13 真相と日常の記憶
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また、暗い部屋だ。
さっきの記憶の部屋とは窓が違う。どこか別の屋敷のようだ。
人影が二つある。月明かりの差し込む場所だけが見える。
机の上に、鈍い銀色の箱が置かれている。
「触れて箱が開かないかしら」
女性が箱を見下ろしている。
少し離れた場所で、もう一人が床に置いた荷物を包む布を解いている。
「開けるのに必要なものは、愛だなんて……誰が、いつ、開けてしまうかわかったものではないわね」
「もし開いたって、閉じれば済む話です」
年老いた男は箱を布で覆い、抱え上げた。
代わりに、そっくりな箱を同じ位置に置く。
「本当にそっくり同じね。グライスにお礼を言わないと。なのに金貨より、子どもをファムリアで勉強させたいだなんて……」
「何か、ご不満なんで?」
「いいえ。私の願いを叶えると決めたのよ。誰を騙すことになっても……」
「騙す? クローレア様の願いで平和が続くんですから、良いことづくめですよ」
箱の向きを整える。爪の奥には、黒ずみが残っている。
「ガルシオ、任せて良いのかしら?」
「大丈夫です。ちゃんと、永久に見つからない場所に隠しますから」
「ああ……本当に、あなたには本当に感謝してるのに……ごめんなさい、ケンシー……セレニア……」
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背中を強く引かれ、意識が暗い部屋を離れた。
「今度はうまくいったね!」
「今ので何かわかったかい? あの二人は、誰なんだろう」
「クローレアは当時のオーネット領主だ。つまり、エディメルを騙したのは……母親だったということだな」
「でも本物の手がかりはなかったね」
「クローレアの遺物など……オーネット家がない以上、見当がつかないな」
「ファムリアか南オルミスかもわからないんじゃなあ……」
三人が黙ると、コーレリアとウィルマートンの会話が耳に入ってきた。
「他所から訪れる学者を泊めるための部屋がございます。夕食もご用意できるかと」
ハンドレッドたちがアンズィルの瞳を見ている間に、一泊する話がまとまったらしい。ハンドレッドはアンズィルの瞳を鞄にしまいこんだ。
「ウィルマートン様の他に、どなたかいらっしゃるんですか?」
「いえ。ですが、ウィストリアに残っている町民は、ウィステン屋敷時代の使用人の家系です。レイドンの時代も用立てていましたし、カルラ様も研究所で雇われるおつもりでした。殿下とご同行者様方のご宿泊となれば、手伝う者がおりましょう」
「そのことですが……」
「……私が第三王子だということは、他の者には言わないでほしい。私がここに来たことも」
ハンドレッドが話に割り入ると、ウィルマートンがわずかに目を細めた。
「……やはり、十四年もお姿をお見せにならなかったことには、何か理由があったのですね」
「理由なんて……そんなものがあるのかさえ、私にはわからない」
「……承知いたしました、殿下。ご命令とあらば」
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「何年振りに来ただろうねえ」
「あたしは何十年振りさ」
町の人々は退屈を感じていたらしい。食材を乗せた荷車を引き、大勢が研究所にやって来た。町で世話になった男と、平パン屋のレフィルもいた。
カッツォはコーレリアに呼ばれ、予定通りに剣の訓練を受けている。
「ナイフでも、うまくやれば止められます。例えばこうして……」
コーレリアは鞘付きのままの短剣を、カッツォに向かって突き出した。
「滑らせるように……」
わからないなりに、真剣にコーレリアの話を聞く。
だが、井戸に水を汲みに来た町民に訓練を見られているのは、少し恥ずかしい。
「お医者様が剣の稽古をなさるのかね?」
「どのように怪我をするかということを知っていると、治療をしやすいのです」
話が聞こえ、コーレリアはもっともらしいことを言う。
「はあ……偉いもんだねえ」
「三人いっぺんにのしちまうんだから、大したもんだよ」
男は自慢げに言った。
訓練の後、客舎の食堂に向かうと、既に食事が用意されていた。
川魚の香草焼きに、野菜のスープ。一人分ずつ皿に乗せて用意されている。なので、認識されない魔法を使っているイヴェットとシュロの分がなかった。ミザリーがたくさん食べるからと、量を増やしてもらった。
「ウィルマートンさんは?」
「先生は、町の人と喧嘩してたよ」
シュロと研究所中を探検していたイヴェットが教えてくれた。
「喧嘩?」
「もっといい料理を出せないのかって。町の人は、そんな料理見たこともないって」
「はは。まさか王子や王女が食べてるなんて、みんな思ってないだろうしなあ」
「おいしいよって、言ってこようか」
ミザリーの提案にコーレリアが頷く。
「そうですね。朝食もいただけるそうですから。ウィルマートン殿には、私がお伝えしておきましょう」
「コーレリアが?」
「彼には、話をもっとうかがいたいので。それを口実に話しかけてみることにします」
「ウィルマートンさんの話って……」
ほぼすべてが、カルラ王妃の話だ。コーレリアが視線を向けたので、カッツォも横に座っているドレを見る。皿の料理がほとんど減っていない。
「何か手伝おうか?」
声をかけると、ドレがハッと顔を上げる。
「いや……。考え事をしていて……」
浮かない顔を見て、
「ねえ、ドレ君。さっき、ウィルマートンさんに、ラナリア観測施設を見せてもらったんだ」
「ああ、そんなものがあると言っていたな」
「レイドンはそこで考え事を書いたんだって。そこで寝てもいいって言ってたよ。ドレ君も行ってみたら?」
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ハンドレッドは断ろうとしたのに、ミザリーが勝手に「ドレ君も行ってみたいって!」と話した。ウィルマートンも勝手に「カルラ様もこちらでは必ずそこでお休みになられました」と泣いた。
(……考えをまとめたいとは思っていたところだ。カッツォも事件について話すより、ゆっくり休んだ方がいいだろう)
ウィルマートンが持つランタンの小さな灯りで、二階の奥の部屋へと進む。
研究所は、時間が止まったように静かだ。
ウィステンという変わり者の貴族が建てた屋敷。レイドンという研究者が生きた証である、紙束の山。イグニーズもここにいたのかもしれない。
そして、カルラ王妃が遺した痕跡。
母は、やはり自分のせいで死んだのかもしれない。ウィルマートンのおかげでわかったのは、明るくて、気が強くて、学問を大切にした人だということ。――第三王子を産んで病気になるまでは。
奥の部屋の天井に穴を開けて、上に部屋が継ぎ足されている。壁に梯子がかかっていて、それを上っていけと、ウィルマートンが言った。
「お一人で高いところへ行ってはいけません!」
――頭の中で、ダリウスの声がする。
(そう心配しなくても、大丈夫だ。今は、それどころではないから……)
梯子を上がっていく。
「朝はお慌てになりませんように。カルラ様はご自分がそちらで寝たことをお忘れになって、落ちそうになったことがございましたので」
その時の様子を思い出したのか、ウィルマートンが少し笑った。
「……ああ」
梯子を上りながら、ハンドレッドは居た堪れない気持ちになった。
小部屋に上がり込む。座っているか寝ているかくらいしかできない低い斜めの天井に、大きな硝子が嵌め込まれている。歪みの少ない硝子を通して、星空が見える。
丘の上に建つ、二階建ての屋敷の屋根の上。空に近付いた気はしても、それでも到底、届きはしない。
(……本物の箱の、行方か……)
【精霊学】に書かれていたこと。
【レラの手記】、【大嘘つきのイグニーズ】、壊された箱の記憶。それからオーネットで見た、ケンシーの記憶――。
イグニーズが狼王の箱を持ち去ったのは、サンドロス王子に渡すためだった。サンドロスを王にした功績でレラと結婚しようとしたのだろう。
しかし、その箱は夜のうちにクローレアにすり替えられた偽物だった。箱が開かなければ、一人息子が大精霊にならずに済むからだ。
使用人のレラはクローレアの計画に従い、エディメルを騙すのを手伝った。イグニーズを愛してはいなかったらしい。
エディメルは結局、人間の女性と結婚してオーネット家を継いだ。
(後継ぎが必要だから? 家を見返したかったから? 誰かが誰かを少しずつ騙して……全員が、精霊とレイドンを騙した)
だが、イグニーズはレイドンに救われた。エディメルは病が治り、クローレアの願いは叶い、レラは自由になった。
ソラミルは死んだ。
(……なぜ……。わかったところで、結局同じだ。理不尽なだけ……)
そもそも、レイドンが実験などしなければ良かったのだ。イグニーズが狼王の箱などを手に入れなければ。エディメルが精霊を愛さなければこんなことは起きなかった。生まれた時に、病気でなければ。クローレアがその子どもを生かしたいなどと願わなければ――
(……いや、それはだめだ)
それでは、ソラミルが生まれない。
狼王の箱事件が必要だったのなら、問題はそれが起きた後だ。
レイドンは箱がすり替えられたことに気付いていた。なのに、なぜ本物の箱を取り戻そうとしなかったのか。
もし、レイドンが箱を取り戻していれば、精霊を解放していれば。長い時間が経っていなければ、ケンシーがあれほど怒りはしなかったかもしれない。
レイドンでなくてもいい。誰かがそれに気付きさえすれば。
(ウィルマートンも、箱は偽物だったと知っていたのに……どこかに閉じ込められているケンシーがどうなっているか、学者の誰も考えなかったのか?
誰か一人でも、本物の箱について考えていたなら……何のために、学者がいるんだ)
やっぱりこの世界には、英雄などいない。
それなら自分がもっと早く、【精霊学】が理解できていれば良かった。
(それでも……あんなことが起きるなんて、わかるはずがない……。オーネット家にいた精霊の話をずっと調べていたソラミルですら、気付かないのに。……だったら勉強なんかに、何の意味があるんだ……!)
視界が滲み、光がぼやける。
今がある理由を理解したって、起きたことは変えられない。
アンズィルの瞳を取り出し、黒い線が漂っているのを見つめる。
(過去なんか、もう見たくない。これでソラミルを生き返らせる……それだけが私の願いだ)
――瞳が、ハンドレッドを見ていた。
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「そんなところに座っていると、落ちてしまいますよ。ハンドレッド様」
柔らかい日差しの中に、声が聞こえる。
ソラミル!
叫んで駆け寄ろうとするが、体が動かせない。
夢を見ていたんだ。オーネット家にひどいことが起きて。ソラミルがいなくて。ソラミルに会うために、旅をしてる夢だ。
声が出ない。もがいているような感覚はあるのに、まったく思い通りにならない。
「……それが、意外にも大丈夫なんだ」
自分の声が勝手に答える。
やけに高い声だ。
「冗談だ。外を眺めるくらい、許せ」
ソラミルの方へ歩いていく。
……これは、ソラミルが訪ねて来た日の……。
本を渡され、それを読む。読み終わったら、本の内容について話をする。
「戦争派のサンドロス王子を担いでいたのは、今のアンデロス家、ネルサロス家、シェルリオーズ家。ルペッサン系の御三家と、追随する貴族ですね。
友好派のベルトロス王子側は、グライス家、ヴァヘルキン家、トールデン家、ソマリー家……商人、医者、学者などの家系です。なぜこういう派閥になったかわかりますか?」
「交易、技術、知識の発展には、他国との交流が必要だからだろう」
「素晴らしいお答えです」
ソラミルが褒める笑顔。見ていたかったのに、視線がそっぽに移動した。
「……私には関係ないことだ。何家がどうだの……外のことなんて」
「またそんなことを仰って! 王子には必要な教養ですよ」
ダリウスが茶を持ってやってくる。
「誰がどんな思想を持っているか、王子は知っていなければなりません。脈々と続く家系には利権があり、そう派閥を変えないのです。覚えておけば身を守れます」
「そうですね。一見、正しく素晴らしいことでも、それが都合の悪い立場の方がいるものです。地位ある者は、そういった方面とも均衡を保つことが求められます」
――自分は死んでしまったくせに、何をのんびりと言っているんだ。
そんなことより、そのうちオーネットにケンシーが現れるんだ。
逃げろ。
エディメルのひ孫だなどと名乗ってはいけない。
エディメルを愛していたケンシーは、怒りと悲しみでオーネット家を滅ぼすんだ。
勉強したって、何も守れない。
いくら言葉を巡らせても、何も話せないし、伝わらない。
「当主が変わり、急に舵を逆に切る家系も無くはありませんが……」
だったらずっと、過去の記憶の中にいたい。覚えているままの姿で目の前にいて、動き、話すソラミルの姿を見ていたい。
「……ハンドレッド様。南オルミスの状況は刻一刻と変わっています。現在起きていることを理解するためには、物事の知識が必要です。感情に呑まれ、目を背けないでください」
「……」
「四つめの約束です。お勉強をなさること」
「それも約束にするのか? いくつまで増やすつもりなんだ……」
「二十くらいになるかもしれませんね」
「二十?! 私に自由を与えないつもりか?」
「ほら。落ち着かないとお茶がこぼれますよ、五つめの約束は――」
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体が動く。
ぼやけた視界に、アンズィルの瞳が見える。
(……今のは……何の記憶で……)
この部屋にソラミルが関係するものなどない。服もアルストルで着替えたし、他の持ち物はダリウスの部屋にしまわれていたものだ。
(なら……これは私の……)
ハンドレッドは薄く閉じた目に、握りしめたアンズィルの瞳を映した。




