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セレニアの物語  作者: さなか
第3章 オーネット屋敷の精霊

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10 レイドンの実験


 フィルマは“固定(フィルマ)”ではなくなりました。


「……レラ、エディメル、屋敷の精霊。ここで生気の循環が起きていることはわかってたんだ」


 レイドン様が、呟きました。


「病気が治らないほうが都合が良い……二人の意志が働いているんじゃないかってことも」


 エディメル様は、呆然としておられます。

 私は、理解しました。

 

 私が、私こそが、エディメル様の病を治らないものにしていた原因だったのです。


 なぜなら――私はエディメル様のご病気のためにこのお屋敷にいます。私の役割が失われたとき、私には行く当てがなかったのです。


 けれど、私の願いは今、別の場所にありました。

 愛が作った国、ファムリアへ行ってみたい、という願いです。


「固定が崩れた今も、君はフィルマなのかい?」


 レイドン様は先程の厳しいお顔ではなく、いつものように手帳に素早く何かを書き付けながら、目を輝かせて精霊を見つめていました。

 

『いいえ』


 精霊の姿は変わっていません。しかし、以前よりも女性らしさがはっきりと際立つように見えました。


『私はケンシー。愛の性質の精霊よ』


「なぜ君は変質するんだい? 他の精霊は何百年とその名前を変えないのに」


『この屋敷の人間の願いを聞くように言われているからかしら。セレニアに』


 フィルマ……いえ、ケンシーはレイドン様が次の質問をされる前に、先回りして答えました。


「エディメルの病気は完治している。それは間違いないんだね?」


 レイドン様は、ケンシーがうなずくのを見られ、私が頷くのを待ちました。


「間違いないだろ。二人も医者も同じことを言ってる」


「いや……エディメルの生死に関わる問題だ。それは確証を得ないと先には進めない」


 そうしてレイドン様は、「少し待っていてくれ」と、研究室に向かわれました。


 


 レイドン様がお戻りになるまで、私たちには長い時間がありました。エディメル様とイグニーズ様は、しんと黙っていらっしゃいました。

 ケンシーはエディメル様に絡みつくように触れます――フィルマのように身体は通り抜けるのですが、まるで触れ合っているように見えました。


「……俺はクローレアと話をしてくるよ」


 イグニーズ様が、見ていられないと言うように立ち上がりました。


「母と何を話すんだ?」


「レイドンも言ってたろ。立場を公平にしに行くのさ……」


 イグニーズ様がお部屋を出られました。

 私とエディメル様とケンシーが取り残されました。私はこのお部屋にいる役割は、もうありません。普通の使用人として、これからもお仕事があるのでしょうか。

 それはクローレア様におうかがいしてみなければなりません。私が動けるのは、イグニーズ様のご用件がお済みになった後。クローレア様がお仕事を終えられた後。

 こんなに心細い気持ちになったのは初めてでした。


「……こういうとき、レイドンは戻ってこない。自室に戻っていると伝えてくれ。行こう……フィル……ケンシー?」


 エディメル様も立ち上がり、腕を組んでいるように見えるケンシーと共に出て行かれました。

 私は、お茶の片付けをしてレイドン様の研究室に向かいました。


「失礼致します……」


 レイドン様は、机でご自身の書かれたものを読みながら何かを呟かれていました。文字を見つめる目はそばにある箱の銀色を映し、輝いているというよりも燃えるようにギラギラと光って見えました。


「レイドン様、エディメル様はお部屋に戻られるそうです」


 少し緊張しながら、お声がけしました。

 するとレイドン様の目がいつものお優しげな表情に戻られ、お顔を上げられました。


「あ……ごめん、夢中になってしまっていた。みんなに悪いことをしたな」


「お二人とも、レイドン様をご理解なさっておいでです」


「エディメルの様子はどうだい? ケンシーに変わってしまったフィルマ……」


「お困りのようでしたが、ケンシーを伴ってお部屋へ行かれました」


「そうか……」


「レイドン様は、何をお考えになられていたのですか?」


「……証明の方法だよ。ケンシーがいなくてもエディメルに身体の異常が起こらないことを証明したいんだ」


 レイドン様は私に説明してくださいました。

 お部屋を隔たり離れたところにいたとしても、ケンシーがいないという状態にはなりません。たとえケンシーに手を出さないようお願いしたとしても、本当に生気が運ばれていないかは人間には見えません。

 そして、エディメル様が万が一治っていらっしゃらなかった場合に、助けてもらえるようにしなければならないということでした。


「その方法が……あるんだよ」


 レイドン様はなぜか苦しそうなお顔で、頭を掻きむしりました。


「この箱を使えば……この黒い輝きは、精霊を通さない。おそらく。アンズィルの牙を封じることができるのだから、そのはずなんだ。それなら、賢人ロースウェイの部屋の意味も理解できる……」


「彼女をこの箱に?」


「ケンシーの性質が愛だというのなら、愛を持つ人間が触れれば開くようになると考えられる」


「でしたら、ちょうどいい物がちょうどいい時にあったということですね」


「そう……そうなんだよ。今、本流となっている意志は誰のものなのか……誰の願いによって導きが起きているのか……」


「導き……なのですか?」


「そうとしか思えない。なら僕は、この実験を行なっていいのだろうか? イグニーズにこの箱の本当の価値……機能を話してしまっていいのか? クローレア様のご心配を減らせることになるのか、エディメルの命に責任が持てるのか、……それでも僕は、試したいという気持ちを止められないんだ……」




 レイドン様がこれほどお悩みになっていたこの実験――愛の実験は、あっさりと実際に行われることが決まりました。

 イグニーズ様と私のご報告で、エディメル様のお身体の真実がクローレア様に伝わりました。

 翌日、エディメル様が、ケンシーと融合し大精霊になる意志を表明されたのです。


 それはその日一晩のこと――エディメル様がどれほどの愛を語っても。ケンシーがいくら愛しても。

 お二人がお互いに語り合ったとしても、人間が精霊に触れることだけはできませんでした。

 触れられない愛でエディメル様が満たされることはなく――かえってそのもどかしさに狂ってしまったのだろうと、イグニーズ様は仰いました。

 

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