第三十四話 討伐のあと
「討伐のあとを調べたい。」
レインの言葉に、
学院長はすぐには答えなかった。
机の上には、
百年前の勇者の声を記録した魔石。
その隣に、
学院創設時の古い本が置かれている。
「調べる必要はあるでしょう。」
やがて、
学院長が言った。
「ですが、授業の時間です。」
「今ですか?」
「今だからです。」
「俺、さっき記憶の照合をしたばかりなんですけど。」
「体調に問題は?」
「少し疲れました。」
「では、医務室で休んでから授業へ戻りなさい。」
「調査は。」
「放課後です。」
ガレスが頷く。
「それがいい。」
「先生まで。」
「学生の仕事を忘れるな。」
反論しても、
勝てないことは分かっていた。
「……分かりました。」
◇
医務室で少し休み。
教室へ戻ると、
トーマが真っ先に振り返った。
「遅い。」
「ごめん。」
「また禁書庫か?」
「うん。」
「今度は何があった。」
教師が黒板へ向いている隙に、
小さな声で尋ねてくる。
「あとで話す。」
「絶対だぞ。」
前の席では、
セレスもこちらを見ていた。
レインが頷くと、
少し安心したように前を向く。
机の上へ教科書を開く。
だが、
書かれている言葉が頭へ入ってこない。
『……遅かったな。』
『――これを、聞いている人へ。』
似ている二つの声。
若い勇者。
雪原の黒い外套。
時代も。
立場も違うはずの二人。
それなのに、
胸の奥は、
二つを別々に考えることを拒んでいた。
◇
放課後。
図書館の奥にある調査室へ、
学院長。
ガレス。
司書。
レイン。
そして、
トーマとセレスが集まった。
「俺たちもいていいんですか?」
トーマが尋ねる。
「レイン君から、二人にもすでに多くを話していると聞きました。」
学院長が答えた。
「今日調べるのは、一般の歴史資料です。」
「禁書庫へ入るわけではありません。」
「ただし。」
ガレスが二人を見る。
「ここで知ったことを、他の生徒へ話すな。」
「分かってます。」
「はい。」
トーマとセレスが答える。
長い机の上には、
すでに何冊もの本が積まれていた。
世界暦の始まり。
魔王討伐。
勇者の伝承。
王国の古い記録。
「探すのは。」
司書が一冊目を開く。
「初代魔王が討伐された後の、勇者の記録です。」
「帰還したのか。」
「どこで暮らしたのか。」
「いつ亡くなったのか。」
「そして。」
学院長が続ける。
「現在の魔王が、いつ歴史へ現れたのか。」
その場の全員が頷いた。
◇
最初に見つかったのは、
誰もが知る物語だった。
『勇者は魔王の城へ至った。』
『七日七夜の戦いの末、魔王を討ち果たした。』
『世界は闇から解放され、新たな暦を迎えた。』
そこまで、
頁をめくる。
次に書かれているのは、
世界暦が始まった後の王国についてだった。
「勇者は?」
トーマが尋ねる。
「書かれていません。」
セレスが次の頁を確かめる。
「戦いのあと。」
「どうなったのかは、一行も。」
「別の本を見よう。」
レインは次の記録を開いた。
『魔王の消滅を確認。』
『王都にて勝利を宣言。』
『討伐に参加した騎士団を表彰。』
「勇者の表彰は?」
ガレスが言う。
「ありません。」
「帰還を祝った記録も。」
司書が別の本を開く。
「王都へ入った者の一覧があります。」
「ですが。」
古い文字を指で追う。
「勇者に該当する人物は見つかりません。」
「戻らなかったって。」
禁書庫の文字と同じだ。
『帰還記録なし』
勇者は、
魔王の城から戻っていない。
少なくとも。
歴史の上では、
◇
「死んだとは書かれてないんだよな。」
トーマが言った。
「はい。」
司書が頷く。
「勇者の遺体が発見された記録もありません。」
「魔王と相討ちになったという伝承は?」
「存在します。」
「ですが、後世に作られた物語です。」
「最古の記録にはありません。」
戻らなかった。
死んだ記録もない。
名前も残っていない。
まるで、
魔王を倒した瞬間に、
勇者という人間だけが歴史から切り取られている。
「今の魔王は?」
レインが尋ねる。
学院長が、
机の端に置かれた薄い本を開いた。
「現在の魔王について、最も古い記録です。」
紙の傷みは激しい。
表紙には題名もない。
『北方にて、黒衣の魔族を確認。』
『魔王を名乗る者であるとの報告あり。』
それだけだった。
「いつですか?」
「世界暦が始まってから、しばらく後です。」
「正確な年は、頁が傷んでいて読めません。」
「名前は?」
セレスが尋ねる。
「ありません。」
「どこから来たかは?」
「記録されていません。」
「最初から、魔王とだけ。」
役割だけが残る。
また。
同じだった。
セレスが、
最初に開いた記録へ戻った。
「少し、気になることがあります。」
「何?」
レインが隣へ寄る。
「ここです。」
細い指が、
魔王討伐の前後をなぞる。
『勇者は魔王の城へ至った。』
『勇者は魔王を討ち果たした。』
その次。
『世界は闇から解放された。』
「討伐までは、勇者が主語です。」
「ですが、その後は。」
「勇者について一度も書かれていません。」
「確かに。」
司書が別の記録も確かめる。
「どの資料も同じです。」
「魔王を倒した瞬間までは勇者がいる。」
「次の文章では、世界や王国の話へ変わっている。」
「書いた人たちは。」
トーマが首を傾げる。
「勇者がどこへ行ったか、気にならなかったのか?」
「気になった者はいたはずです。」
学院長が答える。
「ただし。」
「疑問を記した資料が残っているとは限りません。」
「名前と一緒に消された?」
「可能性はあります。」
「ですが、断定はできません。」
また。
その言葉だった。
分からないことを、
分かったことにはできない。
それでも。
複数の記録が、
同じ場所で言葉を止めている。
偶然とは思えなかった。
「魔王の方もです。」
セレスは薄い本を開く。
『北方にて、黒衣の魔族を確認。』
『魔王を名乗る者であるとの報告あり。』
「この人が、何をしたのかは書かれていません。」
「悪いことをしたとも。」
「誰かを襲ったとも。」
「ただ、魔王を名乗ったと。」
レインは文字を見つめた。
魔王。
その一語だけで、
読む者は敵だと考える。
「役割だけを信じるな。」
百年前の声を思い出す。
「あの人は。」
「こういう記録が残ることを知ってたのかな。」
「討伐前に知っていたなら。」
セレスが小さく呟く。
「自分も同じように。」
「役割だけで見られると、分かっていたのかもしれません。」
◇
「待って。」
レインは二冊の本を並べた。
一冊目。
勇者が初代魔王を討伐した記録。
二冊目。
現在の魔王が初めて現れた記録。
「勇者は戻ってない。」
「今の魔王は、どこから来たか分からない。」
「両方とも名前がない。」
「それに。」
セレスが静かに続ける。
「レインさんが夢で会った方の声は。」
「百年前の勇者の声と似ていた。」
誰も何も言わない。
トーマが、
二冊の本を交互に見る。
「まさか。」
小さく呟いた。
「勇者が。」
「魔王になったって言うのか?」
その言葉が、
調査室へ落ちた。
レインの鼓動が、
大きく響く。
考えなかったわけではない。
けれど。
言葉にすることが怖かった。
「断定はできません。」
学院長がはっきりと言った。
「記録がないことは、同一人物である証明にはならない。」
「声も、類似しているだけです。」
「でも。」
トーマが言う。
「違うっていう記録もないんですよね。」
「ありません。」
学院長は否定しなかった。
「だからこそ。」
「決めつけずに調べる必要があります。」
勇者が魔王になった。
もし、本当にそうなら、
なぜ。
世界を救った人間が、
今は、世界の敵と呼ばれているのか。
そして、
なぜ自分は、
その人へ剣を向けていたのか。
「クロニクル。」
レインは小さく呼ぶ。
――コン。
【検索対象を更新しました】
【勇者】
【魔王】
【役割変更記録】
全員が見ている前で、
レインは息を呑んだ。
「新しい記録が。」
「見つかったかもしれません。」
【関連記録:一件】
【閲覧条件:未達成】
答えは、
まだ開かない。
けれど。
初めて、
勇者と魔王の間に、
一本の道が現れていた。




