6 力無き者
トゥヴァリは大階段の一番上の段に座り、下にある北の広場を見つめる。階段を誰かが上がってくるたびに、目を凝らす。赤毛じゃない。あの歩き方は、ペルシュじゃない。
精霊王の像に祈る人や、木陰で休む人。こんなに何人も宮殿の広場に来る人がいるなんて、今までは知らなかった。
「明日は宮殿に行こうよ! アイピレイス様に会えたら、本の書き方を教えてもらうんだ」
ペルシュはそう言っていたはずだ。けれど、ちっとも姿を現さない。
今度は北地区の子どもたちが、まとまって駆け上がってくる。上に座っているのがトゥヴァリだと気がつくと、子どもたちは遠巻きにして通り過ぎていった。
約束を勘違いしたのかも、と北の広場へ降りてみる。通りすがりに、人々の声が耳に入った。
「西地区で、何かあったらしい」
「子どもが泣いていて…」
「誰かの順番が来たらしい」
西地区、子ども、――。その言葉に胸がざわつき、トゥヴァリは無意識に歩みを速める。もしかすると、またあの意地悪たちと喧嘩をしているのかもしれない、と考える。
(ペルシュは強いから、泣いてるのはきっと、あいつらの方だ)
西地区の広場に行くと、なぜだか異様な雰囲気だった。子どもがいない。数人の大人たちが、トゥヴァリを見るなり囁き合った。色々と言われるのはいつものことだが、今日向けられている視線はなんだか異様だ。息が詰まりそうになる。
トゥヴァリは林へ向かった。
どこかですれ違っていたら、ペルシュは林に来るだろう。前もそうだったから。
しかしいつもの倒木には、あまり好きではない顔が座っていた。
「トゥヴァリ!」
目が合うなり彼が名前を呼んだので、トゥヴァリはとてもびっくりした。
「ようやく覚えたのか。お前は、シツコイって名前だったっけ?」
トゥヴァリは鼻で笑って、わざとふざけた返事をした。
「!」
次の瞬間、トゥヴァリは落ち葉の上に倒れこんでいた。
頬を殴られた。頬と、地面に倒れて擦り切れた肘に痛みが広がる。
「……っ、この野郎!」
我慢できずに掴みかかる。
(なんでこんな目に遭わなきゃならないんだ!)
トゥヴァリも本気になって、レニスを掴んだ。取っ組み合いになり、地面を転がる。殴ってくるので、殴り返す。
レニスは歯を食いしばって叫んだ。
「お前のせいでペルシュが死んだんだろ!」
「は?」
「お前なんかと一緒にいたから!」
「……子どもが死ぬわけないだろ?」
じゃなきゃ、“順番”なんて呼ぶのはおかしい。
なのに、トゥヴァリの胸ぐらを掴むレニスの頬から、涙がこぼれ落ちてくる。
「死んだんだよ! 昨日の夜、赤い精霊がやってきて、俺たちの見ている前で死んで、じいちゃんみたいに消えたんだ!」
「……嘘だ。お前は俺が嫌いだから、そんなことを言うんだ! 泣いたって騙されないぞ!」
トゥヴァリはレニスを突き飛ばして、駆けだした。ペルシュはどこかで冒険に行くのを待っているはずだ。大きな毛むくじゃらの動物に襲われたときだって、精霊はすぐにペルシュを治しにきたじゃないか。
(見つからないだけだ。ペルシュが死ぬはずがない、死ぬはずがない、死ぬはずがない……)
トゥヴァリは南の広場へ行った。
ペルシュはいない。
「西地区でペルシュという子どもが死んだらしい」
先回りするように、噂が広まっている。この話のために、たくさんの人々が広場に集まっている。
東の広場へ走った。
人だかりに、赤毛の髪が見えた! すぐに、トゥヴァリは駆け寄る。
「ミルシュカ、元気を出して」
「順番を間違えてしまったのね……きっと」
人々が、口々に言う。
赤毛が、顔を上げる。一瞬、ペルシュだと思ったが、もっと背の高い、女の人だった。
泣いている。
「あなた……ルディの子……?」
トゥヴァリの心臓に、押し潰されたような痛みが走った。
広場から踵を返し、逃げだした。
“お前のせいで、ペルシュが死んだんだ!”
レニスの言葉が頭に響く。
「はぁ、はぁっ…!」
トゥヴァリの家には、いない。
「はぁ、はぁっ…!」
北の広場にも、いない。
トゥヴァリの顔を見て、人々は驚いた顔をする。そんなことはおかまいなしに、階段を駆け上がった。宮殿の広場でペルシュがきっと待っている。ぼんやり空を見てるかもしれない。窓を覗いているかもしれない。こちらを向いて「遅いじゃないか、トゥヴァリ!」と言うはずだ。
(約束したんだ、約束……)
「はー、はー…」
息が切れて、汗が目に入り、喉が熱かった。それでも足を止めず、上り続けた。
いない。
どこを探しても、いない。
精霊王の像の前で、トゥヴァリは膝をついた。心臓は暴れて飛び出しそうだった。目が回り、世界が揺れた。
「うーん? トゥヴァリじゃないか。どうしたんだ、そんな格好で」
「アイピレイス様!」
トゥヴァリはアイピレイスにしがみついた。汗と涙でぐしゃぐしゃの顔を、その立派な服に押しつけていることにも気づかずに。
「ペルシュが死んじゃったって! 俺のたった一人の友達が! 生まれて初めてできた友達なんだ! 大精霊様に頼んでよ、ペルシュを生き返らせて……っ!」
▪︎
「ペルシュが死んだ?」
アイピレイスはトゥヴァリの背中をさすりながら、眉をひそめた。
「あってはならない事だ!」
しかし、この泣き崩れている子どもを慰められる者が、自分しかいなかった。しばらくトゥヴァリが落ち着くまで、彼はずっとそうしていた。
やがて泣き疲れて眠ったトゥヴァリを、アイピレイスは精霊に命じてルディの家へと運ばせた。
――本当に、ペルシュが死んだのか。
ペルシュを今すぐ連れてくるよう精霊に伝える。しかし、何も起こらない。
通り過ぎざまに、精霊王の像を見やる。
両手を差し出す少女の姿。ペルシュはまだあれくらいの背丈しかない。
(誰の仕業だ……!)
宮殿に戻ったアイピレイスは、瑠璃色の扉を力任せに押し開けた。重厚な気配をまとった扉も、賢人には容易く応じる。間接照明が魔法の力で点灯し、静寂という音に支配された玄関ホールを淡く照らしだす。
正面の部屋。かつては五人が集い話し合うための賢人の間と呼んだ。ずいぶん前から、ただ通路と化している。
回廊の東翼。中世宮殿のような廊下の先に宇宙のような空間がある。大量に手に入るはずがない鉱石でできたその空間に、異彩を放つステンレス製の扉。
「ロースウェイ! 話がある! ……いないのか?」
顔を合わせなくなって久しい。研究者の彼女ははじめから、部屋に篭りきりになることが多かった。この扉は彼女に招かれた時にしか開かない。
二階、オーウェンの部屋。暖かみのある木製の扉がいつでも客人を迎えるが、この部屋の主が不在になって既に二百五十年が経過した。彼が大量に持ち込んだ書物を時折、借用している。
自分の部屋を通り過ぎ、西の回廊。
廊下にはたくさんの扉がある。たった一つの本物を除いて、全てが芸術家ナリファネルが描いた絵だ。
「ナリファネル!」
アイピレイスは迷うことなく、本物の扉に手をかける。これも動かず、返事はない。
苛立ち、別の偽物の扉を蹴る。
「ア、アアイピレイス!? 何してるのよ!」
甲高い悲鳴に近い叫び声。寝間着姿のハーヴァが立っていた。慌てて服の前を合わせ、胸元を隠そうとしている。
「……起きていたのか」
ハーヴァは、アイピレイスを見て後ずさる。苛立って壁を蹴っていたことを思いだし、佇まいを改めた。
「町で、子どもが死んだ」
「……死んだ? なぜ? 精霊がいるのに。まさか、トゥヴァリじゃないわよね?」
「違う。死んだのはペルシュという子どもだ」
「ペルシュ……ああ! ……死なせてしまったのね、そんなつもりではなかったのに」
ハーヴァは目を伏せる。
「知っているのか?」
「ええ、その子よ。私の息子に怪我をさせたの。だから、お仕置きした方が良かったって、うっかり口にした気がするわ」
過保護な母親のような顔をして、そう言った。
数十年に一度起きては町を物色。気に入った男を招き、子供をアルソリオに産み落とす。それが彼女の役割だ。
ルディとは、精霊の言葉で“ハーヴァが産んだ仔”を指している。
「……なぜそんなことを」
精霊王セレニアは賢人の願いを叶えると約束した。それがこの世界の規則であり、時に、こうした間違いを引き起こす。
アイピレイスは目を伏せた。
いや――再びこういうことが起きないようにするために、申し立てをするべきだ。賢人には役割がある。そう、アイピレイスにも。
早足で賢人の間に戻る。足早に通り抜けた先には、精霊王の間へ続く大理石の廊下がある。
燭台に揺らめく光。白に金箔の装飾が施された両扉。
精霊王にふさわしい神々しさだ。しかし、見覚えのない装飾にアイピレイスは顔をしかめた。
狼犬の頭。前に立つ者の影に、牙を立てている。
「よりによって、精霊王の間の扉に……」
いつの間にか背後に立っていたルヨに気付き、振り向かぬまま言った。
「意地の悪い作品は芸術とは呼ばれない」
「ふーん。君はそう感じるんだね」
ルヨは興味なさげに答える。三百年経っても子どもの姿で居続ける、不気味な存在だ。
アイピレイスは扉を押し開け――目を疑った。
濃く甘い酒の香りにまじり、鼻の奥を刺すような鋭い臭いが漂っている。
精霊王セレニアが座るはずの玉座から、気だるげに体を起こし、男がアイピレイスを出迎えた。
「君が何故そこにいるんだ、ナリファネル!」
乱れた前髪の隙間から不機嫌そうな灰色の瞳が、アイピレイスの頭から足元を睨め付ける。
「何百年経ってもお前のセンスは理解できないな、アイピレイス。道化師を招いた覚えはないが?」
「君が何故そこに座っているのか。その理由を聞かせてもらいたい」
「精霊王が認めたからだ。それ以外に理由があるか? 理解できるだろう、本当に優れた一握りの人間だったならば」
「その精霊王はどこにいる」
「留守にしておられるようだ」
「……なら、失礼する。君に用があったわけじゃないのでね」
アイピレイスは、踵を返し部屋を出る。
精霊王は知識を求めて不死者を選出したが、どうやら善悪という概念を持っていなかった。生物を繁栄させるという絶対条件の中でなら、賢人のどんな願いでも叶えてしまう。
ナリファネルに王の気分を味あわせることもあれば、ハーヴァの気まぐれな世間話を汲んで、ペルシュの処分が決定することもある。
精霊王に、叶えていい願いと叶えてはいけない願いを教えること。それがアイピレイスの役割なら良かったのに、精霊王はもう百年近く、姿を見せていなかった。




