6.写真
伯父はカメラを首に提げ、手を繋いでふたり廊下へと出た。
教えられた部屋をふたりで探した。
階段を昇って左側、つまり伯父たちのいるカケスの間がある並びのことなのだが、そこには部屋が九十二室あった。
手前から順番に探したのだが、残念ながら、そこに該当する部屋はなかった。
反対側の廊下へとふたりは行った。
一部屋ごとに木彫りの表札を見ていくことにした。
階段から数えて二十三部屋目、そこに教えられた「丹頂鶴の間」があった。
ほぼ約束の時間だった。
「ごめんください」伯父は言った。「今朝ほどお誘いを頂いたものですが、十時のお約束で伺いました」
「どうぞ、お入りください」
部屋の中から、今朝の旦那さんの声がした。
襖が静かに開いた。
奥さんが内側からそれを引き開けたのだ。
「お待ちしていましたよ」と顔をのぞかせた着物姿の奥さんが、にっこり微笑んだ。
「失礼いたします」そう言うと伯父は一礼し、中に入って行った。
小夜子さんも慇懃にお辞儀をすると、伯父の後に続いた。
部屋に入ると、卓袱台が6畳間の中央に置かれていた。
背広姿の旦那さんがその奥に座っていた。
出された座布団に座ると、伯父はカメラを右脇の畳の上に置いた。そして、改めて伯父が礼を述べると、左に座った小夜子さんもゆっくりとお辞儀をしたのだった。
ひと通りの社交儀礼的な挨拶が済むと、奥さんがお茶を注ぎながら伯父に尋ねた。
「お写真をお撮りになられますの?」
伯父は頷いた。
「下手の横好きってやつなんですが、趣味で写真を撮ってるんです。ここら辺にもいい景色の場所があるって、さっき庭番の青年に聞いたものですから撮っておこうと思って」と彼は答えた。
「なんだか準備が良い方だなと思いましたの」奥さんが微笑んた。「でも、趣味でらしたのね」
「と、おっしゃられますと?」伯父は不思議に思い、尋ねた。
「今朝ほどお話しした件です」旦那さんが言った。「あなた方にお見せしたいものがあると言いましたでしょう」
旦那さんが奥さんに一瞥を送った。
軽く頷くと、奥さんはすっと立ち上がり、二羽の丹頂鶴が舞う日本画の描かれた襖を静かに開けた。
隣間が空間的に広がった瞬間、「わぁぁぁ」と小夜子さんが溜息とも歓声とも思えるような声を漏らした。
そこには、純白の打掛がまるで翼を広げた鶴のように衣桁に掛けられていのだった。
「これを、あなたの奥さんに袖を通していただけたら、私たちとしてもありがたいなと思うんです」と旦那さんが言った。
「よろしいのですか?」伯父が訊いた。
「もちろんですわよ」と奥さんが微笑んだ。
「これはね、家内が私のところに嫁いで来たときの花嫁衣裳だったんです」旦那さんが静かに話し始めた。「私たち、初めての仲人を頼まれましてね。最初は丁重にお断わりしたんですが、相手方がどうしてもお願いしたいということで、ま、これも何かの縁だろうということでお引き受けしたんですね」
旦那さんの話はこうだった。
* * *
夫妻は或る山村に住んでいた。
或るとき、村の若い衆から仲人を頼まれ、お祝い事ということでこれを引き受けた。
若い衆も大変喜んだということである。
婿さんも花嫁さんも夫妻の知り合いであったので、貧しい若いふたりの様々な事情もふたりは解っていた。
だから、奥さんはせめて花嫁さんくらいには一生の思い出に花嫁衣裳を着させてあげたいと思ったのだ。
或る時、彼女はそのことを旦那さんに話した。
それを聞いた彼も彼女の優しい気持ちにあらためて触れ、強く心打たれたのだった。
こうして二人は、奥さんの嫁入り衣装を町の着物屋へ仕立て直し出すことにした。
仕立て直しに出して1月ほど経った或る朝、内掛けが仕上がったという連絡が入った。
その日はちょうど町にいく用事もあったので、わざわざ手間を取らせて届けてもらうこともなかろうということで、夫妻はオート三輪に乗ってそれを受け取りに町へと出掛けた。
その着物屋の職人の腕は目を見張るものだった。
その仕事ぶりは二人を十分に満足させるものだった。
用事を済ませ、衣装も受け取った二人は、山間の九十九折の砂利道をのんびりと帰ることにした。 ところが、である。
峠を越えた辺りで、急に雲行きが怪しくなった。
やがて雷鳴や閃光とともに、雷雨が激しくオート三輪の窓ガラスを叩き始めたのだった。
下り始めて何個目かのカーブに差し掛かったときだった。
右への急カーブ。
軽くブレーキを踏んだ。利かない。
深く踏み込んだ。
ダメだった。スコンと抜けたような感じで、ブレーキが利かなくなってしまった。
二人を乗せたオート三輪は、そのまま深い谷へと吸い込まれて行った。
* * *
「実はね、これもあとから家内と話していて解ったことなんですが」と旦那さんが話し続けた。「その日の前日、ふたりして不思議な夢を見ていたんですよ」
「夢ですか?」と伯父は訊いた。
「ええ、自転車の男が迎えに来ましてね」旦那さんが言った。「とても遠い場所なんですが、でもほんのすぐそこに在るように感じられる真っ白な部屋に連れて行ってくれたんですよ」
「その男の人って、私をここへ運んできた男の人ですか?」伯父は訊いた。
「いえ。あの方ではありません」旦那さんは答えた。「でも、昔から良く知っている人なんですな。家内にその人の特徴を話したら、どうやら私たちを白い部屋へ案内したのは同じ男の人みたいでしてね」
「ね、あなた」奥さんが旦那さんの腕を人差し指で小突いた。「小夜子さんに袖を通していただきましょうよ」
旦那さんは頷き、奥さんが小夜子さんの手を取り立ち上がった。
奥さんに導かれるまま、小夜子さんは純白の内掛けを纏った。
伯父はカメラを手にして、何度もシャッターを切った。
小夜子さんは嬉しそうに微笑んだ。
ファインダーの中に映った彼女を伯父は眩しく感じていた。
「ね、みんなで記念撮影しません?」小夜子さんが言った。
「異議なし!」伯父は答えた。
夫妻は照れていたが、若いふたりに押される形で外の景色を背景に撮影することとなった。
卓袱台にカメラを置き、ファインダーを覗きながら伯父は構図を確認した。
セルフタイマーをセットすると、伯父はシャッターを切った。
ゼンマイの小さな歯車を刻む音が響いた。
伯父は空いた座布団の場所に駆け込むように座った。
伯父と小夜子さんを挟むようにして、小夜子さん側に旦那さん、伯父側に奥さんが座るようなかたちにった。
「はい、チーズ」と伯父は言った。
皆でにっこりと笑顔を作った。
しかし、伯父の場合は自然とこぼれる笑顔を禁じ得なかったのだった。
シャッター音が小さく響いた。
記念撮影が終わって、暫く沈黙があった。
「実にいいものを見せていただきました」と旦那さんが呟くように言葉を漏らした。「ありがとう。お二人は本当にお似合いの夫婦ですな。私たちの心に空いたものを満たしていただいたようで、なんとも清々しい気持ちになりました」
「本当に、あなたと小夜子さんに感謝いたします。」奥さんも言った。「ありがとうございましたね。あなたたちと会えて、本当に良かったわ。モヤモヤしたものが消えてしまった感じがしますの」
ちょうどその時だった。
入り口の襖の外で、誰かの声がした。
「失礼いたします。準備が整いましたので、どうぞこちらにお越しくださいませ」
奥さんが立ち上がってそれを開けると、白い羽織袴の男が正座していた。配膳の男だった。
「何のご準備ですの?」奥さんが訊いた。
男は立ち上がると、一礼をした。
「私の後についてきてくだいませ」そう言って、静謐な足取りで階段の方へと消えていった。
伯父たちは理由も解らないといった感じで、慌てて一斉に立ち上がった。そして、小夜子さんは羽織った内掛けを脱ごうとした。
「それはお召しになったままでお越しください」と廊下の奥から男の声がした。
奥さんは小夜子さんの内掛けの裾をたくし上げるように持つと、4人で男の後について行った。




