36 交渉
「その足をどけろ!」
砂に埋もれたヘイスと、その首の辺りを踏みつけているグィオ甲板長。その光景が目に入った途端、カラットは浜辺に飛び出していた。
「……ば……か……な…………ぜ……」
ヘイスは苦しみながらも、こちらに顔を向けようとする。
「やあ。やっぱり、生きていたんだね……カラット・ロット君」
グィオは小首を傾げたまま、カラットを見つめる。
ぞくりと、カラットの背筋が震える。
「彼は、君を死んだと言っていたよ。なんて酷い嘘をつくんだろう。嘘吐きには罰を与えないといけないな。君も、そう思うだろ?」
そう言って、ヘイスの肩にナイフを突き刺した。
「っ……!」
ヘイスは顔を歪め耐えていたが、ナイフが抜かれたときには耐えきれず、苦痛の叫び声を上げた。砂に、血飛沫が散った。
「やめろと言っただろ!」
「足をどかしたじゃないか」
グィオは呆れたように言いながら、肩を押さえようともがくヘイスを、足で転がした。
ヘイスに駆け寄りたいのに、カラットの足は動かなかった。
「やあ、君も戻ってきてしまったのか」
と、グィオは言った。
「ちっ」
倒れたエッカーナの前に、アキリが立っている。海から上がってきたばかりで、構えたナイフからも水が滴っている。
「手を出さない約束ではなかったのか」
怒りに震える、低い声。
「気絶してしまったようだ。生きてはいるはずだよ、確認してごらん?」
「首を絞めたのを見た」
アキリは焦点の定まらない目で、グィオを見ている。腰を落とし、上半身を屈め、ナイフを持ち替える。
(あの箱に彫られた狼みたいだ)
カラットは、思った。
グィオは反対に満面の笑みを浮かべ、赤い瞳を光らせた。
「俺は、古くなった道具は嫌いなんだよな」
カラットは、二人の睨み合いに飲まれていた。
(このままじゃ、アキリも……っ)
唇を噛み、拳を握り締めた。
自分を奮い立たせ、一歩踏み出す。
「おい、グィオ甲板長……いや、ファルトーソー! あんたの目的は、あの箱なんだろ?」
グィオは目を見開く。
アキリを睨んだまま、口元を歪めた。
「箱……? そうとも、その箱だ。君は、この中で誰よりも賢い……さすが、ロット農場の坊ちゃんだ」
「ヘイスと、ア……アキリたちから、離れろ。そうしたら渡す!」
精一杯、声を張り上げる。
「だめだ!」
怒鳴り声。ヘイスが歯を食いしばりながら、カラットを睨んでいた。体を起こそうともがき、砂と体が血で真っ赤に染まっていく。
「箱を見せてくれるなら、後ろに十歩下がる。どうだい?」
「……そんなんじゃだめだ。箱を手に入れたら、何もせずに北の町に帰ると約束しろ」
カラットが言うと、グィオは「ふうん」とうなった。
「いいだろう。“狼王の剣”にはそれだけの価値がある」
「狼王の……何だって?」
アキリが、グィオから目を逸らさないまま、しかし愕然として言った。
「”狼王の剣“? なんで、そんな物がここにある?」
「俺が盗んできたからだよ」
グィオは面倒くさそうに言って、ため息をついた。
アキリは、信じられない、と首を振る。
「探していたのは”狼王の剣“だと?」
「ああ、そうだ」
「……くそ!」
アキリは砂浜に、がくりと膝をつく。
「渡すな……カラット。それは……それに限っては、エッカーナよりも……」
「なっ、何を言ってるんだ、アキリ! 人の命より大切なものなんか、あってたまるか!」
「それを、ファルトーソーが手に入れれば……、オルミスは崩壊する」
ヘイスがよろめきながら、近づいてくる。グィオはにやにやと笑いながら、それを見ている。カラットは駆け寄ったがヘイスを支えきれず、共に砂浜に崩れ落ちてしまった。
倒れてなおヘイスは、血に染まった手でカラットの肩を掴む。
「ファルトーソーが王になり……森も農場も、支配される……!」
アキリが、ゆっくりと立ち上がる。
「カフェトーが、これほどまでもオルミスを思っているというのに……。なのに、オルミス国民であるお前は……」
カラットに、ナイフを向ける。
「……なんだよ。もう帰るつもりもない場所の、誰がどうなろうが、知るもんか! 今、目の前で死にそうな友だちを助けられるなら、それが一番大事なことなんだよ!」
「そうとも、君が誰よりも正しい」
グィオが、カラットに同情の視線を向ける。
「だが、そちらで意見をまとめてくれなければ、交渉を始めることができないな。こちらには応じる準備があるというのに」
グィオは自分のナイフを、差し出すように、カラットに向ける。
「俺と取引したければ、アキリを殺してくれないか。そしたら、どんなに悪い条件でも聞いてあげるよ」
「……そんな」
「故郷を捨てる覚悟を見せてくれよ。一人の命で、ここにいる四人の命が助かる。アキリは君の友だちじゃないだろ?」
カラットは立ち上がり、ヘイスから離れ――服の中にしまっていた、オーウェンのナイフを抜いた。
グィオが「へえ?」と感心した。
カラットは、両手でしっかりと柄を握る。目線の先には、アキリが眉をひそめている。
「本気か? カラット」
「お前こそ……どうして邪魔をするんだ」
カラットの声は震えていた。アキリはそれには答えなかった。
「……お前に意地悪く接したことを俺も謝れと言われていた。すまなかったな……全部、俺の失態だ。お前なんかにかまっていないで、異変に気づくべきだったのに……」
「……」
「懲らしめて、変えてやりたかったんだ。……あまり適当な言葉を使っていると、......俺のようになってしまうから......」
「……え?」
「……ごめん……」
アキリはナイフを持つ手をだらりと下ろし、口元で呟いた。
「それでも……俺はオルミスを守る。この場にいる全員……あの船にいる全員が、死んだとしても!」
アキリは突然、カラットに向かって走り出した。
ぶつかってくるのかと思い、咄嗟に目を瞑る。耳元で何かが風を切る音が聞こえた。
「ぅ、わっ!?」
首に、ちりちりと痛みが走った。
「……ぁ」
カラットの手から、ナイフが滑り落ちる。
首を押さえる手の間から、暖かい血が噴き出した。よろよろと、数歩進み。両膝を落とし、倒れた。
それっきり二度と――動くことも、喋ることも、なかった。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




