2 宮殿の冒険
食事に使ったものが全て片付いた広場は、小さな子どもたちの遊び場だ。
たどたどしく歩くフラフィオンが、白くて淡い光の球に手を伸ばし後を追う。
喋れるようになったアレンミオが、「まって、ふわふわ!」と追いかける。
走れるようになった子たちは少し離れた場所で追いかけっこをする。誰かが転ぶとすかさず精霊が飛んでいって、擦り傷を治す。
ほんのちょっと前まで、ペルシュもここにいた。夢中になって遊んでいたのに、もう楽しいと思えない。
遊び相手のレニスたちが意地悪だから?
小さい子を蹴飛ばしそうで本気を出せないから?
アーチやミルシュカは、「大人になったから」だと言う。
でも、ペルシュは違うと思う。
同じ場所で同じことを繰り返すのが、つまらないだけだ。
「久しぶりに来たけど、でっかいなあー」
ペルシュは大階段を見上げる。
約束の朝の食事の後、ペルシュとトゥヴァリは北地区の広場にいた。西地区には林があるが、北地区には広場いっぱいの横幅の大階段がある。その上にまた広場があって、その向こうに宮殿がある。大きな宮殿は西地区からは見えるのに、大階段の下にいると見えない。
「出口探しの冒険に行こうって言ったのに。なんでここに来るんだよ」
「えーっと……それ、何が入ってるの?」
ペルシュはトゥヴァリの背中の大きな袋を指差して言った。
「……ふとん」
「布団?」
「帰れないくらい遠くまで行くと思ったんだよ!」
トゥヴァリは怒っているようだ。
約束したのが西の林だったので、林の奥へ行くと思っていたのだろう。「こっちこっち」と、引きずってきたのが悪かったのか、すっかり機嫌を損ねてしまった。
広場にいる人たちがこちらを見ている。
「もういい、お前となんか……」
ペルシュはトゥヴァリの口を塞ぎ、耳元で囁いた。
「宮殿の中に入ったことある? 精霊王と賢人様しか入れないところ……出口があるかもよ」
「……そういう事かよ。じゃあ、こんな荷物は邪魔だな。置いてくる」
トゥヴァリは鳶色の目を大きく見開き、にやりと笑った。
「トゥヴァリの家を見せてよ! 一人? どこに住んでるの?」
「何も変わらない。家なんてみんな同じだ。すぐに戻るからここで待ってろよ」
トゥヴァリはペルシュを突き飛ばし、走って行った。追いかけたら、きっと本気で怒るだろう。ペルシュは階段に座って待つ事にした。
(空は青、家と道は白い色……子どもは遊んで、大人はおしゃべり……)
地区が違ったって何も変わらない。
でも、北地区の広場は他の地区より少しだけ広い。このアルソリオの町の、はじまりの場所だからだ。
”そうして、人も動物も精霊も、世界のただ一箇所に集められた。
精霊王は人が暮らすための町を造り、“ひとまとめ”――精霊の言葉でその意味を持つ、アルソリオと名付けた。
乱暴な男が「お前に人のことなどわかるものか」と怒鳴ると、精霊王は人々を片手で一掬いした。その手の上に乗った人間が、精霊王に知識を与える賢人となった。”
この話は、ジェニマスの家に伝わる本に書かれていたものだ。
(誰かと本の話がしたいな)
本は不思議だ。字がわからないと何も起こらないのに、わかった途端に誰かが語りかけてくる。目を閉じると頭の中に何かが見える。昔の人たちが感じたことが、ペルシュにも伝わってくる。
「……おい、起きてるか?」
トゥヴァリの声に、目を開ける。
「ねえ、アルソリオができた時の話って知ってる?」
「知ってる。狼の大精霊を精霊王が封印したってやつだろ。行こうぜ!」
「えっ、何それ!」
身軽になったトゥヴァリは一段飛ばしに大階段を駆け上がっていく。ペルシュは息を切らせてその後を追った。
階段を上りきった先の広場は、宮殿前の広場と呼ばれている。一年に一度の“感謝の日”にみんなで来る場所だ。真ん中には、両手を前に差し出す少女の像があり、足元に水を湛えている。これが精霊王の姿らしい。
その後ろに、陽光を反射して輝く白い宮殿がある。道の先、正面には大きな瑠璃色の扉。その両側は、どちらも同じように柱と窓が続いている。霞むほど遠くにある端は、西も東も町を囲む白い壁に繋がっている。
振り返り、大階段から町を見下ろす。壁に囲まれた町。遠くに、海と森が見える。外に出るのは精霊と鳥だけ。人はこの壁の中にいて、順番が来たらいなくなる。
“ここより他に世界はない。“
そう書かれた本もある。
(あの本を書いた人は、この階段を登ったことが無かったのかな……)
広場にいた北地区の子どもたちが、二人を見るなり階段を駆け降りて行った。
飽きて他の地区へ行くこともあるけれど、大抵は嫌な顔をされる。何となく、いつの間にか、自分がいて良い場所は決まっているらしい。
二人は少女の像を横目に宮殿に向かった。
「こんな大きいの、どうやって開けるんだ?」
瑠璃色の石の扉は、トゥヴァリが押してもびくとも動かない。ペルシュは窓に近づいて中を覗いた。窓から見える廊下の床は、赤色の絨毯が敷かれている。壁には大きな絵が並んでいるが、ガラス越しではよく見えない。
「おい、離れろ。扉が動いてる!」
トゥヴァリに腕を引かれ、近くの木の後ろに隠れた。
「アイピレイス様だ」
扉から出て来た人を見て、二人はほっと息をつき、顔を見合わせた。
真っ赤な帽子、真っ赤な服。丸い金色のボタンが縦に並んでいる。先の尖った真っ赤な靴で、町の方へ歩いていく。二人は隠れるのをやめて、その人のところへ走って行った。
「アイピレイス様!」
「やあトゥヴァリ、それに、ミスラとパムーシュの子、ペルシュじゃないか。うーん……なぜ、この二人が一緒にいるのだろう」
宮殿に住む賢人の一人、アイピレイスは、黒く短い顎髭を伸ばすようにつまみ、呻る。
「昨日友達になったんです」
「素晴らしい! 確かにペルシュとなら気が合いそうだ。どうして私は気が付かなかったのだろう。いや、しかし、こうして二人は私が手を出さずとも友人になった。それに何の問題があるというのかね?」
トゥヴァリとペルシュに向けたような、または独り言のようなことを言う。
「アイピレイス様は何でいつも悩んでいるのですか?」
顎髭を伸ばす真似をしながら尋ねると、トゥヴァリが「えっ」と声を上げた。
アイピレイスはペルシュを見て、笑顔で言った。
「それは、私が君たちに、少しでも幸福を感じて生きて欲しいと思っているからだ……おそらくは」
「他の賢人様は何をしているんですか?」
「うーん、広い宮殿で、好き勝手しているからね。何をしているのだろうね。しかし、お互いのことは気にかけないと決まっている……。でもそれぞれに、役割はある。そう、私にも役割がある。では二人とも、仲良く遊ぶのだよ」
「ありがとう、アイピレイス様。さようなら」
ペルシュは階段を降りていくアイピレイスを見送った。
「アイピレイス様とお話するのって楽しいよね。いつもうーん、って」
「お前って、すっごいな。……怖いもの知らず」
「ねえ、もしかして、扉から入っても気づかれないんじゃないかなあ? アイピレイス様が他の賢人様に会わないと仰っていたし」
「アイピレイス様が優しいからって、他の人達も優しいとは限らないぜ?」
「そうかな。きっと優しいよ」
ペルシュは再び瑠璃色の扉の前に立った。ところどころに、金色の粒が散りばめられている。
「夜空の星みたい。なんて綺麗なんだろう」
ペルシュはそっと扉に触れる。
(中に入れて。知りたいんだ。外の世界や、死んだ人のこと……)
すると、小さく擦れる音を立て、扉が奥へ滑っていく。
「え?」
二人は驚いて顔を見合わせた。
ちょうど、子どもが入れるくらいの隙間を開けて止まった。
「ど、どうする?」
「もちろん入るよ、行こう!」
押し合うように、隙間から中に滑り込む。入ってすぐの低い段差に気付かなかった二人は、転がり落ちた。
扉は音も立てずに元に戻り、辺りが真っ暗になった。
「いてて……」
「ばか、痛いって言ったら精霊が来るぞ」
「あっそうか。何で開いたんだろう?」
「アイピレイス様が出た時、ちょっと開いてたんじゃないか?」
トゥヴァリは扉に内側から触れた。今は開く気配がない。
だんだん暗さに慣れて、部屋の中が見えるようになってきた。
「灯りはないのかな」
「そんなの点けたら見つかるだろ。行こうぜ」
右側の明るく見える方へ向かうと、廊下があった。赤い絨毯。両端に白い石の床が見えている。さっき窓から覗いた場所とは違い、窓の反対の壁には絵が掛かっていない。代わりに、それは天井に描かれていた。人と、色々な動物。何が描いてあるのかよくわからないけれど、見ていると怖くなってくる。
「……すごいや。誰が描いたんだろう」
「何だ、あれ?」
トゥヴァリが見ているのは廊下の先だ。天井も壁も柱も床も、吸い込まれそうに黒い。表面は濡れているように煌めいている。まるで床がないみたいだ。落っこちるかも、と思いながら恐る恐る足を踏み出した。
「うわあ、すごい……」
黒の中に、金色の粒が散りばめられている。触れるのはひんやりとした表面だけで、奥の深みには届かない。
瑠璃色の扉も星のように綺麗だと思った。あれが夜空の絵だとしたら、ここは自分が夜空に放り込まれたみたいだった。
「おい、扉があるぞ」
異質な薄灰色の四角い扉があった。夜空の世界に似合わず、すごく変な感じがした。少しざらざらしている扉には、縦に細長い窓がある。透明じゃないので中が見えない。
「開かないな。違うところへ行ってみよう」
トゥヴァリが声をひそめて言った。それで、ペルシュも気付いた。中に賢人様がいるかもしれない。
そっと扉を離れ、不思議な廊下が終わると、また赤い絨毯に戻る。
今度は、突き当たりになっていた。上へ行く階段と下へ行く階段がある。下へ行く方は暗くて先が見えない。空気がひんやりしている。
二人は上へ行く方を選んだ。同じ廊下に、何の変哲もない木の扉があった。トゥヴァリが取っ手を掴むと、扉は軋む音を立てて開いた。あまりにも普通に開いたので、焦って扉の後ろに隠れる。部屋の中には誰もいなかった。
艶やかな深い茶色の木の床に、模様が描かれている絨毯。階段で三階に分かれている部屋は、本棚で埋め尽くされている。大きな窓の両側には、深緑色のカーテン。小さな机が一つあり、羽根ペンが置いてある。
「きっと、アイピレイス様の部屋だ」
トゥヴァリは言った。
ペルシュは部屋中を見回し、感嘆のため息を漏らした。近くの本棚へ行って、一冊を手に取ってみる。
「わあ、これ、何だろう?」
広げたページには、何かの絵が描かれていた。景色じゃない、動物じゃない。家みたいな何かだ。
トゥヴァリが本を覗き込む。
「これは乗って移動するもの」
「! 何で知ってるの?」
「アイピレイス様が家に来た時に、同じ絵を見せてもらった事がある」
「ええ、いいなあー! アイピレイス様が家に来るなんて!」
「……普通は、来ないのか?」
トゥヴァリは驚きながらも、嬉しそうだった。
ずっとこの部屋に住みたいくらいだったけれど、トゥヴァリに言われ、しぶしぶ本を棚に戻した。
扉をゆっくり開けて、廊下が静まり返っていることを確認してから外に出る。
進んだ先の廊下の左側は、足元から頭の上まで全部が格子の入った窓になっていた。
ここは二階の真ん中のようだ。精霊王の像がすぐ下に見える。
「ねえ。死者が運ばれる部屋は、どこにあるのかな」
「ししゃ?」
「ジェニマスじいさんが死んじゃったんだ。昨日、赤い精霊が来て。死者は宮殿に運ばれるでしょ? その後、どうなったのか知りたいんだ」
「……しんじゃったって、何?」
「順番がきて、いなくなることだよ」
トゥヴァリは「ふうん」と頷いたが、全然わかっていないみたいだった。黙っていたかと思うと、急にしかめっ面になっていく。
「……それでお前、宮殿に来たのかよ。出口探しをするって言ったのに!」
「あっ……違うよ! どっちも、ここにあるかもしれないって思っただけ!」
ペルシュは廊下を駆け出した。トゥヴァリが怒って追いかけてくる。言い訳も文句も、いつの間にか笑い声に変わっていた。




