4 林の向こうに
トゥヴァリはあの日以来、ずっとペルシュを探していた。
朝はまず北地区の大階段へ行って、ペルシュがいないことを確かめる。それから西地区へ足を運ぶ。
こんなことになったのは、別れる時に次の約束をしていなかったせいだ。そう思ったとき、ふと気づく。ペルシュが自分の家を知りたがったのはからかうためではなく、いつでも遊べるようにだったのかもしれない。
西地区の広場に、子どもたちが集まっていた。笑い声のそばを通り抜けるとき、また「ルディ」とからかわれる。
だけど、もうそんなことは気にならなかった。
トゥヴァリにはもっと大事な秘密がある。自分だけじゃなく、もう一人、ペルシュと一緒に持っている秘密だ。
林の中は静かだった。
トゥヴァリはしばらくうろうろした後、ペルシュと初めて会った倒木の上に腰を下ろした。
「あ! トゥヴァリ!」
遠くに見えた赤毛が、大きく手を振って自分の名前を呼ぶ。
トゥヴァリは嬉しくて、立ち上がって駆け寄りそうになるのを抑え、座ったままでいた。
「林にいたんだね! 何してるの?」
「……別に。林の方が面白いからだけど」
「そっか。ずっと林にいればよかったな、トゥヴァリを探して毎日うろうろしちゃったよ」
「ふーん」
トゥヴァリは意味もなく足元の小石を拾う。右手で投げたり掴んだりした。
「……なあ、ペルシュ。今日は俺の行きたい場所に行こうぜ。この前は、お前の案で宮殿に行っただろ?」
「もちろん。そう言おうと思ってたんだ」
トゥヴァリが立ち上がると、ペルシュは歩き出した。何も言っていないのに、林の奥に向かっていく。屈んで、ペルシュも小石を拾った。トゥヴァリの真似をして、空中に投げる。ペルシュの方が高かったので、トゥヴァリはもっと上に投げる。ペルシュはもっともっと上に投げる。二人とも高く投げすぎて、小石がどこに落っこちたかわからなくなった。
小川に倒れた幹を渡り、積もった葉を蹴っ飛ばし、薄暗がりに精霊を見つけ追いかけた。
だんだんと、影の色が濃くなっていく。生い茂る草や積み重なった枝葉に足を取られるようになった。
ペルシュが、ぴたりと足を止めた。
「この先は誰も行かないんだ。大人も子どもも。行っちゃいけないって言われてる」
「へえ。言われてるって、親に?」
「みんなにだよ」
「じゃあ絶対に行かなきゃな」
トゥヴァリが言うと、ペルシュは一瞬で理解した。大きな丸い目が輝く。
「そうだね! 行っちゃいけないのは出口があるからかも!」
良い子のふりをしてるけど、本当は全然そうじゃない。トゥヴァリはペルシュのことがますます気に入った。
「出口を見つけたら、外に出るんだよね?」
「当たり前だろ。外に出たくて出口を探してるんだから」
「……生きていけるかなあ。食べ物はどうするの? 外には家もないんだよ」
「じゃあ、精霊を捕まえて連れていこうぜ。そうすれば食べ物も家も出してくれるだろ」
「すごい! トゥヴァリは頭がいいね。ねえ、どうして精霊は人の世話をしてくれるんだろう?」
「精霊王が命令したんじゃないのか?」
「どうして精霊王はそんな命令をしたんだろう?」
「……お前ってさあ……俺より、変な奴」
アイピレイス以外の人間と関わらないトゥヴァリでも、こんなことを言うのがペルシュだけだと知っている。宮殿に入りたいと思って本当に入ってしまうような奴だ。
「……そういえば、宮殿の中には精霊っていなかったよな。林のこんな奥にだって、少しはいるのに」
トゥヴァリは辺りを見回して言った。
さっき追いかけた精霊が二人の近くに漂っている。
「賢人様たちは不死だから。食事がいらないんだよ」
当然のように言うペルシュに、トゥヴァリは首を傾げる。
「なんで不死だと食事がいらないんだ?」
「だって、食事って生きるために必要なんだよ」
「腹が減るから食べるんじゃないのか?」
「? えーと……」
ペルシュは、死ぬということを教えてくれた時と同じように考えこんでいた。またそういうことか、とトゥヴァリは思った。親がいれば知っている、当たり前のこと。
「食べ物って、元は生き物なんだ。生き物には生気があって、それがないと生きられない。人間にも同じように生気があって、動いてると少しずつ減っていくんだ。それで、空っぽになると死ぬ。食べるって、他の生き物の生気を自分の生気にすることなんだよ」
「……ふうん」
「お腹が空いたっていうのは、生気が減ったから食事が必要だって、身体が教えてくれてるんだ」
「身体って、よくできてるんだな」
精霊が、歩き出した二人の周りをふわふわとついてきた。
――外に出るには、精霊を連れていく必要がある。
二人は顔を見合わせる。何もかもうまくいっている。
落ち葉の山をかき分けて進む。どちらかが飛び出た木の根につまずけば、互いに手を伸ばして助け起こした。低く生えた太い枝にぶら下がり、反動をつけて遠くに飛び降りた。
「でも、おかしくないか?」
トゥヴァリはずっと気になっていた。
「何が?」
「宮殿に精霊がいないのは、賢人様たちには食事が必要ない。不死だからだって言ってただろ?」
「そうだよ」
「俺たちが死なないためには、食事が必要なんだろ? 動くと生気が減って、食べると生気が増えるから、死なない」
「そうだよ」
「だから、死なないってことはずっと食事をしてるってことじゃないのか」
「えーと……あれ? 違うよ。不死っていうのは魔法なんだ。賢人様たちは人とは違うんだよ」
「じゃあ魔法ってさ……」
しかし、その続きはもう二人とも考えはしなかった。
今まで後をついてきていた精霊が目の前を飛び回り、二人を先へと導く。木々の向こうが、白く光っている。林の終わりだ。足が勝手に駆け出していた。
――林の向こうには、出口がある!
トゥヴァリはその白くまばゆい光を見て、強くそう思った。
白い高い壁が、右にも左にもずっと続いている。
トゥヴァリはゆっくり立ち止まり、目の前の壁に触れる。
「……」
「トゥヴァリが言った通りだ!」
壁沿いを右に歩いて行ったペルシュが、興奮してトゥヴァリを呼んだ。
走って向かうと、壁の向こうが見えていた。
黒い鉄格子の扉。間から見えるのは、深い木々の連なり。
鉄の棒を掴むと、ガシャガシャと前後に揺れる。何かが引っ掛かっているみたいだった。よく見ると、鉄の棒が穴に通されていて、扉を止めている。その棒を横にずらすと、鉄格子の扉は勝手に外側に開いた。
二人は顔を見合わせる。
トゥヴァリは大きく深呼吸をした。
「なんか、違うにおいがする」
それを聞き、ペルシュが真似をする。
「本当だ」
自然と、同時に足を踏み出す。
足の裏に触れる土の感触。石がたくさん混じっていて、落ち葉が少ない。
木々の葉が風もないのに揺れる。低木や草のあちこちに、白くて細い糸が絡みついている。
「……何かいる」
頭の上に近づき、遠ざかる音。遠くから聞こえる、軋むような高い音。足元に感じる、小さな気配。
精霊のような動きをするひらひらしたものが、目の前を飛んでいく。
「動物かな」
「そうだろうな。動物は……そう、大きいんだ。小さいのは確か、虫っていうんだ」
「へえ、すごいね、トゥヴァリ。何でも知ってるね」
「だから、アイピレイス様に教えてもらっただけだって……」
トゥヴァリが笑いかけたその瞬間、グルルルルル、と音がした。
ペルシュが腹を減らしている。
そう思っていると、もう一度。
グルルル……。
低い唸り声のような音が、森の奥から滲み出すように響いた。
「……何だろ?」
ペルシュの言葉と同時に、草木がガサゴソ揺れた。
風ではない。枝が折れる音がした、と思った。
次の瞬間。
黒い影が飛び出した。
巨大な毛むくじゃらの塊が、トゥヴァリの横を通って行った。どんっと音がして、ペルシュの体が木の枝か何かのように宙を舞った。
血がパタパタと地面に飛び散る。
「……ペルシュ!」
高く割れた悲鳴は自分の声じゃないようだった。
ぐったりと動かないペルシュに、黒い動物が近寄る。食らいつき、引き摺ろうとする。真っ赤に染まっていて、何がどうなっているのかわからない。
(どうしよう、どうしたら……)
足はすくんで動かない。ペルシュのところへ行きたい。逃げ出したい。どっちもできずに、体が固まる。
すると黒い動物が鼻先を上げ、こちらを向く。黒くて丸い小さな目が、トゥヴァリを見つめる。
「……!」
その時だった。トゥヴァリの横を、一瞬、光が通っていった。
白い光が、赤に変わった。
「精霊……?」
赤い光は点滅しながら、黒い動物の鼻先に近づく。
動物の動きがぴたりと止まる。精霊が鼻先に入っていくように見えた。毛むくじゃらの体の輪郭が、ぼんやり赤く光り出した。
やがて、動物の首がガクッと折れた。かと思うと、大きな体が地面に倒れた。その重さに、森が揺れる。
辺りがしん、と静まり返る。
トゥヴァリはハッと気がついて、慌ててペルシュに駆け寄った。
抱き起こしたペルシュには傷一つなかった。
(精霊が治してくれたんだ! 良かった……)
ペルシュはすぐに気が付いて、瞬きをした。
「ああ、びっくりした」
ホッとして座り込んだトゥヴァリの方が、しばらく立ち上がれなかった。
「どうして動かないんだろう?」
ペルシュが倒れて動かない動物を覗き込む。すると、白くて淡い光が漂ってきた。
点滅している。そう思っていると、動物がふっと姿を消した。
「……一回、出口のところに戻ろう」
トゥヴァリは言った。手足がまだ震えている。
だけど、ペルシュは口を尖らせた。
「どうして? せっかく外に出たのに」
「あんなことが起きるなんて思わなかったんだよ」
「びっくりしたけど、大丈夫だよ。何が起きたかよくわからないけど、いつもみたいに精霊が治してくれたし。うまくいってるのに、どうして戻るの?」
「うまくって……」
精霊がペルシュの周りを飛び回る。
動物が消えたあとの地面に、ペルシュの血だけが残っている。なのに本人は、何も覚えていないみたいだ。
「治ったんだから良いじゃない。もう少し先まで行ってみようよ。もしかして、怖いの? トゥヴァリ」
「怖いわけないだろ! お前が、怖くて進めないんじゃないかと思ったんだよ」
「ええー? 本当に?」
「本当だよ!」
あんなことになったペルシュが平然としてるのに、襲われてない方が怖がってるなんておかしい。
町とは違う方向へ、ペルシュより先に歩き始めた。
二人はしばらく黙って歩いていた。
たまにガサガサと音がして、トゥヴァリは立ち止まる。何も飛び出してこなくて、ホッとする。
そんなことを繰り返していると、ペルシュがぽつりと呟いた。
「食事の時ってさ、どうして決まった場所に集まらないといけないんだろう」
また変なことを言い出した。
腹が減って来たのだろう。トゥヴァリも空腹は感じている。
「こうやって秘密の冒険をしててもさ。食事の時間の度に、いないってことがばれちゃうんだ」
「……確かに、そうだな」
家族じゃなくても、精霊にばれる。精霊にばれたら精霊王にばれる。腹が減って死ぬことも問題だけど、宮殿や外にいるのがばれるのも問題だ。
(……問題か? ばれたら、どうなるんだ?)
すると、目の前に何かが降ってきた。同じものが二つ、地面に落ちて転がった。拳くらいの大きさの木の実だ。
上を見上げても同じ木の実は見当たらない。代わりに、白くて淡い光が視界に入った。
「持って来てくれたんだ! ありがとう」
「精霊がいれば、外でも生きていけるな。だったら今日は布団を持ってくれば良かった」
「なんで?」
「帰れなくても困らないだろ」
「布団も精霊に出してもらえばいいのに」
「あっそうか。じゃあ、もう町に帰らなくていいのか……」
「え? あ、そうだよね。外にいるんだから。外に出て、何をするんだっけ」
「何をって?」
そんなこと、考えたこともない。
出口を探してたのは、アルソリオの町が嫌いだったからだ。
(じゃあ、このまま歩き続けるってことか? それとも、精霊に家を出してもらうか……?)
「帰った方がいいかなあ」
トゥヴァリも、その方がいいかもしれないと思った。
『おやおや、こんなところまで来て』
それは声ではなかった。トゥヴァリの頭の中で作られた言葉が、穏やかな音で響いた。
目の前に、馬が立っていた。風に光り靡く草原の色をした馬だった。
『外はまだ早い。さあ、おかえり』
二人が瞬きをしたその瞬間。
林の入り口にある倒木に座っていた。
「またかよ!」
トゥヴァリは怒って石畳の地面を蹴る。
「帰り道の手間が省けるって、楽ちんだよね」
ペルシュが慰めるように笑った。




