貴族の嗜み
庭を臨む日当たりの良い部屋で、リジウェイ夫人とお茶の席を囲んでいる。
いつもは刺繍を刺しながら休憩がてらお茶をいただいていたが、今日は偶然お城に来ていた夫人を見かけ急遽お誘いしたためお喋りがメインである。
御当主様の側近の一人である子爵に着いてこられたそうだ。ラブラブですなぁ。
「あの、リジウェイ夫人」
私は斜向かいに座る夫人にそっと声を掛けた。
先ほどから何かを言いかけては黙り込む、明らかに挙動不審な私にもリジウェイ夫人は気にした様子を見せず、陽だまりのような笑みを浮かべた。
「はい、どうされましたか。コーネリア様」
う、なんて優しい微笑み。
穏やかな声音に背を押され、おずおずと顔を上げた。
この一言を申し上げるためここ最近は念入りにシミュレーションを繰り返したのだ。
お会いしたら言うと決めたでしょ、と自身を叱咤しながら口を開いた。一息で言いきる。
「あの、以前お話ししていた大柄の刺繍、是非取り組んでみたいと思いまして」
「まあ」
その一言でリジウェイ夫人は背後にぱっと花が咲いたかのように雰囲気を明るくした。
逆にこちらが慌ててしまう。
「覚えていてくださったのね、嬉しいです」
「まだ力量に不安はあるのですけれど」
「いいえ、このサシェの刺繍もとっても素敵だわ」
夫人が手に取ったのは、先ほどお渡しした謹製のサシェである。
中身はガーデンルーム産の百合と薬草の心を落ち着かせるブレンド、外袋には百合の刺繍を施してある。
先んじて同じものをメイに贈り、メイから「ちょっと疑いを持つくらいよく眠れました」と太鼓判を押された一品だ。
え、褒めたんだよね?
「大柄を刺すようになると意匠の幅がぐっと広がりますから。私、実はコーネリア様にはどんな図案がお似合いかしらってあの後も一人ではしゃいでおりましたの」
恥ずかしそうに頬を染めるリジウェイ夫人を見て胸を撃ち抜かれたような気がした。
「嬉しいです。最初お話をいただいたときは技量に自信がなくて迷っていたのです。でも、夫人とこうして過ごす時間がとても楽しくて、挑戦してみたいと思いました」
「そんな、コーネリア様はとてもお上手になられましたもの。きっと素晴らしいものが出来上がります」
夫人にそんな風に言われると、なんとかなりそうな気がしてくる。以前下絵を見た時の及び腰は遠くの方へ消えて行った。
夫人に言ったことは決して上辺だけの言葉ではなかった。夫人との明るく朗らかで、そして茶目っ気のある会話は、森でも孤児院でも味わったことのない不思議な高揚を私に与えた。
自信のない刺繍に向き合おうと考えるほど。
私自身は7歳だけど、半身は三十余年生きていた。
一方的だが夫人のことを歳の近い姉のように、あるいは友人のように思っているのかもしれない。
「どんなものが良いか、ご相談に乗っていただけますか」
「勿論喜んで!いくつか選んだものがありますのよ。今度お持ちしても良いかしら?」
「ええ、楽しみにしています」
手を取り笑い合った。
夫人は笑うと目が優しく細められて睫毛が小さく震えるのだ。
うーん、可憐。とてもではないが子供が二人いるようには思えない。
私よりも余程妖精じみた方だな、と改めて見惚れてしまった。
子爵がお迎えに来ないのをいいことに、もう暫くお喋りを続ける。
「そういえば、お嬢様はクラヴィアを続けてらっしゃるのですか」
子供といえば、夫人の娘さんは音楽、特にクラヴィアに夢中だと聞いたことがあった。
そう思って尋ねれば、夫人は少しだけ困ったように口元を押さえて笑った。
「ええ。好きな分だけ上達も早かったみたいで、幾つか曲も弾けるようになったのです。今度お茶会で披露するのだと張り切っておりますわ」
「まあ、もうそこまで」
「最初は刺繍から逃げる口実だったのでしょうけど、意外にも合っていたようで」
呆れた口調だが、表情は嬉しそうだ。
貴族社会で必要とされる楽器の習熟度がどんなものなのかはよく分からないが、数曲も弾ければ困ることはないのではなかろうか。
リジウェイ夫人によく似た少女がクラヴィアを弾く姿を想像して、内心呟く。
女神かな、と。
「コーネリア様は興味のある楽器はおありですか」
夫人にそう聞かれ、首を傾げた。
「いいえ。あまり触れてこなかったものですから…皆様幼い頃から親しまれてらっしゃるのですか」
「貴族の嗜みのひとつですから。コーネリア様も、今まではより優先度の高いものを学ばれていたのでしょう。そろそろ、と考えられているかもしれませんわ」
楽器か。
必要ならば習うことに否やはないが、果たしてあの合理主義な御当主様が私にそんなことを学ばせるだろうか。
貴族の嗜みより前に身につけることがあるだろう、と言い放つ姿が目に浮かぶんですけど。
ないなと結論づけ気の抜けた顔をした私に対し、リジウェイ夫人は顎に指を当てて少し考え込んだ。
「今まであまり身近でなかったのであれば、色々な楽器に触れてみるのが一番ですが…フィッツロイ家は代々リュートを得意とされていました」
「リュートですか」
「ええ。若君様達も習われていましたし、閣下はリュートの名手でいらっしゃいます」
そして悪戯ぽく笑った。
「閣下がリュートを奏でられる姿はそれはもう麗しくて、年頃の娘は皆胸を焦がしたものですわ」
「まあ…御当主様が?」
「ええ。爵位を継がれる前でしたけれど、余興だと仰ってよく。お好きだったのだと思います」
わあ、知られざる過去だ。
なんでもできそうだとは常々思っていたけれど、そうか、リュートかあ。
あんな険しいお顔をしているのにぽろんぽろんとロマンチックな曲を奏でちゃうのか。
だめだな、想像できない。
「代々伝わるリュートもあったはずですから、機会があればお手に取ってみてはいかがでしょうか」
「そうですね。ありがとうございます、夫人」
夫人の言葉ににこっと笑って頭を下げた。
オーケー、リュートね。いい事を聞けた。
代々伝わる楽器を養い子が手に取っていいわけがない。それを引き継ぐべきなのは私ではなくクローディア様だ。
仮にいつか楽器を習うとしても、リュートは避けるようにしよう。




