変則鬼ごっこ
いや、本当にすごいなメイは。
そんなことを思いながら、再びの終末世界に降り立った。
再開してから三度目の訪問である。
平衡を取り戻すためとはいえなかなかのハイペースだったが、メイに疲れを指摘されてしまったしもう少し頻度を落とそうかな。
(そう?わたしはあんまりすきじゃない)
後ろから硬い何かに突かれて、前に倒れかかる。
振り向けば立派な角を有した雄鹿が私の背中に鼻先を擦り付けようとしていた。
今回は鹿か。そして私を突いたのはこの角か。
(メイのこと?なんで?)
痛いから離れてほしいと角を押し返せば、不満そうに頭を振った。
(いっぱいさわるから)
(触るのは好きだけど触られるのはあんまり好きじゃないってこと?)
(きみならいっぱいさわってもいいよ)
(いや、平気)
ぶるるん、と鼻を鳴らし地面を蹴る様子に、ごめんごめんと謝っておいた。
唸るように極太の蔦が猛スピードで伸びてくるのを紙一重で避ける。ピンと張られた蔦が緩む前にその上を走り抜けると、後ろから蔦の先端が追いかけてきた。
私の首を狙って飛んでくるそれは最早銛である。
めっちゃ怖い。
頭を下げて右に左に体を傾け決定的な一撃を避ける。避けなければ手加減なしでちゃんと首を貫くことを知っているから、必死で避ける。
びゅっと音がして右上腕の肉が弾けた。
いいい痛いいいい。
傷口を痛みごと力任せに押さえつけて尚も走る。ゴールはすぐ側だ。
極太の蔦から飛び降り、蔦が絡まってできた城門にへばりつくと一気に駆け上がった。
そしてその内側で優雅に丸くなって昼寝を決め込んでいる雄鹿に向けて渾身の一撃をかますべく城門の上から飛び降りる。
鹿の耳がぴくりと動き、ゆっくりと首をもたげた。
当初のルールは私が鬼役の鬼ごっこで、逃げるあの子に触りさえすれば終了のはずだった。
いつからこうなったんだっけな。
いつからか、あの子の情操を育てるための遊びから私が内なる力に引き摺られないようにするための修行に変わり、あの子は逃げるのではなく蔦を伸ばすようになり、私はただ追いかけるのではなく痛みを覚悟するようになった。
自由落下で互いの瞳すら視認できる距離にまで近づいた時、鹿がピュイ、と鳴いた。
城壁のそこかしこから蔦が手を伸ばす。
全方位からとんでもない速さで伸びてきた蔦を体を捻りながら避け、そのついでに鹿の顎を蹴り上げようと振り上げた足首に、鹿が横たわった地面からしゅるしゅると伸びた細い蔦が巻きついた。
うげ。
悲鳴すら間に合わない。
息を呑んだその一瞬、蔦に引っ張られて私は受け身も満足に取れないまま鹿の真横に墜落したのだった。
(おしかったね)
(…ッソウデスネ)
咳き込んだ後、はー、はー、と肩で息をする。
汗が噴き出る。体を動かしたことによるものだけじゃなくて、痛みによる冷や汗もあるだろう。
一番の重傷はもちろん右腕だけど、着地に失敗したせいで体の左側が漏れなく痛い。
負荷をかけた心臓や肺も異常事態を訴えかけていた。
(…しんど)
(なおしてほしい?)
(別に良いです)
涙が止まらないくらい滅茶苦茶痛いし、この子に頼めばこれくらいの怪我なら瞬時に治せるだろうことを予想できていながらもその申し出を丁重にお断りする。
勿論意地であるが、ここでの怪我は現実には反映されないのだ。
覚醒した時に体力というか気力はごっそり持っていかれるけれど、痛みや傷はなかったことにできる。魂に根付いた恐怖はなかなか消えないんだけどね。
それに何より、この内なる世界でこの子からの施しを受けてはならぬという母の教えがあった。
食べ物や飲み物、贈り物は受け取らないようにしなさい。
居心地のいいお部屋があっても長居しないようにしなさい。
どんなに辛い思いをしても怖い思いをしても、あの子に縋ってはだめよ。
なんでだめなのかはすぐに分かった。
言葉巧みに与えられた食べ物は、この世のものとは思えないほど美味しく心身の充足を促した。
遊び疲れ果てて導かれた簡素な小屋は、別の世界の実家を思い出させる作りをしていた。
この世界を牛耳るこの子は、何かにつけて甘やかな声音で私への奉仕を囁いた。
要するにこの終末世界は私を堕落させる手腕に長けているのだ。戻らなくてもいいんじゃない、とか簡単に思わせる。
これだけでも嫌な予感がぷんぷんするといった所だが、決定的に危機感を強めたのは遊びの途中力加減を誤って私が怪我をした時のことだった。
思わず痛いと泣いて助けてと手を伸ばした私を見て、この子は笑ったのだ。耳まで裂けた大きな口で、満足そうに。
この子はそれまでもあの手この手で私をこの世界に隷属させようとしていたが、それらのうち痛みを与えることが最も有効な手段であると知った、歓びの笑みだった。
それ以来、手加減の差こそあれ私は毎回気を失った方がマシなほど痛めつけられるようになった。
大切に大切に思っていた小さな友人が実は猛獣どころか敵性宇宙人だったことに気付いた時の衝撃よ。
調和の訓練をサボらずやるように言われても可能な限りご遠慮したかった私の事情はここにある。
ずるずると体を起こして、足に絡みついた蔦を手で外した。
(いっ…)
裏面に棘が生えている。
巻き付かれた足首は勿論、触れた指先にも血が滲んだ。
本当に細部まで手の込んだ嫌がらせだな。
(いたい?)
(痛いよ)
そう答えると、鹿は機嫌良さそうにピュイピュイ喉を鳴らした。
(なおして、っておねがいしてくれたらなおしてあげるよ)
(放っておけば治るから要らない。というか怪我するような無茶な遊びはもうよくない?この変則鬼ごっこも何回やったことか)
(おにごっこ、たのしいのに)
悲しそうな声にうっと怯む。演技だと分かっていても、この声にはどうにも弱いのだ。
(もっと楽しい遊びはいっぱいあるよ。えーと、カードゲームとかどう?)
(きみがまけたらめをくれる?)
(…あげないよ…)
いくら治るとはいえ人体損傷を賭けたゲームとか嫌すぎる。
頭を抱える私の膝に、半身たる雄鹿が機嫌良さそうに顎を乗せたのだった。




