第三十三話 記憶の照合
【音声記録と記憶情報を照合可能です】
青い文字が、
禁書庫の暗がりへ浮かんでいる。
レインはすぐには答えなかった。
記憶との照合。
昨夜は、
一人で試さず、保留した。
今は、
学院長とガレス。
司書もいる。
「照合できると表示されました。」
三人へ伝える。
「今、行うのですか?」
学院長が尋ねた。
「その前に。」
ガレスがレインを見る。
「何が起きるか、表示されているか。」
「いいえ。」
「照合するかどうかだけです。」
「なら、ここではするな。」
「でも。」
「結界の内側で倒れても、誰も助けに入れん。」
その通りだった。
レインだけが進める場所。
それは、
何かあった時にも。
レインしかいないということだ。
「一度、禁書庫を出ましょう。」
学院長も言った。
「音声は魔石に記録できています。」
「照合が禁書庫の外でも可能か、先に確かめます。」
「分かりました。」
レインは表示へ意識を向ける。
「今は保留する。」
【照合を保留します】
青い光が消えた。
◇
学院長室へ戻ると、
窓の外は、すでに昼近くなっていた。
机の中央には、
透明な魔石が置かれている。
司書が表面へ触れると、
銀色の線が光った。
次の瞬間。
『――これを、聞いている人へ。』
部屋へ男の声が響く。
けれど。
三人には意味が分からない。
レインだけが理解できる言葉。
「これが、日本語。」
学院長が静かに呟く。
「初めて聞きました。」
『俺は、この世界で。』
雑音。
『――勇者と、呼ばれている。』
何度聞いても、
その声は疲れていた。
これから魔王を討伐する者の声とは思えないほど。
「ここで、勇者と名乗っています。」
レインが訳す。
音声を止めながら、
一文ずつ、アルディアの言葉へ置き換えていく。
『それは、俺の名前じゃない。』
『勇者は、役割だ。』
『俺が、誰なのかを示す言葉じゃない。』
ガレスの表情が険しくなる。
「討伐前から。」
「勇者という呼ばれ方を嫌っていたのか。」
「嫌っていたかは分かりません。」
レインは答えた。
「ただ。」
「自分の名前とは違うって。」
「それを伝えたかったんだと思います。」
音声は最後まで流れ。
『書かれた役割だけを、信じないでくれ。』
そこで途切れた。
魔石の光が静かに消える。
◇
「記録はできています。」
司書が魔石を確認する。
「今後も再生できるでしょう。」
「では。」
学院長がレインを見る。
「照合を試しますか?」
怖くないと言えば。
嘘になる。
自分の中に、
何が残っているのか。
分からない。
けれど。
知らなければ、
また同じ雪原へ立つ気がした。
「試します。」
「少しでも異常を感じたら止めろ。」
ガレスが言う。
「はい。」
「立ったまま行わない方がいいでしょう。」
学院長に促され。
レインは長椅子へ座った。
両足を床へつける。
一度、深く息を吸う。
「クロニクル。」
――コン。
【はい】
「さっきの音声を。」
「俺の記憶と照合して。」
【音声記録と利用者記憶の照合を開始します】
青い光が、
視界いっぱいに広がった。
◇
最初に見えたのは、
白だった。
雪。
どこまでも続く雪原。
冷たい風が頬を切る。
手には剣。
刃の先には、
黒い外套をまとった男が立っている。
何度も見た夢。
だが、
今回は、
以前よりも近い。
外套の裾が風に揺れる。
男の肩が、
小さく上下している。
傷を負っている。
黒い布の隙間から、
赤いものが雪へ落ちた。
「待って。」
声を出そうとする。
けれど。
夢の中の自分は止まらない。
剣を握る手へ力を込める。
男が顔を上げた。
影に隠れて、
表情は見えない。
『……遅かったな。』
低い声。
その直後。
別の声が重なった。
『――これを、聞いている人へ。』
百年前の記録。
若い男の声。
二つは、
同じではない。
片方は若く。
片方は長い時を過ごしたように掠れている。
それでも。
言葉の終わり方。
息を吸う間。
低く沈む響きが、
不自然なほど似ていた。
「あなたは。」
今度こそ。
声が出た。
「勇者なのか。」
黒い外套の男が、
ほんの少しだけ顔を動かした。
答えはない。
代わりに、
世界が白く弾けた。
◇
「レイン!」
肩を強く揺さぶられる。
目を開くと、
ガレスが目の前にいた。
「先生。」
「分かるか。」
「はい。」
「ここはどこだ。」
「学院長室。」
「自分の名前は。」
一瞬。
言葉に詰まった。
レイン・アークライト。
桐谷玲。
どちらも、自分だ。
「レイン・アークライト。」
息を吸う。
「それと。」
「桐谷玲です。」
ガレスには、
後半の意味は分からない。
それでも。
レインが自分を見失っていないと分かったのか。
肩から手を離した。
「何が見えたのです?」
学院長が尋ねる。
「雪原です。」
「前にも夢で見た場所。」
「黒い外套の男がいました。」
「声は?」
「聞こえました。」
喉へ手を当てる。
まだ。
あの低い声が残っている。
「百年前の声と。」
一度、言葉を止める。
「似ていました。」
部屋が静かになる。
「同じ人物なのか?」
ガレスの問い。
「分かりません。」
「声の高さも違うし。」
「記録の方が、ずっと若く聞こえました。」
――コン。
【照合が完了しました】
【類似音声を検出】
【同一人物判定】
【情報不足】
「クロニクルも。」
「似ているけど、同じ人物かは分からないって。」
学院長は机の上の魔石を見る。
「百年前の勇者と。」
「君が雪原で剣を向けていた人物。」
「二人の声が似ている。」
「はい。」
「偶然でしょうか。」
司書が呟く。
誰も答えられない。
けれど。
ガレスが、
レインの前へ水の入った杯を置いた。
「飲め。」
「大丈夫です。」
「手が震えている。」
言われて初めて気付いた。
膝の上に置いた指が、
小さく震えている。
杯を持つと、
水面が細かく揺れた。
「夢の中で。」
一口飲んでから、
レインは言った。
「俺は、あの人に剣を向けていました。」
「実際にあったことだと思うか。」
ガレスが尋ねる。
「分かりません。」
「でも。」
目を閉じる。
雪の冷たさ。
剣の重さ。
外套から落ちた血。
夢と呼ぶには、
感触が残りすぎていた。
「作りものには思えません。」
「以前にも似た夢を見ているのですね。」
学院長の問い。
「はい。」
「少しずつ、見えるものが増えています。」
「最初は雪と声だけでした。」
「今は。」
言葉が止まる。
「あの人が、傷ついていたのも見えました。」
ガレスの表情が変わる。
「誰が負わせた傷だ。」
「分かりません。」
けれど。
夢の中で剣を握っていたのは、
自分だ。
その事実が、
胸へ重く残っている。
「照合で見えた場面は。」
司書が慎重に言う。
「音声に似たものを、記憶から探した結果なのでしょうか。」
「クロニクル。」
レインは尋ねる。
「今見たものは、俺の記憶?」
【利用者記憶に存在する情報です】
青い文字を読み上げる。
「いつの記憶?」
【時期情報を取得できません】
「実際に起きたこと?」
【記録との照合ができません】
記憶にはある。
だが、
いつのものかも。
現実に起きたのかも分からない。
「今すぐ答えへ結び付けるべきではありません。」
学院長が言った。
「それでも。」
「君の中に、あの人物の声が残っていたことは事実です。」
レインの胸には、
別の疑問が生まれていた。
百年前の勇者は、
魔王を討伐したあと、戻らなかった。
雪原の男は、
レインの剣の前に立っていた。
二人の間に、
何があったのか。
「討伐のあとを調べたい。」
レインは言った。
「勇者が魔王を倒したあと。」
「歴史に何が残っているのか。」
名前ではなく、
役割だけでもなく、
その人が、
どこへ行ったのかを知るために。




