14 シェラーゼの酒
ドレをラナリア観測施設に送った後、ウィルマートンはカッツォたちを客舎棟の二階に案内した。並んでいる小部屋のうち、三つの部屋の扉が開いている。町民の人たちが掃除をしてくれたらしい。
石壁の部屋に、木の寝台と長机が置かれている。
床は大きさの揃った板がきっちりと並んでいて、隙間が白い目地で埋められている。平らで、歩くと乾いた音がする。
ベッドに転がり、欠伸をする。ベッドも柔らかすぎないし、部屋の大きさは安宿くらいで落ち着ける。
「……」
(一人になるのは久しぶりだな……)
ドレに会ってからはずっと一緒にいたので、話し相手がいないのが久しぶりだ。
(ドレは、昔に起きたことがどれくらいわかったんだろう……)
イグニーズは精霊の箱を使って、身分以上のことをしようとした。でも、クローレアが一枚上手だったために、失敗に終わった。
(あんな偽物が作れるくらい、昔は銀があったんだなあ……ん? 違うか。クローレアはオーネットの人なんだから、きっとファムリアから持ってきたんだ。……兵士崩れの連中に知られてなくて良かったなあ、この町にあんな銀だらけの箱があるなんて……)
レイドンがイグニーズを助けに行ったとして、それより、壊された偽物の箱を回収するほうがもっと大変だっただろう。もしその場で銀が全部剥がされていたら、ただの木箱になっていたところだった。
(レイドンやウィルマートンさんたちが守ってきたから、記憶が見れたんだよな。学者ってのは、偉い仕事だなあ……)
(学者……)
(そういや、ドレとソラミルさんの約束って、箱やレイドンのことじゃなくて……勉強して、ドレのせいでカルラ王妃が死んだのかどうかわかること、だったよな)
「……それって、王妃を知ってるウィルマートンさんに聞いておいた方がいいんじゃないのか?」
部屋に響く自分の声を聞き、勢いよく体を起こす。タランもいないんじゃ、本当にただの独り言だ。
(コーレリアさんも、カルラ王妃は病気だと聞いたって言ってた。王妃が死んでしまうような病気って何だろう……)
(……壁の中の人も病気になって、治らないまま死ぬなんて……信じられないな……)
いい服を着て、いいものを食べ、医者がいる。壁の中というのは、そういうところだと思っていた。そうじゃなきゃ、そういうところじゃなきゃ意味がないのに――。
「……」
(違う、そっちじゃない。考えるのは……)
机に置いた細い革紐を取り、下ろしていた髪を括る。
ドレは王妃の話を聞きたくなさそうだった。その気持ちは、カッツォにもなんとなくわかる。物心つく前に死んでいた両親のことを、今さら知りたいかというと、そんなことはない。いないものとして生きてきたのに、突然現れても困る。
「手を動かせ! 父親に似て口ばかり回りやがって……」
「可哀想に……。あなたたちを育てるのに苦労して、病気になったのだから……」
カッツォが両親について知っているのは、これだけだ。
(……俺とドレって、同じようなところもあるんだな)
カッツォは立ち上がり、部屋の外へ出た。ランタンの灯が、廊下の硝子窓にぼやけて映る。
(迷わないようにしないと……ウィルマートンさんはどこにいるんだろう)
すると、二つ隣の扉が開く。
「わっ……コーレリアさん」
「カッツォ。何かありましたか?」
「ちょっと、ウィルマートンさんに聞きたいことがあって……。あ、そっか。コーレリアさんも、話がしたいって言ってましたよね」
「ええ。では、一緒に行きますか? ミザリーはシュロたちといるので、大丈夫でしょう。シュロの声はどこにいても聞こえますので」
「いいんですか? 邪魔になるなら……」
「大丈夫ですよ」
コーレリアは、ウィルマートンと食堂で待ち合わせていたらしい。部屋の外で会って良かった。勝手に探し回って先に話をしていたら、気まずかっただろう。
食堂の一角がランタンの灯に照らされている。ウィルマートンはわざわざ立ち上がり、テーブルの反対側に回り込んで二人のために椅子を引いた。
「お部屋はいかがですか?」
「とても落ち着きます。思案するのに良い部屋ですね」
「そうでしょうとも。客舎の造りはカルラ様が大変こだわって作られたのです」
「あの床って、何で出来てるんですか?」
「あれはタイルです。粘土を焼き固め、色を乗せたものです。北オルミスの建造物によく使われています」
「へえ……北オルミスですか……」
ファムリア以上に遠い世界の話で、カッツォは唖然としてしまう。
「出来ることならもう一度、北オルミスの地を踏みたいですね。私たちの原点である北大陸……価値観が変わります。カルラ様は毎年、記念祭に出向かれました。王妃の仕事で一番好きだわと仰って。なんだ、そのために俺と結婚したのか? 嫌だわ、そんな意地悪を言って。と、そんなお二人にサリウス様が苦笑い……」
珍しく、ウィルマートンの言葉が詰まる。
「サリウス様?」
「……陛下の近衛隊長であった方です」
ウィルマートンはよそよそしく答えた。先程の思い出の中にいる人物にしては、あまり口に出したくないかのようだ。
「カルラ王妃とレニサロス陛下……。お二人は……本当に仲睦まじいご夫婦だったのですね」
「私の思い出の中では、ですけれどね。……コーレリア様、カッツォ様。お酒を飲まれますか? 上等な、シェラーゼの湖の水で作られたものです」
カッツォは驚いた。
商人をやるなら覚えておけと、商売の師匠であるコルツに教わった“合言葉” だ。たまに聞くことがあるが、ウィルマートンがそれを使うとは意外だった。
シェラーゼの湖の水は咎捨谷に流れ落ちる。だからこれは、ここだけの秘密の話――噂話をしたり、誰かの悪口を言う時の合図だ。
「せっかくですが……」
コーレリアが南オルミス人の風習を知らないのは当たり前だ。護衛騎士が任務中に酒を飲むわけにはいかないと、普通に答えただけだろう。
だが、コーレリアが聞きたい話は、きっとこの先にあるはずだ。”上等な酒”は、王族や貴族に関わる話という意味だ。
「それはありがたい」
代わりに合言葉に応じると、コーレリアが驚いたようにカッツォを見た。
「ぜひ飲み交わしましょう」
「喉の滑りを良くする程度に」
ウィルマートンがカッツォとコーレリアを見て順に頷く。
「あなた方……ハンドレッド殿下はどこまでご存じでしょうか。十年前、カルラ様が亡くなられたことについて」
「ご病気とうかがっておりますが……」
コーレリアが答える。
カッツォは悩んだ。だが、今ここで聞かなければ、カッツォがこんなことを聞ける機会は二度とないだろう。
「病気のせいで、塔から落ちて亡くなった……そう言ってました」
思い切って答えると、コーレリアがカッツォの方を向き、眉をひそめた。
ウィルマートンは重く息を吐く。
「幼い殿下にそこまでしか伝えられていないのは、レニサロス王の最後の良心ですね」
「……違うってことですか?」
「カルラ様は……ご自身でお命を絶たれたと。グライス家には、そう伝えられたそうです」
カッツォは思わずウィルマートンを見返した。
「自……そん……え、なんで、ですか?」
「さあ……私には、とても信じられません。あの方は、……歳を取ったって生気を捧げたりするもんですか。と、仰っていたぐらいですのに……」
ウィルマートンは喉をつまらせる。
「私はその頃カルラ様と、五年ほどお会いしていませんでした。カルラ様がウィストリアにいらっしゃらないので、きっと他でお忙しいのだと、ここは私に任されているのだと張り切っていたのです。しかし、ご出産とご病気のお噂が聞こえてきました。お祝いを認めた手紙のお返事には、ハンドレッド様と静かに過ごされていると、そう書かれておりましたのに……」
「……それで、ウィルマートンさんはドレのこと、すぐに気付いたんですね。いるってことをちゃんと知ってたから……」
「あんなにそっくりなお顔立ちとは知りませんでしたが。……そっくり同じというのは、カルラ様のご幼少の頃にです。グライス領の者でなければ、一目でわかるということはないでしょう。……殿下が王子という身分を隠しておられても、ご心配いりません」
「では……グライス領の、謀叛と言われている事件は……王妃の亡くなられ方と関係があったのですか?」
コーレリアが聞きにくそうにしながらも、話を切り出した。どうしても、今その話を聞いておかなければならないとでも言うように。
(むほん……?)
「……」
ウィルマートンの表情が冷たく固まり、空気が張り詰めた。
コーレリアが聞いたことがわからなかったが、質問など、とてもできそうにない。
(……待てよ、聞いたことはある……悪いことだったはずだ。確か、シェラーゼの酒……)
合言葉を教わった時――まだ商人見習いを始めたばかりの頃の話だ。そういうことを話していた。「むほんって?」と聞いたカッツォに、コルツは答えた。
「王家に楯突くこと……反乱さ」。
(反乱……そうか、グライス領って、西にあった通貨の……!)
通貨の流通が乱れたのは、西で起きた反乱が原因だ。
大人たちがよく嘆く。通貨鋳造を担っていた一族が反乱を起こしたために、今までの市場が崩れ、庶民に通貨が回らないような世の中になった、と。
(でも、カルラ王妃の出身はグライス領って、おかしいだろ。だって、それじゃ……)
それは同時に、アルフレッド王子が英雄と呼ばれるようになった事件のはずだ。
「……私はここにおりましたため、関与しておりません。ですから、ここにいるのです。学者仲間が私の潔白と研究所の必要性を訴えてくれたおかげで。ですから……多くの者が粛清されたという報せにも。レニサロス王の命で兵士が大学を壊しても……ただ、見ているだけ……」
ウィルマートンの体が屈み、声が低く震え出す。
しかし、やがて大きく息を吸った。
「ハンドレッド殿下が訪ねてきてくださり、こんなに嬉しいことはありません。殿下ならば、カルラ様のご意志を継いでくださる……そう確信しております」
背筋を伸ばし、柔らかい物言いに戻る。
「それは……」
そんなことを言われたらドレが怒ってしまうような気がして、カッツォはウィルマートンを止めなければならないと思った。しかし、コーレリアが先に尋ねる。
「殿下がカルラ王妃によく似ていらっしゃるからですか?」
するとウィルマートンは、二人に向かって微笑んだ。
「いいえ。ご同行の皆様を拝見しての愚考にございます」
朝、カッツォが部屋を出ると、下から賑やかな声がした。町民たちが来て、朝食の準備をしているようだ。
「カッツォ君、おはよう!」
ミザリーは町民に混ざって食料を運んでいる。
「おはよう、ミザリー。手伝うのかい?」
「うん。レフィルにパンの焼き方を教えてもらうんだよ。イヴェットもシュロが食べられるパンを作るって」
「イヴェットも? でも他の人には見えないんだろ」
「認識されなくなる魔法って、見えてはいるんだって。イヴェットとシュロがいるのを当たり前にしてるって言ってたよ」
「馬車に積むパンも作るね」と、ミザリーは調理場に向かった。
厩舎に行くと、コーレリアがペルシュとタランに乾草を食べさせている。
「三日経っても手がかりが見つからなければ、戻るしかありませんね」
「でも、戻ってどうするんですか?」
「ミザリーはそんなに心配していませんでしたよ。ここで出来ることをすれば良いと言っていました。ケンシーとストラヴィルのことはわかったそうなので、何とかできるのかもしれません。箱探しと訓練を続けましょう。何かわかれば移動するかもしれませんから、先に訓練をしましょうか」
コーレリアが教えてくれているのは、野盗に襲われた時の逃げ方だ。深傷を負わずに、一撃目をかわす。それが出来たら、全力で逃げる。
「自分から戦おうとはしないでくださいね。十日足らずの訓練では、戦い方を身に付けるところまではいきません。生き延びる確率を上げるための訓練です」
それなら自分にも必要だと、素直に受けられる。
(訓練の時間があると、一回考えるのを忘れられて助かるな……)
コーレリアと別れ、井戸で服を洗っていると、体を動かしている時には忘れていた考え事が戻ってくる。
昨日聞いた話をどうしたらいいのか、カッツォは困っていた。ドレのためにと聞いたけれど、とても話せるようなことじゃない。急に話が大きくなりすぎて、何がどう繋がっているのかわからなくなってきた。
(そういや、ドレはどこにいるんだろう?)
もしかしたら、もう本物の箱について調べているかもしれない。真面目に探していないみたいで悪いことをしたなと思いつつ、研究所へ向かった。
扉は鍵が開いている。中に入ったが、ドレはいなかった。
(ウィルマートンさんも見てないんだよな……)
別の場所を探そうと玄関の方へ戻ると、二階の方から微かに声が聞こえた。階段を上がって廊下に出る。最奥の部屋に、ウィルマートンが立っている。
「どうしたんですか?」
上を見上げて動かないウィルマートンに声をかけた。
「カッツォ様。殿下が……」
「カッツォ? 少し待っていてください」
上からコーレリアの声がしたかと思うと、足が下へ伸びてくる。
「ウィルマートン様が仰る通り、体に異常はありません。そうですね、おそらくは、いつもの……殿下はとても寝起きが悪いので、起こすのには大変な苦労がいるんです。カッツォに様子を見てもらいましょう。慣れていますので」
コーレリアがカッツォに目配せをする。
(ドレはまだ起きてない?)
カッツォは梯子に手をかける。
「殿下から頼まれていたことがあるのですが、ご教示いただけますか? 箱についてなのですが……」
コーレリアは、ウィルマートンを部屋から連れ出そうとしているようだった。しかしその言葉はまるで、自分が箱を探しておくから、とカッツォに言っているように聞こえる。
カッツォは急いで梯子を上がった。




