偽物
男は床に倒れたまま、しばらく天井を見ていた。
身体に残る痛み。これ程までに、“生”を実感したのはいつぶりであろうか。
生きる事は、辛く苦しい、喪失の連続だ。
喪って初めて、人はそこに何があったのかを知る。左肩に残る熱が、それを嫌という程に理解させていた。
自分は、この世界で生きている。例えただの電気信号であろうと、この昂った魂が、偽物とは思えなかった。
目を閉じようとした男の視界の端に、無機質な通知が浮かび上がる。
《対象の消失を確認》
《戦闘状態を解除》
《戦闘データの蓄積により、魂の力が高まりました》
《TOTAL SOUL:35 → 48》
《ソウルスキル深度上昇》
「……消失」
倒した、ではないらしい。その言葉だけが、妙に引っかかった。
男はゆっくりと右手を持ち上げる。震えていた。痛みのせいか、恐怖のせいか、それとも別の何かなのか、自分でも分からない。
ログアウト。
そんな言葉が頭を過ぎる。左腕を失ったままでは行動に制限がかかる。男はそう考え、震える指でメニューを開いた。
視界に半透明の項目が並ぶ。ステータス、イベントリ、メッセージ。
《ログアウトしますか?YES/NO》
男はその文字へ指を伸ばした。
その時だった。
「うわぁ……まだ落ちてない」
頭上から声が響く。軽薄で、少し陰湿そうな女の声。
「普通メンタルアウトで強制ログアウトかかるっしょ……なーんで普通にピンピンしてるわけ」
男が見上げると、そこには小柄な女性が、停止したベルトコンベアの上で、しゃがんで男を見ている。装いはなんというか、ちぐはぐだ。
英国風のグレンチェック柄の、ケープ付きコートにハンチング帽。インナーは白の襟付きシャツにネクタイ、クラシカルなベストを合わせている。しかし、下半身はパンク風の蛍光グリーンのショートパンツ。靴には何かの歯車が付いており、ただ歩く為だけのものではないことが想像できる。
「というかわざわざ閉所でゴーストと戦うとか、どういう神経してやがるんですか?」
最も目を引いたのは、女の右眼。そこには、人間の眼球の代わりに、「×」印の刻まれた球体の何かが埋め込まれている。よく見るとそれは微量のノイズが走っており、モニターの類いだろうと考えられる。
「おーーい、き、い、て、ま、す、か。折角喋りかけてやってんだけど」
プレイヤー、なのだろうか、男はぼんやりとした頭で考える。騒ぎを聞きつけてやってきたのか。
「???こーれ、衝撃で頭がイっちまいやがりましたか?それとも鼓膜ごとぶっ飛んだ?」
「あ、あぁ……すまない、少しぼーっとしていた」
男はその言葉に思考を中断する。右手で地面を押して、身体を起き上がらせると、服に着いた埃を払う。その様子を、女は呆気にとられた顔で見ていた。
「え、えぇ?それだけ?普通、こう、もっと、ありやしやせんか?リアクション。美少女降臨キタコレ!あいや、ちょっと古いか……」
「俺は妻帯者だ」
「マジで言ってる??」
男は女の軽口を受け流すと、立ち上がって散らばった義肢の残骸の方へと歩いていく。壊れた指、肩、脚。あのゴーストが撒き散らした破壊の跡。その中を、男は黙って探し始める。
「つーか、おじさん、こんなとこで戦っちゃあいかんでしょ。稼働してる義体工場なんて、“企業”のテリトリーに決まってんだから」
「……企業?」
女はその様子を呆れた様子で眺めながら告げる。携帯端末を取り出すと、義肢の山で何かを探し続ける男の眼前に、それを放り投げた。
「ほら、それ。“Toxic KICK”。ここの工場の入口に書いてあったっしょ?イェファの中でもかなーーりでっかい企業だよ。おっさん、確実に破産するぜ」
「すまない、企業というのは……」
「え、やば、知らなかったの?やば……え、やっぱりこれドッキリ?エビちゃん、マジで、タチ悪いよ!!」
女は何かに憤慨しつつ、頭を掻きむしると、男の方へと近づいてくる。
「はぁーーーーーー……一応説明するけど、いわゆるプレイヤーギルド。普通のMMOにもあるっしょ。このゲームだと企業って言って……」
「この工場はそこの所有物だったわけか」
「いやいや、冷静すぎ。もうまともにゲーム遊べないかんね」
「それは……困るな」
男の声は、まるで、自分の知らない世界の話をしているようで。酷く無関心。よく言えば、肝が据わっている。女はその様子にイライラしたのか、落ちていた拳銃──潮騒を手に取ると、
パンッ!
と天井に向けて射ち上げた
「いやおっさんだけの問題じゃないんだけど。“ウチ”に出入りすんのに、企業に目ぇつけられたらまずいって話をしてんの」
「………君は?」
男はその音に、緩慢な動きで首を向ける。女の右眼は「怒」のマークが浮かんでおり……
「あーしの名前はモニカ=モーン。PLEASE ALLって店の店主をやってる。エビちゃんから言われためんどくさい初心者って、おっさんでしょ?」
不満を露わにする女に、今度は男の方が、驚く番であった。
「違う……と思う」
「はぁ!??」
「めんどくさい奴とは言われたが、めんどくさい初心者、とは言われていない」
「まじでぶん殴るぞ」
本気かどうか分からない男の言葉に、調子の崩された女は、低い声で凄んだ。
「てか、さっきから何探してやがりますの?」
「………見つけた」
女の言葉に答えるように、男は冷静な声色で告げる。その手には、義肢の中に紛れて、油と埃に汚れた肌色の何かが握られている。
「これだ。くっつけることはできるか?」
そう、男の手には、切り落とされた自分の腕が握られていたのだ。
「おっさんまじで……リアルで頭の病院、行った方がいいよ?」
それにドン引きした女は、右眼にでっかいクエスチョンマークを浮かべていた。
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