焼き立てパンに罪はない
フレドリック様が出立されて数日。
お城の中はいつもの日常を取り戻したように見えるけれど、騎士の皆さんはまだまだ忙しない日が続いている。
私はといえばいつもに輪をかけてぼんやりしている頻度が増えたようだった。
何もないところで躓くようになったし、刺繍針を一日に三度指に突き刺したし、ついには教師の一人からお叱りを受けた。
集中できないなら時間を割いても意味がないとはっきり申し渡されたところで漸く自覚が沸いた。何やってんだと自分で頬をばちんと叩いたら、メイがすっ飛んできた。
そして、私の生活態度について家人や教師から雇い主である御当主様へご報告がいくのは当然のこと。
そんな話を小耳に挟んだアルバート様からお茶に誘われ今に至るというわけである。
「今度の新年の宴ではアップルヤードが竪琴を披露すると聞いた。君が頼んでくれたと」
お話の始まりはそんな一言だった。
招待されたのは比較的広めのガーデンルームの一つ。
中庭を一望できるくらいの大きなガラス窓は、今の時期だと雨でも降れば大層冷え込むが今日みたいに天気のいい日なら微睡んでしまうくらいに暖かい。
メイドにお茶を淹れてもらいながらアルバート様と向かい合う。
「そんな。あちらのお申し出があってのことで、私は何も」
「誰がどう頼んでも頑として聞かない奴らだったんだ。それを頷かせたのだから誇っていい」
褒められるほど骨を折ったわけじゃないからそっと視線を外すと、アルバート様が楽しそうに身を乗り出した。
「それに、新曲を書いてくれると言ったんだろう?あのアップルヤードが。新年の宴に間に合うように」
アルバート様が悪戯気ににっと笑うとびっくりするくらいフレドリック様と似ている。やはり御兄弟なんだなあと思いながら私も苦笑いを返した。
先日の調律を終えた後、メイから滔々と説明を受けている。アップルヤードが演奏会に合わせ曲を作るなんて滅多にないことだと。
音楽に全振りしたスーパー自由人の家系である。
もちろん多くの王族・貴族家がその才能に惚れ込んで特別な一曲を欲したけれど、それらは当然の如く無視された。代々美意識が高く、不完全な人の子よりも自然や天候、思想といった超然的なものを好む傾向にあった彼らだから、誰かを想って曲を作る、贈るということは本当に稀なのだそうだ。
逆に奇跡的なタイミングで彼らの気まぐれとバッティングすれば、無造作に与えられたりもしたらしい。
そしてそのうちのいくつかが他国の賓客を出迎える時だとか、あるいは王様の心労著しい時だかにヒットしたおかげで今もまだ彼らは貴族の一員であり続けている、なんていうのはおまけの話だったが。
「…彼の方は、フィッツロイ家への感謝を口にしていました。今回快く受けてくださったのも、それに報いる気持ちがあったように思います」
思い返しながらそう言えば、アルバート様は眩しいものにでも相対した顔でしみじみと私を見つめた。
「感謝もあろうが、あの家は兎角美しいものが好きなんだ。信仰していると言っていい。…己を捧げることはあっても強要するような連中ではないから心配ないとは思うが」
「左様ですか」
「他の家に比べればまだ安全な方だから、周りに頼る者がいなければ遠慮せず使うと良い。あれでも、王都でも名の知れた家柄だからね」
頼らなきゃいけないような事態に巻き込まれたくないなとも思う。
躊躇いながらも小さくはいと頷くと、アルバート様は満足そうに微笑んだ。
「いい子だ。ああ、せっかく淹れたのに話し込んでしまったな。お茶は冷めていないか」
ぱっと空気が切り替わった。ワゴンを持ったメイドが数人静かに部屋へと入ってくる。
香ばしいバターの香りがいっぱいに広がった。暴力的なほどいい匂いだ。
てきぱきとお茶が淹れ直され、お皿とカトラリーが用意される。そして広げられたのは焼き立てのパンの籠とつやつやとした大ぶりのタルトだった。
「まあ」
「最近食事の量が落ちていると聞いた。ただでさえ食が細いんだ、ちゃんと食べないと倒れてしまう」
その言葉には無言で返した。
確かにここ暫く食が進まないこともあったが、それ以外は事実と異なるという自覚があるからだ。
私は著しく発育が遅いだけで恐らく食べ過ぎなほど食べているし、食べないなら食べないでどうとでもなる体をしている。
いやでも焼き立てパンに罪はない。今食べなかったら、この子たちは焼き立てではなくなってしまうのだから。
…などと自分に言い訳をしながらパンを取り分けてもらった。
アルバート様の目配せを受けたメイドが、私の皿にタルトも載せる。
なんかすみません。
ほかほかのパンをちぎって口に運んだ。
暫し沈黙が続く。
「…フレッドのことが心配か?」
顔を上げれば、アルバート様がなんとも優しい表情でこちらを見ていた。
するりと言葉が口から出ていた。
「心配です。…とても」
「そうか。私もだ」
困ったように、でもどこか嬉しそうに笑うと、アルバート様は手を組んでその上に顎を乗せた。
「あいつが遠征に行く度、夢見が悪くなる。報告が遅れていると嫌な想像ばかりしてしまったりな。なのにあいつはなんて事ない顔で帰ってきては、心配性だと笑うんだ。次期当主なのだからもっとどんと構えていろと」
非道いだろう?と呟かれた言葉はため息混じりだ。
「…待つ身は長いのですね」
「正に。待たせる側はそれを分かろうともしないのだから」
アルバート様にとってフレドリック様は最も年近くたった一人の同母の弟御なのだ。一緒に過ごされた時間も長いだろう。
その身が前線に行く、不安は如何程か。
想像してじくじくと胸が痛んだ。
仲の良いご兄弟だ。何事もなく無事に戻って欲しいと、私の何倍も何十倍も願っているはずだ。
ああ、少し前の私とは感じ方が違う。アルバート様の気持ちが少しだけ分かるやもしれないと思った。
「…私は、ご無事に帰ってきてくださいますようにとお祈りをして、お顔を見てご挨拶をしたら少しは気持ちも治った気がしたのですけれど。でも駄目ですね、気付いてみればどうにも心を平静に保ってはいないようで」
「そういうものだ。装備を整え、修練を視察し、味方を増やした。万全の準備を整えたけれどこの不安はなくならない。…でも、こうしてその気持ちを君と分かち合う事ができて、私は心強く思うよ」
優しい声に背中を温められたような気がした。
「…はい。私も、心強く思います」
一番に不安の炎に炙られているはずのアルバート様の姿に、しっかりせねばと気持ちを新たにする。
ご自身も揺らいでいるだろうに政務を果たし、その上お家の養い子のフォローまでさせてはいかんのだ。寧ろ私が何かお役立てる事はないものか。
そう思い、ふと先の会話を思い返す。
「…アルバート様は、その、疲労を溜められてはおりませんか」
「うん?」
「先ほど夢見が悪くなると」
唐突な台詞に目を丸くしたアルバート様は、幾度か瞬きをされた後破顔した。
「そうか、私のことも心配してくれているのか」
しまった。不躾だったか。
自分の言葉が立場を弁えないものであったと察して慌てると、本人は笑いながら首を振った。
「有難う。私がフレッドやコーネリアを案ずるように、コーネリアも私を案じてくれるのだね。弟のことばかりぐちぐちと言ったが、どうして自分のことは存外見えていないものだ」
笑みを抑えたアルバート様は、深く椅子の背にもたれ掛かると少し体の力を抜いたようだった。
「…そうだな、実はあまり良く眠れていない。体力には恵まれているから日常生活に支障はないけれどね。まったく、あいつがさっさと片をつけて帰って来れば安眠できるのに」
「それでしたら!」
嘯くアルバート様の目元の影に気付いて眉が下がりそうになるが、だったら、と気持ちを奮い立たせる。私にも力になれそうな事があるじゃないか!
メイに頼んで自室に積まれたサシェを取ってきてもらうと、勢いこんで丸机の上に並べた。
「これは?」
「私のガーデンルームで育てた薬草を入れているのです。心を落ち着かせる配合で、よく眠れると。…メイとリジウェイ夫人から聞いています」
N=2だけどね!私は常に快眠だから、匂いを楽しむためだけに使っている。
「…中身を疑うくらいには良く眠れました」
メイの言葉で、興味深そうにサシェを手に取っていたアルバート様の表情が微妙なものとなる。
あ、サシェを机に戻した。
「ご心配いりません。確認しましたが、残存魔力が高い以外には著しい異常はありませんでした。配合も極一般的なものです。仕組みが分からないからこそ恐ろしいのですが、そんな不安も眠気で押し流されます」
「…メイ?」
「失礼いたしました。種も仕掛けもない、お嬢様謹製の意識を刈り取るサシェです」
「メイ!?」
これ褒めてる?褒めてないよね!?
「鼠・鳥・犬とともに私も継続して使用していますが今のところ依存性含め健康被害は出ておりません。寧ろ眠りが改善され心体ともに調子が良いくらいです。万が一を考え持ち歩くのはお控えいただいて、寝室でのみご使用されるのであればこれ以上ないものかと」
「残存魔力が高いと言ったか。その辺りが効いているのか?」
「高いとはいえ極僅かなもの、それよりは治癒へと淡く指向性を持っている方が大きいのやもしれません。短時間の睡眠でも恐ろしいくらいに回復します。旦那様からは流出は厳禁なれど家内で楽しむ分には自由で良いとお許しを頂いています」
そこまで聞いてうんうんと頷いたアルバート様は、呆然としたままの私ににこっと笑うと、先ほど机に戻した百合の刺繍が施されたサシェを再び手に取った。
「コーネリア、有難う。大切に使うよ」
すごい今更感!




