表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セレニアの物語  作者: 和州さなか
第1章 アルソリオのトゥヴァリ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/57

18 精霊王セレニア

 それは、あどけない顔立ちをしながらも、悠久の時を経た賢知を湛えていた。


 それは、長い睫毛に高い鼻を持ち、肌は光を透かして水面のように輝いていた。


 それは、漆黒の夜空の色をまとい、無数の星々を瞬かせていた。一本は流れる細い糸であり、一掬いは落ちる水の滴であり、全体は彼女の背に広がる宇宙そのものだった。


 それは、小さな子をあやす母のようでもあった。


『ただいま』


 その声は、頭の中に青銅の鐘のように深く響き、胸の奥に波のようにさざめいた。けれど同時に、愛らしい幼い少女の声でもあった。


「精霊王……セレニア……」


 空の全てかのように大きくもあり、小さな少女でもある。

 人間には到底及ばぬ存在。

 だが、牙がトゥヴァリを歩かせる。


『それって――』


 セレニアが、黒い焔の揺らめく瞳を細めた。トゥヴァリが牙を振りかぶり、自分に迫るのを、ただ見つめる。

 

 次の瞬間、アンズィルの牙はスルリと手から抜け落ち、軽い音を立てて地面に転がった。

 トゥヴァリの全身から力が抜け、がくりと両膝をついた。


『牙一本では、私に歯向かうことはできないよ、アンズィル』


 牙は鎮まり、唸る声が消えている。手の傷も、一瞬で元通りになった。


『眠るアンズィルと呼応するほどの怒りや悲しみ――何があったのかな。おいで、ルヨ』


 ルヨは精霊の球のような光を体にきらめかせ、消えた。

 セレニアはその光を呑み込み、軽くため息をつく。その一息すら、尊い言葉のようにトゥヴァリの胸に響いた。


『わかりました。トゥヴァリさんの願いを、すべて叶えましょう』


 宣言は唐突だった。

 セレニアは、慈愛の眼差しでトゥヴァリを見つめている。


「あの……」


『ルヨは、私の一部です。私が離れている間、精霊を従わせ、賢人の願いを叶えるために。人間の真似をする性質を持っています』


 トゥヴァリが疑問を口にする前に、セレニアは答えた。


『今は私の中に戻っています。だから、すべての状況を理解しています』


「俺の願いを、叶えてくれるんですか?」


『もちろん。問題があるなら解決しなくては。そのためにあなたは選ばれ、勝利した』


 セレニアは、両の腕を広げて町を見下ろした。下にいる人々の誰もが。その姿を見た瞬間、彼女が人の大精霊、アルソリオの精霊王セレニアであることを思い出し、あるいは一目見て知った。

 アイピレイスはひざまずく。


『アイピレイスさん、自分を責めないでください。ルヨが私の身代わりを作ったのですから、人間には私だとしか思えなかったのです』


 涙ぐむアイピレイスは、小さく震える声で尋ねた。


「一体、今までどこに?」


 セレニアは少しはにかみながら答えた。


『すみません。向こう側が気になって。すごいんですよ、アイピレイスさん。向こうは、すべてが……でも、このお話は後でしましょうね』


「くそ……くそぉおおおっ!」


 皆が振り向いた。ナリファネルの咆哮――セレニアを前に、動くことも出来ないでいる。それでも、緑色の瞳には強い憎しみが宿り、セレニアを睨み付けている。


「お前は俺の願いだけを叶えていろ! 謝れ! ひれ伏せ! 俺が王だ……俺が!」


『ナリファネルさん、前にも言いましたよね? あなただけの願いを叶えることはできません。人の願いはみんな絡まっていて、とても複雑ですから。叶えられないことの方が多くて、申し訳ないです。ルヨの誤魔化しは、あんまり良くなかったですね』


「虚仮にしやがって……! なんでこんなガキに力が与えられたんだ……っ!」


『与えられたのではなく、私の性質なんです。何度も説明しているのに』


 ナリファネルは静かになった。いや、ぶつぶつと、小さな声で呟き続けている。


「俺をあいつと同じようにしろ……俺を食え……あいつと同じ力を、俺に寄越せ……!」


 その体に引き寄せられるように、ふらふらと近づいていったのは、小さな光の球だった。光は一瞬、赤く眩しい閃光を放った。


『いけません!』


 ナリファネルは身体中から劈くような悲鳴を上げ、ぼこぼこと膨らみながら崩れていく。肉体を失い、水のように光を透過する。


「贋作……この世界は、贋作だ!』


 足の裏が空を覆い、宮殿を踏み潰す。ガラガラと崩壊の音が響く。町全体が、地響きに揺れる。


『ナリファネルさんと私で作った宮殿、みんな気に入っていましたよ。嫌いになってしまったんですね』


 セレニアは一歩も動かず、彼を見上げていた。

 精霊と化したナリファネルを見上げるトゥヴァリには、さっきまで高潔に見えたセレニアが、急にとても弱々しい少女のように映った。


 影が覆う。トゥヴァリとセレニアの周りは、夜のように真っ暗になった。どんなに慌てても、逃げられる距離ではない。


「トゥヴァリ!」


 遠くから見つめる、ペルシュが叫ぶ。

 町の人々の顔が苦しみに歪んだ。精霊となったナリファネルの恨みや憎しみが、頭の中で鳴り響いている。


『あなたが人間だから、願いを叶えられたんです。精霊になって、しかも暴走するなんて。消滅させるしかないじゃないですか』


 静かなさざめきがその苦しみを和らげる。それから右手を掲げ、空気を握りつぶすようにした。

 水のように流動していた巨大なナリファネルの体が、一瞬で石化する。

 そして、あっけなく砕け散り――降り注ぐ塵すらも、風に流され見えなくなった。


「トゥヴァリー!」


 空を駆け、ナランサが宮殿の広場に降りる。

 地面に降りるより早くペルシュが背から降りようとするのを見て、トゥヴァリが手を差し出した。

 骨ばった手を取ろうとして、一瞬、ためらう。


「あの恐ろしい人に、勝ったんだね……」


 ナランサにしがみついたまま、丸い目を潤ませる。


『さあ。トゥヴァリさんの願いはすべて叶える約束ですから、ペルシュさんに起こったことを、すべてなかったことにしましょうね』


 セレニアは二人を見つめ、微笑む。

 それは、屈託のない幼い少女のようだった。世界が楽しいことばかりだと、自分の力でなんとかなるはずだと、無垢に信じているあの日の自分自身だった。

 

「すべて……ですか?」


『はい!』


「でも……」


 ペルシュは戸惑い、視線をトゥヴァリに向ける。優しく笑みを返す彼の表情に、胸が詰まる。


「忘れない方がいいと思います……。あの酷い辛さから、トゥヴァリが助けてくれたことは、今の私には、とても大切なんです」


 自身を諭すように、諦めさせるように、胸を抑える拳を強く握り、自分の言葉を噛み締める。

 セレニアは小さく首を傾げ、呆れたように言った。

 

『人間って、不思議ですね。本心と口にする言葉が違う。その体ではトゥヴァリさんと幸せになれないって、ペルシュさんはさっきから、泣いているじゃないですか』


 セレニアは小さく首を傾げ、呆れたように言った。


 トゥヴァリの手が――男性の手が近づくたび、気持ちに反してペルシュの体は小さく震える。

 輪郭、喉骨、広い肩幅。視界に入るたび、愛おしさの隙間から恐ろしい記憶が静かに這い出してくる。

 セレニアはそれらをすべて見通していた。まだ予感でしかなかった苦しみが、やがて現実になることを、彼女は既に知っているのだ。

 

「ううう……」


()()()()()、なかった事にしてしまいたい。二人の願いは同じです。トゥヴァリさんは、ペルシュさんが幸せに生きられるように。ペルシュさんは、トゥヴァリさんと幸せに生きるために。同じ方向へ流れ、遮るもののない強い意志。私は叶えてさしあげることが()()()()


 ペルシュの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 思考に言葉が染みてゆく。真っ白な光に包まれる――そのとき、今この瞬間まで想像もしなかった光景が、頭の中で閃いた。

 それは、あまりにも幸せな夢。

 今のペルシュには望んでいることすら気付けなかった、真の願いだった。

 

『ルヨはトヴァさんを死なせてしまいました。もう救えません。生きているペルシュさんだけでも救いたいです』

 

 ペルシュはうなずく。

 精霊王に、導かれて。



▪︎



 少しの間――アルソリオの町は、時が止まったように静かだった。人間も、精霊も。

 草原の色をした馬も。

 混沌に溶けた海も。

 空の遥か向こうにいる、巨大な翼も。

 白い山に眠る、狼も。

 

 しばらくして人々は、北の広場に集まっていることに気がついた。


『悪王ナリファネルは消滅しました。もう、大丈夫ですよ』


 精霊王の言葉で、記憶が蘇る。

 ここで確かに恐ろしいことが起き、大階段に立つあの青年――トゥヴァリが、みなを救ったのだと。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ