言祝ぎの夜
扉を隔てていても人々の熱気が伝わってくるようだった。
頁を手繰る手を止め顔を上げた。
BGMとして絶えず流れていた楽団の生演奏が鳴り止み、暫し喧騒が静まった後わっと盛り上がる。
そろそろかもしれない。
「コーネリアお嬢様、じきに始まるようです」
「有難うございます」
ノックの後静かに入室したデリックさんが声をかけてくれた。
普段はへらへらしているデリックさんも今日という日は特別仕様だ。
普段の騎士服姿であるが、髪型はぴしりと決まっている。長剣を腰に下げている所なんて初めて見たなんて言ったら怒られてしまうかな。
「それでは扉は開けておきます。すぐ外で待機していますのでご心配はいりません。ただ申し訳ありませんがお口はできる限り閉じていてください。あ、何かあればベルを鳴らしてもらえれば」
「ええ、承知しております。お手数をおかけします」
「とんでもない。役得です」
軽やかに笑い、何でもないことのように手を振られたが言葉通りに受け取ることは難しい。
退室するデリックさんの背中を見送り、再び椅子の背に凭れた。
フィッツロイ城の広間では新しい年を言祝ぐ新年の宴が開かれていた。
公領に縁する主だった貴族、商家、その他有力者が挙って参加する華やかな夜会だ。この夜のために城では随分前から準備が進められてきたし、それは主催する側だけでなく参加者も同じなのだろうと思う。
とはいえ成人に満たない私に参加資格はない。
欲しいとも思っていなかったしいつも通り自室で夜を過ごすつもりだったのだけど、事情を知る皆が皆首を傾げた。
事情とはなにか。
耽美電波系音楽家アップルヤードの坊ちゃんとの一幕である。
いや、確かに新年の宴で竪琴を弾いてくれってお願いはしたよ。御当主様からのオーダーだったし。
そうしたら新しい曲を贈ってくれるっていうから、じゃあ新年の宴で聞きたいなとも言った。ちょっとトリッキーな人柄だったから会う機会を少しでも減らしたいという下心からだ。
私との出会いをテーマに、なんてぶっ飛んだことを言っているからこっちでテーマを選定もした。アルバート様のご婚約に託けたのは反省してるけど後悔はしていない。
その話をした時は、私は宴に参加できないけれど一曲聞く程度なら自室の窓でも開けて漏れ聞こえるものを楽しむのでも良いと思ったんだ。
なのに。
「この季節に窓を?体を冷やして寝込まれたことをもうお忘れになったのですか」
「お嬢様の気が乗らないようでしたら、その旨伝えて演奏自体を取り止めてはいかがでしょう」
「コーネリア、逆効果だ。あの一族はその手の拒絶も試練と称して愉しむ趣向をしている」
「当日の城の警護は騎士達が務めるのだから、コーネリア一人くらい誰の目にもつかせず守ることができるさ」
「…広間近くの休憩室を用意させる。お前に捧げられた曲なのだろう、一曲聞く程度ならば構わん」
ええええええええ。
私耳がいいから別に自室で十分なんですけど。
とは言い出せなかった。
いえ、そんな、あの、ともごもごしているうちに新年の宴の裏手で演奏を聞くことが決定してしまったのだった。
成人していない令嬢が宴の参加者の目に触れることは宜しくない。酒が入って気分上々な人もいるし、私を良く思わない人もいっぱいいる。
なので自室との行き来及びこの休憩室の周辺には騎士団の精鋭がぴったりと張り付き、万が一すらもないような警戒体制が敷かれているというわけである。デリックさん始めとした騎士の皆様、申し訳ない…。
「こちらをどうぞ」
メイが密やかに膝掛けをかけてくれた。
ありがとう、と目線でお礼を言う。
風邪をひいて以来、メイのお世話も更に手厚くなった。そしてやたらと厚着をさせたがる。
治ってから随分経つけれど、これまでに問答は散々してきてその度にばっさり斬られてきたので最早大人しく受け取ることとしている。
そうしていると、人々の騒めきが落ち着き沈黙が辺りを支配した。
あ、始まるな。
壁を隔てているはずなのに、青年の白く長い指が竪琴の弦を撫でる様子が目に見えるようだ。
きっと実際の姿とそう違いはないはず。
甘美な一音が鳴り響いた。
広間の緊張感がぐっと高まった。
一音の余韻が残るなか、透明感のある大小の旋律がさざ波のように寄せては返す。
まるで歌声のようだ。ぞわぞわぞわと肌が粟立った。
その曲は穏やかでありながら途切れることのない思いを伝えていた。
深く切ない音の集まりが胸をぎゅっと締め付けた。
儘ならない人の心の動きを表しているのだろうに、聞く者を浄化するような清らかさを一貫して感じる。もし天上の調べが本当にあるというなら、こんな音をしているのかも。
竪琴の柔らかくも厚みのある音色が存分に活かされ、「長き思いの実り」がまさに表現された多幸感に包まれる一曲だった。
楽器が良いことは間違いないのだろうけど、楽曲も、弾き手の力量も素晴らしいのだろう。呼吸すら抑えて聞き入ってしまっていた。
最後の一音が溶けるように消えていくと、少しの沈黙の後に割れんばかりの拍手が巻き起こった。
叫んでいる人もいる。鳴り止まない歓声は会場の皆の興奮そのものだろう。
広間にいたら、私も大きく手を叩いていたと思う。
気持ちが昂っていて少し苦しいくらいだった。上手く消化しきれていないのが勿体ない。
ほうっと息を吐いた。
私の感嘆が伝わったのだろう、メイが頷いた。
「芸術に特化した一族です。この一曲で生涯に渡る全ての無作法が帳消しとされるほどの」
ふうん、と返した相槌にメイは意味深な眼差しを向けたが結局何も言わなかった。
…なんだよう。さっきの反応、ダメだった?
静かな部屋に広間の喧騒が響いている。
次いで再びわっと沸き立った人々の声は混乱と喜びに満ちていた。
ああ、と思い至る。
もしかしたらアルバート様のご婚約の話が公表されたのかもしれない。
「じきに人の行き来も多くなりそうです。そろそろお戻りの準備を」
アルバート様のご婚約を心中で嘆いているであろう数多の妙齢の御令嬢方とそのご家族の悲哀に想いを寄せていると、扉の外から控え目な声が掛けられた。
歓談の時間へと移ってしまえば人目に付かずに戻るのが更に難しくなる。
慌ただしいが、ここまでたった。
「参りましょう」
厚めのベールを深くかけられ促される。
騎士の皆さんがハンドサインでやりとりをする中、そっと背後の広間にお辞儀をした。
彼のおかげで婚約の発表はより劇的に演出されたことだろう。一方的に利用したことにはどうしても罪悪感を感じてしまった。
後日ちゃんとお礼状を送ろう。音楽の申し子に相応しい美しい花を添えて。
「窓際は冷えます、こちらへ」
自室で、冷め切らない興奮から窓越しの夜空を見上げているとメイに声をかけられた。
窓から離れて暖炉の側の椅子に腰掛ける。
夜でも飲めるハーブティーがサーブされた。
「…前年は王城にて授業があるためシーズン中は王都へ滞在されましたが、この一年は公領でお過ごしいただくことになるようです」
メイの言葉に目を瞬いた。
言われてみれば、確かにあの鬼授業も終わりを迎えたな。
王都といってもほぼお屋敷と書籍館と王城のトライアングルだった。深い思い入れもなく素直に頷く。
「奥様はクローディアお嬢様とともに王都で過ごされますが、旦那様と坊ちゃん方は公領と王都を行き来されるとか」
「そうなの。大変ね」
あ、やば。思った以上にどうでもいいような返事となってしまった。
「私のせいで御負担になっていないかしら」
慌てて付け加える。メイは気にしていないようだったからセーフかな。
「元々フィッツロイ家は必要以上に王都へ滞在することを好みません。本来の過ごし方に戻っただけと言えます」
「そうだったの…」
これは本心からの驚きだった。
もしかして、昨年は私が王城に通うこととなったから皆様付き合ってくれていたのだろうか。
だとしたら申し訳ないことをした。まあ、特別授業への参加は御当主様からの指示で私如きに避けようはなかったのだけれど。
「今までお見せしたくともできなかったものがたくさんございます。この一年はきっとお忙しいでしょう」
「…?」
想像がつかず、メイの言葉に首を傾げた。
「例えばですが、芽吹きの季節はフィッツロイ城の庭園が一年で最も美しい時期。園芸師並びに庭師も張り切っております。例年以上に仕掛けが多いと考えられますから、毎日お庭に降りられてもきっと追いつきません」
「まあ」
「緑薫る頃には灯篭祀りがあり大きな市も立ちます。坊ちゃん方が綿密に視察の計画を立ててらっしゃるはずです。最近騎士たちが護衛、偵察の訓練に力を入れていると聞いていますから」
「…そうなの?」
「実り豊かであれば収穫期も賑々しいものとなりましょう。地域によって大小様々な催しがありますし、あるいはまた泉に向かわれても宜しいかもしれませんね」
想像すると胸を擽るような話ばかりで、堪らずくすくすと笑みが溢れた。
「すごいわ。なんだかとても楽しそうな一年になりそう」
「はい。年の始まりには、親類、縁者とこうして次の一年を語り合うものです。きっと今頃旦那様も、一年をどうお過ごしになるか表明されていることでしょう」
そういうものか。
確かに、広間では御当主様がきっと今年の展望をお話されていたりするんだろうな。深刻度は桁違いだろうけど。
「そうね。一緒ね」
「そうです」
御当主様に聞かれたらあの冷え切った視線で睨め付けられそうなことを笑いながら、再び窓の向こうに視線を向けた。
なるほど、次の一年を語り合う、ね。つまりは年の初めの抱負ってやつだよね。
知識として知ってはいてもそんなこと考えたことがなかった。精霊は悠久の時を生きるからね。周りがそもそも時の節目を意識することなんて滅多にない。
前年は前年でこの新年の宴に駆り出されてお披露目を済ませ、ばたばたと王都へ向かい流されるまま日々を熟してきた。
それも決して退屈ではなかったけれど、今年は少し違う風に過ごしてもいいかもしれない。
この一年の始まりは、そんな言祝ぎの夜、どこかふわふわした思いからスタートしたのだった。
これで第二章もおしまいです。
次は短めの三章を経て再び王都へと戻ることとなります。
再開までまた暫くお時間をいただきますが、お付き合いいただければ嬉しいです。




