第二十八話 役割だけの歴史
「全部の記録から、消されてる。」
レインの言葉に、
トーマとセレスが本を覗き込む。
「消されてるって。」
トーマが眉を寄せた。
「最初から書かれてないんじゃないのか?」
「俺にもそう見える。」
頁には、
文字を削った跡も。
墨で塗り潰した跡もない。
ただ。
名前だけが書かれていなかった。
「でも。」
レインは視界の表示を見る。
【名称情報が削除されています】
「見えてる文字には、削除されたって出てる。」
「十二冊全部?」
「うん。」
「前に話してた、レインにだけ見える文字か?」
「うん。クロニクルっていうんだ。」
「クロニクル……。」
トーマが確かめるように繰り返した。
「それが、レインに文字を見せてるのか?」
「うん。」
セレスは手元の本へ視線を落とす。
「同じ人物について書かれた記録から。」
「名前だけが消えているんですね。」
「たぶん。」
「なんのために?」
トーマが尋ねる。
「分からない。」
守るため。
隠すため。
欠けた頁の時と同じ。
消した理由が分からない。
ただ。
偶然でないことだけは確かだった。
百年前の認証者。
そして、千年前の勇者。
別々の時代にいた。
別々の人物。
けれど。
どちらも勇者という属性だけが残り。
名前を読むことができない。
◇
「司書さんに聞こう。」
レインが立ち上がる。
「話していいのか?」
トーマの問いに、
足が止まった。
クロニクルのことを、
司書へ話すのは問題ない。
すでに学院長たちの前で何度も口にしている。
けれど。
トーマとセレスが一緒にいる。
禁書庫へ繋がる話を、
どこまで話していいのか。
「俺たちはここで待ってる。」
トーマが言った。
「え?」
「先生たちとの約束があるんだろ。」
「無理に聞かない。」
セレスも頷く。
「私たちは、本を調べています。」
レインは二人を見る。
「ごめん。」
「謝るなって。」
トーマは一冊の本を持ち上げる。
「その代わり。」
「話せるようになったら教えろよ。」
「うん。」
レインは頷き。
司書のいる受付へ向かった。
◇
「十二冊すべてから?」
司書は驚いたように聞き返した。
「はい。」
「同じ勇者の記録です。」
「名前が削除されてるって表示されました。」
「本そのものに痕跡は?」
「ありません。」
司書はすぐに立ち上がる。
「確認しましょう。」
二人で閲覧室へ戻る。
トーマとセレスは、
さらに何冊か本を増やしていた。
「増えてない?」
「関連しそうなのを持ってきた。」
トーマが答える。
机の上には十六冊。
司書が一冊ずつ確認していく。
題名。
年代。
筆者。
使われている紙。
「同じ本を写したものではありません。」
司書が言う。
「筆者も年代も違います。」
「一番古いものは?」
「こちらです。」
差し出されたのは、
薄い革表紙の本だった。
紙は黄色く変色している。
文字もところどころ薄れていた。
「学院が保管している中では、これが最古です。」
千年前の勇者について書かれた箇所を開く。
短い記述。
『勇者は北門に立ち、町を守った。』
『勇者の剣により、魔物の群れは退けられた。』
『王は勇者へ、白銀の剣を授けた。』
名前はない。
「この本より古い記録は?」
「失われています。」
「では。」
セレスが静かに言う。
「後の本は、これを参考にした可能性がありますか?」
「十分にあります。」
「最初の本に名前がなかったから。」
トーマも続ける。
「後の人も、勇者とだけ書いた。」
「そうかもしれません。」
司書が頷く。
レインは古い本を見る。
なら、
名前を消したのは、十二人ではない。
最初の記録を書いた誰か。
あるいは、
さらに古い記録を残した誰か。
「クロニクル。」
小さく呼ぶ。
【はい】
「この本を調べて。」
【記録を照合します】
【対象年代:不明】
【複製記録】
「複製……。」
「何か分かったのですか?」
司書が尋ねる。
「この本も、写したものです。」
「原本ではない?」
「そう表示されています。」
「原本はどこだ?」
トーマが聞く。
「検索してみる。」
【原記録を検索】
【該当記録:存在】
レインの鼓動が速くなる。
「ある。」
「どこに?」
【位置情報:取得できません】
「場所は分からない。」
思わず息を吐く。
また。
あと少しのところで届かない。
だが、
【原記録の名称情報】
【削除済み】
「……原本からだ。」
レインは呟く。
「一番最初の記録から。」
「勇者の名前は消されてる。」
これは、
百年前に禁書庫へ入った勇者の名前ではない。
千年前の勇者の記録だ。
それでも。
同じように名前だけが欠けている。
◇
その日の調査は、
そこで終わるはずだった。
けれど。
「待ってください。」
セレスが一冊の本を開いたまま言った。
「どうした?」
レインが近付く。
「古い魔王についての記録です。」
開かれた頁。
世界暦が始まるより前。
人々を脅かした存在について書かれている。
そこには、
『魔王は軍勢を率い、北の地を覆った。』
「魔王……。」
その一語に、
胸の奥がざわつく。
黒い外套。
雪原。
『……遅かったな。』
夢の声が蘇る。
「この魔王の名前は?」
トーマが頁を覗く。
「書かれていません。」
セレスが答えた。
「古い記録だからじゃないか?」
「他の本を見れば分かるかも。」
三人は手分けして探す。
同じ時代の魔王に触れた記録。
異なる土地で書かれた本。
だが、
どの本にも。
魔王の名前はなかった。
その魔王と、
千年前の勇者が戦ったとは書かれていない。
同じ人物たちなのかも分からない。
ただ。
ここでも名前だけが残っていなかった。
「勇者だけじゃない。」
レインは言う。
「魔王も。」
「名前が残ってない。」
司書の表情が険しくなる。
「役割だけ。」
セレスが小さく呟く。
「その人たちが、どんな人だったのかは。」
「どこにも書かれていません。」
勇者。
魔王。
それだけ。
片方は救う者。
片方は滅ぼす者。
名前がなければ、
記録を読む者は、役割だけで二人を見る。
誰だったのか。
何を考えていたのか。
本当に何があったのか。
それを確かめることはできない。
『書かれた役割だけを、信じるな。』
黒い本の言葉が、
胸の中で重なった。
◇
夕方。
図書館を出た三人は、
時計塔の下で足を止めた。
「結局。」
トーマが頭を掻く。
「名前は見つからなかったな。」
「うん。」
「でも。」
レインは図書館を振り返る。
「名前がないのが、偶然じゃないことは分かった。」
「次はどうするんですか?」
セレスが尋ねる。
「原本を探す。」
「場所は分からないんだろ?」
「今はね。」
「また禁書庫か?」
レインは答えなかった。
けれど。
クロニクルが示した。
原記録は存在する。
なら、
どこかに残っている。
その時だった。
――コン。
【検索条件を満たしました】
「……え?」
青い文字が視界へ浮かぶ。
【ACCESS CONDITION】
【記録番号:0001】
【完了】
レインの呼吸が止まった。
禁書庫で見た。
途中で破損していた記録。
【続きを表示しますか?】
「レイン?」
セレスの声。
「文字が出た。」
「何て?」
「前に見た記録の、続きが読めるって。」
「ここで見るのか?」
トーマが周囲を見る。
下校する生徒たち。
教師。
人目が多い。
「今はやめる。」
【閲覧を保留します】
「先生たちにも話してからにする。」
トーマが笑う。
「最近、ちゃんと待てるようになったな。」
「前から待てるよ。」
「禁書庫に一人で行った奴が?」
「それは……。」
言い返せない。
セレスが小さく笑った。
◇
その夜。
レインは学院長とガレスへ報告したあと、
自室で一人、クロニクルを開いた。
【記録番号:0001】
【未読記録:1】
「表示して。」
青い光が広がる。
以前。
途中で途切れた文章。
【この記録を読めるということは】
【また、百年が過ぎたということだろう】
【ならば】
【時間は、もう残されていない】
その下へ、
新しい一文が浮かんだ。
【名前を知らぬまま】
【剣を向けてはならない】
「……。」
レインは動けなかった。
剣。
勇者。
魔王。
そして、
失われた名前。
雪原で、
自分は誰かへ剣を向けていた。
その相手の名前を、
自分は知っていたのだろうか。
【記録番号:0001】
【次の記録:未解放】
表示が消えていく。
最後まで残ったのは、
たった一つの言葉だった。
【名前】




