置き去りにされた時間
23時更新の分です。2話続けてモニカ回になります
アリスの言葉は、霧よりも静かに落ちていく。周囲の喧騒に溶けるように、浮かんで消える、泡のように。
男は少年を見返す。
白を基調とした礼装。柔和な笑み。人当たりの良さそうな声。
だが、その視線には温度がなかった。
値踏みするような。
あるいは、既に値札を見終えた商品の前で、購入するか否かを考えているような。
そんな目だった。
「……シャーロック?」
男が問い返そうとした、その瞬間。
「行きやすよ」
モニカが割って入った。
右眼のモニターには、《無》の文字。
先ほどまでの怒りも、焦りも、苛立ちもない。ただ、何も映していない。
「おい」
「いいから」
モニカは男の袖を掴む。その力は、ただ引っ張るだけにしてはやけに強く感じて。
「ちょっと待て。まだ話が」
「話す必要なんてねぇです」
「モニカ」
アリスが柔らかく名前を呼ぶ。それだけで、モニカの肩が僅かに揺れた。
「そんなに急がなくてもいいじゃないですか。久しぶりに会えたんです。少しくらい、お話を」
「黙ってろ」
モニカの声は低かった。普段の芝居がかった口調ではない。
喉から絞り出したような、冷淡な声。
アリスはそれでも笑みを崩さない。
「怖い顔ですね。僕はただ、懐かしい話をしたかっただけなのに」
「その口を閉じろって言ってやがります」
「相変わらずですね」
少年はそこで、男へ視線を戻した。
「では、また。カラスマさん」
「……俺の名前を」
「この街で起きたことは、大体耳に入りますから」
アリスは祈るように両手を合わせる。
「貴方が迷える方であるなら、いつでも《霧の聖堂》へお越しください。私達は、全ての漂流者を歓迎します」
「行きやすよ!!」
モニカはその言葉を遮るように叫び、カラスマの腕を引いた。
カラスマは一度だけ、アリスを見る。
少年は微笑んでいた。
街の霧の中で。
まるで、最初から最後まで、全て予定通りだったとでも言うように。
──────
モニカはしばらく、何も喋らなかった。グリーンテンペストの通りを早足で進む。
露店、武器屋、初心者講習用のホログラム。
噴水広場から離れれば離れるほど、街の音は少しずつ変わっていった。
穏やかな喧騒は薄れ、代わりに裏路地特有の湿った静けさが増していく。
「……さっきの男は?」
カラスマが尋ねる。
「聞くな」
短い返答。
「シャーロックとは何だ」
「聞くなって言ってやがります」
モニカは振り返らない。
その右眼のモニターには、《嫌》の文字が浮かび、すぐにノイズへ掻き消えた。
男はそれ以上、問いを重ねなかった。
聞くべきではない。
そう判断したのではない。
聞いたところで、答えが出せない。そういう類の問いだと理解したから。
そう思っただけだった。
「どこへ向かってる」
「当初の目的地でさぁ」
「PLEASE ALLか」
「ええ」
グリーンテンペストの外れ。中心からはやや離れた寂れた通り。モニカはそこにあった、古い車に真っ直ぐ向かっていく。
もう余り見かけなくなった旧式のドアハンドルレギュレーター。時代に取り残された、アナログの鍵穴。三角窓は錆び付いて、開くかどうかは定かではない。
「……アンタの車か」
「だったら、なんか文句でもあるんですかい」
「いや。珍しい、と。この世界にもまだ鍵穴付きの車が残ってるとは」
「まさか。特注品でさぁ。……随分前に、持ち主はいなくなりやがりましたけどね」
とにかく乗れ、と。男を運転席に押し込むと、自分は助手席にどっかり座り、窓の方を向いてしまう。
「なぁ……これは俺が運転」
「一々言わないと分かりやがらねぇですか」
モニカの表情は分からない。あのモニターがないと、随分、感情の表出が下手くそなようで。
男は無言でエンジンをかける。一度、鍵を回す。二度、三度。蚊の鳴くような点火プラグの音。しかし、エンジンはかからない。
「ちっ……」
モニカはソレを忌々しそうに眺めると、男から鍵を奪い取る。ハンドルを右に回しながら、思い切りエンジンキーを捻った。
ようやく、そこで火がついた。
「マップは……わかりやすよね?」
「……あぁ、多分」
それ以上の会話はなかった。
エビに送ってもらった座標とマップの場所を照らし合わせながら、男はおぼつかないハンドルさばきで目的地 “PLEASE ALL”を目指す。モニカは……未だに沈黙している。
やはりまだ、怒っているのだろうか
男はそんなことを考えながら、車を走らせる。
そして、十数分が経った頃。
そこは、中央通りから外れた細い路地の先だった。
石壁に囲まれた一角。
表通りの華やかさとはかけ離れた場所に、その店はあった。
古びた木製の扉。
色褪せた看板。
そこには、掠れた文字でこう書かれている。
《PLEASE ALL》
「……ここが」
「入りやすよ」
モニカは男を置いて車を降りると、鍵を取り出し、慣れた手つきで扉を開ける。
中は薄暗かった。
壁一面に並んだ棚、古い端末、誰かが書き散らしたメモ。そして用途の分からない機械部品の数々。ガラクタのようにしか見えないそれは、たしかに、人間が触れていた形跡があった。
机の上には、空になった缶と、埃を被った紙束。
店、というよりは、誰かが長く居座っていた部屋のようだった。
生活の痕跡。作業の痕跡。
────そして、置き去りにされた時間。
男は無意識に足を止めてしまった。
その空気に、どこか、嫌な感慨を感じてしまったから。
「入って」
背後からモニカの声がした。
男はその言葉に従って、一歩、店内へ踏み込む。嫌なビジョンが脳内を過ぎった。ここは、違う。男は自分にそう言い聞かせる。
直後。
ガチャン。
いつの間にか閉じられた扉が、内側から鍵をかけられた音。
男は振り返る。
モニカは俯いていた。
ハンチング帽の影に表情は隠れている。右眼のモニターには、何も表示されていない。
ただ、細かなノイズだけが走っている。
「何のつもりだ」
男の問いかけに、モニカは答えない。代わりに、先程閉めた扉を横目で見る。
次の瞬間、いつの間にか展開されていたP.devilが、その熱線で鍵穴をめちゃくちゃに溶接してしまう。あれでは鍵をかけるどころか、もう、開けることすらできない。
「……おっさん」
モニカの声は、低かった。
いつもの軽さがない。
ふざけた語尾も、妙な抑揚も消えている。
「一つ、聞かせてください」
男は答えない。
モニカの右手が、ゆっくりと持ち上がる。
その手には、拳銃が握られていた。
銃口が、真っ直ぐカラスマへ向けられる。
男は自分の周囲に視線をやった。知らぬ間に、複数のP.devilに取り囲まれている。
ただ一点、男だけを見つめて。
「あなたは」
モニカは顔を上げた。
右眼のモニターに、遅れて一文字だけ表示される。
《恐》
「この世界を、何だと思ってやがりますか」
男は思考を回しながら、その複雑な感情を見つめ返した。




