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セレニアの物語  作者: 和州さなか
第1章 アルソリオのトゥヴァリ

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12 悪王ナリファネル

 毎日のように町へ現れていたアイピレイスの姿がぱたりと見えなくなって、七日が過ぎた。

 一時期トゥヴァリが引きこもっていたように、アイピレイスも何かに専念して町へ出てこないだけかもしれない。そう思えなくもなかったが、トゥヴァリにはどうしても不安が拭えないでいる。


 いつも傍にいる精霊が、彼を追い立てるように動くようになったからだ。町を歩けば、ふわりと飛んでは、まるで宮殿へ導こうとするかのように進んでいく。


(もしや、アイピレイス様に何かがあったのではないか)


 そんな考えがよぎるたび、精霊は答えを肯定するようにチカチカと瞬いた。

 ――アイピレイスは、精霊王に伝えるはずだった。人は死ななくても生きていけるのだと。

 そのことが精霊王の怒りを買い、彼が町に出られない状態に追い込まれているのかもしれない。


 精霊がまた光を放つのを見て、気分が沈んだ。


「……わかった。宮殿へ行ってみるよ」


(母さん……ハーヴァ様だっている。行く当てなら、ちゃんとあるんだ)


 トゥヴァリは、ようやく決心した。


 宮殿への大階段を上る。ここへ来るのは年に一度の祭りのときくらいだ。階段に足をかけると、決まって誰かに見られているような気がする。

 階段を登りきり、広場の中央に立つ像をじっと見つめる。


(あなたが見ているのか?)


 答えは返って来ない。


 宮殿は、いつものように静まり返っていた。精霊がふわりと藍色の扉へ飛んでいく。

 あの扉は魔法で閉ざされている。賢人か、あるいは精霊王に招かれた者でなければ開かないはずだ。そう思いながら、トゥヴァリは石の扉に手を当てた。


 びくりとも動かない。ふう、と一息吐く。


(諦めてどうする。入らなければならないのに)

 

 あの時、扉が開いたのは、きっと扉が開くと信じて疑わなかったからだ。


(魔法で閉ざされているなら、魔法で開けるんだ。アイピレイス様に会わせてくれ)


 心の中で強く願い、もう一度扉に触れる。すると、扉は拍子抜けするほどあっさりと開いた。


 呆然とするトゥヴァリの横を、精霊がすり抜けるように滑り込む。チカチカと呼びかける光を追い、慌てて足を踏み入れる。


 明るい外から入ったせいで、最初は室内がとても暗く感じられた。徐々に目が慣れてくる感覚に、どこか懐かしさが混じる。赤い絨毯の敷かれた玄関ホールには、淡い光が揺らぐことなく灯っている。


「トゥヴァリ……あれを見て!」


 いつでも、そこにいるかのように思い出せる。あの時のままの声と姿。一日だって、忘れたことはない。




 精霊がふわりと正面に飛んでいく。光を追って、階段を上る。あの時は通らなかった場所だ。

 目の前に黒い扉が現れた。輝く廊下にあった扉とはまた少し違っていた。「5」という数字が浮き出ている。すぐ下には丸い穴が空いている。

 冷たく滑らかな金色の取っ手を掴んだ。重みを感じながら扉を開く。精霊が先に入り、部屋の中を照らし軽やかに飛び回った。


「ここがアイピレイス様の部屋……?」


 前に来たとき、アイピレイスの部屋だと思ったのは、全く別の部屋だった。本がたくさん並び、木の香りが漂っていた。

 この四角い部屋にはベッドと、ベッドのような椅子。その前には小さなテーブルがある。


 壁に掛かる円形の道具に目が留まった。黒い木でできていて、細い針が二本、円周の数字に沿って並ぶ。下の銀色の棒は一定の間隔で揺れ、規則正しく音を響かせていた。


(これは、……もしかして、時間を表しているのか)


 針の微かな動きを見つめながら、トゥヴァリは思った。


 別の壁には、もう一つ数字の書かれた円盤が掛かっている。こちらは針も振り子もなく、赤と黒が交互に並び、無数の穴が空いていた。意味は考えてもわからない。

 まだトゥヴァリの知らないアイピレイスがいる――不死の賢人なのだから当然だ。この部屋にあるものすべてを理解したいと思うのは、身の程知らずというものだろう。


 精霊の光が部屋の奥で静かに揺れる。トゥヴァリは息を吐き出した。


(部屋にはいない...町にもいない...じゃあ、宮殿のどこかに?)


 部屋を出ようとするトゥヴァリの視界を、精霊が塞いだ。出るなと言っているようだった。ほんの少しだけ、音も立てずに隙間を開け、廊下を覗く。

 人が歩いていく。歩くたびに服の裾が開いて太ももが見える。腰まである金の髪が揺れている。


(違う女の人だ……)


 その人が通り過ぎるのを待ってから、外に出る。


 廊下を進む。あの時、広場に戻されたのはこの辺りだったような気がする。つまり、初めて足を踏み入れる場所だ。

 赤い絨毯が途切れる。天井は高く、白く滑らかな石の床に窓から日が差し込んでいる。光と影が浮かび上がらせる装飾や像が、トゥヴァリの心を奪う。日の当たらない壁に掛けられている、狼犬と精霊王の戦いを描いた大きな絵。蔦の模様が彫り入れられた柱。見上げれば、大きな鳥の像が翼を広げている。


 ぺたり、ぺたり、と足音に気づいたのは、その音がもう真後ろを過ぎようとしている時だった。

 トゥヴァリは固まった。身動きせず、息を殺す。頭の中で誰かの声が、体に命令を出している。

 足音は、ここに並ぶ像の一つだと思ったのか、何も言わず、歩みを止めることもなく、ただ通り過ぎていく。


 ぺたり、ぺたり、


 足音が十分に遠ざかった。そっと視線を彼女に向ける。

 輝く黒い髪。白い服の上に揺れている。


(精霊王……だろうか?)


 トゥヴァリは何故か、そう思った。気付かれないように距離を保ったまま、彼女の後を追う。

 ぺたり、ぺたり。角を曲がり、白い扉の前で止まった。


「!」


 廊下の角から見ていたトゥヴァリは、咄嗟に身を引いた。彼女が突然、白い服を脱いだからだ。


(なぜ、なんで、こんなところで!?)


 心臓がばくばくと音を立てる。頭の中はぐちゃぐちゃだ。精霊は飛び回る。トゥヴァリを咎めているようだった。

 少女が中に入り、扉が閉まる。トゥヴァリは自分を落ち着かせる。慎重に床に踏み出し、落ちている白い服を避けて、その扉の前まで歩み寄る。

 白に金箔の、前に立つ者に牙を剥く狼犬の装飾が施された、豪奢な両扉。分厚そうなのに、微かに声が漏れ聞こえている。耳を澄ますと、狼犬の口は実際に穴が開いていることに気付いた。

 わずかな隙間から覗き見える。

 床に突っ伏した白い背中。少し高いところに置いてある肘掛け椅子。そこに座っている人の足。


「私は謝罪します。人々を傷つけ、尊い命を奪い、貴方の兄を殺しました。彼らの痛み、悲しみを一時も忘れることはありません。

 私は贖罪します。過ちを繰り返さないよう、己に出来ぬ戒めに、貴方の手を借りて罰を受けます。

 私は精霊王セレニアです。貴方の望みを、必ずすべて叶えます」


 それからの一部始終は、酷いものだった。声をあげそうになるのを抑え、悲鳴に耳を塞ぎ、目を覆う。


(なんで...なんで、精霊王がこんな事を。一体、あの男は誰なんだろう)

 

 口から、至る所から、噴き出る血が白く細い体を汚し。林に落ちている細い枝と同じように踏み折られ、揺さぶられ、叩きつけられる。


 圧倒的な暴力――トゥヴァリに、熊に吹き飛ばされ動かなくなる少女の記憶を見せる。その体は何度も何度も、何事もなかったかのように再生をする。


(もう嫌だ...見ていられない)


 アイピレイスの安否が気にかかる。もしこんなことが起きていると知っていたら、黙っていないはずだ。もしかすると、彼の身にも何かあったのではないか。

 しかし、トゥヴァリはこの光景から目を逸らすことが出来なかった。


 赤い絨毯の上に散らばる白い体――悪夢のような時間が終わった。指先がぴくりと動き、一ヶ所に引き寄せられた体が繋がる。未完成のまま、這いずって扉に向かってくる。


「おっと。今日はまだ役目がある、精霊王よ。ついて来い!」


 男はそう言って、長い黒髪を掴み、ようやく人間の形を成したそれを引きずって、扉に近づいてくる。

 トゥヴァリは後ずさり、逃げ出した。廊下にいたルヨに気がつかないまま。



 ▪︎



 北の広場へ向かう人の列が、通りという通りを埋め尽くしていた。家にいた者も、林で遊んでいた子どもたちも、同じ方向へ歩いている。

 誰もが首を傾げながら、どこか浮き足立っていた。

 こんなことは初めてだ。年に一度の祭りでさえ、町の全員が同じ時間に集まるということにはならない。


「まるで伝説の、アルソリオが出来た日のようだね」


 本を読めない人たちも、人伝に話を知っている。

 しかし、伝説はすべてがまったくその通りというわけではないらしい――人々は思った。北の広場に全員が集まることなんて、出来そうにない。入りきれない人々は、通りに溢れている。


「宮殿の広場まで行ったらだめなのか?」

 

 レニスは大階段の前にいた。どんどん狭くなっていく空間に、不安を感じ始めていた。集まりすぎた人々の熱、ざわめきの大きさ。何かが起きる気配があって、落ち着かない。


「で、誰が呼んだんだ?」


「精霊王じゃないか? 誰の声かはわからないけど、呼ばれている気がしたんだから」


 トゥヴァリを探しているのだが、見つからない。同じことを考える人間が何人かいるらしく、名前を呼ぶ声だけは何度か聞こえてくる。

 すると――声が、響き渡った。


「ふん。本当に増えているじゃないか」


 一瞬、その人がいるのかと思ったが――鳶色の髪が同じだったので――大階段の上にあったのは、見知らぬ人影。


「顔ぶれはずいぶん変わったな。当然だ! 貴様らは死ぬのだから」


 人々を見下ろすその人影は、満足そうに笑った。そして大声を張り上げる。


「愚衆よ、聞け! ここにあるは、賢王ナリファネル! 貴様ら人間の、王だ」


 人々は互いに顔を見合わせる。


「ナリファネル様は、五賢人のお一人だろう」

「王は精霊王セレニアでは?」


 声に、レニスはうなずく。ざわめきが大きくなっていく。


「貴様ら家畜が崇めていたのは、慈悲の女神ではない」


 彼は後ろから人を連れて来た。少女がいた。腕を掴み、乱暴に。背中を強く蹴り飛ばす。

 人々は悲鳴を上げた。

 階段を転がり落ちてくる。動かなくなった。突然の出来事に、人々から悲鳴が上がる。

 一段、一段、声が近づいてくる。

 

「教えてやろう。お前らの命は、今までこの薄汚い偽りの王――精霊王に、食われていた! 恐ろしいか? だが、こうして王の手によって、捕えられている」


 レニスは怖かった。起こっていることも、ナリファネルが言っていることも、まったく意味がわからなかった。


 しかし、


「あのぅ、ナリファネル様、」


 後ろの方で女性の声が上がった。


「私の娘は早く死にました。まだ順番ではなかったのに……それは、何故ですか?」


 ミスラが人をかき分け、大階段の前に躍り出た。

 人々はナリファネルの反応を恐れ、息を潜めた。王は、高笑いを響かせながら答えた。


「当然、食われたからだ。お前の娘も。貴様らの命は精霊に握られている。だが、俺が貴様らを救うため、この死神と戦い、屈服させた!

 今この時から、アルソリオの王は、このナリファネルだ!」


 精霊たちは静かに漂っていた。

 どよめきの中、レニスは、後でトゥヴァリを訪ねようと考えた。


(俺にはさっぱりわからないが、トゥヴァリならわかるだろう……)


 階段に倒れていた少女が、ゆっくりと起き上がる。誰も声を出せなかった。髪に隠れて顔も見えないまま、少女は宮殿へと戻って行った。

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