Ex.『郷愁に囚われる地獄』
閑話休題ということで、本編とは少し異なるお話です。今後は題名の前にEx.がついていたら、このお話と時間軸が繋がっていると思ってください
烏丸幸太郎という男は、日本の平凡な家庭で生まれ育った。
彼はこの世に生を受けてからの三十数年間、ただの一度も、己の為に何かを欲したことがなかった。
父親が早くに他界し、母親は勤め先の男と再婚。彼を置いて逃げるように家を飛び出した。残された彼は、祖父母の家に預けられる。
そこは、安寧という名の地獄であった。
大都市への人口の一極集中が加速し、それ迄山や野畑で暮らしていた人間は、開発という体で住む場所を奪われていった。
それと引替えに、都市は益々の発展を見せ、ありとあらゆる技術が革新的な速度で開発されていく。フルダイブ型のゲームが初めて世に出たのも、今では昔話の類いである。
そんな中、彼の住む土地は少々事情が異なった。祖父母がこの国に唯一残された林業の数少ない継承者であり、同時に、未だに昔ながらの方法でその管理を行う家系であった。
それ故に、彼らは生家を奪われることはなく、代わり映えのしない毎日を謳歌することができたのだ。
──────
幼い頃の記憶は、殆ど残っていない。趣味と呼べるのは、古びた刑事ドラマを何周もすること、一年に一回、祖父が買ってくるミステリー小説を読み漁ることだけ。
小学校は俺を含めて5人しか在籍しておらず、そのうちの二人は、親の都合で都市へと越して行った。
俺は取り残されていた。有限に流れる時の中で、永劫の平穏に。
テレビの画面の向こうでは、キラキラと輝く都市が映し出される。俺は、いつしか自分が、そこに立つことを夢見ていたのかもしれない。
転機が訪れたのは、高校卒業を間近に控えた、2月の下旬。俺の地元には、学校と呼べるものは1つしか存在せず、小学生だろうが、高校生だろうが、同じ場所に通うしかなかった。
その日の朝、いつも通り、登校の為にあぜ道を歩いていた。
少し話は逸れるが、俺の地元は、水仙の名産地として有名だった。そのあぜ道は、丁度この位の時期になると、一斉に花開き、美しい白色が辺り一面に広がる。だから俺は、春と冬の境目である、この季節が好きだったのかもしれない。
しかし、その日は、それ以上の衝撃に出会う。
あぜ道の真ん中にしゃがみこみ、ただ花を見つめている、一人の女性がいた。
くすんだ色のニットセーター。飾り気のないジーパン。清流のように、淀みなく、風に靡く黒い髪。水仙の匂い。今でも、鮮明に思い出す。
「あの〜……どうか、されました? 」
その一言で、俺は現実に引き戻された。気を失っていたのかと錯覚するような長い時間、俺はそこに突っ立っていたらしい。案山子だって、もう少しマシな仕事はするだろうに。
「あ、いえ……花が、水仙が、綺麗だなと思って」
しどろもどろになりながら、口から出た言い訳が我ながらに情けない。けどその人は、不思議そうな顔で微笑んでいた。
「まぁ。これは水仙の花なんですね。初めて見ました。純白の花弁の中心に、鮮やかな黄色い……蕾?何かは分からないけど、まるでドレスを着てるみたいで、とっても素敵」
「は、はぁ、そ、そうですね……毎年この時期になると、狂ったように、咲いて……」
「ふふ。満開、でいいんですよ。狂い咲き、は、季節外れの花にしか使わないんです」
そんな会話を覚えている。彼女は都市から、こんな辺鄙な土地に越してきたらしい。訳を聞くと、都市での生活が嫌で逃げ出してきたのだとか。
「なんだかここはのんびりしていて、凄く過ごしやすいです」
「そうですか……のんびりし過ぎてると、時々思います」
「長閑なのはお嫌い?」
「……えぇ、何故だか、寂しくなるんです。時間がゆっくり流れているのが、まるで、探偵にトリックを見破られるのを待つ、犯人みたいで……」
「まぁ。変わった例えですね。そんなこと、考えたこともなかったわ」
「すみません……」
「何故謝るの?私は好きよ、なんだか、空想小説の登場人物になったみたいで」
高校を卒業した俺は、そのまま祖父の跡をついで林業を始めた。と言っても、俺の仕事は殆どない。ただ毎日森に行き、陽の光を遮る枝や木がないかを確認する。歪に大きくなりすぎた気は、周りの木の成長を阻害し、やがてそれは、森全体を腐らせてしまう。
「ファンタジー、好きなんですか?」
「だって、つまらないじゃない、現実なんて」
俺は実家の庭先で、彼女と話すのが日課になっていた。あのあぜ道で偶然出会ったあと、紆余曲折あって、彼女が俺の家に遊びに来るようになって────
「それは、そうかもしれませんね。でも……空想は、現実の中にしか、存在しないと思うんです」
「あら、何故かしら?」
「現実を拒絶するからこそ、夢を見れる……密室殺人のトリックには必ず、密室にしなければならない理由があるように……」
「出た、コウくんのミステリマニア。ふふ。でもたしかに、現実から離れれば離れるほど、離れたいと願うほど、痛い程にそれを感じてしまう……」
「ねぇ、コウくん」
「は、はい」
「もし、夢の続きを見たい、って願ったら」
────それは
「おぞましい程に、残酷な現実が必要なのかしら」
きっとそれは、俺ではない、どこか遠くへと向けられていたのだろう。
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