6 過去からの遺物
玄関には、イグニーズ様のお出迎えをした使用人が二人おりました。外では庭師のガルシオが、馬車を引っ張っていくところでした。
「……レラ。もし動けるんなら、一緒に来てくれ。二人に見せたいもんがある。エディメルにも言うな」
イグニーズ様は視線を動かし、辺りの者を気にされていらっしゃいました。私とレイドン様にだけ聞こえるように仰っているようでした。いつも大きな声で快活なイグニーズ様が、このような仕草をされるのは珍しいことです。
「誰にも御了承いただかずに仕事を離れるわけにはまいりません」
私がそう申しますと、イグニーズ様の眉間に深い皺が刻まれました。
「……いや、俺が後でクローレアに話をつける。これは仕事だ。俺に頼まれた用件ってことで、頼む」
「レラ、どうやら行った方が良さそうだ。僕も君が仕事をしていたことを証言するよ。もしろくでもない用事だったら、イグニーズが悪いんだ」
レイドン様もそう仰いましたので、私はお二人に連れ立ってレイドン様の研究棟についていきました。
「馬車から下ろしておいた。やたらと重いから、苦労したぜ」
研究棟の脇の茂みからイグニーズ様がお持ちになったのは、黒い布を被せた長い箱でした。
レイドン様の目が輝き、唾を飲み込む音が聞こえました。
そのご様子に、私はお二人が以前お話になられていた、形見分けに受け取られたという箱のことを思い出しました。箱の中に何かがあるのではなく、その箱自体が何か意味を持つというお話でした。
「重いと言ったろ、手伝えレイドン」
「ま、待って……手袋を……」
「俺は普通に触っちまってるよ」
レイドン様は慌ててポケットから取り出した薄い手袋をはめられると、イグニーズ様がお抱えになっている箱の片端を支えられました。私は研究棟の扉を開けました。――これでお仕事だと言い訳が立つでしょう。お二人で、研究室に箱を運び込まれました。
棟の扉。研究室の扉。私はそれぞれを厳重に閉め、お二人は机に箱を置かれました。滑り落とすように、イグニーズ様が黒い布を取られました。
思わず目を見張りました。そこにあったのは、薄汚れた銀色の箱でした。蓋の上部には、何か彫り物がされているように見えます。しかしそれはだいぶ摩耗して、消えかけているようでした。
レイドン様はその箱を、机の周りをぐるぐるとお回りになって、あらゆる方向からご覧になりました。角であったり、側面であったり、そっと持ち上げて――重いので、イグニーズ様にお願いして――底を確認されました。
「何してんだ、中を見ないのか」
「これが本物ならね、どこかに、血痕が付着してるかもしれないと思ってね」
レイドン様が息を荒げそう仰ったので、イグニーズ様は顔をひきつらせ、レイドン様から距離を取られました。
「お前……もう、手遅れだったのか」
「違うよ! かの英雄ドラギエル・ドーデミリオンが、エッカーナ号事件でファルトーソーを倒したときに使った武器が、銀色の箱なんだ!」
「箱でどうやって人を殺すんだよ」
「彼は大男で力が強かった。これを持ち上げて、槌のように叩きつけたんだ」
「……うげ、そんなんありかよ。本当に人を殺せるかどうか、絶対に試すなよ」
「そんなことするわけないじゃないか。僕は魚の手術だってしてないんだから」
レイドン様は昂るお心を治めるように、一度ため息をつかれました。
「はあ……まだ、内側があるんだ。落ち着こう。宝石箱にしていたということは、今、この箱は開くということだ。僕には怒りも悲しみもない、果たして箱は開くのだろうか……」
「ちっとも落ち着いてないじゃねえか」
レイドン様が両手を震わせて、箱の蓋に手をかけられました。じっと薄く刻まれた動物の彫り物を見つめられ、恐る恐る持ち上げました。レイドン様が力をかけられた通りに、蓋は持ち上がりました。外側の曇った銀色からは想像もつかない黒い輝きが、内側にありました。
「……精霊王の髪……これぞまさに星の夜空じゃないか……!」
「今度は詩人になるのか? レイドン」
私も覗き込ませていただくと、レイドン様の仰ったことがよくわかりました。吸い込まれるような深い黒色。そこに箱があることを忘れてしまいそうな奥行きがあるのです。輝いているのは黒だけではなく、細かく散りばめられた星のような粒が光に煌めいていました。
「……僕はこれを見たことがあるんだ……」
黒の輝きを瞳に映されながら、レイドン様が呟きました。
「宮殿だよ……アルソリオだ。これは、賢人ロースウェイの部屋に使われている鉱石だ……」
震える指を伸ばし、黒い輝きの表面を撫でられました。
「本物だ。紛れもなく」
「へえ。じゃあ俺は、残り物で得をしたってわけだな。英雄が敵を撲殺した、伝説の箱だ。お前みたいな研究者と英雄狂になら取引材料になるか?」
「……中身……アンズィルの牙が行方不明のままなら……。この箱の存在意義は失われているのかもしれないけれど……」
レイドン様は素早く手帳を取り出し、ペンを走らせました。レイドン様のお考えは私たちよりもずっと早いのでしょう。その文字は独特で、何が書かれているかも私にはわかりませんでした。
「まだ研究したいってんなら、しばらくここに置いといてやろうか?」
「いいのかい? ありがとう、イグニーズ! 君は人生最高の友だ!」
「はっ……そんなこと言うと、エディメルの野郎がまた嫉妬するぜ。あいつが抱え込んでるのは精霊だけじゃないからな」
レイドン様は、その日はずっと研究室に篭られることになりました。
私とイグニーズ様はお屋敷に戻りました。エディメル様のお部屋に行く時間でした。
「あーあ、取られちまったなあ。まあでも、内側は綺麗だと思ったけど、誰かを殴り殺した箱なんて嫌だよな」
イグニーズ様はそう仰ると、クローレア様のお部屋に向かわれました。
南オルミスの情勢をオーネット領に教えてくださるのがイグニーズ様のお仕事でした。ルペッサン家系というのはどの家の序列が高いか低いかということがよく入れ替わるのが特徴です。私はそのような難しいお話は分かりませんが、クローレア様やレイドン様とイグニーズ様がそのようなお話をされているところによく立ち会うので、そういうものがあるということだけは、……知っていました。
クローレア様はオーネット領当主として、南オルミスとファムリアの間を取り持つ役割をお持ちでした。二つの国の国民性はまったく違っているので橋渡し役が必要なのだと、――だからエディメル様につきっきりではいられないのだと――昔、私に話されました。
エディメル様は、お部屋で本を読まれていました。
「レラ。イグニーズとレイドンと一緒にいたんだって?」
精霊フィルマがいる限り、この御屋敷にも研究棟にも、秘密が守られる場所などありません。
「はい。イグニーズ様がお荷物をお持ちでしたので、扉の開閉をお手伝いしました」
そして私は――精霊に思考が筒抜けであるその日常には、とっくの昔に慣れていました。




