大切な人
車のドアが閉まった瞬間。
外の世界と、ようやく切り離された気がした。
光莉は、まだ涙が止まらないまま、俯いていた。
呼吸が、うまくできない。
蓮のスーツを掴んだ指にも、力が入ったまましわになっている程。
「……光莉さん」
優しい声。
顔を上げると、蓮がすぐそばにいた。
怖がらせないように。
でも、離れないように。
絶妙な距離で。
「水、飲めますか」
秘書が、後部座席へペットボトルを差し出す。
光莉は、震える手で受け取ろうとして、うまく掴めなかった。
その瞬間。
蓮が、自然にボトルを取り、蓋を開けてくれて飲ませてくれた。
「……ゆっくりで大丈夫です」
子どもを落ち着かせるみたいな声。
その優しさに、また涙が溢れそうになる。
少しだけ水を飲み、息を整える。
車内には、静かなエンジン音だけが響いていた。
しばらくして。
「……どうして」
光莉が、掠れた声を落とす。
「どうして……場所、分かったんですか」
すると蓮と秘書が、一瞬だけ視線を合わせた。
先に口を開いたのは、秘書だった。
「管理人に話聞いたあと、エントランスの防犯カメラ確認したんです」
淡々とした声。
「無理やり連れて行かれてる感じじゃなかったから、
最初は余計に厄介でしたね」
光莉の指先が、小さく震える。
あの時。抵抗したら、
圭介が何をするか分からなくて。
身体が、動かなかった。
「でも、カメラに映った顔色がやばかった時、」
秘書が続ける。
「蓮がその映像見た瞬間、顔変わったのが今でも忘れられません」
とほっこりした笑顔で伝えてくる秘書。
「……余計なこと言うな」
低く返す蓮。
でも秘書は、気にした様子もない。
「そのあと、車のナンバー追って、
圭介の過去の住所洗いました」
光莉が、ゆっくり目を開く。
「前に使ってた部屋……」
小さく呟くと、蓮が頷いた。
「探偵まで使って、光莉さんを探してた人です」
蓮はつづける
「だったら、自分も昔使ってた場所を、
残してる可能性が高いと思った」
「……でも、もし違ったら」
光莉の声が、弱く震える。
蓮は、少しだけ苦笑した。
「正直、半分賭けでした」
その時のことを思い出したのか、目を伏せる。
「でも……間に合わなかったらって思ったら、
全部当たるまで探すつもりでした」
光莉の胸が、ぎゅっと締めつけられる。
蓮は、当たり前みたいに言う。
でも、その言葉の重さが、痛いほど伝わった。
「管理人さんも、
“すごく顔色悪かった”って教えてくれて」と付け足す秘書。
蓮の声が、
少しだけ低くなる。
「だから、急がなきゃって」
あの時。
エレベーターを待つ時間すら、長く感じた。
もし遅かったら。
もし、もう会えなかったら。
そんな想像ばかりが、頭を埋め尽くしていた。
乗ろうとした瞬間、タイミングよく階段から光莉が飛び降りてきたところだった。
「……怖かったです」
ぽつりと、蓮が零す。
「見つけるまで、ずっと」
光莉は、言葉を失った。
そこまで。
そこまでして、自分を探してくれたんだ。
蓮は、そんな光莉を見つめながら、そっと頬に触れる。
「でも、見つけられてよかった」
その声が、あまりにも優しくて。
光莉は、また涙を零した。
蓮は困ったように笑う。
「……今日は、泣かせてばっかりですね」
蓮は、泣き続ける光莉の頬に触れた。
壊れ物を扱うみたいに、そっと。
「だから今は、何も考えなくていいです」
視線が、真っ直ぐ重なる。
「ちゃんと助けられたので」
静かな声だった。
でも。あの日、路地裏で助けた高校生が。
今度は、大切な人を迎えに来たんだと分かる声だった。
蓮は、涙で冷えた光莉の額に、
そっと唇を寄せる。
「……もう、離しません」
夜風の中。
その腕だけが、痛いほどあたたかかった。




