5. 結婚式と、呪いの正体
ヴァランベリー国で挙げられた結婚式は、予想通りのものだった。
婚約式と同様、集められた貴族は忌避と嘲りの表情を浮かべていた。
白で統一された壁とタイル床。
壇上には教皇が佇み、彼も白い衣装に身を包む。
神聖な場所では白い色が好まれた。
主役であるドロテアとオズワルドもまた白い婚礼衣装を身に纏っていた。
彼らが場に現れると、粛々と行われた教皇からの祝福の言葉。彼の口から出る言葉は神の意志なのだという。
横には父と母、この国の王と王妃が並んで見守っていた。
列席者の貴族の誰もがめでたい顔をしていないが、それを除けば普通の結婚式だった。
それにドロテアは内心首を傾げた。
(もっと、何か直接的な嫌がらせがあるかと思っていたのだけれど)
結婚式の雰囲気を壊しかねないような何かを企んでいたとしてもおかしくない。
母エルーザであればやりかねなかった。
隣にオズワルドがいるからか、ドロテアの気は少し大きくなっていた。
マスクの下で笑みを浮かべるほど。
しかしそれは甘い考えだったのだとすぐに知る。
祝福を終えた教皇が言った。
「──では、誓いのキスを」
(え……?)
当たり前にある儀式の一つを失念していた。
できるわけがない。
マスクでさえ気味悪がられているのに、この顔を晒せるわけがなかった。
狼狽えたが、マスクで見えなかったはずだ。しかし気遣うように力を込められたオズワルドの手。
向かい合うと肩と腰に手を添えられた。
(……ああ、マスクの上からしてくれようと……)
少し落ち着いたが、それを許してくれないのがエルーザだった。
さも当然のように、神聖であるはずの式に口を出す。
「──ドロテア。マスクを外しなさい。殿下に恥をかかせるつもりなの?」
静かな場内に美しい声が響いた。
貴族たちにもざわりと動揺が見えた。
が、教皇はそれを黙認する。ありえないことだった。
予想通り、この結婚式の全てが、エルーザの手の中にある。
何事もなく式が終わるはずもなかった。
「律儀に婚約式と同じマスクを……そんなおかしな文様に口づけさせるとは。神聖な儀式を何だと思っているのかしら。神への誓いをマスクとしてどうするの。しっかりなさい」
「……ですが!」
マスクは外せない。
醜い顔を晒せないし、ましてそんな顔にキスさせるなど、耐えられない。
少しでもエルーザの機嫌を取ろうと付けたマスクも意味を成さなかったようだ。
こつこつ、とエルーザが近づく。
制止しようとするオズワルドには「あなた、まさか私の娘とではなく、マスクと結婚するつもりなの?」と言って牽制した。
ドロテアに向けて勢いよく伸ばされた手。
「外しなさいとこの私が言っているでしょう!」
エルーザはマスクを掴んで放り投げた。
あっけなく晒されたのは、不気味で気味悪いドロテアの素顔。
オズワルドによって力強く手を握りしめられたけれど、貴族の絶叫に否応なく現実を知らされる。
「おお、おぞましい顔だこと」
久しぶりに聞く母からのそしりだった。
心底嫌われていると実感する声色に心を抉られる。
が、痛いほどに感じるオズワルドに握られた手が勇気をくれる。
ドロテアは叫んでいた。ブヨブヨの紫色の唇を動かして。
「……ちがう!」
エルーザの美しい声で紡がれる言葉はかつて、ドロテアを一人だと思わせた。
味方は誰もいない。自分だけが呪われていて、醜い自分が悪いのだと。
それが全てだった。
「よく殿下も結婚する気になりますね、こんな世界で一番醜い娘と」
けれどオズワルドも、リンも、セルノーブル国の城の誰一人、ドロテアを疎ましいと言わなかった。
それどころか常に優しく、気遣ってくれて。
「違う! ……私は、世界で一番美しいわ」
(──これは、嘘)
反論したのは今日が初めてだ。
突拍子もない反撃にエルーザは鼻で笑うだけだった。
「ふ、その顔で何を言うかと思えば」
これまで怯えていたエルーザの美しい笑顔も、平気に思える。
オズワルドの体温が、セルノーブル国での生活を思い出させてくれる。
(下を向いて、苦しいとただ耐えるだけは……もう嫌だから)
ドロテアは声を張り上げた。
「──私は、世界で一番幸せよ!」
その叫びに反応するように、ドロテアの身体は柔らかく光る。
人とも思えない醜い顔はゆっくりと、本来の顔立ちへと戻っていく。
魚のような目は綺麗な二重の目になり、鼻筋が通った顔。肌はシミ一つ無く白く輝き、小さい唇は赤く色づく。
誰からも愛されていた少女がそのまま成長したような──美しい女性の姿に、列席者からは感嘆の声が漏れた。
「おお、奇跡だ……!」
「呪われていた王女の呪いが解けたのよ! そんな瞬間を見られるなんて!」
呪われた姫は、一瞬で、奇跡の姫になった。
喜びが沸き起こる中、ただ一人唇を噛むのは。
「まさか、そんなはず。こんな力をどこで……」
エルーザが自分の両頬を押さえながら、吊り上げた眉で睨んだ先はドロテアではなく。
ずっとドロテアの手を離さなかったオズワルドだ。
「お前、この子に何をした……!」
「何も? 楽しく過ごしただけですよ」
「何もしていないと? 力を出せないようにあれほど……」
「ああ、酷い言葉を浴びせ続けていたようですが、努力が無駄になったようで残念ですね」
オズワルドは臆することもなく冷ややかに微笑む。
「お前……なぜ、知っているの。何を、知っているの。私は誰にも話していないわ」
「……鏡をお持ちしましょうか? 自慢の美貌が崩れそうですよ」
はっとしてエルーザが手のひらで顔を覆った。
「美しさを求めた……求めすぎたあなたは、世界で一番美しくあろうとした。美しくなければ許せなかった。だからドロテアを幽閉したんでしょう。美しく成長しそうな幼いドロテアに嫉妬して」
「いえ、ドロテアを閉じ込めたのは醜い呪いが、他の者へうつらないようにと」
貴族たちは歓喜に溢れ、勝手に盛り上がっている。
広く聞かせるわけにはいかない話。だが、周囲の様子を見るに話している内容は一切届いていないようだった。
オズワルドはそのまま続けた。
「呪いなんてない。ドロテアが自己暗示をかけたようなもの。幼いドロテアの心を操って、まるで誰からも愛されないように思わせて。……あなたの目論見どおりに」
「ふふふ、そんなおかしな話を信じると? 自己暗示で醜くなるとでも?」
顔を隠した指の隙間から目だけを動かしてエルーザは肩を揺らした。
「──言霊。その力が強い、特別な一族なら可能でしょう。あなたのように。あなたの子であるドロテアにもまたその力はある」
「もし、そんな力があるなら、ドロテアの心を操ることもせず、ただ”醜くなれ”と言えばいいのではないの」
「それが強い力にはいろいろと制約があるようで。他者に悪影響を与える言霊は力を発揮できない、のだとか」
そう言ったオズワルドに今度こそエルーザは狼狽えた。
「だから、それをどこで知ったと言っているのよ!」
「……あなたの母君から」
「は?」
「頼まれていたんです。その母君が仰るには、自分たちが使う言霊は強い、だからこそ本来、人の為に使うもの、人が幸せになるために使うものだと。けれどあなたは自分が美しくあるためにばかり使おうとする。だから度が過ぎた場合には止めてほしいと」
「は? あの女はとうに死んだ……その頃お前はまだ幼いはずよ」
「ええ、本当は、俺の父が頼まれていたことでした」
それを俺が引き継いだんです、とオズワルドは目を細めた。
「許せなかったんです。ドロテアを苦しめたこと。だからどうしても俺が救い出したかった」
そう言ってドロテアを自分の腕の中に引き寄せた。
マスク越しではない至近距離の顔。ドロテアは全身で人の体温を感じていた。
「は、ははっ、だから私を罰すると……?」
「いいえ。もう罰する価値もない。その一族の中でも一番力を持つのは、その力を持つにふさわしく伸びしろがある、若い女性。世代交代をするそうですね。もうドロテアは閉じ込められていた頃とは違うんです。……やはり鏡をご覧になりますか? 力が少しずつ失われているのでしょう、もう誇った美貌は見る影もないんです。それに、ドロテアの真の姿を見た後ではもう、”世界で一番美しい”とは思えないでしょうから」
エルーザは差し出された鏡に映った自分の顔を見て、頬に指を食い込ませた。
「ああ、あああ……! 私の顔が!」
絶世の美女の面影はあるものの、年相応に老いた顔はエルーザのプライドが許さなかった。
増えた目元のしわを深くして、今度はドロテアを睨む。
「……ドロテア、勘違いしないことね! この男は決してお前を好いているわけではないの。ただ父親との約束を守ったに過ぎないのよ……!」
そう言い捨てて、神殿の奥へと消えて行った。
最愛の人を追いかけて王もまた消えていく。
王は去る間際、ドロテアの頭を少し撫でて行った。すまない、という言葉を残して。
後ろ盾を失った教皇は、オズワルドに促されるまま、結婚式を続行した。
誓いのキスからのやり直しに、興奮冷めやらぬ列席者は歓喜に沸いた。
「……──それでは、誓いのキスを」
マスクが無い。空気に触れる素顔のまま、人と向かい合う。
それがドロテアには新鮮で珍しくて、自分の心臓の音がうるさかった。
マスクが無いことの不安によるものなのか、それとも真正面から見るオズワルドの笑顔が綺麗だからなのか。
「……覚えているかわかりませんが、昔、俺はこの国の庭園でドロテアに会ったことがあるんです。迷った俺の手を一生懸命引き、父の元まで送ってくれた。そのときからいつか恩返しがしたいと思っていて。……遅くなってすみません。父に会えた時、あなたが自分の事のように喜んでくれて」
その一言で、エルーザの残した不安は消えた。
(迷子の男の子……覚えてる。お父様に会えた時、”必ず恩返しをします”と言ってくれた。オズワルド様だったのね)
あれからすぐに幽閉されてしまった。
また会える機会はこないだろうと思っていたけれど、まさか助けに来てくれるとは──一人ぼっちだった部屋から連れ出してもらえるなんて。
「あの時の……無事に会えて良かったです」
「見知らぬ土地で心細かったんでしょうね、俺も。それからずっと会いたかった。あの時から、ずっと好きです。俺と結婚してくれますか?」
答えは決まっていた。
帰りたいと思うのは、優しい人たちがいるセルノーブル国。
「……その、私でよければ、喜んで」
「いいえ、俺はドロテアじゃないと嫌なんですよ」
微笑んで、唇が触れ合った。
神聖であるはずの結婚式は、大歓声とともに幕を下ろしたのだった。