ーふたつめの記憶ー
私が生まれたのは雪の降る街だった。なぜ知っているかというと、生まれた時のビデオを見たことがあるから。九つまでそこに住んでいた。歌が好きな優しい父と眼鏡をかけた厳しい母が、私を育ててくれた。
朝起きて身支度をして、学校に通った。学校では先生に勉強を教わる。私は勉強が好きだったよね。勉強ができるようになれば、厳しい母が笑ってくれたから。
友だちは、何人かいたと思う。一番の仲良しは女の子だった。名前は、忘れてしまったな。フィービーだっけ。フォーブだったかも。茶色い髪を二つの三つ編みにしていることが多くて、歯並びが悪い。確か、友だちの中では一番背が高かった。私たちは一緒に絵を描くのが好きだった。
犬を飼っていた。その子の名前はシュロだ。大きくて毛がフサフサで、とても利口だった。私が学校帰りに怪我をした時、シュロは迎えに来てくれたんだ。誰も何も言ってないのに。
学校から帰ると、宿題をした。それから何か必ず本を読んで――これは、母の言いつけだったからで――それから、食事の支度を手伝う。私はシュロにご飯を用意する係だった。父の帰りが遅い日もあったけど、早い日にはみんなで一緒に食べた。たまに、お店に食べにも行ったよね。
寝る時にはシュロがベッドの下に寝そべり、母が私の部屋の電気を消しに来る。
おやすみなさい、また明日。
私には夢がなかったけれど、絵を描くのが好きだったから、そういう仕事ができたらいいと思ってた。
はじめは、それが起こっていることに誰も気づいていなかった。
思い起こせば、そう。私と友だちが部屋で遊んでいる時、父がリビングでテレビを見てた。
『……事件から一週間。五十七人の死亡が確認されました。その一帯で唯一の生存者であったリズリンさんは、「光がちらつくような幻覚が見えた」と証言しており、有害物質の噴出などを調査……リズリンさんが妊娠していた三つ子も死亡しており、リズリンさんの容態も……』
「こんなとんでもニュースより、市長の汚職を追及しろ!」
父は怒りながらニュースを見ていた。友だちの名前は忘れてしまったのに、リズリンさんって名前はいつでも思い出せるの。おかしいでしょ?
それから、ニュースで有名な人たちの訃報を聞くことが増えたんだけど、知らない人たちだったから、気にしてなんかいなかった。若い人も老いた人も、健康な人も病気だった人も、みんなある日パタッと死んでしまった。死因は不明。
私と友だちはその頃お話を作るのに夢中だったから、そんなのはどうでも良かった。音楽が好きな他の友だちは、尊敬するミュージシャンが死んじゃったって大泣きしていた。
でも、その死は――遠くに住んでる親戚、近所の人、学校の知らない子。だんだん、私に近付いてきた。両親を思い浮かべるといつも真っ黒な服を着ているのは、この頃のことをよく覚えているからだと思う。
先生が死んで学校は休校になり、優しい父の表情は険しく、厳しいはずの母は妙に優しかった。食べ物は缶詰ばかりになり、両親は怪我をして帰ってくることもあった。
母が出かけたきり帰ってこなかった。
電気会社の人が死んじゃったから電気が消えて、水道水も出なくなって、トイレは溢れて、家や街はゴミだらけになった。病気になっても病院が無かった。風邪を引いただけで死にかけた。
「ずっと遠くの町にはまだお医者さんがいるらしい」と父が言っていたけれど、私は父が薬局から持ってきた薬を飲んで、なんとか治った。
もうお金は意味がなくて、力ずくで権力を握ろうとする人もいた。でも、その人たちだって死んでしまう。たぶん、みんな死なないと終わらないんだろう。
謎の死じゃなくても、喧嘩で死んだり病気で死んだり。悲観的になって自分で死んじゃったり。どんどん減るから、食べ物の心配は当分はなかった。缶詰の消費期限まではね。
死んじゃった人たちのお葬式なんかできなくなって、私も埋めるのを手伝ったことがあるのだけど……あれ、友だちはいつ頃死んじゃったのかな? とにかく街はひどい臭いになって、シュロはいつも元気がなかった。
ある日、父が死んでいた。私はシュロと二人で家を出た。
人を呼んでも誰もいなかった。人っ子一人いないだけなら、まだマシだった。人がいた数だけ、死体が残っていた。動物の死体もいっぱいあった。
これで終わりなんだって、私は思っていた。毎日辛かったはずだけれど、よく思い出せない。
駅にいても電車は来なかったし、車も動かせない。歩いて行くほかなかった。世界中こんな有様なんだろうか? 電気はつかない、電波は届かない。もしかしたら戦争もなくなったかな?
隣町も、知らない町も、ずっと景色は同じだった。シュロとあてもなく歩いた。怖いとか、思わなかったように思う。私も死んじゃった方がいいな、と思ってもいたし、シュロがいたから生きていても平気だった。
私とシュロは何で死ななかったんだろうね?
どこまで歩いたかな。光の球が飛んできた。チカチカ点滅しながら、私に近づいてきた。
歩いていた街から、一瞬で景色が変わり、全然知らないところにいた。何もない荒野。
私は何ヶ月かぶりに生きている人に会った! みんなボロボロで、ひどく飢えている人もいた。色んな国の色んな人がいて、言葉は通じなかったけれど、人に会えたことを喜んでいるのは、みんな同じだった。私も女の人に話しかけられて、抱きしめられた。ガヤガヤ色んな言葉が飛び交ううちに、喧嘩を始めた人たちもいた。
安心したはずなのに何だか怖くなってきて、シュロをぎゅっと抱きしめていた。見上げると、よく晴れた空だった。たくさんの光の球が、ふわふわと私たちの頭上に浮かんでいた。
突然、そのうちの一つがぐわっと牙を剥いて、私に飛びかかってきた。そういう風に感じた。周りにいた人たちは悲鳴をあげて私を避けた。シュロは吠えていた。
何かが私に触れ、体の中へ入り込んでくる。体がバキバキと音を立て、骨が砕ける。皮膚を割いて牙がめり込んでくる。
食べられている。
そう思ったとき、その何かは意識の中へ、じわじわと、チカチカと染み込んできた。私が私でなくなっていく。混ざってしまって、大きな何かに溶けて、消えていく。
そうして私は、
私は、
今までとは違う存在になった。
すべての記憶を持つ、思考する光。
そうなった私がどちらの私なのか、もうわからない。記憶は溶けあい、流れ、やがてひとつになってしまった。




