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悪役令嬢は盤上の駒を動かさない——軍師が隣にいるので  作者: 夜凪 蒼


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第14話「税の形」

リーゼが作った新しい帳簿を前に、クラウスは頭を抱えていた。


「お嬢。わしは数字が苦手だ」


「存じておりますわ。ですから、分かるように説明いたしますの」


 作戦室の卓に、3枚の紙を並べる。リーゼが徹夜で仕上げた資料。数字だけでなく、棒グラフまで手描きしてある。この秘書の事務能力は、本当にどうかしている。


「1枚目。現在の税収の構造です」


 指でなぞると、乾き切っていないインクが少し指先に移った。


「収穫の4割を一律徴収。これが20年続いています。村ごとの生産力の差も、その年の豊凶も考慮なし。豊作の年は余りが出ますが、凶作の年は領民が飢えますわ」


「先代がそう決めたからな。わしが変える理由があるのか」


「あります。2枚目をご覧になって」


 2枚目には、領内5つの村の収穫量と税収の推移が折れ線で描かれている。手書きとは思えない精度の線だ。


「5年前と比べて、総収穫量が15パーセント減っています。原因は2つ。若者の流出による働き手の不足と、農具の老朽化。特にエルベン村が深刻で、このままなら3年以内に税収が半減しますわ」


「半減か……」


「取りすぎれば民が枯れる。取らなすぎれば府庫が枯れる。——税の形を変える時期ですの」


 クラウスが腕を組んで唸った。眉間に深い皺。この人は戦場では即断するのに、数字の前では途端に慎重になる。欠点ではない。自分の弱点を知っている者の、正しい慎重さだ。


「3枚目が、改革案ですわ」


「見せい」


 3枚目は、リーゼとわたくしが3日かけて練った素案。前世の税の原理を、この世界の畑に合うよう植え替えたもの。


「一律4割を廃止します。代わりに段階制を。基礎生産量——家族が生きるのに最低限要る量——までは非課税。それを超える分に3割を課税。さらにその年の豊凶指数に応じて、税率を10パーセントの幅で上下させますわ」


「……難しくないか、それは。誰が豊凶を判断する」


「リーゼですわ」


 控えていたリーゼが、一歩前に出た。


「辺境伯閣下。各村の村長から月次で収穫見込みの報告を受け、集計して豊凶指数を算出します。計算式は作成済みです」


 算盤を取り出しかけて、やめて、代わりに計算式の表を差し出す。


「この表に数字を入れれば、村長でも指数が出せます。読み書きと算盤の基礎があれば十分です」


 クラウスは紙をしばらく睨み、それから、ふうと大きく息を吐いた。


「分かった。——分かったが、お嬢。ひとつ問題がある」


「何かしら」


「税を減らせば、当面の歳入は下がるだろう。その間、砦の運営費は? 守備隊の給金は?」


 当然の疑問だった。そしてこれこそ、税制改革という代物の最大の壁だ。減税は中長期で歳入を育てるが、短期では確実に減らす。


「東の道が開けば、交易税が新しい歳入源になります。ヴァルハイムとの交易が始まれば関税も。ですから施行は道の開通に合わせますわ。それまで現行のまま、開通と同時に新税制へ。ずれは1ヶ月で収まる計算です」


 クラウスがもう一度、腕を組んだ。この人の腕組みには2種類ある。考えている腕組みと、決めた腕組み。いまのは——決めたほう。


「最後にひとつ、うかがっておきますわ。この改革、先代の決めた税率を覆すことになります。よろしいの?」


 クラウスはしばらく黙って、髭を撫でた。


「親父は、戦の強い男だった。だが帳簿は見なんだ。見ないまま決めた4割が20年続いて、村の若いもんが出ていった。——親父の決めたことを守るのと、親父の守りたかったものを守るのは、別だわい」


 武人の口から出た言葉として、それはほとんど完璧な相続の定義だった。


「やれ。ただし、わしにも分かるように毎月の報告を出せ」


「リーゼが月次報告を作ります。数字が苦手でも読めるよう、すべて棒グラフ付きで」


「……馬鹿にしとらんか」


「分かりやすく伝えることと馬鹿にすることは、別ですわ」


 クラウスが肩を揺らして笑った。この人の笑いは豪快で、砦の壁に反響して2度聞こえる。


 午後は、エルベン村へ新税制の説明に向かった。


 ディルクは砦で峠の警備計画を詰めている。代わりにリーゼが——馬が苦手なリーゼは荷馬車の荷台に正座して——ついてきた。


「リーゼ。馬に乗れないのは不便ではなくて?」


「乗れないのではなく、乗りたくないのです。あの動物は予測不能な動きをします。書類のほうがよほど合理的な作業環境です」


「馬と書類を比べる人、ほかに存じませんわ」


 村にはエーリッヒと、長老格の数人が集まっていた。前回の道普請の話の折に、次は税の話をすると伝えてあったのだ。


「税を、下げる……と?」


 エーリッヒの声に、信じていない響きがある。領主が税を下げるなど、この村の歴史には一度もなかったのだろう。


「一律ではありませんの。仕組みが変わるのですわ」


 リーゼの説明資料を広げる。字の読めない人もいるから、絵と棒グラフを多用した紙だ。


「今までは、どれだけ採れても4割。これからは、家族が食べる分をまず確保。残った分の3割を納める。豊作の年は少し多めに、凶作の年は少なめに」


 村人たちがざわめいた。顔を見合わせ、囁きが交わされる。


 例の老婆——孫の薬の話をしてくれた、ヘルガと呼ばれている媼だ——が口を開いた。


「あんた、そりゃ本当かい。お貴族様が税を下げるなんて、聞いたことがないよ」


「下げるというより、形を変えますの。結果として、いまより軽くなる世帯が多い。ただし大きな畑を持つ余裕のある農家は、いまとあまり変わりませんわ」


「つまり、持ってる者から多く取るってことかい」


「……端的に言えば、そうですわね」


 ヘルガがにやりと笑った。歯が3本欠けた口元が、妙に力強い。


「いいじゃないか。あたしゃ持ってないから」


 笑いが起きて、村人たちの表情がほどけた。理屈より先に、笑いが信用の戸を開ける。


 それでも数字に不安が残る顔があったので、わたくしは井戸端にしゃがみ、小石を並べた。


「ご覧になって。この石10個が、おたくの畑の収穫だとしますわ。いままでは、ここから4個をお城が持っていく」


 石を4個、脇へ寄せる。子どもの遊びと同じ手つきで。


「これからは、まず家族が食べる分——たとえば5個を、誰も触れない場所に置く」


 5個を、ヘルガの足元へ押し出した。


「残った5個のうち、お城がいただくのは1個半。豊作の年は2個に近く、凶作の年は1個に近く」


「……4個が、1個半に」


「畑の小さい家ほど、そうなりますの。逆に石が30個ある家は、いままでとあまり変わりませんわ」


 しゃがんだまま見上げると、囲んだ顔ぶれの中に、計算の終わった目がいくつも生まれていた。数字は紙の上では人を黙らせるが、地面の上では人を喋らせる。これで月次報告の頼みごとも通るだろう。


 帰路、荷馬車の上でリーゼが帳簿に何か書き込んでいた。揺れる荷台で、よくペンが滑らないものだ。


「何を書いていますの?」


「村ごとの世帯数と推定生産量の修正です。エーリッヒ村長の数字が、こちらの推計と1割ずれていたので」


「1割」


「はい。こちらの推計が過大でした。畑の面積に対して実際の収量が低い。土の質が想定より悪いか、種の質に問題があるか、どちらかです」


 数字のずれから、畑の問題を逆算する。この秘書は事務処理に特化して見えて、その実、数の向こうを読む素養がある。


「リーゼ。あなたがいなければ、この改革は形にもなりませんでしたわ」


「いえ。お嬢様の設計図がなければ、わたしの数字は意味を持ちません。数字は、設計図があって初めて働きますから」


 ——設計図と数字。構想と実行。


 ひとりでは動かない歯車が、2人なら回り始める。3人なら——ディルクの戦略眼が加われば、回った歯車が正しい方角を向く。


 砦に戻ると、作戦室の机にチェス盤が出ていた。白のキングの横に、小さなメモ。


『税の改革案を読んだ。筋がいい。——ただし1点、修正案がある。今夜、盤を囲みながら話す。ディルク』


 ペンの走りが少し荒い。つまり急いで書いた。つまり、読んですぐ残した。つまり——すぐに議論したかったのだ。口元が緩むのを、自覚しながら止められなかった。


 夜。ポーンが2つ進んだあたりで、ディルクが本題を出した。


「大農家だ。新税制で実質の負担が増える層が、領内に7世帯ある」


「ええ。把握していますわ」


「うち2世帯は、王都の貴族と縁戚関係にある。負担増の不満が、王都への『辺境伯が領政を素人女に委ねている』という讒言に化ける。そこが穴だ」


 ——読み落としていた。数字の上では小さな7世帯。けれど政治の盤では、王都への通用口を持つ駒だ。


「……移行期の特例を設けますわ。大農家には開墾投資への控除をつける。新しい畑を拓けば、その分は数年間非課税。負担増を、領内への投資で相殺できる形に」


「それでいい。不満の出口を、讒言ではなく開墾に向ける」


 盤の上で、ディルクのナイトがわたくしのポーンを取った。盤の外では、彼の一手がわたくしの計画の穴を塞いだ。どちらの盤でも、今夜はこの軍師の優勢である。悔しくないと言えば、嘘になるけれど。


 井戸端の小石を思い出す。4個から1個半へ。あの差分の2個半は、冬の薪になり、子どもの靴になり、いつか教室の月謝のいらない時間になる。


 税の形が変われば、暮らしが変わる。暮らしが変われば、辺境が変わる。


 地図の上の線ではなく、帳簿の中の数字が——この土地の未来を動かしている。


 対局を終えて駒を片づけているとき、夜番の兵が報告に来た。グルント峠の見張りからの定時報告。いつもなら「異常なし」の一言で終わる紙に、今夜は1行多かった。


『夕方の煙、本日はいつもより長く続く』


 ディルクと目が合う。煙の数が変わるのも情報なら、長さが変わるのも情報だ。向こうで何かが——伝えるべきことが、増え始めている。

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