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御囲部屋の子どもたち  作者: たびー
恩の章

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糸穂の章 6

 糸穂は戒めを解かれた手で涙を拭くと、男に顔を向けた。

「落ち着いたか」

 糸穂はうなずいて見せた。やれやれと小さく言ってから、糸穂の背後に目をやった。

「おまえはこっちに戻らんか」

 振り返ると、糸穂の後ろには青年が控えていた。青年は膝の動きなどみせず、釣りあげられるようにして立ち上がると、滑るような動きで元の位置に戻っていった。

「さて、表の連中はおまえが持ち帰った言葉に喜んだか」

 糸穂がうなずくと男は満足そうに顎をなでた。

「これからおまえが海城の主人といってもおかしくない。大人たちが右往左往する。見物だぞ」

 ――この家が良くなるのも悪くなるのも、おまえが握っているのと同じ。

 トキが、話したことを糸穂は思い出した。今まで、ひとりで過ごすことがほとんどだった糸穂には、男が愉快そうに笑う理由がよく分からなかった。

「おまえは、こちらが過ごしやすくなるだろう。どうだ、目が見えるというのは?」

 糸穂は、思わず大きくうなずいてしまった。うなずいてから、トキが、御囲部屋の連中はずる賢いと言っていたのを思い出して体が固くなった。

「そんなにびくつくな」

 妙に優しい声音で男に言われ、糸穂は逆に警戒した。

「おまえは、決まりさえ守れたら、なんの心配もない」

 男は立ち上がると糸穂へじわりと近寄った。立ち上がった男の大きさに糸穂は怯んだ。まるで天井に頭がぶつかるかと思うほどだった。しかし、明かりが浮かんでいる時点で、天井は消えていて果てない闇に、明かりがどこ迄も続いていた。

 腰が抜けて動けない糸穂と男の間に、青年が割り込み、糸穂を背後に回した。

「どけ、新参者!」

 一喝する声はあまりに大きく、空間にこだました。糸穂は耳をふさいだが、皮膚に痺れが走った。

「糸穂をよこせ。猿ぐつわをはずしてやる」

 糸穂は両手で口をふさいだ。猿ぐつわをはずされたなら、きっと騙されて返事をしてしまうだろう。そうしたら、もう帰れなくなる。

 男は鋭い舌打ちをすると、青年につかみかかった。

 糸穂の眼前に、色と香りが奔流のごとく現れた。香りは花の香りだ。だったら、水気のある色とりどりの柔らかな手触りのもの、これは……。

 ――花……。

 見ると青年は握りつぶされた肩口から、大量の花となって崩れていく。

 とっさに伸ばした糸穂の腕は、青年の体を支えた。体は信じがたい軽さだった。

「猿ぐつわ、剥ぎ取ってやる」

 男の声はいよいよ大きくなって耳を聾するほどだ。

 崩れゆく体で、それでも青年は糸穂を守ろうとした。

「邪魔をするな!」

 男がなおも吠え、青年を突き飛ばそうとしたその時だ。糸穂の背後で障子が勢いよく開く音がして何かが飛び出してきた。

「呼んだか」

 くるりと軽やかに一回転して男の背後に着地したのは、真っ白な(かみしも)姿の赤い顔をした背の低い男だった。

「……猿」

 猿と呼ばれた男は若いのか年寄りなのか、わからない風体をしていた。髪は裃と同じく白で、糸穂のように結んでいる。顔は真っ赤で、目が三つある。

 糸穂は思わず自分の顔をさわって確かめた。目はふたつだ。黒の羽織の男の目もふたつ。

「……へんだな、おれの顔が怖くないのか」

 猿と呼ばれた男の顔を、いつまでもまじまじと見つめる糸穂を妙に感じたようだ。

「ああ、こんなにしちゃって。乱暴なのはイヤだな」

 猿は体の半分くらいが花になって崩れた青年を抱き起こした。

「しばらくすれば、元にもどる」

 不機嫌な声で男は答えた。糸穂は青年が亡くなったわけではないと知り、胸を撫で下ろした。

「猿、おまえが来ると調子が狂う」

 そうか、と猿は言うと崩れた青年を支える糸穂に笑いかけた。

「新しい御囲様だな。やっぱり御囲様は女の子がいい」

 羽織の男は、盛大に舌打ちをした。

「かわいい子には、いいことを知らせよう」

 猿は胸元から扇子を取り出し広げると、おどけるように踊って見せた。

「米を買い込むのは程ほどに。廃鉱になった鉄の山をひとつ買いな」

 舞いに見とれていた糸穂の額を、猿はちょんと押した。

 糸穂は御囲部屋から出されていた。

 とたんに視界はぼやけた。

 

 

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