ただいま
家に到着したのは、昼前だった。
長かった夜が、ようやく終わろうとしている。
そんな時間だった。
マンションの前に車が止まる。
エンジンが切れた瞬間、車内に静かな空気が落ちた。
秘書が、運転席から振り返る。
「とりあえず今日は、仕事のこと全部こっちで止めとくんで」
いつもの軽い口調。
でも、その目にはちゃんと心配が滲んでいた。
「助かる……」と言う蓮。
光莉が色々と迷惑をかけ申し訳なくなり思いを伝えるべく、小さく頭を下げると、
秘書は少しだけ眉を下げる。
「謝るの禁止!
無事だったんだから、それでいいです」
そして、秘書に向かって
「お前も今日は仕事すんなよ」と蓮が伝えた。
「……善処する」
「絶対しないやつの返事」
笑ってから、秘書は最後に光莉へ視線を向けた。
「何かあったら、時間とか気にせず連絡してください」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「……はい」
秘書は軽く手を振って、そのまま車を出した。
遠ざかっていくテールランプを、光莉はぼんやり見つめる。
すると。
「歩けますか?」
隣で、蓮が静かに声をかけた。
光莉は頷こうとして、でも、足に力が入らないことに気づく。
緊張が切れたせいだ。
蓮はすぐに気づいたみたいに、何も言わず、そっと肩を支えた。
「ゆっくりで大丈夫です」
責めることも、急かすこともない声。
その優しさに、また少し泣きそうになる。
エントランスへ入る。
昼前の光が、ガラス越しに静かに差し込んでいた。
昨夜まで、普通だった場所。
なのに今は、別の世界みたいに感じる。
エレベーターの中。
密室になると、急に怖さが戻ってきた。
狭い空間。
閉まるドアの音。
光莉の肩が、ぴくっと揺れる。
その瞬間、
蓮の手が、そっと光莉の手を包んだ。
「……大丈夫です、ここには、俺しかいません」
その言い方が、まるで“絶対に怖い思いはさせない”と約束してくれているみたいで。
光莉は、ぎゅっと唇を噛んだ。
部屋へ入る。
鍵が閉まる音に、ようやく現実感が戻ってきた。
帰ってきたんだ、本当に。
そう思った瞬間、しゃがみ込んでしまった。
蓮は靴も脱ぎきれていない光莉を見て、少しだけ眉を寄せた。
「……歩けますか?」
光莉は、小さく首を横に振る。
情けない。
そう思うのに、身体が言うことを聞かない。
すると蓮は、一瞬だけ黙ったあと。
「失礼します」
そう言って、当たり前みたいに光莉を抱き上げた。
「……っ!」
急に浮いた身体に、光莉が目を見開く。
蓮はそんな反応を見ても、平然としていた。
「無理しなくていいです」
「え!!!重いので下ろしてください!!!」
「バカにしないでください、今まで俺がどれだけ鍛えたとおもってるんですか。
これくらい余裕ですよ」
昔の小柄だった少年の面影なんて、もうどこにもない。
広い腕も。
簡単に抱き上げる力も。
全部、“守れる男”になっていた。
が、しかし、ちょっと前に過去最高体重を叩き出した光莉にとって気が気じゃなかった。
仕方なく光莉は、思わず蓮の服を掴む。
蓮が、少しだけ視線を落とした。
「……ちゃんと掴まっててください」
その言い方が優しくて、また涙が滲む。
ベッドへ降ろされる。
蓮はすぐ離れず、光莉の顔色を見つめた。
「何か食べられそうですか」
光莉は、ぶんぶんと首を横に振る。
まだ、さっきの恥ずかしさが消えていない。
「……そっか」
責めるでもなく、困らせるでもなく。
ただ、どうしたら少しでも安心できるかを考えている顔。
蓮は、そっと前髪に触れた。
「今日は、ゆっくりしててください。怖かった分、
ちゃんと休んでくださいね」
光莉は、ぼんやり蓮を見上げる。
どうして、ここまで優しくできるんだろう。
迷惑ばかりかけているのに。
そう思った瞬間。
「……あの」
掠れた声が漏れる。
蓮が、「はい」と視線を合わせる。
光莉は、少し迷ってから、小さく言った。
「……迎えにきてくれて、ありがとうございました」
すると蓮が、ほんの少しだけ目を細めた。
泣きそうなくらい、安心した顔だった。
「絶対迎えに行くって、決めてたので」
その言葉に、胸が熱くなる。
蓮は、光莉の頬へもう一度そっと触れる。
「だから今は、何も考えなくていいです」
そして、壊れ物を扱うみたいに優しく笑った。
「俺が、ちゃんと隣にいますから!」




