第4話
「氷剣よ」
ケイトがあっさりと答えた。
キースはダンが持っていた剣が気になって、三日三晩まともに眠れなかったというのに。
まさか、本当に幻の氷剣だったとは。驚きすぎて足元がふらついてしまう。
キースはソファに腰を下ろして、天井を仰ぎ見た。
「魔王様の護衛をしていたとき、一度だけ目にしたことがあるんですよ……」
それをまだ幼いダンが持っているとは、未だに信じられない。
「まあ、驚くのも無理ないわね。あれは魔王様がお守り代わりにダンに貸したようなものだから」
キースは首を傾げる。
ケイトはドラゴンが描かれたカップにコーヒーを淹れて、ローテーブルに置いた。自分の分しか淹れないところがケイトらしい。
ケイトはクッションの上に座って、複雑なため息を漏らす。
「あいつ、ものすごく怖がりだから、すぐ巨大な狼になってしまうのよ。酔っ払っているから記憶も曖昧で、気づいたら問題が解決しているって感じかしら。周りに多大な迷惑をかけてね」
「現実逃避のたびに大暴れしていると?」
「そうなのよ。嫌なことから逃げているだけ。それじゃ、何の解決にもならないから、とりあえず酒を取り上げて、ビシバシ鍛えてやったわ」
「飼い主も大変ですね」
「勝手に押しつけられたんだけどね」
ケイトはコーヒーに口をつけ、顔をしかめる。どうやら、砂糖が足りなかったようだ。
「あいつは素直で真面目だから、訓練どおりやれば熊くらいは簡単に倒せるはずなのに、実戦だとカチンコチンに固まってしまうのよ。いつまでたっても臆病で困るわ」
おそらく、緊張しすぎて頭が真っ白になってしまったのだろう。格好つけたがるダンの気持ちはわかるので、キースはあえて黙っておく。
「さすがに魔王様も心配になって、氷剣をダンに貸したの。すごい剣を持っていたら、自信がつくんじゃないかと思ったのね」
「魔王様、形から入るタイプでしたか」
魔王の護衛をしたときに見かけたのは、やはり氷剣だったのか。
「それだけじゃないわよ。氷剣は主と認めたダンが巨大な狼になると、危険を察知して主を凍らせてしまうの」
キースは頭を捻る。
「それは暴走を止めるということですか?」
「あたしがボコボコに殴ってしまうから、氷でダンを守るのよ」
とんでもないことをケイトが笑いながら言っている。
「頭が冷えたら、スカールの火炎で氷を溶かす。いつものことよ」
冗談みたいな話に、キースは笑うしかない。無表情なので、ケイトの目には真顔で相槌を打っているようにしか見えないだろう。
「それでお守り代わりなのですね」
ケイトの暴力から身を守るためだとは思わなかったが。
「そうよ。まさか、お守り代わりに、あたしの剣が折られるとは……」
地の底から響いてくるような唸り声と、ギリギリと歯噛みする音が聞こえてくる。ケイトの背後に怒りの炎が見えるのは気のせいだろうか。
「魔獣討伐のときは、あんなにも怯えてたくせに、このあたしに実力を隠していたなんて、やってくれるわね……」
ダンの決意を知っているキースは否定したいが、それでは約束を破ってしまう。
「秘密の特訓をしていたようですから、その成果が出たのではないのでしょうか」
「ちょっと特訓しただけで、あたしのお面を割ることなんてできないわよ。やっぱり、あたしの命を狙うために長い年月をかけて腕を磨いていたようね……」
これでは逆効果だ。よけいな誤解を生んでしまった。
(ダン様、すみません)
キースは心の中で謝罪して、なんとか話題を変える。
「お面が割れたということは、ダン様に顔を見られたということですね」
ハッとケイトは弾かれたように顔を上げて、思い出したようにおろおろする。
「そうだったわ。剣を折られたことが悔しくて、完全に忘れていたわ」
何も言わなかったので気にしていないのかと思っていたのだが、本気で忘れていたとは。
(この人、本当に元四天王?)
魔王の次に恐れられている四天王が、ただの非常識な連中に思えてきた。
「正体が見破られたということは、ダン様の復讐はしばらく控えたほうがいいですね」
「そうね。今ごろ、警戒して罠を仕掛けているはず。ダンの復讐は後回しよ」
キースはほっと胸を撫で下ろす。これで、ダンは誰にも邪魔されずに秘密の特訓ができるだろう。一日も早く強くなって、ケイトを引き取りに来てほしい。
こんなにも疲れる休暇は初めてだ。
ケイトとキースは市場で買い物をしていた。
今日は特売日らしく、キースは異常なまでに張り切っていた。
一人だと一個しか買えない食材もあるので、荷物運びとして手伝っている。
ケイトが軽く三人分の料理を平らげてしまうので、節約のためだと言われたら、元四天王でも逆らうことはできない。
「そろそろ、お昼ごはんにしましょう」
キースはまだまだ買い足りないようだが、腹が減っては戦はできぬ。
ケイトとキースは屋台で麺類を注文して、木製のベンチに腰を下ろした。
これは人間界の料理らしい。二本の短い木の棒を使って食べるようだ。
「棒に引っかけて食べるみたいね」
周りの客の真似をして、スープに浸かっている麺を木の棒に引っかけて、いっきにすする。
ケイトは驚きのあまり、目を見開いた。
「これ、すごく美味しい」
「本当ですね。スープから魚の匂いがします」
キースは物珍しそうに縮れた麺を見て、スープに口をつける。
「ズルズルと音をたてて食べるのは下品だと思っていましたが……」
「そこの兄ちゃん、これは豪快に食べないとうまさが半減するってもんだよ」
隣のベンチで食べていた知らない中年男性が声をかけてくる。どうやら、常連客のようだ。
「そうですね。美味しく食べないと料理に失礼です」
キースもズルズルと音をたてて、豪快に麺をすする。
「おお、いい食べっぷりだね」
常連客は、がははっと笑っておかわりを注文しにいった。
キースはスープを半分ほど飲んで、しみじみと呟く。
「戦争が終わって本当によかったです」
ケイトもうんうんと頷く。
「人間界の料理が気軽に食べられるなんて、あの頃は夢にも思わなかったわ。しかも、美味しいものばかり」
「魔界は肉料理が多くて、だいたいは焼くか煮るかで、おやつは果物でしたね」
「それはそれで美味しいんだけど、人間界のお菓子を食べちゃうとね」
「わかります。焼き菓子を食べたときは、あまりの美味しさに引っ繰り返りそうになりました」
キースのことだから、感動のあまり、本当に引っ繰り返ったかもしれない。
ケイトはくすくすと笑う。
「キースって、本当に料理が好きよね」
「料理は奥が深いですから」
キースは凝り性なところがあるので、料理作りが趣味になっている。
ケイトはスープを飲み干して、もう一杯、注文しようと立ち上がる。
ふと、噴水広場に目を向けると、美しい女性が風に飛ばされた白い帽子に手を伸ばしていた。艷やかな亜麻色の髪に澄んだ青い瞳の清楚なお嬢様のようだ。
白い帽子は空高く舞い上がり、お嬢様はおろおろするばかり。
すると、洒落た格好の男性が魔法でも使ったのか、白い帽子を受けとめて、爽やかな笑顔でお嬢様に渡した。
ケイトは眉をひそめて、じっと見ていた。
「どうかしたのですか? 親の仇にでも遭遇したような険しい顔をして」
突っ立ったままのケイトを不思議に思って、キースが声をかける。
「ええ、似たようなものがいるのよ」
殺気を抑えながら、低く答える。
キースは目を瞬かせながら、噴水広場を見渡した。
「すごく目立つ綺麗な女性がいますね」
「ポリンよ」
「え?」
キースは驚いたように、ケイトとポリンを交互に見る。
「確かに美しいですが、別人にしか見えません」
キースの言いたいことはよくわかる。本来のポリンは目を合わせるのも恐れ多い。跪きたくなるほどの圧倒的な美貌の持ち主なのだ。
「魔法で思いっきり地味な女性に変装しているのよ」
「変装しないと大騒ぎになりますからね。それでも美人ですが」
「本当に嫌になるわ」
小さく舌打ちするケイトに、キースはおやっと片眉を上げる。
「ケイト様でも女らしい嫉妬をするんですね」
「そんなんじゃないわよ。あの女は普段からぼんやりしてるから、よく男達に絡まれるのよ。そのたびに、あたしが助けて男達に逆恨みされるの。さっき、あんたが言ったみたいに、ブスの嫉妬は見苦しいとか罵倒する輩もいてね」
「そいつら、全員、再起不能にしたと?」
「当然でしょう」
キースはまじまじとケイトを見る。
「ケイト様って、なんだかんだ世話好きですよね」
「厄介事に巻き込まれてるだけよ」
「それと、ケイト様はかなり美形ですよ。ポリン様が桁外れなだけで」
「──男らしいと言われてるみたいで、素直に喜べないんだけど」
ケイトはため息をついて、洒落た格好をした男性と楽しそうに話しているポリンを眺める。
「無性に腹が立つわね」
柄の悪い連中はケイトに追い払わせて、自分はちゃっかり恋人を作る。しかも、美男美女でお似合いだ。
「……復讐よ」
キースがきょとんとする。
ケイトは拳を握り締めて、決意を固めた。
「ポリンの邪魔をするのよ。恋人なんて百億年、早いわ」
「あ、あの……ケイト様……?」
キースは頭が混乱しているようだが、詳しい説明は後回しだ。
ケイトは近くの服屋に飛び込んで、適当に可愛らしいワンピースを買う。その場で着替えて、急いで戻ると、市場で買った食材を屋台の店主に預かってもらい、キースの腕を引っ張って、噴水広場へと向かった。
「ちょっと、待ってください。なんで、女装してるんですか?」
「ポリンにバレないように恋人のふりをして近づき、二人の仲を引き裂くのよ」
念のために買った帽子をキースにも被せる。普段から黒やグレーなどの似たような服ばかり着ている、お洒落には無頓着な男だが、長身で顔だけはいいので、嫌でも人目につく。帽子を目深に被ったら、顔は隠せるだろう。
「やはり、嫉妬では……」
「あっ、ポリンとキザ野郎がどこかに行くみたいよ。気づかれないように追いかけるわよ」
キースはやれやれと肩を竦めて、足早のケイトに合わせて歩く。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「なに?」
「よく、ポリン様だとわかりましたね?」
「友達を見間違えることってある?」
どうして、キースが当たり前のことを尋ねるのか。ケイトには不思議でならないが、今はポリンの尾行に集中しなければならない。
キースは目を瞬かせて、僅かに口元を上げた。
ポリンと男性は服やアクセサリーを見たり、芝居を楽しんだり、公園ではボートに乗ったりして、ケイトが割り込む余地はなかった。
人間界で大人気のアイスクリームという氷菓子を食べながら、ケイトは諦めずに尾行を続ける。
キースは氷菓子に興味津々だ。チョコミント味に感動している。
ケイトがバニラ味の氷菓子を食べながら、にこやかにお喋りをしているポリンを見張っていると、キースがじっとこちらを凝視してきた。
ケイトは首を傾げて、氷菓子を差し出す。
「そんなに気になるのなら、一口ちょうだいって言いなさいよ」
「いや、それはそれでいただきますが、女装するとケイト様も女に見えるなと少し感心していたのです」
ケイトはすっと氷菓子を引っ込める。
「あたし、もとから女だから。そもそも言ってることがおかしいから。それで、あたしの氷菓子を食べようなんて図々しいから」
キースの目の前で氷菓子をペロリと平らげると、今までにない絶望的な顔つきになった。
なぜか恨めしげにキースが睨んでくる。
「そんなんだから、恋人ができないんですよ」
ぼそりと嫌味を言われて、ケイトのこめかみに青筋が浮かぶ。
「女をとっかえひっかえのあんたよりマシよ」
「それを負惜しみと言うんです。その様子だと初恋もまだのようですね」
「あたしにだって、好きな人くらい──」
ケイトは言いかけて、慌てて口を閉ざす。ポリンと男性がこちらに向かって歩いてきたのだ。
このままでは尾行に気づかれてしまう。ケイトは咄嗟にキースに抱きつき、鍛えられた胸に顔を埋める。
キースも顔が見えないようにうつむいて、 ケイトを抱きしめる。手慣れているのか、傍から見ても恋人同士に見えるようだ。
ポリンはケイトに気づかず、すぐ横を通り過ぎていく。
「この公園は広くて迷子になりそうだ」
「ふふふ、そうですわね」
「こっちにワインの美味しい店があるんだよ」
「まあ、楽しみですわ」
日も暮れて、辺りも薄暗くなっている。ポリンと男性の姿がほとんど見えなくなると、抱き合っていた二人はほっと安堵の息をついた。
「道、間違えてるんじゃないわよ」
「さすがに焦りましたね」
「昼間だったら、バレていたかも。あたしたちも晩ごはんを食べましょうか」
「氷菓子を食べたばかりなのに?」
「甘いものは別腹よ」
再び、ケイトはポリンの後を追う。
「あの二人と同じ店で食べるのですか?」
「当然でしょう。なんのための尾行よ」
「友達の彼氏に相応しいか見定めるため──」
「何か言った?」
後ろでボソボソと呟いているので振り返ると、キースは軽く首を振って口を噤んでしまった。
公園を出て大通りを歩いていると、ポリンと男性が大人っぽい雰囲気の店に入っていく。
「高そうな店ですね」
そう言いながら気後れしていないところが、嫌味でしかない。キースの女慣れしている感じが癪に障る。
「下町にしてはいい店じゃない」
「ケイト様って無自覚に敵を作っていくタイプですよね」
「それは、あんたでしょう」
ケイトとキースも恋人のふりをして、店に足を踏み入れる。
にこやかな笑みを浮かべているが、ケイトは恨み辛みが溜まりに溜まっている。二人は顔を隠しながら、ポリンから少し離れた席に座った。
気づかれないように横目で見ていると、キースがさっそく注文をしている。料理のこと以外はどうでもいいようだ。
「あんた、さりげなく高いワインを注文したでしょう」
「ケイト様の奢りなので、つい」
「確かにあたしは雇用主だけど、今は恋人なんだから、男が払いなさいよ」
「それ、問題発言ですよ。男女平等に万歳」
今だけはポリンより目の前の男を殴りたい。
「昔はよかったわ……」
「ケイト様って時々、年寄り臭いことを言いますよね」
綺麗に盛り付けられた魚料理を、キースは上品に口に運んでいる。何気ない仕種や立ち振る舞いは丁寧なのに、どうしてこんなにも口が悪いのだろう。
「あんた、経験豊富だけど本気になったことはないでしょう。去っていくのはいつも女のほう。違うかしら?」
うぐっとキースは魚料理を喉に詰まらせる。どうやら図星のようだ。
慌てて水を飲んでいるキースを無視して、ケイトはポリンの様子を窺う。
「ここからでは話は聞こえませんね」
キースもポリンに視線を向ける。話題を変えたいようだ。
「ポリンの言っていることは口の動きでわかるわ」
「えっ? それってすごくないですか?」
「友達なら普通でしょう。ポリンが言っていたわよ」
「…………」
キースは難しい顔つきになり、考え込む。
ケイトは分厚い肉料理を食べながら、ポリンの口の動きを見ていた。
「ちなみに、なんて言っているんですか?」
考えすぎて、ケイトを疑いはじめている。人に無関心なくせに変なところで真面目だ。
やれやれと肩を竦めて、ケイトは言った。
「さすが、知らなかった、すごい、センスいい、そうなんだの繰り返しよ。酔っ払いの自慢話にうんざりしているようね」
「すごく楽しそうに見えますが?」
「愛想笑いくらいはするわよ。しつこく絡まれると面倒だしね」
「女性って大変なんですね」
「そうよ。適当にあしらうことができばいいんだけど、ポリンには難しいかもね」
「ケイト様なら暴力で解決なんですけどね」
「ええ、そのとおりよ。痴漢を半殺しにしたら、誰も声をかけてこなくなったわ」
暑苦しいスカールとダンの躾に手一杯だったので、恐れられるのは好都合だったが。
なぜか、キースが憐れむような眼差しを向けてくる。
ケイトはむしゃくしゃして、ワインをいっきに呷った。
「飲みすぎは体に悪いですよ」
水のようにガブガブ飲んでいると、さすがにキースが心配して、ワインを取り上げようとする。
「平気よ。あたし、お酒で酔ったことが一回しかないの」
「肝臓までイカレているんですか?」
「本気で心配してる?」
キースは少し酔っているのか、遠慮なく言ってくる。
ケイトは頬杖をついて、ため息を漏らす。顔を隠しながら、ポリンに視線を向けると、男性が立ち上がって、ポリンの肩を揺らしていた。
ポリンは頬を紅潮させ、とろんとした目で男性を見ている。しかし、その瞳には何も映っていない。あきらかに泥酔状態だ。
ポリンは男性に支えられて立ち上がり、店を出ていく。
ケイトも急いで会計を済ませて、ポリンの後を追いかける。
キースはオレンジの焼き菓子を残してしまって悲しんでいたが、今はそれどころではない。
ポリンは男性に寄りかかり、おぼつかない足取りでなんとか歩いている。
「完全に酔っていますね」
キースには仲睦まじく寄り添っているように見えるようだ。だが、そんなことは絶対にありえないのだ。
「それはないわ。ポリンは、あたしが飲み比べで唯一、勝てなかった相手なのよ」
キースがぎょっとして、まじまじとポリンの後ろ姿を見る。
「だったら、演技ですかね? 酔ったふりして男を誘う女はいます」
ポリンと男性は大通りから外れて、狭い道を歩いていく。
「ポリンの場合、演技する必要ないでしょう」
「それもそうですね」
そこにいるだけで、男が勝手に群がってくるのだ。
「それに、あたしがいないと何もできないポリンに演技なんて無理よ」
「…………」
キースは何か言いたげな顔をしていたが、ケイトはポリンのことで頭が一杯だ。無駄口を叩いている余裕はない。
大通りと比べると道は狭いが、建物は妙に明るくて派手だ。厚化粧の女が店の前で男に声をかけている。
色っぽい女が男にしなだれかかって、ピンク色の建物の中に入っていく。恋人同士と思われる男女が多い。
ケイトは嫌な予感がして、おそるおそるキースに尋ねた。
「もしかして、ここはいかがわしい場所なの?」
「お子様は絶対に近づいてはならない場所ですね」
ケイトは血の気が引いていくのを感じた。早くポリンを連れ戻さなくては。
慌てふためいて、きょろきょろと辺りを見回していると、ポリンと男性が小さな城のような店に入っていった。
ケイトは悲鳴を飲み込んで、急いで追いかける。
「あれ、もしかしなくても連れ込み宿よね?」
「そうですが……今時、連れ込み宿って……」
「どうでもいいでしょう! キース、あたしたちも入るわよ」
「合意かもしれないのに、邪魔するんですか?」
キースは本気で面倒くさそうな顔をしている。もしものことがあっても自己責任と思っているのだろう。料理には熱心なのに色恋には冷めきったところがある。
「ごちゃごちゃうるさいわね。ここで見捨てるような女が好みなら、こっちも見る目のない男なんて願い下げよ」
キースにとっては他人事なので薄情とは思わないが、それでも心のどこかでは信じたい。
じっとキースを見据える。
キースは大きなため息をついて、渋々といった様子で頷いた。
「どっちにしろ、ぶち壊す予定でしたので、ケイト様に従いますよ」
これは復讐でもあるので、やることは変わらない。
ケイトは復讐のことなんて、すっかり忘れているが。
店に入ると、従業員の男性が丁寧に挨拶をする。どうやら会員制のようだが、そんなことをケイトが知っているはずがない。
「失礼ですが、こちらは紹介状がない方はお断りしておりまして……あっ、そちらの部屋は……」
ケイトは従業員の男性を押しのけて、勝手に赤い絨毯が敷かれた廊下を歩き、適当に部屋の扉を開けていく。
「キャー!」
「なんだ、君は!?」
取り込み中の女性が悲鳴を上げ、男性が怒鳴りつける。
普段のケイトなら裸の男女がベッドで寝ていたら、顔を真っ赤にしていただろう。だが、今はポリンのことしか頭にない。
ポリンがいないことを確認すると舌打ちして、別の部屋の扉を開けていく。
「ああ、やめてください! 誰か、この者を──」
他の従業員を呼ぼうとしたので、キースが素早く手で口を塞ぐ。
「あの人を怒らせるとこの店が木っ端微塵に吹き飛ぶ。冗談ではなく本気で死人が出る」
キースが凄みを利かせると、従業員の男性は真っ青な顔になり、涙目で命乞いをする。
「俺達はさっき店に入った男女の部屋が知りたい。教えてくれるか?」
従業員の男性は命が惜しくて必死に首を縦に振る。ここまで怯えていたら、嘘はつかないだろう。
キースはケイトを呼ぼうとして口を閉ざす。少し考えて、先に従業員の男性を問いただすことにした。
「おかしな真似をしたら、命はないからな」
ゆっくりと手を離す。従業員の男性は恐怖で歯の根が合わないほど、ガチガチに震えていた。これなら、大声で助けを呼ぶようなことはしないだろう。
「どの部屋だ?」
キースが問うと、従業員の男性は階段を上がって右側の奥の部屋だと答えた。
「よし。お前は何も見なかった。聞かなかった。今夜もいつもどおり、何も起きなかった。わかったな?」
従業員の男性は涙を流しながら、ぶんぶんと頭が千切れるのではないかと思うほど振り続けた。
「二人は二階にいますよ」
次々と部屋の扉を開けていたケイトは急いでキースのところに戻り、正面の階段を駆け上がっていく。
「命拾いしたな」
腰を抜かした従業員の男性には見向きもせずに、キースも足早に階段を上がる。
ケイトは階段を上がりきったところで、頭を捻る。廊下が左右に分かれているのだ。
「右の奥の部屋です」
追いついてきたキースが右側の廊下を指さす。
「あら、意外と簡単に口を割ったのね。時間がかかると思って片っ端から捜していたのに」
「こっちは死人が出ないかとハラハラしましたよ」
「失礼ね。手加減くらいできるわよ」
懐疑的な眼差しを向けられる。ケイトはあえて無視して、長い廊下を走った。
奥の部屋が見えてきたので、勢いをつけたまま、蔓草の彫刻が施された扉を蹴り破る。
ケイトはこれ以上ないほど目を見開いた。ぶわっと金色の髪が逆立つ。
ケイトの背後ではキースが額に手を当てて、天井を仰ぎ見ていた。
「最悪だ……」
キースがぼそりと呟く。
煌びやかな部屋の中では、ベッドに寝かされているポリンに裸の男性が覆い被さっているところだった。
「な、え、お前たち、いったい……」
男性はぎょっとする。突然、扉が吹き飛んで、知らない男女が部屋に乗り込んできたのだ。
男性は驚きのあまり、ポリンの上で硬直している。それでも、股間は興奮したままだった。
ケイトの怒りが爆発する。目にも留まらぬ速さで男性の顔面を力のかぎり殴りつけた。
男性の体が吹っ飛び、壁にめり込む。ぐはっと血を吐いて床に倒れると、ケイトは男性の髪の毛を掴んで引きずり立たせる。
「だ、だず……げ……」
鼻と歯が折れて、顔面が血まみれだ。顎も砕けているようで、まともに喋ることもできない。この期に及んで命乞いをする男性に、ケイトはさらに怒りが込み上げる。
「今まで何人の女を騙してきた?」
「ご……がいだ……あ、あの女が……ざぞっでぎで……」
キースが盛大なため息を吐いた。
この男は自殺志願者なのか。火に油を注いで馬鹿なのか。
キースの表情は呆れ果てていた。
ケイトは怒りを通り越して無表情になっていた。冷ややかな双眸で男性を見据え、眉一つ動かさず、拳を顔面に叩きつける。
「ぐえっ」
「汚い声を出すな」
全ての歯を叩き折り、股間を何度も蹴り上げる。男性は完全に意識を失っているがケイトは床に叩きつけ、背中を容赦なく踏みつける。背骨が折れる鈍い音が室内に響いた。
ケイトは男性の頭を踏み潰そうと片足を上げる。
「ケイト様」
キースの冷静な声がケイトを止めた。
「キース、邪魔する気?」
ケイトの殺気に怯みそうになるが、キースは男性が気絶していることを確認してから、ポリンの名前を口にした。
「ポリン様の心配をしてください」
ケイトはハッと我に返る。
「──そうね。あれはいつでも殺せるわ」
血まみれの拳に眉をひそめていると、キースがさりげなくハンカチを差し出す。妙なところで気が利く男だ。
それに、キースが止めてくれなければ、怒りに任せて男性を殺していた。肝心なことを聞き出す前に死なれては困る。
ケイトはハンカチで拳を拭きながら、ベッドで眠っているポリンのもとに歩み寄る。
ポリンの服は脱がされていない。スカートも乱れていない。間一髪だったようだ。
ケイトはほっと胸を撫で下ろす。無傷でよかったと安心すると、急に力が抜けて、その場に座り込んでしまった。
ポリンは気持ちよさそうに眠っている。その寝顔を見ていると、だんだんと腹が立ってきて、ケイトはポリンのほっぺたを思いっきり抓った。
「いつまで寝ているのよ!」
「ひやぁん! いったぁぁい!」
ポリンが頬の痛みで目を覚まして、悲鳴を上げる。
ケイトはポリンの頬を抓ったまま、厳しい顔つきになる。
「あんた、あたしがいなかったら、取り返しのつかないことになっていたのよ」
「ケイト……?」
ポリンはいっきに酔いが醒めたようだ。上体を起こして辺りを見渡す。みるみる顔から血の気が引いていく。
ケイトは頬から手を離して、まっすぐポリンを見つめた。
「ポリン、どこまで覚えているの?」
ポリンはふらふらする頭に手を当てて、必死に思い出そうとする。
「ワインを飲んでいたら、急に目の前がぐるぐる回りだして、声も聞こえなくなって……。そのあとは覚えていないわ」
「そのワインに一服盛られていたようね」
「そんな、まさか……」
ポリンは大きく目を見開く。
ケイトも険しい表情になる。
「あたしも信じたくないわよ。あんたを眠らせる薬があるなんて……」
ポリンは回復魔法に優れた四天王の一人だ。しかも、ポリンは毒が効かない体質でもある。
「可能性としては、ポリンの体調が最悪だった。ポリンの体質を上回る強力な毒だった。体が毒ではないと誤認した」
「そうね……。薬草のように害がないものとして体が受け入れてしまったのかもしれないわ……」
「その薬、とんでもなく危険なものじゃない。この店も怪しくなってきたわね」
「えっと、店ぐるみで女の子に薬を飲ませて、いやらしいことをしていたってこと?」
「そういうことになるわね。あの男、手慣れていたから、かなりの被害者がいるはずよ」
気絶している血まみれの男性に視線を向ける。
「きゃぁ!?」
ポリンは男性の裸に驚いて、慌てて顔を背ける。
ケイトはやれやれとため息をついた。
「あんた、本当に男運がないわね。いつも、ぼんやりしているから、悪い虫が寄ってくるのよ。巻き込まれるあたしの身にもなってちょうだい」
「……ごめんなさい」
ポリンがしゅんとうなだれる。
「まあ、今回は無事だったからよかったけど」
少し言いすぎたと、ケイトは慰めるようにポリンの手に自分の手を重ねる。
ポリンはぱぁっと顔を輝かせて、ケイトに抱きついた。
「ケイトちゃん、ありがとう! 大好き!」
「わかったから、離れなさい」
「いーや。離れない」
「もう、甘えるんじゃない!」
そうやって思わせぶりな態度をとるから、男はすぐ勘違いしてしまうことに、ポリンは気づいていない。
「そういえば、どうして、ケイトちゃんがここにいるの?」
四天王を辞める前は毎日のように顔を合わせていた。休日はメイド姿でポリンに膝枕をしたりして、よく一緒に過ごしていた。
しかし、今は四天王でも友達でもない。復讐するために尾行していたなんて、みっともなくて言えない。
「さ、ささ、散歩の途中よ!」
なんて、見苦しい言い訳なのだろう。だが、何も思い浮かばないのだからしかたがない。こうなったら、逃げるしかない。
「あんたも男遊びはほどほどにして、早く帰りなさいよ」
ケイトはポリンの手を振り払って、急いで部屋を出ていった。
「ケイトちゃん、いかないで!」
ポリンが泣きながら、ケイトを必死に呼び止める。
しかし、その声はケイトには届かなかった。
ベッドの上に丸まって、ポリンがしくしくと泣いている。
さすがに泣いている女性を一人残して家に帰るのは男らしくないので、キースは慰めの言葉をかける。
「ケイト様はあなたを心配して、一日中、見守っていたのですよ」
ガバッとポリンが顔を上げる。泣きすぎて瞼が腫れているが、それでも美しい。
「……ほんとうなの……?」
キースが何者かはどうでもいい。ポリンはただケイトのことが知りたいようだ。
「はい。だから、あなたの様子がおかしいと店にまで乗り込んで、不届き者を成敗したのです」
ポリンが全裸で気絶している男性を睨みつける。
「こいつのせいでケイトちゃんに誤解されたじゃないの。わたしはね、男遊びなんてしたことないのよ」
地獄の底から響くような唸り声に、キースはぎょっとしてしまう。ケイトと喋っていたときは、ぽわんとした可愛らしい声音だったのに。本当にポリンなのかと疑ってしまう。
「どう責任をとってもらおうかしら? 生きたまま百回細切れにして、百回元に戻して、脳みそをドブネズミと入れ替えるのはどうかしら。あ、薬のことも聞かないといけないから、この店の連中も細切れにして、用済みになったら、魔獣の巣に捨てたらいいわね。死体は綺麗に食べてくれるから、こういうとき、魔獣は便利だわ」
ふふふっと笑っているポリンに、キースは早く家に帰りたいと思ってしまった。
ケイトは、ポリンに演技は無理だと言っていたが、思いっきり猫を被っているではないか。ケイトがいなくなった途端、素に戻っている。
(知りたくなかった……)
ケイトにはポリンの本性は黙っておこう。こちらも命は惜しい。
それにしても、ポリンほどの女性がこんな単純な手に引っかかるとは。
「どうして、あんな男に付いていったんですか? ケイト様の気を引くためならともかく、普段なら相手にもしないでしょう」
恐怖より好奇心のほうが勝って、思わず尋ねる。
すると、ポリンは青い瞳に涙を浮かべて、子供っぽい口調で言った。
「だって、ケイトちゃんが四天王を辞めて、すっごく寂しかったんだもん」
ある程度の予想はついていたが、やはりケイトの勘違いが原因だったようだ。
「それにしたって、他にもいい男はいるでしょう」
「ケイトちゃんより可愛くてかっこいい人なんていないわよ!」
ポリンは枕を抱きしめて、わんわんと泣き出してしまった。
女性を慰めるのは苦手だ。逆に傷つけてしまった。
いつも失敗して幻滅される。自己嫌悪に陥る。
キースはそっと部屋を出ていく。また、よけいなことをしてしまったと肩を落とした。




