4. 無条件の愛?
オズワルドに話を聞いてから、ドロテアは言霊を試してみることにした。
毎日庭園に顔を出しては、花に向かって「綺麗ね」と語りかけた。
しかしどんなに通っても劇的に変わることはなかった。
(前は一瞬で葉の色が変わったのだけど。それに花も開いたわ。だけど今日もやはり変化はないようね)
もしかしたら少しずつ効果が現れているのかもしれないが。
ドロテアは小さく溜息を吐いた。
「やっぱり言霊なんて、私には」
「ドロテア。後ろ向きな言葉はいけませんよ」
「……オズワルド様。ですがやはり私に特別な力なんて」
現れたオズワルドに驚きもせず、ドロテアは肩をすくめた。
ここ数日ドロテアが庭園へ出かけるとオズワルドはそっと現れる。様子を見守ってくれているようだった。
「言ったでしょう。心からの言葉というのは難しいものなんです。言霊のことを知り、意識しているようですから、余計に難しく感じるかもしれません。例えば、本当は綺麗とは思っていないのに、”綺麗だ”と言っているとか」
「うう」
身に覚えがありすぎた。
「……どうしても”綺麗だ”と言わなくてはいけないと思ってしまって。心からの言葉とは言えないかもしれません」
「はは、焦らず。俺が出会ったあの女性が特別に強い力を持っていただけで、もともと言霊というのはそう強い変化をもたらすものではありませんし」
「……ですが、私が強い力を持っている可能性があるから、そのお話を聞かせてくれたのでしょう?」
話を聞いて、ドロテアは思ったのだ。
もし自分に特別な力があれば、みんなの役に立てるのではないかと──自分に価値があるから、みんなが優しくしてくれるのではないかと。
その価値を証明したくて、ドロテアは躍起になっていた。
しかしオズワルドはこてんと首を傾げた。
「違いますよ?」
「え?」
「ドロテアにその特別な力があったとして、もしなかったとしても、ここはもうあなたの家ですし、俺も他の人間も態度を変えることはありません」
どうして、と思ったことが伝わったのだろうか。
「ただ、ドロテアに考え方の一つをお伝えしたかっただけなんです。自分なんか、と思う必要は全くないのだと伝えたくて。少しでもドロテア自身を大切にしてほしくて」
「……力が使えなくても?」
「ええ。もちろん。俺も、みんなもドロテアを愛していますから」
掴まれたように心臓が揺れた。
自分を愛してくれる人はとうに失われたはずだったのに。
痛いくらいの鼓動を胸に感じつつ、マスクの下で唇を噛み締めた。
(こんな私のことも愛していると言ってくれる……いいえ、私を愛してくれる、この人たちを大切にしたい)
ドロテアの瞳に力が宿る。
思えば、大切にしたいと感じたのは初めてだ。
それほどにドロテアは奪われることに慣れてしまっていた。
親からの愛情も、使用人からの優しさも、お気に入りの庭園も、可愛いドレスも、全て幼少期に取り上げられた。
小部屋に閉じ込められてからも、ドロテアが傍に置きたがった面白い本やふかふかのくまのぬいぐるみは事あるごとに部屋から消えた。
──大切にしたいものは、なくなるから。
無意識だった。
奪われないように、大切なものは作ってはいけないとドロテアはそう生きてきた。
けれど、だ。
「……ありがとうございます。……私も、」
続く「愛しています」は言えなかった。
パタパタと大きな足音を立てメイドが走ってきたからだ。
「殿下! このようなところで申し訳ございません……! リンが!」
「何?」
青い顔のメイドに連れられ、リンの元へ急ぎ向かうことになった。
◇◇◇
「あの時は何事かと思ったよ。思ったより元気そうでよかった」
オズワルドに見舞われ、リンは静かに項垂れていた。
「申し訳ございません。殿下にこのようなところにまでお越しいただいて」
「いいんだ。リンはしばらく安静にして、それからまたドロテアの元で働いてくれれば」
ドロテアの目の前にはベッドで横になるリンがいた。
顔や首に痛々しい包帯がある。
慌てるメイドに連れられて駆け付けた時、リンは熱湯を被っていた。
厨房を訪れていたリンは不運にも転び、沸騰していた鍋を倒してしまったらしい。
「痛みはだいぶ引いたと聞いたけれど、無理することはない」
「そう、ですね。もう痛みはほとんどありませんが……薬師は痕が残るかもしれないと。自業自得なんですけどね」
リンは落ち込んでいるように見えた。
未婚の女性にとって、美醜は重要だった。
傷の有り無しで嫁ぎ先が変わることもある。
一歩引いていたドロテアだが、おそるおそる前へと踏み出す。
そっとリンの手を握った。
「本当に無理はしないで。……辛いのはわかるもの。気持ちが落ち着くまで休んでいてもいいし、私にできることがあるなら言ってほしい。それで元気なって──もし、また私のところで働いてくれるなら、本当に嬉しいの。あ、もちろん嫌なら断ってもいいのだけど……もしそんな気持ちがあるならって」
しどろもどろで伝えた気持ちが無事伝わったのか、リンは笑顔を見せてくれた。やはりそれに安心する。
「もちろんです! 治ったらすぐにドロテア様のところへ参りますね! そそっかしいところをお見せしてしまいましたが……専属メイドは私ですからね! 約束ですよ」
「ありがとう。……リンの傷が癒えますように。きっと早く良くなるわ。それに、絶対に火傷の痕も残らない。包帯を取れば、綺麗な顔よ」
「ふふ、ありがとうございます。ドロテア様がそう仰ってくれれば、その通りになる気がします」
「ええ、なんてったって練習中だもの」
そう言って笑い合った後、リンは再びしょんぼりと目を伏せた。
「もう少しで結婚式ですのに、こんなことになってしまって。こんな顔ではさすがに付いていけませんし」
ドロテアの呪いがうつるだとか、不幸が降りかかるだとか噂されるのは目に見えていた。
「大丈夫。俺がいます。結婚式が終われば正式にドロテアは我がセルノーブル国に身を置くことになります。楽しみですね」
さっとドロテアの手を取るとオズワルドもまた──リンに張り合うように、微笑んだ。
「え、ええ。楽しみ、です」
「さっと行ってさっと帰ってきましょう。それで戻ってきたら国を挙げてお祝いしましょうか」
婚約式を終えて半年──結婚式はもう五日後に迫っていた。
その話になるとオズワルドは決まって嬉しそうに顔を緩ませる。
「ああ、勿体ない、なんて言わないでくださいね。ドロテアはれっきとした俺の婚約者ですから。つまりこの国の王太子妃になる。こんな重要な行事を祝えないほどこの国は落ちぶれてはいませんよ」
「う、うれしいです」
拒否を許さない物言いに、そう応えるしかなかった。
そんな時、扉をノックする音がする。
扉を叩いた執事の話では、薬師がやってきたようだった。そろそろ診察の時間らしい。
「では、リン、行ってくる。すぐにドロテアと戻ってくるから、必ず無理はしないように」
「……承知いたしました。くれぐれも道中お気を付け下さいませ。ドロテア様も何かございましたら! 必ず殿下をお呼びくださいね。そして必ず戻ってきてください。城中飾りつけてお待ちしております」
「ふふ、今、無理はしないよう言われたばかりでしょう?」
リンとオズワルドの笑顔を受けて、ほっとする。
いつの間にか、自分の居場所はここだと思える。
「行って、きます」
──こう言えるのもとてもありがたいこと。間違いなく幸せだ。
こうして結婚式のため、ドロテアは久しぶりにヴァランベリー国へと向かった。
出発してしばらくした後、薬師がリンの顔を診て驚きの声を上げたが、ドロテアは知る由もなかった。




