死の軌跡
レッドストリートを抜けるにつれ、景色から赤色が減っていく。
代わりに増えたのは、鈍く濁った黄色だった。
頭上を走る鉄骨、無数の配管、油に汚れたコンベア。
工場群が、墓標みたいに乱立している。
と、そんな街並みを歩く男の視界上部へ、半透明のUIが浮かび上がった。
《YELLOW FACTORY:接続完了》
空気が澱んでいる。鉄錆、油。薬品。 何かが焦げる臭い。それら全てが混ざり合い、肺の奥へじっとりと張り付いてくる。
思わず、顔を顰める。仮想の身体だと言うのに、息をする度に、足取りが重くなるような感覚を覚えた。
一定間隔で、蒸気の吹き出す音が響いた。
プシューッ、と。
まるで巨大な生物が呼吸しているみたいだった。
男は、端末に表示された地図を確認する。
PLEASE ALL。
目的地までは、あと数ブロックと言ったところだ。
「…………」
どうにも、妙な名前だった。
質屋、そうエビは言っていた。
だが、質屋にしては店名が妙に仰々しい。直訳するなら、“全てを願う”だろうか。
或いは、“全てを寄越せ”
そんな意味にも聞こえる。
男は視線を上げる。黄色灯が明滅していた。工場壁面に貼られた古い広告、崩れた足場、積み上げられた鉄パイプ。
人影は少ない。
レッドストリートほど治安が悪い訳ではないらしいが、代わりに、この街には別種の薄気味悪さがあった。
誰もが忙しなく動いている。NPC、だろうか。作業着を着た複数人の男達が、死んだ顔で何かの作業をしている。
だが、そこに生活感がない。ただ、機械音だけが響いている。まるで、この街並みでさえ、必要だから整えられた、そう言わんばかりに。
ギィィィ……
頭上で鉄骨が軋む。何となく、足を止めた。視線を上げる。
古い配管、赤錆、接合部の歪み。
その瞬間。
何故か、“そこに立ちたくない”と思った。男は、無意識に半歩だけ下がる。
直後。
ズドン!!と。
数秒前まで立っていた場所へ、巨大な鉄パイプが落下した。
爆音が鳴り響き、粉塵が辺りを舞う。激しく飛び散る金属片。
通行していたプレイヤー達が、小さく悲鳴を上げて散る。
「危なっ……」
「おい管理AI何やってんだよ!」
誰かが怒鳴る。
その光景に、男はただ呆然と立ち尽くしていた。
違和感、
偶然。
……本当に?
その時だった。
視界端のUIが、激しく点滅する。
《ERROR》
《ERROR》
《WARNING》
空気が変わる。
機械音しかなかった工場地帯へ、“別の何か”が混ざった。
カラスマは反射的に周囲を見回す。そして、見つける。
工場奥の暗闇。そこに、“黒いノイズ”が集まっていた。まるで小さい羽虫の群れみたいに。
ぶくぶくと。
空間を腐らせるように、
────何かが滲み出る。
プレイヤー達の足が止まる。誰かが、掠れた声を漏らした。
「……嘘だろ」
やがてソレは、人型を取った。黒い輪郭。歪んだ影。
黄色灯の明滅の中で、“ソレ”がゆっくりとこちらを見る。
輪郭が揺れている。いや。崩れている。
映像ノイズみたいに、身体の一部が断続的に消えていた。
そこに居て、
そこに居ない。
その影に、見覚えがあった。いや、忘れるわけが無い。それは──
「──ゴーストだ!!」
誰かが叫んだ。
その瞬間。
“消えた”。
轟音。
頭上の足場が爆ぜる。
鉄片が雨みたいに降り注ぎ、黄色灯が激しく明滅した。
何が起きたのか理解するより先に、カラスマの視界へ、“軌跡”が走る。空間へ刻まれた、亀裂のような軌道。
直後。
黒い腕のような何かが、さっきまでカラスマの首があった場所を切り付ける。
熱風が吹きすさび、衝撃に、目眩がした。
丁度、視界の線をなぞる様に、背後の鉄骨に、大きな亀裂が走っている。一瞬遅ければ、自分の頭にも同じような状態になっていたに違いない。
「クソッ!!」
男は叫ぶ。荒い呼吸のまま、その不可視の怪物から逃走を測る。しかし、
ズドンッ!!
二度目の衝撃、男の逃げ道を予測したような軌道で、ゴーストの死の鎌が迫る。間一髪、直前でブレーキを踏んだ男は、自分の目の前のコンクリートが切り裂かれるのを見た。
「っ……!」
どうやら、完全に狙われているらしい。男は意を決して、イベントリから、先程貰った拳銃──潮騒を取り出すと、震える手でゴーストに向けた。
ゴーストは、それを脅威にすら感じていないらしく、ぼやける輪郭は男を追い詰めるように近づいてくる。
バンッ!
発砲音。乾いた音が、工場地帯に反響する。それは、ゴーストの肩先を掠め、明後日の方向に飛んで行った。
しかしそれは、怪物の怒りを買うには充分な挑発であり、
男の瞳に、黒い閃光が走る。その軌跡は枝分かれして、複数方向から男を狙っていた。
「まじかよ……!!」
その言葉を言い終わるより先に、ゴーストの黒い腕が分裂。男を囲う軌跡が、刃となって迫る。
男は思い切り身体を捻る。片手で地面を抑え、それを支点に斜め前に飛ぶ。丁度、その攻撃の上を通り抜けるような形で。
鼻先を死の軌跡が掠めていく。
「はぁっ、はぁっ……」
男は紙一重で攻撃を躱し続ける。しかし、こんなことはいつまでも続けられない。男がそれを1番よく理解している。
男は視界上部のマップに視線を移す。広がるのは工場地帯。どこに行っても、鉄、鉄、鉄。まるで近代の迷宮。入り組んだ配線、蠢く熱。
これしかない
男は地面を転がって着地の衝撃を殺すと、そのままの前傾姿勢で、全速で駆け出す。その時、現実世界の肉体よりも、体が軽いことに気づいた。
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