5 順番
「帰り道の手間が省けるって、楽ちんだよね」
ペルシュの言葉を思い返しながら、トゥヴァリはベッドで寝返りを打った。
『外はまだ早い』
あの馬はそう言った。「あれはきっと馬の大精霊だよ!」とペルシュは興奮していた。
「まだ早いって、どういう意味だ……?」
出口を見つけて、外に出た。
願いは叶ったはずなのに、何をすればいいのかわからなかった。
(食って寝る以外にすることなんてない……だったら、町も外も同じじゃないか)
なんで冒険をするのは楽しいんだろう。
どうしてペルシュといるのは楽しいんだろう。
(……なんか、あいつの口癖がうつったな)
▪︎
朝。目を覚ましたペルシュの前にあったのは、見慣れない光景だった。
同じ部屋でのベッドから立ち上がった姉の周りを、精霊がくるくると舞っている。
「えっ……!?」
寝ぼけた目が一気に覚める。
「“導き“だ!」
その時が、ミルシュカに訪れたのだ。
「おめでとう、ミルシュカ!」
父と母と兄のアーチも、ペルシュと同じように言った。
「相手は誰だろう」
「早く外に出てみようよ!」
アーチとペルシュで、ミルシュカを追い立てるように外に出した。
西地区の広場には、精霊を連れている人はいなかった。代わりに人々が集まってきて、ミルシュカをお祝いする。
「他の地区みたいだな」
「どうやって探すの?」
向こうにも精霊が来ているから、同じように騒ぎにはなっているはずだ。
すると、ミルシュカが「こっちにいる気がする」と、東の方へ歩いて行った。ペルシュとアーチは、姉の後を追いかける。
少し歩いた辺りで、人だかりが向こうからもやってきた。「あれに違いないぞ」とアーチが言った。
向こうもミルシュカに気が付いて、「相手が来たぞ!」と叫んだ。その声を聞いて人々が避けた先に、ミルシュカと同じくらいの年頃の青年が現れた。淡くて白い光が、同じようにくるくると舞っている。
「ゲイノー? あなたなの?」
「ミルシュカ! 君だと思った!」
出会った二人の顔が明るくなり、互いに微笑みあった。嬉しそうで、照れくさそうだ。
人々の「おめでとう!」という声が二人を包む。ペルシュも不思議と嬉しくなった。
「やあ、やあ、こんにちは」
赤い服の人が広場にやってきた。みんながざわめき、「アイピレイス様だ」と声をあげる。
「うーん、結婚が決まったようだね。ミルシュカ、ゲイノー。おめでとう」
「ありがとうございます、アイピレイス様」
「家はどこに住みたいかね? 食事までに決めてしまおう」
「ミルシュカたちは忙しそうだ。僕たちはもう帰ろう」
アーチに促され、ペルシュは自分の地区に戻った。途中の道で、アーチは立ち止まった。
「サンナのところに行ってくる」
「サンナって?」
「結婚したい女の子だよ。一緒にいることが多いと、選ばれやすいんだ。精霊に一番、仲が良いって思われないと」
そう打ち明けたアーチは、張り切って出かけていった。
(アーチもそのうち、家にいなくなっちゃうんだなあ……)
結婚したミルシュカは、もう家には帰ってこない。
ペルシュは一人、西地区の広場に戻ってきた。
両親と大人たちが集まって、ミルシュカが結婚したことを話し合っていた。
「おい、ペルシュ!」
他の子どもたちと遊んでいたレニスが、ペルシュを見つけて呼び止めた。
「最近すぐいなくなって、どこに行ってるんだよ?」
「別に、どこだっていいじゃないか」
宮殿と林の出口のことは、二人だけの秘密だ。冒険をバカにするようなレニスには、絶対に教えない。
▪︎
トゥヴァリは待ち合わせた西の林に行く途中、西地区の広場を通りかかった。
(今日は人が多いな……)
端の方を目立たないように歩いていると、子どもたちが騒いでいる声が聞こえた。聞き覚えのある声が混じっている。トゥヴァリは外側から、そっと様子をうかがった。
「じゃあ親なしと、どこに行ってたんだよ!」
「トゥヴァリにはちゃんと名前がある!」
ペルシュが相手に組みかかったのを見て、トゥヴァリは慌てて止めに入った。
だが、予想以上にペルシュの力が強かったので、トゥヴァリは押され負けて倒れ、石畳にしたたかに頭をぶつけた。
「痛ってぇ…っ!」
目の前がチカチカして、頭がズキンズキンと鳴った。
「俺は悪くないぞ、ペルシュがやったんだからな!」
ペルシュが言い争っていた相手は、走って逃げていった。
▪︎
「トゥヴァリ?! ごめん、大丈夫?」
ペルシュがトゥヴァリの頭を抱えようとした時。
「抱き起こしてはだめよ」
コツコツと不思議な足音を響かせて、一人の女性が子どもたちの輪に入ってきた。
金色の髪が輝いている。ペルシュの横に座り込む。花のようないい香りがする。服は破けてしまっているのか、肩や胸の半分が見えている。ペルシュは何だかドキドキしてしまって、目を背ける。
「寝かせたままで。氷はある?」
「コオリって、何ですか?」
ペルシュが聞き返すと、女性の表情が一瞬、固まった。
「……ああ、そんな必要ないんだったわ。寝ぼけてるのかしら。私って……ふふっバカね」
立ち上がりながら、一人で話して、一人で笑う。
「あ、あの」
「精霊に願いなさい」
女性は振り返らない。足に長い服の裾を絡ませながら、去っていく。
彼女の言ったことは、この町の誰も知らないことだった。
(きっと、賢人様だ)
もっとたくさん話せたら良かったのに、とペルシュは思った。
▪︎
宮殿に戻ったハーヴァは、柱の根元に植物の彫刻を入れているルヨを見つけた。
「私、ボケてきたみたいだわ。あんたが、おばあちゃんなんて言うからよ。応急処置なんてしようとしちゃって、バカみたい」
「したっていいじゃないか、無意味だって。それが人ってものじゃなかったかな」
ルヨは床に寝転がったまま、ハーヴァに視線も向けない。
「……私の子どもの名前って、どういうのだったかしら」
「今いるのは五十二番目だよ」
「そう。偶然って怖いわね。……だったら、あのペルシュっていう子は、お仕置きした方が良かったかしら」
「ふーん。どうして?」
「私の息子を傷つけたんですもの。セレニアも困るでしょう、乱暴な子が混じってると」
「今さら母親ぶったって、子どもは感謝なんてしないよ」
ルヨの淡白な解答に、ハーヴァは肩をすくめる。
「ルヨって冷たいわねぇ。人の心が無いみたいだわ。セレニアの方が、まだマシ」
ルヨは体を起こすと、ハーヴァの仕草を真似て、肩をすくめた。
ハーヴァはふん、と背を向けると、ハイヒールの音を響かせて自分の部屋に戻っていった。
▪︎
トゥヴァリが目を覚ますと、ペルシュが心配そうに覗き込んでいた。
「ごめんね。大丈夫?」
精霊が、顔の前をふわっと飛んでいく。頭を打ったことを思い出してきた。すっかり痛みが消えている。
「あれぐらい、大したことない」
冷たく硬い地面に寝てる方が痛かった。上半身を起こして座る。腕を見ると、石畳の形に赤くなっていた。
「……なんだか、冒険って気分じゃないな」
「じゃあさ、本を読んだりするのは?」
「いいぜ。じゃあ、俺の家でやろう」
「トゥヴァリの家?良いの!?」
ペルシュが目を丸くして喜んだので、言って良かったとトゥヴァリは思った。
北地区の外れにあるトゥヴァリの家も、見た目は他の家と変わらない。白い屋根に白い壁。玄関は一段あって、木の扉に黒い金具の取っ手が付いている。
「なーんだ。ルディの家も、まったく一緒だね」
入るなり、ペルシュはがっかりしたように言った。
「ふうん。面白くなくて悪かったな」
家の中も真っ白。木の丸いテーブルと、椅子が五脚。手を洗う水道と風呂場にトイレ。ベッドは全部で五つある。
トゥヴァリは知らなかったが、外も中も他の家と同じらしい。
書物机には、本が置いてある。
「これがトゥヴァリの家に伝わる本?」
ペルシュは本を開いて、読み上げる。
「“セレニアが生まれた時、他の大精霊も生まれた。しかし、多くの大精霊は理性を持たず暴れ、周りにあるものを喰らい尽くした。理性を持った巨鳥と駿馬の大精霊は、ナントカとナントカの大精霊と戦った。人の大精霊セレニアは、狼犬の大精霊に三日三晩も手こずった――”」
「猿と蛇だ」
トゥヴァリは本を取り上げて、後ろの方の頁を開いた。
細い線で、動物の絵が描かれている。
「これが猿で、こっちが蛇」
「へえ、絵が描いてあるのっていいね」
「アイピレイス様が描いてくれたんだ。俺が字を読めないから」
「字も教えてもらえばいいのに」
「面倒なんだよ、種類が多いし」
「ねえ、宮殿にさ、本がたくさんあったよね? 何が書いてあったか覚えてる?」
「……そんな部屋、あったか?」
「……ねえ、宮殿ってさ。本当に入れたのかな。夢を見てたんじゃないよね?」
「まさか」
「なんだか記憶があやふやで、怖いんだ」
その感覚はトゥヴァリにもあった。宮殿でのことを思い出そうとすればするほど、頭の中に靄がかかっていくようだ。
トゥヴァリは思い立って、書物机の引き出しを開け、ペンと、もう一冊の本を持ってきた。
何も書かれていない真っ白な本を、ペルシュは不思議そうにめくる。
「これに宮殿のことを書こう。林の外のことも」
「え! そんなことしていいの?」
「アイピレイス様がくれたんだ。本ってのは昔の人が書いたんだろ、俺たちが書いたっていいんだよ」
「そっか……! そしたら、忘れちゃっても大丈夫だね!」
ペルシュは嬉しそうに、真っ白な本を見つめる。
トゥヴァリがペンを差し出すと、それを受け取った。
「これ何?」
「これでアイピレイス様は書いてる」
ペンを取り上げ、先を本につけて動かす。線が引かれたのを見て、ペルシュは目を輝かせた。
「へー!」
ペルシュはペンを手に握り込む。
「……字ってどうやって書いたらいいんだろう」
「読めるんだろ? 思い出して書けよ」
「そっか! 見ながら書こう!」
ペルシュは物語が書いてある方の本を持ってきて、横に広げる。「えーと、宮殿……宮殿……」と呟きながらページをめくり、じっと文章を見つめながら、ペンを動かした。一頁に一つの大きな字。それを二つ書いて、トゥヴァリに見せる。
「見て! 宮殿って書いた!」
「……それでいいのか? そっちのと全然、違うけど」
「だって、すごく難しいんだ。昔の人はすごいな」
ペルシュは本と自分の字を見比べる。
「絵を描くのはどうかな。それならトゥヴァリも出来るんじゃない?」
ペンを渡してくるので、受け取る。
「……何の絵?」
「あの動物はどう?」
トゥヴァリは考え込み、ペンを前後に動かす。思い出そうとしても、頭の中にぼんやりとしか浮かんでこない。体が黒かったことは覚えている。丸くて黒い目があって、鼻も前に突き出ていて――。
「あははっ……トゥヴァリ、……何これ!」
ペルシュが腹を抱えて笑う。
書いたものは、思っているのと全然違う形をしている。
「……お前が描けばいいだろ」
「動物の顔、見てないもん」
「じゃあ、ここに動物って字を書けよ。そしたら少しはわかるだろ」
「わかった!」
ペルシュはまた開いている頁を全部使って、二つの字を書いた。
へたくそな字と、へたくそな絵。だけど、なんとなく、あの動物に見えてくる。
「書くのって、面白いね!」
「そっちの本みたいに、何があったかを書かなきゃだめだろ。動物に食べられたって書けよ」
「そうなの?! 覚えてないよ」
トゥヴァリとペルシュは、交代で本に絵と字を書いた。たまに冒険の事を思い返し興奮して、語り合ったりした。一度昼食を食べに広場に行っても、二人とも走って戻ってきて、作業を続けた。
宮殿の廊下、扉、真っ黒で光る廊下。林の出口や、倒れたペルシュ。
あっという間に夕食の時間になり、明日の約束をして、二人は別れた。
▪︎
食事の時間になれば、朝に喧嘩したレニスやその仲間たちも、いつも通り、西地区の広場に一緒に集まる。
ペルシュは野菜を口に運びながら、トゥヴァリと畑を見にいく約束を思い浮かべ、くすりと笑った。ミルシュカはいないけど、アーチがからかってくる。ほんの少しだけ、変わった日常。
いつものように、食事を平らげた。
何だか顔の横が明るいな、と。最初はそう思っただけだった。
レニスが「あっ!」と声を上げるのと、ペルシュが明るさの正体を見たのは、ほぼ同時だった。
精霊が、ぼんやりと赤い光を放っていた。
周囲は騒然となり、人々はペルシュから距離を取った。
赤い精霊は誰にもついていかず、ペルシュのそばを離れない。赤い精霊がこれほど若い人間、子どもに付くのを、誰も見たことがなかった。死ぬ順番は、大きくなって、結婚して子どもを産んで、四十歳を過ぎてから訪れるものだ。
ペルシュは呆然とするばかりだった。
ジェニマスじいさんのように「みんなありがとう。さようなら」なんて、とても言えない。
母親は呆然としていたが、ふらふらとペルシュに近づき、「私でしょ!? 私と間違えてるのよ。この子はまだ子どもじゃない!」と言って、ペルシュを抱きしめた。
アーチと父親は何も言えずに固まっていて、レニスは「あのルディなんかと付き合うから、こんなことになったんだ!」と怒鳴った。
ペルシュは反論しようとした。
でも、どうでもいいように思えた。
頭に浮かぶのは、林で倒れて動かなくなったあの動物の姿だった。
(あんな風に動けなくなってしまうのかな。考えることはどうなるんだろう。抜け殻になったら、きっと宮殿から壁の外に運ばれて、あの動物が食べるんだろうな。……もう、トゥヴァリとは遊べないのかな……)
誰もペルシュにお別れを言えなかったし、ペルシュも誰とも握手しなかった。
みんな家に帰らなかった。そして夜が更け、広場の真ん中で、ペルシュは死んだ。




