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∞クロニクル・アルディア∞ ~101年目の未来~  作者: 空乃真芽
禁書庫編

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第二十七話 名前のない勇者

「同じ人物です。」


 レインの声が、


 学院長室へ静かに残った。


 欠けた頁。


 第二区画の黒い本。


 二つを書いた人物は同じ。


 けれど。


 その人物の名前は、どこにもない。


「間違いないのですか?」


 学院長が尋ねる。


「クロニクルは、一致と表示しています。」


「クロニクル。」


 学院長が初めて、その名前を口にした。


「君に見えている文字のことですか?」


「はい。」


「それが、筆跡を比べた。」


「そうです。」


 学院長は欠けた頁へ視線を落とす。


「この本が学院へ置かれたのは、創設された時です。」


「黒い本が禁書庫へ置かれた時期は?」


「分かりません。」


「なら。」


 レインは言う。


「同じ人が、学院ができる前に両方を書いた可能性もある。」


「そう考えることはできます。」


「ただし。」


 学院長は静かに続ける。


「今の我々に確かめる方法はありません。」


 やはり。


 答えには届かない。


 少し近付くたび。


 新しい分からないことが増える。


「この本は、もう一度調べます。」


「他の頁もですか?」


「ええ。」


「欠けた頁だけに目を奪われていました。」


 学院長は古い本を閉じる。


「残っている頁にも、我々が見落としたものがあるかもしれません。」


「俺も手伝えますか?」


「今日は授業へ戻りなさい。」


「でも。」


「レイン君。」


 穏やかな声。


 けれど。


 断っても無駄だと分かる声だった。


「君は学院の生徒です。」


「禁書庫の調査だけが、君の生活ではありません。」


「……はい。」


 ガレスと同じことを言う。


 少しだけ不満だった。


 けれど。


 学院長の言葉が正しいことも分かっていた。


     ◇


 教室へ戻ると、


 ちょうど午後の授業が始まるところだった。


「遅かったな。」


 トーマが小声で言う。


「学院長のところ。」


「また?」


「うん。」


「今度は何したんだ?」


「何もしてない。」


「本当か?」


「先生と同じ聞き方するなよ。」


 トーマが笑う。


 前の席では、


 セレスが小さく振り返った。


 目が合う。


 大丈夫だと伝えるように、


 レインは頷いた。


 セレスも静かに微笑む。


「席に着け。」


 教師の声。


 レインは慌てて椅子へ座った。


 黒板には、


 すでに今日の題目が書かれている。


『世界暦以前の勇者』


 レインの手が止まった。


 まるで、


 今の自分を待っていたような題目だった。


     ◇


「世界暦が始まる以前にも。」


 教師は教壇の前で話し始める。


「勇者と呼ばれた人物は、複数存在していた。」


 黒板へ年代を書いていく。


 古い時代。


 王国が今とは違う形だった頃。


 魔物の群れから町を守った者。


 大きな争いを終わらせた者。


 失われた土地を取り戻した者。


 それぞれが、


 勇者と呼ばれていた。


「先生。」


 一人の生徒が手を挙げる。


「勇者って一人じゃないんですか?」


「一人ではない。」


 教師は答える。


「勇者とは、時代ごとに現れる呼び名だ。」


「では、今の勇者は誰ですか?」


 教室が少しざわつく。


「現在、王国が正式に認めている勇者はいない。」


「勇者は、自分で名乗るものではない。」


「その行いを人々が認め。」


「後に、そう呼ばれるようになる。」


 レインは黒板を見る。


 千年前の勇者。


 入学して間もない頃。


 図書館で調べた人物。


 そこにも。


 名前は残っていなかった。


「先生。」


 気付けば。


 レインは手を挙げていた。


「何だ、レイン。」


「昔の勇者たちの名前は?」


 教師は少しだけ眉を上げた。


「資料に残っている者もいる。」


「ですが。」


「千年前の勇者は?」


 教室の視線が集まる。


 レインは構わず続けた。


「何冊か調べました。」


「でも、どの本にも名前がなかった。」


 教師はすぐには答えなかった。


「その人物については。」


 やがて口を開く。


「名前が失われたと考えられている。」


「なぜですか?」


「分からない。」


 また。


 その答えだった。


「古い記録の多くは、完全ではない。」


「書物が失われることもある。」


「文字が読めなくなることも。」


「名前だけが伝わらないこともある。」


「名前だけ。」


 レインは小さく繰り返す。


 百年前の認証記録と同じだった。


 あの記録も。


 属性は勇者と残り。


 名前だけが壊れていた。


 今、話しているのは、


 それとは別の、千年前の勇者。


 時代も。


 人物も違う。


 それでも。


 役割は残る。


 行いも残る。


 けれど。


 名前だけがない。


「そんなに気になるか?」


 教師が尋ねる。


「はい。」


「どうして?」


 レインは少し考えた。


「その人が何をしたかは、残ってるのに。」


「誰だったのかだけ分からないのは。」


 一度。


 言葉を止める。


「その人が、いなかったことになるみたいだから。」


 教室が静かになった。


 教師も。


 すぐには何も言わなかった。


 やがて、


「歴史を学ぶ上で、大切な疑問だ。」


 そう答えた。


「記録に残るものが、すべてではない。」


「だからこそ。」


「残されたものを疑い、考える必要がある。」


 桐谷玲の記憶。


『歴史って、残ってるものが全部じゃないんだよな。』


 同じ言葉が、


 頭の中で重なった。


     ◇


 授業が終わると、


 トーマがすぐにレインの席へ来た。


「珍しいな。」


「何が?」


「お前が授業で、あんなに質問するの。」


「気になったから。」


「名前が?」


「うん。」


 トーマは少し考える。


「でもさ。」


「勇者だったって分かれば、十分じゃないか?」


「十分?」


「すごいことをした人なんだろ?」


「名前がなくても、やったことは残ってる。」


「そうだけど。」


 納得できない。


 なぜだろう。


 以前のレインなら、


 トーマと同じように考えたかもしれない。


 勇者。


 それだけで十分だと、


「私は。」


 セレスが静かに口を開いた。


「名前があった方がいいと思います。」


「どうして?」


 トーマが尋ねる。


「勇者と呼ばれる前にも。」


「その人には、人生があったはずです。」


「家族や友人から呼ばれていた名前が。」


 セレスは少しだけ目を伏せる。


「役割だけが残って。」


「名前を誰にも呼ばれなくなるのは。」


「少し、寂しいです。」


 その言葉に、


 レインの胸が小さく痛んだ。


 雪原。


 黒い外套。


 顔の見えない誰か。


 その人物も。


 誰にも名前を呼ばれなくなったのだろうか。


「じゃあ。」


 トーマが言う。


「見つければいい。」


「え?」


「名前。」


「気になるんだろ?」


「簡単に言うなよ。」


「分からないなら調べる。」


「お前がいつもやってることじゃないか。」


 レインは、


 思わず笑った。


「そうだね。」


「探してみる。」


 誰にも呼ばれなくなった名前を、


 見つけられるかは分からない。


 それでも。


 最初から諦めたくはなかった。


     ◇


 放課後。


 三人は図書館へ向かった。


 禁書庫ではない。


 誰でも入れる、普通の閲覧室。


 机の上へ、


 世界暦以前の歴史書を積み上げる。


「多くないか?」


 トーマが顔をしかめる。


「名前を探すんだろ。」


「言ったけどさ。」


「まさか今日からとは思わないだろ。」


「嫌なら訓練場へ行ってもいいよ。」


「行かない。」


 即答だった。


「手伝うって言ったからな。」


 セレスも本を一冊開く。


「年代ごとに分けましょう。」


「古い順に確認すれば、同じ記述も見つけやすいと思います。」


「分かった。」


 三人で頁をめくり始める。


 一冊。


 二冊。


 三冊。


 千年前の勇者について書かれた箇所を探す。


 町を救った。


 魔物を退けた。


 王から剣を授けられた。


 記述は少しずつ違う。


 けれど。


 どの本にも名前はない。


「本当にないな。」


 トーマが呟く。


「一冊くらい残っててもいいのに。」


「これもです。」


 セレスが開いた本を見せる。


 そこにも。


『勇者』


 としか書かれていなかった。


 その時。


 ――コン。


【同一対象の記録を検出】


「……。」


 レインは青い文字を見る。


【記録数:12】


【名称情報:0】


「十二冊全部に。」


「何?」


 トーマが顔を上げる。


「同じ勇者のことが書いてある。」


「でも。」


 レインは息を呑む。


【名称情報が削除されています】


「名前だけが。」


 ゆっくりと言う。


「全部の記録から、消されてる。」

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