16 開かれた部屋
ソラミルの代わりなんてとても務まらない。でも、そうした方がいいなら、やっててもいい。もっと上手くやれるよう、頑張ってもいい。
(でも、俺とソラミルさんを会わせたい……それはどうやっても、無理だ……)
「ハンドレッド様……」
呼びかけたものの、その先が続かなかった。
ドレは俯いたままだった。
「……ありがとう、カッツォ。……もういい……」
「! 俺に見えてるのか?」
すると、ドレは少し顔を上げた。カッツォを見つめ、唇を震わせる。
「すまない。私はまた……」
「いや、謝るのは俺だよ」
張り詰めていた力が抜ける。安心はしたものの、同時に気まずくもある。
だが、カッツォの言葉は遮られた。
「ソラミルとの約束は……たくさんあったんだ。勉強すること、いつか私から会いに行くこと、……お茶がある時は座っていること。……友人を、作ること」
ドレの声が涙で途切れる。
「君に、そうなってもらいたいと思っているんだ。だから、ソラミルに会わせたかったんだ。……なのに、また迷惑をかけて、嫌な役までさせてしまった。きっとそれは、友人ではない。私が未熟で弱いから……だから、君が謝る必要はない」
「そんな……俺に気を遣ったりしてる場合じゃないだろ……」
(カルラ王妃、グライス領……。まだドレは知らないけど、知ったって辛いだけのことがたくさんあるのに……。ソラミルさんはきっとそれをわかってたんだ。でも、ドレがいつも何かをしようと思えるように……)
約束は、そのためにあるのかもしれない。それなら友人を作るというのも、ソラミルは同じ思いで言ったのだろう。
(いや、俺みたいな庶民が、何考えてんだよ)
一度だけ、いつもの癖で頭を掻いた。
ソラミルなら自分になんと言ったのか。ドレにかける言葉なら思いつくのに、自分のことになると全く想像もつかない。
「俺でいいのかなあ……。けど、ドレもなんか色々考えて、まだ友人じゃないって思うんだろ。だからまあ……見習いだよな」
「見習い?」
「そうだよ。なんだって最初は見習いだ。俺はどんな人を友人って呼ぶのか知らないし、王子と友人になっていいのかもわからない。ドレはソラミルさんと友人だから、俺よりは詳しいと思うけど」
ドレはしばらく呆然としていた。やがて、少し可笑しそうに息を漏らす。
「……なら、友人の見習いは私だ。カッツォは、見習いの見習いだな」
「はは、そうだな。それでいいよ。じゃあ俺が金の使い方を教えて、ドレは友人のやり方を教えるってことだ。一緒に勉強するって言ったし、ちょうどいいな」
「友人にやり方など……」
しかし、ドレは言葉を飲み込んだ。
「……私が教えていると知ったら、ソラミルも驚く」
梯子を降りた部屋は明るく、窓から差し込む光に目が眩む。
「大丈夫か?」
降りて来たドレは、調子が悪そうだ。しばらく梯子に掴まって動かなかった。
「……母上は、ここから落ちそうになったことがあるらしい」
「落ち……」
思わず口を噤み、屋根に乗っている小部屋を見上げる。
「ウィルマートンさんは、なんでそんな話……」
「きっと、生きていた母上の笑い話なんだ。……ウィルマートンの話もちゃんと聞いてやろうと思う。今まで、母上の話ができる相手がいなかったのかもしれない。でも……今は、時間がないから……」
ドレは梯子にもたれかかったまま、ずるずるとしゃがみ込んだ。
「ドレ?」
「……平気だ。なんだか、目が回って」
「それは平気って言わないよ。ほら、掴まりな」
カッツォはドレの前に背中を向けてしゃがむ。
「……?」
ドレの腕を取り、自分の肩に回させる。ずり落ちないよう片手で支え、もう片方の手を膝裏に入れて立ち上がった。
「コーレリアさんか、ウィルマートンさんに診てもらうか……ミザリーに治してもらおう。シュロに聞いた方がいいのかな……」
前にもドレを担いだことがあったが、自分の背が高くなった分、背負うのが楽だ。
研究所を出て食堂へ向かうと、ミザリーとコーレリアが、ウィルマートンと共に朝食を終えたところだった。
「あ、ドレ君! どうしたの?」
入った途端、二人に気付いたミザリーが立ち上がり、ドレに駆け寄った。イヴェットとシュロはいなかった。
ミザリーがドレの肩に触れる。少しすると、ドレがもぞもぞと動いた。カッツォが手を離すと、背中から降りてそっぽを向いた。
「……礼を言う」
「ふふ、変なの。ありがとうって言えば良いのに」
「そっちだってそう言わずに、どういたしましてと言えばいいだろう」
「そうだね。どういたしまして!」
「……」
「ドレも、ありがとうって言わないとな」
「えっ?」
ドレはとても驚いた様子でカッツォを見た。
「あ……ありがとう」
葉擦れのような小声でドレが言うと、ミザリーは嬉しそうに微笑む。
「二人とも、朝食を食べないとね! パンがあるよ。ボクが焼いたんだ」
ミザリーに手を引かれ、カッツォとドレはテーブルの席に着く。
「どうぞこちらでお待ちください、お食事を持って参りますので」
ウィルマートンは席を立ち、一度食堂を出て行った。
「ちゃんと食べてなかったから、お腹が空いちゃったんだよ」
「なんだ。空腹だったというだけのことか」
「大事なことだよ、ドレ。人間、食べなきゃ死ぬんだからな」
本当にそうなるところだったのだから、冗談では済まない。カッツォの真剣な表情に、ドレは少し怯む。
「わ、わかった」
「なんだか本当に、兄弟のようですね」
二人の様子を見ていたコーレリアが、不思議がりつつ微笑む。「ね!」とミザリーが言った。
「兄弟?」
カッツォとドレは顔を見合わせると、二人して腕を組み、顔をしかめた。
「どうしたの?」
「さすがに、王子と兄弟にはなれないよ」
「兄弟に関する約束は、なかったな……」
否定する声が同時に揃う。
「背が違うからか? 俺が歳上だから?」
「それならソラミルだってそうだ。だが、友人だと言った」
「ソラミルさんが?」
「ああ。初めて塔に来た時に、僕はあなたの友人ですと」
「六年前だろ? よく覚えてるなあ、ドレ」
「……さっき、記憶を見たばかりだ」
「ああ、そうか。ごめん」
話し合う二人を見ていたミザリーが、嬉しそうに両手を合わせた。
「わかった。二人は友達になったんだね」
するとドレも嬉しそうに、少し意地の悪い顔をする。
「ミザリーにも本当のことが見抜けない時があるんだな。私たちがなったものは、友人の見習いだ」
「見習い?」
「なるほど、それも南オルミス独自の風習の一つですね。友人の見習い……おそらく王貴族側の文化でしょう。これも、秘密を共有する何某かの合図……」
コーレリアが大真面目に考えているので、カッツォは苦笑いした。その横で「ふ」とドレが小さく笑う。
「……秘密を共有というのは、当たっているな」
ウィルマートンが食事を運ぶ荷台を押して戻ってくる。どこにでもこの荷台はあるんだなあと、カッツォは感心した。
木のボウルには、マワリとウンドキの根のスープ。籠には赤い実を乗せて焼いた平パンが入っている。
「それでね、ウィルマートンさんは本物の箱を探したことがあるんだって」
「ええ。十八年前、オーネット家の要請でアルストルの学者と協力し、狼王の箱捜索に参加しました。発見することは叶いませんでしたが……」
「オーネット家が、箱を探していたのか?」
ドレが大きな声を上げる。
「先先代の当主エディメル様の遺言とのことでした。クローレア様がようやく亡くなり、当時は両国が協力できる状態でもあったので」
「クローレアって人は、エディメルさんの母親ですよね? そんなに最近まで生きてたんですか?」
「そうですね、亡くなられたのは三十年ほど前で、百十……何歳でしたか。ちょうど、カルラ様が王妃になられるという頃でした。やったわ! これで調査ができるわね、ウィル! と……。ああ、これはさすがにカルラ様への誤解を招いてしまいそうですね。なぜこのように仰られたかというと、クローレア様が生きている間は、“狼王の箱事件”を調べることはオーネット家に禁じられていたのです」
「そうなんだ。だからレイドンも見つけられなかったのかな?」
「はい。【精霊学】にも、レイドンが配慮して内容を削ったと見られる箇所がございます。彼はオーネット家の養子ですから、逆らって本物を探すというわけにはいかなかったでしょうね」
「そうだったのか……」
ドレは落ち込んでいるようだった。
「探せる場所はすべて探しました。南オルミスの各地、オーネット、ファムリアの地方まで。北オルミスの協力もありましたが、見つかりませんでした」
「北オルミスにあるかもしれないんですか?」
もしそうなら、絶対に間に合わない。
「クローレア様のお兄様が北オルミスでご結婚されていたので、そちらに運ばれたとも推察されるのです。ですが、本気で隠すなら、本筋であるサキタリ家や所有の島々……そう考えると、途方もありません」
「そうですよね。港も所有がありますし、海を越えるのも容易い……」
コーレリアが頷く横で、カッツォはふと気が付いた。
(……あれ? でも、箱はクローレアさんが隠したんじゃないんだよな……)
偽物の箱の記憶では、鉱夫のような手をした初老の男に任せると言っていたはずだ。
ウィルマートンはその男が隠したということを知らないようだった。なら、今ここで言うわけにはいかない。
カッツォは、ドレがちゃんと十分な量を食べ終わるまで、隣で見張っていた。
朝食を食べ終わると、ウィルマートンが皿を片付け、食堂を出て行った。荷台の音が聞こえなくなると、カッツォは小声で言った。
「……あのさ、本物の箱は、そんなたいそうな場所に隠されてないんじゃないかと思うんだ。箱を隠す場所を決めたのって、確か使用人だろ?」
「そうか、あの男……ガルシオという庭師だったな」
「庭師?」
「手記に書かれていた。だが、隠せる場所が高が知れているというのなら、それこそ十八年前に見つかっていてもおかしくないのに……」
「庭師でしたら、土に埋めることもできるでしょうし、その上に何かを植えてしまうことだってできますよ」
「じゃあ、オーネットのどこかに?」
何かを植えた、と聞いて思い浮かんだのは、ストラヴィルの瞳にも映るあの青い花畑だ。
「ねえ、箱を探した話って、ソラミル君は知ってたのかな?」
「そんな話は聞いたことがないが……」
ドレは俯き、ミザリーに視線を向ける。
「……ソラミルも、私にすべてを話すわけではないからな」
食堂が、しんと静かになる。
カッツォは一つ思いついたことがあったが、それを言っていいか悩んだ。
「……記憶を見てみれば……」
ドレがポツリと言い、不安そうな眼差しを向ける。
考えていたことは同じだ。
「何の記憶を見るの?」
「私が持っている、ソラミルの記憶だ」
「それなら、関係あることを話したことがあるかわかるね。やってみようよ!」
「私も記憶というものを見てみたいのですが、いいですか?」
「みんなで見るなら大丈夫だろ。やってみよう、ドレ」
みんなで記憶を見て、ぼんやりしているところを見られるのはまずい。借りている客室の、カッツォの部屋に移動した。
ポケットからアンズィルの瞳を取り出す。コーレリアが緊張した面持ちで、じぃっと瞳を覗き込む。
「ソラミルが箱の在処に関係する話をしていた記憶があるなら、それを見せてくれ」
⚫︎
塔の中の、ドレの部屋だ。
机に置いた古そうな本。ぱりぱりと音を立てて頁をめくる子どもの手が見える。
「何を読んでいらっしゃるのですか?」
「古い本だ。上の部屋にあった」
「何が書かれているんですか?」
「ファムリアがいかに南オルミスを軽んじているかということだ」
怪訝そうなソラミルの顔が近付き、本を覗き込む。
「……建国時代の記録ですね。とても価値がある資料ですよ」
頷き揺れた視界は、再び本に向く。
「ビネリ様の妻が、子を堕ろしては……これはどういう意味だ?」
「……子どもが生まれる前に、精霊に捧げてしまうことです」
「南の大崖に捨てている。ルミール王妃はそれを知り名付けた。これは?」
「“咎捨谷”ですが……こんな悍ましい出来事が由来だったのですね」
「谷底には、見つけてはならない物がたくさん落ちているそうですよ。怖いですねぇ」
ダリウスが、こちらに向かって脅かすように目を見張った。ドレが、鬱陶しそうに手を払う。
「見つけてはならない物……」
「ソラミル?」
「いえ……。今、僕はみんなが探している物の場所がわかったかもしれません」
「探し物をされているんですか?」
「ええ、僕の家族が。ですが、探しようがないということもわかってしまいましたね……」
⚫︎
景色が遠ざかり、いつものように戻ってくる。ドレが目を瞬き、ふう、と息を吐く。
「大丈夫か?」
「……戻ることばかり考えて、落ち着かなかった」
ドレは寂しそうに笑う。
「すごいですね。まるで、私もあの場にいたかのようです」
コーレリアはまだ呆然としている。
「ソラミル君ってこういう人だったんだね。ボクも会ってみたかったな」
「そうですね……」
「でも、ソラミル君がわかったこと、ボクにもわかったよ」
ミザリーはそう言って胸を張り、カッツォも頷いた。
「まさか、隠したんじゃなくて捨てただなんて、思わないよなあ」
「……咎捨谷か……。本当に、そんな場所に……?」
ドレはアンズィルの瞳に問いかけるように呟いた。




