風邪をひいた日は
熱を出して寝込むことになったその翌々日、心配気な表情で私の部屋を訪ねてきたのはアルバート様だった。
「まだ熱が引かないと聞いたが。ああ、顔が真っ赤だな」
「無作法を…申し訳ありません」
「こら、病人は大人しくするのが務めだろう」
挨拶を、と起こした体は本人に止められた。
「オーウェン先生はなんて?」
「感冒だろうと。ここ暫く冷え込んでおりましたから」
さすが公爵家付きの医師、ヤブじゃないらしい。
万一を考え重く見積もられでもするのかと思いきや、あっさりと風邪と診断されました。薄着で暖炉のない部屋やお外に出られませんでしたかの、なんて聞かれて顔が引き攣ったよ。
メイも私が寝衣だけで寒空の下を駆け回ったことを聞いているから、オーウェン氏と話している時の声が怖いのなんのって。そっち見れなかったよね。
「解熱の薬はもらえなかったのか。こんなに小さな体で熱など続いたら参ってしまうだろうに」
「頂いております。少しずつ快方に向かっておりますので、じきに熱も下がるかと」
「そういうものか。フレッドも幼い頃よく熱を出したが、あれは大抵一晩でけろりとしていたから」
「お嬢様はあまり体調を崩されませんが、その代わり一度崩れると長引きやすいのやもしれません」
メイがしれっと誤魔化してくれているのを少し意外に思う。
やはりどうにも人間種向けの薬の効きが悪いため、昨日のうちに簡易レシピではあるけど森の雫を調合して口にしているのだ。
もちろん昨日のふらっふらの状態でガーデンルームに行くことも、調合をすることも、そして出来上がった薬湯を私が飲むこともメイはいい顔をしなかった。
私も本当ならもう少しステップを踏んで説明するつもりだったし。
それをどうにか宥めて脅して説き伏せたのは、自身のしんどさもあるけれど何よりメイの目元に影を見つけてしまったからだった。
夜中の散歩以来、彼女こそ碌に休めていなかったのではと気が付いて、一刻も早く復活しなければさすがのスーパーメイドもぶっ倒れると思ったのだ。
薬湯一杯を飲みきり少し眠るとようやく頭もはっきりとしてきた。その様子を見て、メイも渋々とだが納得し休むことも承諾してくれた。
今日に至っては、重怠さこそあるが体も起こせるようになってきた。薬湯を飲み大人しくしていればじきに熱も下がり切るだろう。
「食が細くなっていたからな、体力も落ちたんだろう。次は、私ももっと気に掛けるようにしよう」
アルバート様とメイのやり取りを寝台から眺めていたら、それに気付いたアルバート様が手を伸ばし前髪を滑るように撫でた。
これはもしかして、フレドリック様が遠征に行ったことを心配するあまり倒れたと思われているのかもしれない。
実際のところは、フレドリック様が遠征に行ったことを心配(して、冷え込んだ森のなか薄着で一晩鬼ごっこ)するあまり倒れた、である。同じとするには些か説明不足に過ぎる。
メイがなんとも言えない顔でこちらを見ていた。私も似たような表情をしているのだろう。
「…本当はサシェのお礼にと用意したんだが。見舞いの品になってしまったな。これを」
そう言いながら渡されたのは一冊の本だった。
美しい装丁で、大きさ、薄さからすると幼児書の類だろうか。めっちゃ高価そう。
「これは…」
「実はこの城にもう二冊ある。私と、フレッドの部屋にそれぞれ。元は図書室にあったものを私が気に入って、そうしたらあいつも欲しいと泣くから用意してもらった。これで三冊目だ」
「まあ」
中を開くと絵本だった。
二人の騎士が魔物に拐かされたお姫様を助けに行く、という感じかな。
絵柄は騎士も姫も魔物さえも色彩豊かに描かれていて、美しい意匠が細かく散りばめられている。嫌いじゃない。
釘付けになった視線を無理やり引き剥がす。
「幼い頃、この二人の騎士に憧れてね。舞台は公領の古森、単なるお姫様じゃきっと最後には王子様と結婚してしまうだろうから、じゃあこのお姫様は妹ということにしようと勝手に設定を変えて読み耽っていた」
「お気に入りの御本だったのですね」
「ああ。コーネリアも図書室をよく利用すると聞いたが、どうせ小難しい本ばかりだろう?息抜きにでもどうかと思って」
「嬉しいです。有難うございます」
ご兄弟で持っている思い出の本なの?それ私が三冊目もらっちゃって大丈夫?と思わなくもないが、断る選択肢など初めから存在しない。
絵本を抱えてお礼を言うと、アルバート様は気に入ってもらえたなら良かった、と微笑んだ。
「それから、山狩りに向かった騎士たちも帰城の目処がついたそうだ」
「まあ、では…」
「ああ。今日か明日にでも戻ってくるだろう。何やらあったようだが、ひとまず皆無事だそうだ」
その一言こそが何にも勝る見舞いの品だった。
演技でなく、安堵で脱力しほうっと息を吐く。
「そうですか。良かった…」
アルバート様の目が優しく細められた。
「優しい子め。君がフレッドを心配するように、フレッドも君が臥せっていることを知ったらきっと心配するだろう。だからあいつが帰ってくるまでに少しでも良くなっておくこと」
「はい」
「そのうち私と君を心配させた埋め合わせをフレッドにしてもらおう。その時、私にもサシェのお礼をさせてくれるか」
頭を撫でられながら告げられた思いがけない言葉にぎょっとして首を横に振った。
「いいえ。いいえ、そんな」
「君のサシェは本当によく効いた。余計なことを考えずにぐっすり眠れたよ、有難う」
「お役に立てたのなら光栄なこと、そのお言葉だけで十分です」
「ふふ、もう決めた。さ、君は身体を温めてゆっくり休むことだ。フレッドが生きて帰ってくるなら、私の心配は君の容態だけなのだから」
強引に話をまとめると、アルバート様はさっと身を翻した。
腹の前で手を重ねたメイがそれを見送る。二人はニ、三やり取りをし、そしてアルバート様はこちらに笑いかけるとひらりと手を振って去って行ったのだった。
その夕方。
薬湯を飲んで眠り、再び目を覚ました私はゆっくりと身体を起こした。うん、大分良い。
熱の確認のため私の手を握ったメイは、暫く黙り込んだ後、額や首元に手を当て尚も体温確認を繰り返した。
「…熱、下がっておりますね」
そんな納得いかない顔をしなくても。
まあ、フィッツロイの医師が処方した薬を飲んでも下がる気配のなかった熱が、子供の調合した謎の薬湯で落ち着いたのだから釈然としないか。
寝台の上で伸びをし、違和感がないかをチェックする。
「念のため文桐草だけはもう少し続けようかしら」
「お湯で割ったものをお持ちしましょうか」
「有難う。寝る前と朝に一匙分をカップ一杯まで薄めたものをお願い」
釈然としなくとも、効果があると理解したらメイは協力的だ。もしかしてサシェみたいにまた自分を使った試験でもこっそりするんじゃなかろうか。
まあ文桐草の蒸留酒漬けに関してはそれほど尖った効能をしていないからいいんだけどさ。
「食欲はございますか」
そう聞かれるが、正直なところ微妙である。なんせひたすら寝ていたから。
でも食べなければアルバート様の勘違いが加速しそうな気もするしなぁ。
「重いものは進まないやもしれませんね。果物はいかがでしょう。坊ちゃんが用意してくださいました」
「果物?この寒い季節に?」
聞けば、御用商人がどこぞから仕入れてきたらしい。
温暖な地帯か温室栽培が盛んな所でもあるのかもしれない。
…温室かあ。私もあるな、ガーデンハウス。果物栽培も楽しそうだ。
メイが持ってきてくれた皿には皮の剥かれた柑橘が乗っていた。
爽やかな香りだ。果肉がきらきらと光っている。見るからに美味しそう。これいくらしたんだろう。
神妙な顔でピックを取り、あむ、と口に入れた。
瑞々しい果肉を噛み締めると、ぶりぶりとした歯触りとたっぷりとした果汁が口の中で広がる。
甘味よりも酸味が舌を刺す。後に残るのは苦味だ。
でも美味しい。熱を出して鈍くなった味覚がすっきりとした。
そして、意外なことにそれらの風味は別の世界で過ごした三十余年の記憶を揺さぶったようだった。
不意打ちのような情動。
ぽろりと涙が一筋溢れた。
「………お嬢様、」
「ごめんなさい、大丈夫」
硬直したメイに手を振る。
どうやらかつての彼女も、こうして病に臥した身でよく似た風味の柑橘を口に運んだ事があるようだった。
もう片割れであるお子ちゃま半身に比べて余りに大人で控えめであったけれど、確かに彼女も私の半身だ。彼女の郷里を懐かしく思う気持ちは、私の胸を締め付け、涙腺を緩ませた。
「うん、分かった。ねえメイ、これの種はあるかしら。分けてもらいたいのだけど」
泣き笑う私に動転したメイは、すぐさま厨房へ走り取り出したばかりの種を集めてくれた。
後ほど聞いた話によると、勿論この話は御当主様筆頭に主だった面々に伝えられ、この柑橘の出所も徹底的に調査されたが、どうやっても私の涙と結び付かず皆首を捻ったそうである。




