精髄たるひと雫
糸の始末をし、完成した小袋を小山の上に積み重ねる。
鳥、百合、蔦、と色違いでも刺してきたがいい加減バリエーションが尽きてきた。次はどうしようかな。
クローディア様のお誕生日のお祝いのために急遽習った刺繍だが、目的を果たした後も細々と続けていた。続けざるを得ないというのが正確だろうか。
いや、本当自分には向いているとも思えないからクローディア様、アルバート様、フレドリック様へそれぞれ手巾をお贈りしてめでたしめでたし、で終わるつもりだったのである。しかし、
そんなこと仰らないで、次はこれを刺してみない?
と慈母のような顔でリジウェイ夫人が仰るから…!
私に刺繍のいろはを教えてくださったリジウェイ夫人、グレタ・リジウェイ様とは公領に戻ってからも仲良くさせていただいている。
アルバート様とフレドリック様にお贈りした手巾はリジウェイ夫人にいただいたデザイン案を丸パクリしたものである。実際に刺すにあたってもお手紙で幾度もアドバイスを送ってくださった。
そんな御礼も兼ねてお二人が手巾を喜んでくださったことをお伝えしたら、その少女めいた相貌に喜色を浮かべ、私の手を握ってはしゃがれた。とてもお可愛らしかった。思い返すと胸を押さえてしまうくらい。
そして、長いようで短かった刺繍の日々を思い返しつつも、不器用な私でもどうにか完成に漕ぎ着けたのは夫人のおかげです有難うございました、と申し上げたら先の台詞である。
…これで断れるやついます!?
夫人のお嬢様はやはり刺繍からはすっぱり足を洗ったらしく、代わりと言っては何だが御母堂の趣味に付き合う若い娘が見つかったことを喜ばしく思っているらしい。夫人がそう仰っていたし、直接お手紙もいただいてしまった。どれだけ開けっ広げなんだ。
まあそんなわけで、以来リジウェイ夫人がお城にいらしては一緒に刺繍を刺しお茶をいただくというお付き合いを続けているのである。
今トライしているのは自家製サシェ用の小袋への刺繍だが、次は手巾全面に大柄の模様を刺してみようとお誘いいただいている。
一緒に図案集を覗き込みながらこれがいいと思うのと指差された頁は、下絵の段階で最早絵画かなというレベルのものだった。
これを刺すのが夫人ではなく私だということに震えが走る。
従って当初予定より随分サシェ用の小袋のストックができたが、なかなか腹が決まらずもう少しだけ…もう少しだけと小袋を作り続けている。
さて、今日は豊作となった月葉草を有効活用すべく、蒸留により精油の抽出を行いたいと思う。
葉にも茎にも花にも実にも、そして根にも薬効のある月葉草。効果自体はささやかなものだけど、捨てるところなしの優等生を手に入れてついついテンションが上がってしまいうっかり繁殖させすぎた。
もともと生命力の強い植物であったため、手に入れてからそう日も経っていないというのに剪定と差し木を繰り返していたらあっという間に生い茂ってしまったのだ。
一部を除き綺麗に収穫をすると、茎と根は乾燥させ緑に光る葉は蒸留に回すこととした。残した数株は花や実がなるまで育てるつもりだ。もし精油が期待通りの効果を果たすのであれば再び繁殖させても良い。
月葉草の葉は鎮静の効果があるらしい。母のレシピではぐつぐつ煮込んだものの上澄みを使うとあったので、熱を加えても薬効に問題ないだろうと踏んでいる。
とはいえ、葉の蒸留で精油まで取れるかはやってみないと分からない。まあどの部位を使ってどう抽出したかは分からないが月葉草の精油自体も売られているから、それほど分が悪い賭けではないはず。
丁寧に摘んだ葉は土埃を落とすために水でさっと洗い、蒸留器にセットした。
煮出すのではなく蒸気で蒸す方向で行く。
母の薬湯の尋常じゃないえぐみから少しでも離れるためである。
炉に火をつけ暫くするとふわりと立ち昇る月葉草の香り。
今回は酒の再蒸留とは異なって部屋の扉は閉めている。僅かに窓を開けているだけだから、えも言われぬなんとも馨しい香りがそう広くないガーデンルームいっぱいに広がった。
「…良い香りですね」
「少し甘くて温かみがあって、安らぎを与えてくれる香りね。メイはこういうのは嫌いではない?」
「優しい香りだと思います」
「それなら良かった。香りが強いなら言ってね。窓をもう少し開けるから」
蒸留器の管を通ってぽたりと雫が極細のゴブレットへ落ちていく様子をじっと眺める。
蒸留器を使うのは二度目だが、なんとなく目が離せない。酒の再蒸留の時は長いこと側にいると酔っ払いそうだからこんなにまじまじとは見ていられなかったのだ。
蒸留を終え、透明な液体が満ちたゴブレットを透かして液面を見ればほんの僅か二層になっていることを確認した。
「わ、できた」
まさか一発でいけるとは。ちょっと感動だ。
ガラス細工の毛細管でもってほんの僅かの上澄みのみを吸い取る。
あれだけたんまりとあった葉っぱからたったこれだけしか得られない、月葉草の精髄たる一雫の完成だ。
「…とっておきたい気もするけど」
母手製の月葉草エキスとは作り方が異なるため、きちんと鎮静の効果が抽出できているかを確認しておきたい。折角手に入れた精油だが、ケチケチせずに検証に使ってしまおう。
勿論先日漬け込んだ文桐草の蒸留酒も同じように確認が必要だ。あれはいい具合に薬効が染み出すまでまだもう暫くかかりそうだけど。
「鑑別紙、鑑別紙…」
「お嬢様、こちらです」
メイに手渡された瓶には短冊状に裁断された紙の束が詰まっている。
お礼を言って受け取った。
薬草の聖地たるフィッツロイ領発祥のスーパーテクノロジー、鑑別紙。
特殊な加工を施したこの紙に対象を含ませると、その薬効をざっくりと判断できるという。これは簡易版だけれど、元となった技術は今や大陸全土に広まっているらしい。すごいなぁ。
主に薬師や薬草酒の蔵元などで簡便なモニタリング方法として利用されている鑑別紙だが、誕生日のお祝いにとフレドリック様が瓶いっぱいに贈ってくださった。
私もよくこれで遊んだんだ、と懐かしそうに目を細めてらしたけど、フィッツロイ家ではこれ玩具の扱いだったんだね。
紙片を一枚取り出す。
紙片上には中央の窪みから五方向に線が走っている。
窪み部分に毛細管を当てるとふわっと雫が滲んだ。これでしばし待つ。
徐々に五本の線に沿って細く滲みが進む。さながらレーダーチャートのようだ。
滲みが落ち着いたら、その形で薬効を詠むらしい。
詠み方も色々流派があるようだけど、ピークが高ければ高いほど薬効が強く、あまりに強ければ転じて毒と判断されるとか。
今回生成した月葉草のエキスは左と左下の線に特化して伸びていた。特に伸びが著しい左の線は下絵の八割くらいに及んでいる。
単純に薬効自体は強いけれど、ほかの精油と比べたら弱い部類なんじゃないかな。
筆記帳を開き、チャートの形をメモしておく。こいつの詠み方は後で教えてもらえばいいとして、まずはデータを貯めたい。
この蓄積はいつか何にも替え難い財産となるだろうから。
さて、残った雫は官能検査用である。基礎研究なし、動物実験なしでの臨床試験ともいう。被試験者は勿論私だ。
鑑別紙の情報と私に対する効き目を紐付けする必要がある。かつて体感した母のレシピとの効き目の差も確認できたらいい。
まあ仮にも精霊の血を引くのだから、植物由来の毒素でさすがに命に関わることはないという分だけ気楽なものである。
とはいえメイやらクライヴやらに正直に話して承諾が得られるわけもないので、そこは思案のしどころだ。
鎮静の効果を見るためには、興奮状態になる必要があるのだ。どうしよっかな。




