3 イグニーズの愚痴
エディメル様は珍しく外に出られ、レイドン様が農場の端に珈琲の木を植えるご様子をご覧になっていました。すると、すぐ横の田舎道を馬車がお屋敷に向かって走って行きました。箱馬車、つまり南オルミスからのお客様です。ファムリアやオーネット領は幌馬車を使っています。
黒い箱の装飾に、ルペッサン家の方々が使う船の紋章が入っています。右向きの紋章、アンデロス系の印です。船の紋章に綱が入っていると、南オルミス王家。剣や花の紋章が足されているものもありますが、今の馬車は船の紋章だけでした。
私たちが離れに戻ると、玄関のドアの前で待ちかまえる方がいました。
「おかえり、イグニーズ」
「お、生きてたかエディメル。相変わらず細ぇ体してんな。レイドンも久しぶり」
イグニーズ・ルペッサン様は、エディメル様の遠いご親戚です。南オルミスの貴族のご子息ですが、「手がつけられない暴れ者だったためにのんびりとしたオーネット領に来させられたのだ」と、ご自身で語っておられました。
イグニーズ様、レイドン様、エディメル様は、子どもの頃に一緒にお勉強をなさった仲でした。
オーネット領の方々はファムリアとの境にある町、アルストルの学校に行くものでした。クローレア様は体の弱いエディメル様をご心配なさって、学校に行かせることはせず、お屋敷に教師を呼びました。今はレイドン様が教師となって、子どもたちを教えておられます。
イグニーズ様はもう南オルミスに戻られているのですが、お仕事でも遊びにでも、こうしてよく来られるのです。
「忙しくてしばらく来られないんじゃなかったのか」
「女との約束が溜まりすぎてな。ま、全部片付けてから来たけど」
「相変わらず遊んでいるのか、もう結婚しても良い年齢だというのに。レラ、荷物を頼む」
エディメル様は、呆れながらそう仰いました。
「荷物は俺が持つ、重いからな。ただ扉だけ開けてくれ。手が足りねえ」
そう言って、イグニーズ様は目配せをなさいました。
南オルミスのお土産に、羊皮紙というものをくださいました。私は自室に戻って羊皮紙をしまってから、エディメル様とレイドン様がいらっしゃる離れのお部屋に戻りました。すでにイグニーズ様はお部屋にいらっしゃっていて、昔の話に花を咲かせていらっしゃいました。
「当ててみせるよ。どうせ、僕が精霊を捕まえようとして崖から落ちた話だろう?」
「はずれ。君が魚を手術してシエーラに振られた話だ」
「その話をするんだったら、これを入れなきゃならないな」
そう仰ると、レイドン様は鞄から瓶を取り出します。お二人は目を輝かせました。
「芋酒?」
「レオドフックの」
「おい、本気か。セレニア様、今すぐ夜にしてくれ」
イグニーズ様が大げさに胸に手を当て、天井を仰ぎます。
それからお三人は、夜を明かしての大騒ぎ――とはいきません。エディメル様に合わせてお酒は舐める程度。いつもより少し笑い声が多い程度。少しだけ夜ふかしをする程度です。
エディメル様はイグニーズ様が領民ともっと羽目を外して飲んでいるところを目撃したことがあり、イグニーズ様がエディメル様にご配慮くださっていることを知っていました。
「レラも一口やるか?」
イグニーズ様が瓶を掲げてくださいますが、お断りさせていただきました。お酒は正常な判断を失わせるもの。私が何のために存在するかを見失ってはなりません。
「エディメル。お前の体のどこに問題があるのか、俺にはさっぱりわからねえ。実際はどうなんだ」
「きっと、酒を浴びるように飲んだって大丈夫さ。フィルマがいてくれるからね」
「フィルマも飲めりゃいいのにな。男三人で飲んでも絵にならねえ」
「さすがは女グセの悪いイグニーズだ。精霊に手を出せたら伝説の男になるぞ」
レイドン様も、お顔をほんのり赤くして管を巻いておられました。エディメル様はご機嫌を損ねたようでした。
「女グセも酒グセも悪い。もう、フィルマには話しかけないでくれ」
「目の前にあんなのがうろうろしてりゃ、そりゃ目に毒だ。屋敷のセレニアの絵、あれにそっくりだ」
イグニーズ様は昔から、エディメル様の塞ぎがちな性格など気にされません。
エディメル様も少し不機嫌さをお顔に出してしまうものの、イグニーズ様が言うことは冗談だとは理解されておられました。
「フィルマをそういう目で見ないでくれよ。あれは絵だからそう思うかもしれないけれど、フィルマは精霊だ。精霊性を帯びているんだ」
「わかった、わかった。怒ると体に障るぞ、エディメル」
「フィルマがいるから大丈夫だ。それより、彼女に謝ってくれ」
「悪かったよ、フィルマ。余計なこと言った。勘弁してくれ」
しぶしぶと言ったご様子でイグニーズ様が仰ると、エディメル様は満足そうなご様子でした。
お疲れになったエディメル様は、お二人より先にお休みになりました。精霊の光を伴い、ご自身の寝室に向かわれたのを見届けたあと、私はお二人にお水をお渡しするためにお部屋に戻りました。
扉の前に立つと、お二人がお話になっている声がしました。
「あいつの病、まだ残ってんのか」
「とても良くなっているよ」
「違う。愛の病の方だ」
ノックをして、お部屋に入ります。
「あの様子では大分進行している」
「エディメルには欠かせぬ薬なんだ。気にするものじゃないよ」
「しかし、精霊にあれほど入れあげているとは……彼の両親も気を揉んでいるんじゃないか? なにせ、この家の一人息子だ。結婚し、子が生まれなければ困るだろう」
「願いは一度叶っているんだ。本当ならとっくに死んでいるはずなのに、精霊の力で生きている。その上跡継ぎだなんて欲をかかない方がいい。エディメルは、ちゃんとわかってるんだよ」
「何とも、先のねぇ話だ。そう思わないか、レラ」
ソファに身体を預け、イグニーズ様は仰いました。私はお水を置いて退出しようとしたところでした。
「エディメルは結婚相手を見つけるべきだ。そうすりゃレラも、この妙な屋敷から出られる」
「イグニーズ様、どうぞお水を。お酒が少し回っておられるのではありませんか」
イグニーズ様はご自分の主張をはっきりとされる方です。お酒の力を借りずとも、仰りたいことは仰られるでしょう。けれど普段ならば、オーネット家の皆様のことを奇妙な屋敷などとは表現されません。
「そうだな、少し……」
イグニーズ様は険しい顔をなさってから、コップを煽りお水を飲まれました。深く息を吐かれるのを見て、レイドン様は笑っておられました。
「聞いてくれ、レイドン。形見分けがあってな。本家の叔母が、生気を差し出すって決めたらしい」
「君の祖父は初代王の弟ビネリ・ルペッサン……アンデロス・ルペッサンのひ孫だ。その形見分け、僕も参加したかったなあ!」
「お前の頭の中には、ルペッサンの家系の全てが入ってるのか? 俺だって、なぜ俺の家がルペッサンなんだかわかっていないんだぞ」
イグニーズ様の、軽い笑い声。
「俺の取り分は箱だけだった。宝石も、権威も、中のものは全部持っていかれた後だ。妙な箱だ……内側は妙に光ってんのに、外は古びた銀。何かの絵が彫られている」
「……待ってくれ。まさか……いや、あり得るのか? 待てよ……イグニーズ。それは、牙のある動物じゃないか?」
「ああ、あったと思うぜ」
「内側は、黒の深淵に星を散らしたような輝きがある?」
「なんでわかるんだ?」
「それをぜひ、見せてくれないか。もしかしたら、大変な価値がある。君にその価値を教えてあげられるかもしれない」
「……へえ、あんな箱が? なら、一度帰って持ってくるとするよ。今回は、愚痴を言いに来ただけだったんだ。思わぬ話になったな……」
私はお二人の邪魔をしないよう、そっとお部屋のドアを閉めました。




