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白い部屋  作者: 深津メイ
7/9

7.儀式

 ロビーへと繋がる階段を降りた。

 降りながら、伯父は改めてその段数を数えた。

 29段しかなくなっていた。

 降りた先を左に曲がった。

 配膳男はすいすいロビーを抜け、大浴場という掲示板の矢印方向に歩いていった。

 長い廊下だった。

 1階にも客室があった。

 右手から光が差し込んできているところがあった。

 男はその方向に進んで行った。

 光の先には、鳥居へと延びる白い飛び石があった。

 出口には下駄がきちんと揃えて置かれていた。

 男は下駄に履き替えると、そこを静かに歩いて行った。

 伯父たちも下駄を履き、後に続いた。

 カランコロンと小気味良い音が、静寂な庭園に響いた。

 朱塗りの鳥居をくぐり、緩やかな太鼓橋を渡った。

 茶室ほどの社の前に来ると、配膳の男は立ち止まった。

「こちらへお入りください」そう言って、彼は扉を引き開けた。

 開かれた扉の奥から、さらに強い光が漏れて来るような錯覚を伯父は覚えた。

 光線のようなものの奥に人影が見えた。伯父は目を細め、それを凝視した。

 白装束。

 その格好は配膳男と同じものだった。

 違うところと言えば、烏帽子を被っていることくらいだった。

 まじまじと伯父は観察した。

 光に目が慣れてくると、白装束の影の正体が見え始めた。

 それは庭を掃いていた男だった。

 大麻おおぬさを手にした彼は、伯父たちを見て微笑んだ。そして、伯父たちを招きいれるような手振りをした。

 伯父たちは下駄を脱ぐと、一段高くなった神殿に入って行った。

 床は顔が映るほど、よく磨きこまれていた。

 伯父と小夜子さんに中央へ並ぶように男は手招きをした。

 旦那さんと奥さんは伯父の左後ろの腰掛に座るよう手で示された。

 静寂。

 塵一つない空間を光がまっすぐ突き進んでいくような清澄さを秘めたものだった。

 いつしかその静寂は、伯父の中に深く滲入して来た。

  

  頭を、お下げください。


 不意に男の声が聴こえたように伯父には感じられた。

 それは鼓膜に響くものでも、脳に閃くようなものでもなかった。

 伯父と小夜子さんは響いてくる声に従って頭を下げた。

 頭の上で大麻が祓われた。

 かさかさと乾いた音が頭上に響いた。


  お直りください。


 胸の辺りに振動してくる声なのだと伯父は気づいた。

 しかもそれは、絹糸のような滑らかさを思わせる、そんな振動だった。


  うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。


 庭男の唸り声が、胸にこだまして来た。

 空気がぴりぴりと冷たく、張り詰めてきた。

 伯父は目だけで周囲を見回した。

 正面の八足の前には、小さな社があった。

 その扉も開かれており、伯父はそこを注視した。

 中には何やら、さらに小さな社が見えた。そこの扉も、やはり開かれていた。

 伯父がさらにその奥を見ようとしている時だった。

 自分の深いところへ潜っていくような、それでいて埋没するのではなく、内から外へと飛び出していくような不思議な感覚に襲われた。

 次の瞬間、突如自分の目の前に大きな光の玉が現われた。それはどんどん大きくなり、それに応じて次第に伯父の意識も遠くなっていった。

 それでも庭男の言葉はどんどん胸に響いてきていた。



  掛けまくも畏き伊邪那岐大神

  筑紫の向の橘の小戸の阿波岐原に 

  御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等

  諸諸の禍事 罪 穢有らむをば

  祓へ給ひ 清め給へと白す事を聞こし食せと 恐み恐みも白する

  


 急激に意識が戻ってきた。その時には、既にひと通り結婚の儀が済んでいた。

 

  結婚の儀は、滞りなく執り行われました。

  新郎と新婦のお二人は、ご退出下さい。


 庭男の澄みわたった言葉が沁みてきた。

 同時に、ぱちぱちと焚き火で何かが爆ぜるような音も聞こえてきた。

 焚き火などしているはずもなく、不思議に伯父は思った。

 しかし、伯父にはそんな音はどうでも良いようにも思えた。

「お二人さん、おめでとう。そして、ありがとう」旦那さんが言った。

 奥さんが笑顔で会釈した。

 伯父と小夜子さんは夫妻にお辞儀をすると、社から出た。

 外へ出て社を振り返ると、白い霧が渦巻くように社を呑み込んでいった。

 伯父は息を呑んだ。

「さ、こちらへどうぞ」と、配膳男がもと来たところを示した。「ご案内申し上げます。内掛けは、私がお預かりいたします」 

 まるで白竜がとぐろを巻いて社を呑み込んでいくかのような光景を呆然と眺めていた伯父はその声に振りかえると、小夜子さんが内掛けを男に渡しているところだった。

 男は手際よくそれを畳むと、両手で掲げるようにして持った。

「あの夫婦は?」伯父は配膳男に訊いた。

 男は振り返らずに答えた。

「あのお方たちは、願いが成就されたので安らかにお隠れあそばされました」

「成仏したってこと?」

「なんと申しますか、心安らけくなられたということでございます」

「うむ、よく解らないな」と伯父は言った。

「こらこら、あまり他人を困らせるんじゃないぞ」と言って、小夜子さんは笑った。

 太鼓橋の中ほどに来た時だった。

 突然、配膳男が手にした打掛を両手で投げ上げた。

 純白のそれは大きく広がると、緩やかに円を描きつつ上昇して行った。

 3回ほど旋回した時だった。

 それは袖をバタつかせるように羽ばたき始めると、鶴へと姿を変えていった。

「どんなマジックショーを見ても、どんな不思議なことが我が身に起こっても、たぶん俺はもう驚かないかな」そう言って伯父は笑い、小夜子さんを見た。

 小夜子さんは伯父のそんな悪戯っぽい笑顔を見つめながら、静かに微笑み返した。

 鳥居のところで、伯父はもう一度社のほうを振り向いた。

 霧はすっかり晴れていていた。

 社は何事も無かったように佇んでいた。

 夕焼けが山を燃やすように真紅に染め上げ、広大な池にその景色が映えていた。

 腕時計を伯父は見た。午後5時半だった。


 配膳男についてカラコロと歩いていくと、そこはは露天風呂だった。

「どうぞ、ごゆっくり」そう言うと、配膳男はロビーの方へと消えていった。

 脱衣所に入った。

 籠が二つあった。

 そこにはそれぞれ浴衣と手ぬぐい、大きなタオル、真新しい白い下着が入れられていた。

「何年も付き合ってきたけど、こうして改まると、なんだか照れるな」伯父は言った。

「ほんと」小夜子さんも笑いながら言った。「そんな子供じゃないのにね」

 伯父はそそくさと衣服を脱ぐと、手ぬぐいを持って湯船へと急いだ。

 桶で湯船からお湯を杓うと、薄緑のプラスチック製の石鹸入れから石鹸を取り、手ぬぐいにゴシゴシ擦りつけた。そして、それを泡立て、身体を洗い始めた。

「お背中、流しましょうか?」

 手ぬぐいで前を隠すようにしながら入って来た小夜子さんが伯父の後ろに腰を降ろした。 

「いいよ」伯父は言った。「自分で洗うから」

「そんなこと言わずに洗わせてよ」悪戯っぽく小夜子さんは言った。

 伯父の手から石鹸を受け取ると、彼女は自分の手ぬぐいで伯父の背中を洗い始めた。

「私ね」小夜子さんが言った。「あなたの広い背中、とても好きよ」

「何言ってるんだよ、今さら」伯父は言った。「恥ずかしいよ」

「ね、今から背中に字を書くわね」と、小夜子さんが言った。「何んていう字を書いたか、あなた当ててみて」

 彼女の指が伯父の背中をゆっくりと滑りだした。

 それは妖しく蠢く、得体の知れない生き物のようでもあった。

「くすぐったいよ」彼は言った。「あ、かな?」

「当たりよ」そう言うと、また妖しげに指を動かした。「これは?」

「い、だな」伯父は答えた。「あい。愛、会い、藍。何だろう」

「これ?」小夜子さんの指先が伯父の肌をなぞっていった。

 伯父は彼女の白い指先を想像した。

「し、だな」伯父は言った。「愛して、か、愛してる? まさか、哀愁はないだろう?」

 小夜子さんの乳房が、伯父の背中に密着してきた。彼女は抱きつくようにして、両手を伯父の胸に這わせた。

「恥ずかしいよ」伯父が言った。 

「私のほうが、もっと恥ずかしいのよ」彼女は伯父の耳元で囁いた。「女に恥を掻かせないで」

 伯父を小夜子さんは丁寧に洗った。

 湯船から桶でお湯を汲むと、伯父の正面に立った。

 見下ろすようにして、彼女は伯父を見つめた。

 静かに伯父の身体をお湯で流しながら、彼女は腰を落としていった。

 伯父に顔を近づけ、口づけた。

 そして、彼女はゆっくりと伯父を受け入れていった。

 伯父は彼女を強く抱きしめた。

 伯父は彼女を抱きしめたまま、静かに立ち上がった。

 そして岩で出来た露天の湯船に向って歩き始めた。

 一歩ずつ歩みを進めるたび、抱きしめた彼女が小さく喘いだ。

 湯船まで来ると、また静かに座った。

 そして爪先からゆっくりとそこに浸かった。

 夕日が深く差し込み、ふたりを照らした。

 誰かがロビーのステレオを聴いているらしかった。

 アコースティック・ギターの憂いを帯びた音色が夕焼けの紅に沁みてきた。

「ギター、ね?」小夜子さんが、少し苦しそうな表情で訊いた。「なんて、いう、曲なのかしら?」

「アランフェス協奏曲。第二楽章だね」伯父が答えた。「アダージョ」

「もの悲しい、曲ね」小夜子さんが上気しながら言った。

「そうだね」伯父は言った。「でも、これを聴くと悲しみの向う側にも希望の光が見えるような気がするんだ。俺にはね、そう思える」

「やっぱり、貴方は、すごいわ」彼女は微笑んだ。「貴方は、素敵だわ」

 夕日が池越しの谷間にゆっくりと沈んで行った。

 伯父も小夜子さんも汐が満ちていくように大きなうねりを迎えた。

 満月が東の空に赤く懸かった。

 仰向けになってプカプカと岩の湯船に浮かびながら手を繋いだ二人は、ぼんやりそれを眺めていた。

「ねぇ、もし仮に」小夜子さんが言った。「来世があって生まれ変われるのだとしら、あなたはまた私と会いたい?」

「なんだよ、急に」そう言って、伯父は彼女を見た。「来世なんて考えたこともなかったな」

「じゃぁ、考えて」彼女は微笑んだ。

 雲ひとつない、秋の夜だった。

 月明かりが、湯船に漂うふたりを照らした。

 遠い過去に放たれた星々の輝きを見上げながら、伯父も小夜子さんも遠い未来のことを考えた。

「また、会いたいね」伯父は言った。「なんだか照れる」

「ありがとう」と小夜子さんは言った。

「月がこんなにも大きくて、綺麗だとは思ってもみなかった」伯父は言った。「なぁ小夜子、庭番というか、あの神主だった男が教えてくれた場所へ、これから行ってみないか?」

「あら、夜のお散歩?」小夜子さんが訊いた。

「まだ全然腹も減ってないし」伯父は言った。「それほど遠くないらしいから、ふたりで散歩しようぜ」

 小夜子さんは返事をした。

 伯父は起き上がり、小夜子さんを抱き起こした。

 ふたりは湯船から上がると、脱いだ服をもう一度着た。

 小夜子さんは濡れた髪をタオルで丁寧に拭いた。

 拭くたびに、目に見えて彼女の髪が乾いていくのが伯父には解った。

 廊下へ出ると、ロビーの手前で配膳男に会った。やはり、お膳を持っていた。

「お出かけになられるのですか?」と配膳男が訊いてきた。

 庭番に教わった場所へ行くのだと伯父が答えると、配膳男はにこやかに笑いながら言った。

「今日は月夜で明るいですからね、さぞかし良いお散歩ができるかも知れませんね。お食事はおふたりがお帰りになられてから準備をさせていただきますので、どうぞごゆっくりお散歩していらっしゃいませ」


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