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セレニアの物語  作者: さなか
第4章 第1幕 否定された存在

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15 閉ざされた瞳

 梯子の先には小部屋があった。

 真っ暗だ。立ちあがろうとして、頭をぶつけた。


「いて……」


 落っこちないように、膝をつく。


(天井が低いのか……)


 天井に嵌め込まれた硝子窓は、内側から木戸で閉ざされていた。その細い隙間だけが、わずかに白んでいる。


(ラナリア観測施設……夜に空が見えるようにか。朝は開けたら眩しすぎるな)


 目がようやく慣れてきて、横になっているドレが見えた。カッツォが近付いても、ドレは身じろぎ一つしない。カッツォの心臓が早くなる。


(……落ち着け。コーレリアさんは、体に異常はないって言ってたろ。眠ってるって……)


 向こう側を向いているドレの顔を覗き込む。呼吸で肩が上下している。苦しんでいる様子もない。


(汗もかいてない……冷たくもない……)

 

 本当に、ぐっすり眠っているだけのようだ。


「ドレ……どうした、疲れてるのか?」


 声をかけてみるが、反応はない。

 ドレは重ねた両手を額につけている。何かを願っているような姿勢だ。指の隙間から、冷たい光が漏れている。


(……アンズィルの瞳?)


 再び、心臓が喉元まで跳ねた。

 ドレは瞼を閉じている。だが、よく見ると――伏せた睫毛の隙間に、緑色の瞳が覗いている。


(記憶を見てる……? だからコーレリアさんは、ああ言ったのか)


 いつも一緒に記憶を見ていたので、こうして外側からその状態を見るのは初めてだ。

 呼びかけにも答えず身動きしないのは少し怖い。使う場所には気を遣った方が良さそうだ。


(でも、何の記憶を? この部屋にあるものなら……)


 レイドンの記憶だったら、本物の箱の手がかりを探そうとしているのかもしれない。カッツォが別のことを考えている間にドレは調査を進めていたのかと思うと、申し訳ない気持ちになった。


 しかし、いくら待ってもドレは目覚めない。

  

(ウィルマートンさんが様子を見にきて、医者だってんでコーレリアさんを呼んで。その後、俺が来て。……だとしたら、もう結構な時間が経ってるよな……?)


 ドレの寝息は落ち着いているのに、なぜか不安が掻き立てられる。


「そんなに長い記憶なのか?」


 アンズィルの瞳はドレの両手に握り込まれていて、どうなってるのかは見えない。


(いつもはもっと短いけど、勝手に終わるから仕組みがわからないな。そうだ、シュロなら何か知ってるかも……)


 シュロを探しに梯子を降りようとすると、頭の中で声が聞こえた。


『わざわざ来なくてもいいよ』


「シュロ!」


 周りを見るが、小部屋にはいない。下も覗き込んでみるが、いない。近くにいるわけではないようだ。どこに向かって話したらいいかわからず、あっちこっちに目を向けた。


「どこにいるんだ?」


『調理場の前さ』


 イヴェットとミザリーがパンを焼いている。戸口のすぐ外で、シュロが退屈そうに寝そべっている。そんな姿が思い浮かんだ。


『ドレは昨日の夜からその状態だよ』


「昨日の夜?!」


『何かを知ろうとしてじゃなく、過去を見続けること自体を願ったからね。必要な情報の断片じゃなくて、長期間の記憶が再生されてるんだよ』


「見続けたい? 何の記憶を見たらそうなる……」


 頭の奥から滲み出すように、景色の断片が思い浮かぶ。

 小さな部屋、四角い窓、湾曲した石壁、机に広げた本。机の向こうに、誰かがいる――。


「今のって……?」


『ドレの見ているものだよ。塔にいる時の記憶さ』


「……塔の記憶なんて、見たいものなのか? 閉じ込められてたんじゃ?」


『僕に聞かれてもわからないよ。もう少し映そうか』


 カッツォの頭の奥に、また光景が滲み出てくる。それを瞼に映し出そうと、目を閉じる。断片的だった景色がだんだん鮮明になっていく。


 目の前にいる人たちの顔が、はっきりと見えた。


(……ソラミルさんと、ダリウスさん……)


 目の前にいるソラミルは、優しくこちらに微笑んでいる。側に立っているダリウスは、表情が忙しなく変わる。ドレの目を通しているから、ドレの姿は見えない。二人の表情を見ていると、ドレも笑っているのだろうと思う。

 

「こんな使い方もあったんだなあ」

 

 カッツォは胡座をかいて頬杖をつき、ドレの穏やかな寝顔を見つめる。

 旅をしてきて楽しそうに見える時もあったが、ずっと辛かったのだろう。塔から出られなくても、ダリウスとソラミルがいれば、ドレは嫌じゃなかったのかもしれない。


 カッツォは、城下の人混みの中で出会ったドレが、友人の心配で頭がいっぱいだった理由を、分かったような気がした。


「シュロ、ドレが見てる記憶はいつ終わるんだい?」


『さあ。六年分あるからね』


「六年?!」


『でも放っておけば二、三日とかからないよ。飲まず食わずでドレが死ぬのが先ってことさ』


「なんだよ、それ。じゃあ、早く起こさなきゃだめじゃないか。ドレ! ドレ、起きろ!」


 カッツォはドレを揺さぶるが、瞼一つ動かさない。ドレの顔の前で組まれている手を掴み、アンズィルの瞳をどかそうとした。


『あっ、強制的に遮断したらドレが正常に戻らないかもしれないよ』


 カッツォはぴたりと手を止めた。


「なんだよ、起こすのもだめなのか?」

 

『もう長い時間、意識が働いていないんだ。過去を見てるってことも忘れてるし、ソラミルが生きてると思ってる。目覚めたら飛び出して行って、また破滅を願うかも』


「……じゃあ、どうすればいいんだよ」


『あれ? ……そうか、初めてだと思っていたけど、よく似た前例があったよ。同じような状態から回復した人間がいたんだ。その時みたいに代わりを使って、現実を少しずつ馴染ませよう』


「何だって?」


『現実にソラミルがいればいいんだよ。イヴェットにとってのシュロみたいにね。僕がシュロの代わりであるように、君がソラミルの代わりをすればいい』


「……俺?」


『ドレには君がソラミルに見えるように認識させるから、ソラミルのふりをして喋るんだ。僕が犬のふりをしているようにね。君もそういうのが得意だろ?』


「ちょ……ちょっと待ってくれよ。そんなの無理だ。そんな、死んだ人の、しかもソラミルさんの代わりなんて……」


『僕だって頑張ってるのに、自分だけ嫌だなんてずるいなあ。でも、君がやりたくないっていうなら、別にそれだっていいんだ。ドレが死んだ方が世界は安定するし』

     

「死んだ方がって……そんな簡単に言うなよ、いない方がいいみたいに」


 しかし、動かないドレがよりによって、ぐったりと倒れているラナに重なった。カッツォの頭の中に、思考が溢れる。


 ――いない方を選んだのは俺だろ。ドレを代わりにしてるのも。


 考えを振り払い、頭を掻く。

 

「……わかった。やってみるよ」


 カッツォは、いつもの調子で息を吐く。

 

(庶民が貴族を騙るなんて、間違いなく咎捨谷行きだ。もし騙されてるってことに気付いたら、ドレは……。俺は、どうなるんだろう……)


『そうそう。そんな感じで、ソラミルの役も頼んだよ』


 シュロの声に、カッツォはやり場なく空中を睨む。

 ストラヴィルだけじゃなく、精霊とはうまくやれそうにない。


『わかった、もう言わないよ。君が協力してくれなくなると困るからね。じゃあ、ドレを起こすけど、できるだけ似せてくれると助かるな。僕がしなきゃならない処理が減るから』

 

 カッツォが気を落ち着ける間もなかった。

 シュロの声が途切れてすぐ、ドレの肩がびくりと動いた。勢いよく体を起こしたかと思うと、眉間に深く皺を寄せ、部屋の中を見回した。


「……ソラミル」


 目が合った瞬間、息を吐き、安心し切ったような顔をする。ドレには本当にソラミルに見えているのだと、カッツォにもわかった。

 

 ――ソラミルの人形は、こう呼んでいたはずだ。


「ハンドレッド様」


 呼びかけると、ドレはわずかに口角を上げた。


「……どこか、お辛いですか?」


「少し頭が痛い。だが、平気だ。それより、ここは……」


「レイドン研究所の、ラナリア観測施設ですよ」


 カッツォは普段の話し方よりも、ゆっくり話すようにする。

 

「……塔ではなく?」


 ドレは困惑したような顔をしている。


(誤魔化さなきゃならないことが多いな。えーと……)

 

「そうです。ハンドレッド様は外に出られて、勉強をしに来たんですよ」


 カッツォは優しくドレの頭を撫でた。ソラミルの人形は、そうしようと手を伸ばしていたからだ。ドレは肩を縮こめ、緊張したようにこちらを見つめていた。けれど、その顔はどこか嬉しそうでもある。

 いつものことではないのかもしれない。少し気まずくなって、手を引っ込める。

 

「……そうだった。狼王の箱事件を調べに来た……のだった、な……?」


 ドレは曖昧な返事をして、自分の手の中にあるアンズィルの瞳を見た。アンズィルの瞳には、黒い線がゆっくりと漂っている。


『それは取り上げておきなよ。記憶に戻らないように』


(確かに……そうした方がいいな)


「お疲れになったでしょう。一度休みましょう」


 カッツォはドレに手のひらを向ける。「ああ」と返事をして、特に気にした様子もなくカッツォの手の上にアンズィルの瞳を置いた。しかし、離そうとする寸前で手を止めた。


「待ってくれ……そうだ。ソラミルに話さないといけないことが……。大変なことが起こるんだ、オーネット……ケンシーが……そうだ、本物の箱を探さなくては……!」


 ドレの手がアンズィルの瞳を強く握り込む。カッツォは宥めるように、もう片方の手をハンドレッドの手の上に重ねた。


「落ち着いてください、ハンドレッド様」


 ドレの手から力が抜け、開くのを待つ。アンズィルの瞳の重みがカッツォの手に乗ると、そっとドレの手を離した。カッツォはほっと息を吐き、アンズィルの瞳をポケットにしまった。


「順番に話していただけますか」


 すると、ドレは今までに見た記憶の意味を、順立ててソラミルに説明した。おかげでカッツォにも、狼王の箱事件に関わった人々がそれぞれ何をしたのかがわかった。ドレは、ケンシーが危険だということを必死にソラミルに訴えた。


(ドレは昨日、ずっと考えて……。あれが起こる前に止められなかったことを、悔やんでるのか……)


「わかるだろう? ソラミルなら、それが起こると……だから……」


「……」


 ソラミルがそれを聞いてどう返すか。

 しかし、カッツォ自身のドレを憐れむ気持ちが先に立ってしまう。


(なにか言ってやらなきゃ)


 ドレを助けられるような言葉を考え、言いかけては留まる。「わかりました、気をつけます」。「勉強を頑張りましたね」。「身を案じていただいて、ありがとうございます」。どの言葉も普通に言いそうなのに、ソラミルではない気がする。薄っぺらくて、商人の適当な相槌のようだ。


(ソラミルさんって、もっと頭が良くて、難しいことを言うんだよな……)

 

 ソラミルの言葉は、ドレに優しいだけじゃない。ドレを大事にしているが、ウィルマートンのように従順じゃない。

 塔から出られない王子に勉強しろと言い、母親を失った子どもに感情を抑えろと言う。


(ドレを動かす言葉……)


 考えているうちに、ふと思い浮かび――そのまま、口から滑り出た。


「そこまで調べるのは大変だったでしょう。たくさん勉強しましたね。では、ハンドレッド様は……本物の箱が、どこにあると思いますか?」


「え……」


「物事を変えるには、そこまで辿り着かなければなりません」


 これはとてもソラミルらしいと、言いながら思った。

 ドレが泣きそうな、困ったような顔をする。その顔を見て、つい言葉を継いだ。


「一緒に考えましょう」


「一緒に……?」


 ドレが呟く。

 少し間を置いて、ドレは笑った。

   

「……また、約束を増やすのか?」


「約束?」


(ソラミルさんとの約束を果たしたいってだけがドレの願いなのに、勝手に変えたり、増やしたりしていいもんじゃないよな……)


「約束ではありません。今日、これからすることですよ」


 ドレの目が瞬く。

 そして、不安そうに、カッツォを見上げた。


「今日……これから……」


 何かがずれてきているような気がする。ソラミルのふりができていないとは思わないのに、少しずつ、変わっていっている。

 

「……ソラミルに話したいことが、もう一つある」


「なんですか?」


「私を助けてくれる……一緒に、勉強をしてくれると言う人がいるんだ。ソラミルに、会わせたい……」


 ドレの目から、涙がこぼれ落ちる。


「会わせたかったんだ……」



▪︎



「約束ではありません。今日、これからすることですよ」

 

 ハンドレッドは目を瞬かせた。

 約束ではないなんて、珍しい。本当に二十を越えさせるつもりかのように、事あらば約束を増やしていたのに。


(今日……? 今日というのは、いつのことだったか……)


 軽く、頭が眩む。

 ここへ来たのはいつだったか。塔を出たのは、いつだったか。


 ソラミルを見上げる。


「今日、これから……」


 そんなことを聞くのは初めてだった。ソラミルもダリウスも、昔の出来事の話ばかりする。そうでなければ、「いつか」。


 いや――初めてじゃない。今日は何をするか。どこへ行き、何を食べ、どこで寝るのか。そんな話をする人がいる。

 一瞬、ハンドレッドは目の前にその人がいると思った。――よく見れば、ソラミルだ。

 

「……ソラミルに話したいことが、もう一つある」

 

 ごちゃごちゃして埃っぽい人混み。転んだハンドレッドを立ち上がらせる、薄汚れた服、馬の尻尾のような髪。朧げに、その姿が浮かんでくる。

 馬車に乗せてくれた。オーネットへ行くのを手伝ってくれた。優しくて、気安くて、ソラミルが世界で一番いい人だと言った。

 

「私を助けてくれる……一緒に、勉強してくれると言う人がいるんだ。ソラミルに、会わせたい……」


 きっと喜ぶのに――その願いは、どうやっても叶わない。

 オーネットへ行っても待っているのは、すべてが崩れて土塊となった、真っ黒な地面だけだ。

 

「会わせたかったんだ……」


 目の前にいるのは、ソラミルではなく、カッツォだ。

 ハンドレッドの目から、涙がこぼれ落ちた。


 

 調理場の戸口の前で、シュロはくたびれたように、大きな欠伸をした。 

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