけはよく耕した畑のようだった。拾い上げた土塊は指にまとわりつき、振り払うともろもろと崩れながら落ちていった。

 土塊の中に、虫さえいない。

 カッツォは鉱山の崩落事故を思い出す。土砂の中には鉱山の残骸もあったし、当然人の形もあった。

 ここには、土塊以外――音も、においも、何もない。

 

「屋敷と……花畑があると……言っていたのに……」


 ドレが声を震わせる。見ると、今にも倒れそうなほど真っ青な顔をしていた。


「ソラミル!」


 土塊の中に駆け出す。

 進むたび、ドレの足に土塊がまとわりついていく。やがて膝をつき、両手で土塊を握りしめた。


「ソラミル……!」


 カッツォは助け起こしてやろうと、ドレのそばへ向かった。

 

「村に行って聞いてみよう。一体、何があったのか。もしかしたらオーネット家の人がいるかもしれないし……」


 すると、ドレは一心不乱に地面を掘り始めた。よく知る光景――とても見てられない。


「埋もれて危ないだけだ、あっちへ行こう」


「離せ! 何かが……」


 ドレは掴んだ腕を振り払った。


 見ると、黒い土塊の中に違う黒が混ざっていた。

 ドレは沈んでいこうとするそれを追いかけ、掴んだ。

 

 それは、黒く光る玉だった。

 宝石のように冷たく滑らかだった。

 片手に乗る大きさで、よく見ると中心は琥珀色をしている。水に(すす)が浮かんでいるように、黒い線が動いている。


「なんだろう……?」


 カッツォとドレが玉を覗き込んだ、その時。


 黒い線が波打って滑り、瞳孔と虹彩を形作る。

 琥珀色の瞳――そう思った瞬間、それと目が合った。



⚫︎


 

 黒いモヤの中にいるようだった。

 何かが見えてくる――大きな屋敷だ。

 視界が右へ、左へ動く。一瞬、ミシュワの花畑を通り過ぎた。思い通りに動けない。勝手に体を動かされている。

 

 屋敷の庭を歩いている人がいる。分厚い本を手に持っている。

 近づくと、その人が振り向いた。


「精霊……まさか、ケンシー?」


 見開いた目がこっちを見つめ、驚いたような声を上げる。


『あなた……は……誰?』


 頭の中で響く声。言葉が聞き取りづらい。掠れた二つの声が混ざっているような音がする。


「僕はソラミル・オーネットです。あなたのことは、レイドンの書いた本で読みましたよ」


『レイドン……』


「ええ。当主がクローレアだった時代に、あなたはここにいたんですよね。向こうにエディメルの墓がありますよ。ライシャともお知り合いでしたか?」


『……なん……ですって……?』


「イシュハーム家のライシャとエディメル。僕は二人のひ孫にあたります」


 ソラミルがそう言った瞬間。

 

 黒い光。

 目を瞑る前に、一瞬で闇が辺りを覆う。

 空が赤く閃いた。

 黒い空に現れたのは、焔の塊。ゆっくりと降りてきて、何もかもを溶かしていく。大きな屋敷も花畑も、全てが燃える間もなく、崩れて土塊と化していく。

 地面さえも土塊に変え、焔が沈み込んでいく――。

 


⚫︎


 ハッと我に返ると、同じように玉を見つめていたドレと目が合った。


「い……今の、何だよ……」


 夢でも見たかのような、しかし自分が実際にこの目で見たような気もする、不思議な感覚だった。


 ドレの様子からすると、同じものを見たようだった。

 震える手のひらの上の黒い玉は、散らばった黒の線が揺蕩っている。


「さっき、何かの目みたいに見えたけど……」


 今はまったく、そうは見えない。


「……」


 ドレは黒い玉を見つめたまま動かない。

 微かな声で「ソラミル」と何度も呟く。

 

(今のが……ここで起きたことなのか?)


 この黒い玉が何かはわからないけれど、それを見せられたという気がする。

 頭の中で何度も繰り返される。ソラミル・オーネットが崩れて消える瞬間――震える両手を握り、自分の体がちゃんとあることを確かめる。


 膝まで土塊にまみれたドレは、ふらりと立ち上がる。


「……村へ行く。ソラミルたちがいるかもしれない」


 黒い玉はドレの手を滑り落ち、土塊の中に沈んだ。


挿絵(By みてみん)

挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。

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