ゴースト
じゃっっっかんグロ注意です
ネオンの色が変わっていく。
グリーンテンペスト中心部では緑色だったホログラム広告が、いつの間にか毒々しい紫と赤へ塗り替わっていた。
高層ビルと広告に囲まれた、煌びやかな場所から一転。横を見ればペンキを塗りたくった壁、頭上には錆びた街灯が切れかけの光を吐き出している。カビの生えた看板に、なんの動物の肉か分からない串焼きを売る店。そこから漂う形容しがたい甘い香り。
視界上部には、現在位置を示す簡易マップ。
《RED STREET:接続完了》
男は雑踏の中を歩く。
相変わらず人は多い。だが空気が違った。グリーンテンペストが“管理された都市”だとするなら、こちらはもっと生々しい。
湿っている。
そんな印象だった。
いつの間にか、男はレッドストリートの奥まで辿り着いていた。
表通りから外れた裏路地。頭上では配線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、紫色のネオンが湿った地面を照らしている。
壁へ寄り掛かる数人のプレイヤー。
髪を派手な色へ染め、耳や顔に金属を埋め込んだ男女。煙草らしきものを咥えた一人が、胡乱げな目を男へ向けた。
「……すまない」
男は僅かに言葉を切る。
こういう連中に話し掛けるのは、得意ではなかった。
元々、口数の多い性格でもない。会社でも、必要以上に雑談する方ではなかったし、愛想が悪いと言われた経験も多い。
「人を、探しているんだが」
「誰だあんた」
値踏みするような視線。
男は一瞬だけ答えに詰まる。
自分でも、場違いだと思った。なんの因果か、自分は、こんな場所に縁があるような人間ではなかった。
「……“レッドストリートのアイツ”って奴を探してる。エビ……?のスキルを使うと聞いた」
数秒。
空気が止まる。
「は?」
「おいマジかよ」
「なんでまたあんなの探してんだ?」
笑い混じりの声。
だが、その奥に僅かな警戒が混ざっているのを男は感じ取った。
「……聞きたいことがある」
「ははっ。命知らずって訳じゃなさそうだな」
「いや逆だろ。なんも知らねぇだけだ」
男は反論しなかった。その通りだったからだ。
知らない。
この世界のことも、ルールも、常識でさえも。
自分が今、何に近付こうとしているのかすら、よく分かっていないのだ。
「……お前、エビの知り合いか?」
集団の中でも、一際大柄な男が、唸るように呟く。男はその時、生まれて初めて、純然たる殺意というものを感じた。
「知り合いだったら、わざわざ居場所なんて尋ねないだろ」
だが、自分の口から出た言葉は思いもよらぬもので。この感情はなんなのか。ちっぽけなプライド、自尊心。自分にそんなものがまだ残っていたのか、と感心すら覚える。
その言葉を聞いた大柄の男は、ゆっくりとこちらににじり寄ってくる。改変アバターなのか。近くで見ると、自分の身の丈の二倍はありそうな体躯。
「俺のダチがアイツにやられた。口の中に手を突っ込まれて、大量のエビに溺れて死んだよ。最後はポップコーンみたいに弾け飛んでな」
「……そりゃ、災難だった──っ!?」
その状況を想像して、本心から言葉を発した次の瞬間、背中に鈍い衝撃が走る。気がつけば、胸ぐらを掴まれ、壁に叩きつけられていた。
「な、……なんだよ……」
「プレイヤーなら痛覚のフィードバックはオフにできる。ただ、他の五感はそうもいかねぇ」
「腐ったような生臭い匂い、身体を内側から破られるような感覚。噛み潰したエビの、内蔵物の味……アイツはよ、未だにそれが残ってんだ。まともに飯も食えねぇ」
「……」
「俺たちは今から復讐しに行くところなんだ。同じやり方でエビを嬲り殺す」
大柄な男の目は据わっていた。随分と仲間思いなことだ。或いはリアルの身内だったか。その怒りに嘘はないのだろう。
「当然、エビの仲間もだ。答えろ。お前はどっちだ」
「……知らない。会ったこともない」
暫しの沈黙の後、胸ぐらから大柄な男の手が離される。男はそのまま、路地の汚れた地面へとへたり込んだ。
湿ったコンクリート。手をついた地面から、妙な熱気が伝わってくる。
「……チッ」
大柄な男は舌打ちし、苛立たしげに頭を掻いた。
「行くぞ」
「いいのかよ?」
「違うっぽいしな。こんな冴えねぇオッサンが仲間な訳ねぇだろ」
笑い声。
男は何も返さなかった。返せなかった、の方が近い。
実際その通りだったからだ。
ネオンが濡れた地面へ滲んでいる。赤紫色の光。汚れた水溜まり。鼻につく、甘ったるい臭い。サイケデリックな景色。VRゲームらしい高揚感なんて、もうどこにもなかった。
俺は何をやっているのか
過去の幻影を追って薄暗い世界に入り、
突拍子もない不幸に苛まれて、
惨めに息を啜っている。
これも報いなのだろう。それでもいい。選んだ道の先が、地獄だと、最初から知っていただろう?
──その時だった。
「……おい」
誰かが呟く。
空気が止まった。
ソレは姿もなく、狂った叫び声を上げるでもなく、死体のような異臭を放つでもなく、
──ただ、そこに現れた
「なんだよ……」
大柄な男の声が低くなる。
プレイヤー達の視線が、一斉に路地奥へ向く。
男もつられて視線を向けた。暗闇に佇む人影。そう見えたのは最初だけだった。
輪郭が揺れている。
いや。
崩れている。
映像ノイズみたいに、身体の一部が断続的に消えていた。
黒い。
だが完全な黒ではない。視界が上手く認識できない。そこに居て、そこに居ない存在。だから──
「──ゴースト」
誰かの掠れた声が響く
その瞬間。
男のUIが激しく点滅した。
《ERROR》
《ERROR》
《WARNING》
ゴーストが、ゆっくりとこちらを向く。その動きだけ妙に滑らかだった。
本能的に理解する。アレは自分が立ち向かえるような代物ではない。
次の瞬間。
“消えた”。
「ッ!?」
轟音。
大柄な男の背後の壁が爆ぜる。
コンクリート片が弾け飛び、紫色のネオンが明滅した。
「避けろ!!」
誰かが叫ぶ。
その場にいたプレイヤー達が一斉に散開した。だが男だけは、動けなかった。何が起きたのか分からない。
「クソッ!レッドストリートのゴーストだぁ!?冗談じゃねぇぞ!」
怒号が聞こえる。視界が歪む。
黒い影、ノイズ、耳鳴り。
そして、
“線”。
男の目には、一瞬だけ、それが見えた。
空間に走る、亀裂のような軌道。
── 《綻び》?
理解より先に、身体が動いていた。
直後。
さっきまで男の頭があった場所を、黒い腕のようなものが貫く。
熱風。
背後の壁に巨大な穴が空く。コンクリートが崩れ落ち、破片が頭に降り注いだ。間髪入れず振り回されたそれは、呆気にとられた様子の大柄の男の首を、いとも簡単に刈り取る。
「は──」
大柄な男が目を見開いた表情のまま、物言わぬ肉塊と化した
何故避けられたのか
今、自分が何を見たのか。
ただ。
“そこに立ってはいけない”と分かった。
ゴーストが、もう一度こちらを見る。
空気が軋む音──
────「騒がしいエビねぇ」
その刹那、耳を疑うほど、間の抜けた女の声が聞こえた。
ぶくぶく、と。水の泡立つ音を連れて。
路地裏の奥。暗闇の向こうから、何か重いものを引き摺る音が近付いてくる。
生臭い匂い。
「客じゃないならとっとと帰るエビよ」
女はその惨状を目の当たりにして、面倒くさそうに呟く。
「エビの店は、ゴーストもゴロツキもお断りエビ」
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