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御囲部屋の子どもたち  作者: たびー
恩の章

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22/31

糸穂の章 5

 糸穂が持ち帰った情報が、日本国内のことでなく欧州での戦争のことだろうと、海城たちは話していた。

 初めて御囲部屋に足を踏み入れてから、十日が過ぎた。糸穂はようやく熱が引けて起き上がった。そうはいっても、またすぐに御囲部屋に入るには、体力が回復していなかった。長く寝すぎたせいで、糸穂自身も起き上がるとめまいがして駄目だったのだ。

 七月を迎えて外は夏の暑さだったが、御囲部屋のある糸穂たちが寝起きする小部屋はなぜか涼しかった。

「やつらに名前を呼ばれたろう?」

 トキが布団の上に座った糸穂の髪を梳きながら話した。糸穂は小さくうなずいた。名前を呼ばれた時の、肌が粟立(あわだ)つような感覚まで思い出せる。

「応えなくて、よかったよ」

「こたえたら、どうなるの」

 トキはしばし口をつぐんで、糸穂の長い髪を丁寧にとかして結んだ。

「こうしたほうが、いい」

 頭の高い位置でひとつに結われた髪を、糸穂は揺らしてみた。首元がずいぶんすっきりとして涼しく感じた。

「まるで馬の尻尾だ」

 トキの小さな笑い声が、糸穂に聞こえた。

「さて、と。やつらに名前を呼ばれて、応えたなら」

「こたえたなら?」

 トキはそこでまた、しばし間をあけた。

「帰ってこれなくなる」

 糸穂は首をかしげた。どこから? と。しかし、少し時間をかけて考えると、なんとなく分かった。

「この部屋に?」

「そう。こちらに帰ってこられない。向こうに行ったっきりだ」

 トキは糸穂の手をきゅっと握った。

「だから、御囲部屋の襖はいつもぴたりと閉めておくんだ。いいかい、必ずだよ」

 トキの真剣な声に気圧され、糸穂はただうなずいた。

「それに、やつらは親切に感じることもあるかも知れないが、ずる賢い。よくよく耳を澄ませて話を聞くんだ。軽々しく約束をしてもいけない」

「はい」

「こんなことは言いたくはないが、この家が良くなるのも悪くなるのも、おまえが握っているのと同じなんだ」

 いいね、とトキは糸穂に念を押した。こんな大きな家の命運を左右するとは糸穂には信じがたかった。ただ、目が見えるなら、何度でも御囲部屋に入りたいと、そればかりを思った。

 数日後、糸穂は体調がようやく戻った。御囲部屋に入る日が巡ってきた。


 糸穂はまた、後ろ手を結われ猿ぐつわをされた。ただ前と違ったのは、御囲部屋の中へ自ら歩いては入った。背後で襖が閉まると、もとより弱視の糸穂には黒塗りの箱の中に入った気がした。

 ゆっくりと膝をつくと、目の前に明かりが灯った。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 明かりは数を増やしていった。糸穂は目をみはった。

 ――見える。明るい。

 視線を胸元へ向けると、赤い布地が分かった。目が、見える。

 山椒の香りに、糸穂は顔を上げた。

 いつの間にか、体格のよいあの男が正面に端座していた。前回は気づかなかったが、よくよく見れば黒の羽織を着ている。髪が短い。

 その後ろ側には顔を隠した青年がいる。青年は、光沢のある緑の着物を身にまとっている。髪は長く結わずに背中へ流しているようだ。

 糸穂の頬を涙が一筋、流れ落ちた。

「なぜ泣くか」

 口に猿ぐつわを噛まされている糸穂に説明できるわけがない。ただ、糸穂は肩をふるわせて泣いた。

 見えるということは、なんと……嬉しいことなのか。

 生家の離れで一人過ごしてきた糸穂は、うれしいと思うことには限りがあった。たとえば、年に一度か二度口に入る鮑か、雲丹。たとえば、ほんの時折顔を出す、幼い弟。

「腕をほどいてやれ。口は……うかつに話されてもまずいからそのままだ」

 男は青年に命じた。男は、糸穂のそばに来ると、手拭いで縛られた手首をほどいてくれた。青年からは、山椒ではなく、甘い香りが薄く漂った。

「おまえが泣き止んだら、話をしようか」


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