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第2話

 近衛騎士団副団長のキースは屋内の鍛錬場で剣の素振りをしていた。

 他の団員はのんびり昼飯を食べている。

 人付き合いは苦手なほうなので、食後は一人で剣の腕を磨いていた。

 黙々と体を動かしていると、とんでもない人物が何の前触れもなく現れた。

「やっぱり、ここにいた!」

 明るい声にぎょっとしてしまう。

 キースは剣を鞘に収めて、男装の麗人に敬礼した。

「そんなに畏まらなくてもいいわよ」 

 金色の長い髪を一つに結んだ見目麗しい四天王の一人、荒ぶる稲光は笑いながら言った。

「あたし、四天王を辞めたから」

 キースは目を丸くして、言葉を失ってしまう。

(この人は何を言ってるんだ?)

 キースでなくても同じことを思ったに違いない。

 呆気にとられていると、荒ぶる稲光が壁に背中を預けて、手招きしてくる。

 キースは思わず辺りを見回して、自分を指さした。

 うんうんと荒ぶる稲光が頷くので、慌てて駆け寄る。

 菫色の瞳がにこやかに微笑んでいる。荒ぶる稲光にはよくこき使われているので、この笑顔は危険だとキースは今すぐにでも逃げ出したい気持ちを必死に抑えつけていた。

「俺に何の用ですか?」

 どうせ、ろくでもないことはわかっている。そして、逃げられないことも。さっさと用件を済ませて、関わらないようにしよう。

「あたしを解雇した四天王に復讐するから手伝ってほしいの」

「え?」

 何かの聞き間違いであってほしい。キースはおそるおそる尋ねる。

「本気ですか?」

「あたし、遊びで相手の息の根を止める趣味はないわよ」

 キースは頭を抱えてしまった。どうして、うちの上司は頭の狂った連中しかいないのだろう。

(いや、待てよ。四天王を解雇されたと言っていなかったか?)

 それなら、荒ぶる稲光は上司ではない。命令を聞かなくてもいい。

「すみません。お断りします」

「まあまあ、話を聞きなさい」

「俺の話、聞いてます?」

「あたし、昨日、死にかけたのよ」

「あ、聞く気ないんですね……」

 キースは諦めて、くだらない話に耳を傾けることにした。

「あのバカ勇者のせいで四肢粉砕よ」

「いつものアレですか」 

 爆炎の刃と勇者の喧嘩は名物になっている。近所迷惑ではあるが、悪いことばかりでもない。

「娯楽としては喜ばれていますね。戦争が終わったからといって、恨み辛みはなかなか消えませんし、生理的無理な者は魔界にも人間界にもいますから。そういう人達のストレス発散には丁度いいと思います。賭けも行われて楽しそうです」

「そりゃ、お客さんはいいですよ。あたしだって酒を飲みながら、野次を飛ばして、ストレス解消したいですよ」

 ケイトは盛大なため息をついて、ぐわっと目を剥いた。

「だけど、それでは魔界が焼け野原になるんですよ。誰かがバカとアホを止めないといけないんですよ。それがあたしなんですよ。ストレス溜まりっぱなしですよ」

 怒りのあまり、言葉遣いがおかしくなっている。そうとう苦労しているのだなとキースは少しだけ同情した。

「あのバカ、なんとかならないかしら?」

「普通なら、用済みの勇者は処分されるんですけどね」

「命懸けで戦ったのに平和になったら、危険視されて殺されるなんて、やりきれないわね。脆弱で短命のくせに悪知恵だけは働く」

 魔族は純粋な強さを求める者が多い。人間の卑劣な手段には嫌悪感しかないのだ。

「勇者の剣のことですか?」

「そうよ。あれは反則よ。この世にあってはならない」

 口にするのもおぞましい方法で生み出された剣は魔界も人間界も一瞬で滅ぼす力を宿している。本来は人間の体を乗っ取り、破壊の限りを尽くすのだが、相手が悪かった。

「バカにとり憑いてよかったですね」

「不本意だけど、そこだけはバカでよかったわ」

 勇者が底抜けのバカだったので、憑依に失敗した剣はたまに物干し竿として使われている。勇者一行が剣を憐れんでいるところを見たことがある。

「それでも脅威であることには変わりませんが……」

「だから、こっちも魔獣なんか造ってしまって、面倒なことになっているんじゃない。やっぱり、人間が悪いのよ」

 人間と同じ卑劣な手段を使わないといけないほど、魔族は一本の剣に追い詰められていたのだ。

「今はバカのお陰でおとなしいのですから、よしとしましょう」

 本人にそんな自覚はないのだが、剣の暴走を抑え込み、爆炎の刃との喧嘩で人気者になっているので、悪知恵の働く人間は迂闊に手が出せないらしい。

 勇者がバカでよかったとしみじみと思っていると、無表情のケイトが淡々と言った。

「その剣が頭に突き刺さったの」

 キースは目を見開き、みるみる血の気が引いていく。

 ケイトは自嘲の笑みを浮かべた。

「勇者がね、剣をぶんぶん振り回してね、すぽって手から抜けたの。慌てたスカールがなぜかあたしに火炎魔法を放ってね、ビビったダンがあたしの背中に隠れるから、こっちも身動きがとれなくなって、四肢粉砕よ。ポリンは脳みそが飛び散ったあたしの姿に卒倒して回復魔法が使えず、あと少しで本当にあの世行きだったのよ」

 キースは真っ青な顔で、おそるおそる言った。

「どうして生きているんですか?」

「化け物を見るような目はやめてくれる?」

 ケイトは深いため息を漏らした。

「スカポンタンと一緒にいたら、嫌でも頑丈になるわよ」

 キースは頭を捻る。

「……スカポンタン。ああ、四天王のことですね」

 スカール、ポリン、ダンをまとめてスカポンタンとは呼びやすい。妙なところで感心していると、ケイトが拳を握り締めて、ギリギリと歯軋りをした。

「そうよ。あたしはスカポンタンのせいでいつも酷い目にあっているのよ。それなのに、あいつら、あたしが死にかけたら邪魔者扱い。四天王から追い出そうとするのよ。あたし、頭にきて、こっちから辞めてやったわ」

「プライドの高いケイト様には屈辱でしかないですね」

「──嫌味に聞こえるんだけど?」

「気のせいです」

「…………」

 懐疑的な目で睨んでくるので、素早く目を逸らす。

「ま、いいわ。本当のことだし。あたしはね、今までの恨みを晴らしたいのよ。あいつらにぎゃふんと言わせてやりたいのよ」

「ぎゃふんですか?」

「ぎゃふんと言わせて何が悪い」

「いえ、別に……」

 キースにとっては想像以上にしょうもなかったので頭が痛くなってきた。

「そういうことで、あんたにはあたしの復讐を手伝ってもらうわよ」

「改めてお断りします」

 ペコリと頭を下げて、そそくさとその場から立ち去ろうとする。

 そんなことは元四天王が一人、荒ぶる稲光が許すはずがない。

 がしっと肩を掴まれて、キースは観念するしかなかった。

 それでも一応は抵抗してみる。

「俺、近衛騎士団の仕事があるので」

「安心なさい。団長からは許可をもらったわ」

「何十発、殴ったんですか?」

「ちゃんと話し合ったわよ」

「怪しい……」

 暴力で脅したとしか思えない。じっと見据えていると、ケイトがやれやれと肩を竦めた。

「あんた、休みの日まで働いているでしょう」

「することがないので」

「それがダメなのよ」

 キースはきょとんとしてしまう。どうして、真面目に働いて怒られるのだろう。

 ケイトは大きなため息をついて、厳しい口調で言った。

「副団長のあんたが休みの日まで働いていると、他の団員がゆっくり休めないのよ」

 キースは首を傾げる。

「俺に気にせず、休めばいいのでは?」

「だから、気疲れするって言ってるでしょうが! 魔王様が徹夜で働いている横で、あんたは安眠できるの?」

 キースは雷に撃たれたような衝撃を受ける。

「──確かに気が引けておちおち眠れません」

「そうでしょう。団長も心配していたわよ。長期休暇だと思って、あたしの復讐に付き合いなさい」

「それでは休暇にならないのでは……? 食費や光熱費も心配ですし……」

「所帯じみてるわね。だったら、あたしがあんたを雇うわ。スカポンタンが無駄遣いばかりするから、あたしは貯金するようになったの。これで問題ないでしょう」

 一応、元上司で給金が貰えるのなら、仕事だと割り切って復讐ごっこに付き合うのも悪くはない。どうせ、逃げても無駄だし、すぐに飽きるだろう。

 キースは諦めのため息を漏らす。一つだけ気になることがあったので尋ねた。

「あの、質問があるのですが」

「何かしら?」

「なんで俺なんですか?」

 他にも有能な人材はいたはずだ。団長を使い潰せばいいのにと、自分の代わりに生贄にするかと真剣に考えていると、ケイトはあっさりと答えた。

「あんた、いつも独りぼっちで可哀想だから」

 誰でもいいから、無性に殴りたいと思ったのは生まれて初めてだ。そんなしょうもない理由で選ばれたのか。

 確かに目つきが悪くて無愛想だから、部下には恐れられているが、友人はいる。自分で言うのもなんだが、女性に不自由したことはない。肩書き目当ての女性ばかりなので長続きはしないが。

「友人ぐらいはいますよ」

「ところで、あんた、どこに住んでるの?」

「まったく興味なしですか……」

 キースは肩を落として、ぼそぼそと答えた。

「今は騎士団の近くに死んだ爺さんの家があるので、そこを改築して住んでます」

 近衛騎士団の宿舎は騒がしくて落ち着かない。一人のほうが気楽でいい。

「それじゃ、あたしもそこに住むわね」

「へ?」

 キースの真っ黒な目がまん丸になった。

「なんで?」

 思わず敬語を忘れてしまう。

 ケイトは気にせずに当然のように言った。

「四天王を辞めたら、城から出ていくしかないじゃない。それとも、このあたしに野宿しろって言うの?」

「いや、だから、なんで俺の家なんですか? 宿屋があるでしょう」

「無職にこれ以上、金を払えと?」

「そんな無職を誇らしげに言う人は初めてですよ」

 キースは大きなため息を吐いた。

 元四天王でもケイトは女性だ。落ちぶれて道端で寝ているところは見たくない。

「節約のために俺ん家に転がり込むという理由なら、しかたありませんね」

「それ以外の理由があるの?」

「あ、何でもありません」

 キースは頭痛が酷くなってきた。

(この人は色恋沙汰や世間体に無頓着すぎる)

 ここはきちんとけじめをつけなくてはならない。

「空き部屋があるので自由に使ってくれてかまいませんが、銅貨一枚でいいので家賃を納めてください」

「えーっ、キースのケチ、守銭奴」

 ぷくっとケイトが頬を膨らませる。威嚇するときに顔を膨らませる魚に似ているなと思いながら、はっきりと言った。

「これは俺の名誉のためです。荒ぶる稲光と熱愛とか同棲とか不愉快極まりない噂をたてられたら、俺は立ち直れません。人生の汚点です」

「──本人の前でよく言えるわね。死ぬ覚悟はできてるかしら?」

 拳を握り締めるケイトに、キースは慌てふためく。四天王と畏怖されるだけあって、ケイトの強さは別格だ。こんなくだらないことで死にたくはない。

「家主と住人ということにしたほうが、敵の目も欺けるでしょう」

 敵とはスカポンタンのことだ。苦しい言い訳だが、ケイトはすんなりと納得した。

「それもそうね。あんた、なかなかやるわね。あたしの目に狂いはなかったわ」

 節穴だらけだから、眼科に行ってほしいとは言えず、笑って誤魔化す。

「それじゃ、引っ越し手伝ってちょうだい」

 人をこき使うことに慣れているケイトに、キースはがっくりと肩を落とした。

 最悪の休暇がはじまった。



 キースの家は少し町から離れたところにある。

 狭いが前庭があり、こじんまりとした素朴な建物だ。

 一階は台所と居間が一緒になっており、隣が洗面所と浴室になっている。

 階段を上がって二階がキースの部屋だ。空き部屋が一つあるがガラクタで溢れ返っている。

 不本意だが、ケイトと一緒に住むことになったので、ゴミは全て捨てて、半日かけて掃除をした。

 ケイトは私物を運び込んで荷解きをした。祖母のベッドや棚はケイトが使うことになった。

 ある程度、片づけが終わると、二人は遅い夕食を食べた。

 キースが残り物で作った野菜炒めとスープだが、ケイトは美味しいと言って遠慮なく平らげた。

 ケイトが風呂に入っている間に、キースは食器を洗って、どかっとソファに腰を下ろす。

「疲れた……」

 未だに頭の中が混乱している。ケイトは本気で復讐するつもりだ。命までは奪わないと思うが、暴走したときはキースが止めなくてはならない。

「俺は団長に復讐したい」

 厄介事を押しつけた、狐顔を思い出して、よけいに腹が立ってきた。

 立場と実力では魔王の次が四天王で副団長のキースは三つくらい下だ。

「さっぱりした」

 城に住んでいたので、あれこれと文句を言われるかと思っていたが、意外とすぐに馴染んでいる。

 それより、ケイトの風呂上がりの格好に、キースは目を剥いた。

「──ケイト様、そのイカレ……イカしたお姿はどうなされました?」

 自分でも何を言っているのかわからない。ケイトが生地の薄い寝間着でうろちょろしているのだ。肩紐と短い裾の部分にはレースがあしらわれて、下着も丸見えだ。可愛らしいのに透けて見えそうなのでいやらしい。

 男装の麗人が急に女性らしい寝間着に着替えたのだ。これは何かの罠に違いない。

 ケイトは勝手に牛乳を飲んで、ソファの近くに適当に座った。

「これ? ポリンがくれたものよ。動きやすくて楽だから、寝間着にしてるの」

 この人に恥じらいや乙女心を期待したのが間違いだった。色仕掛けなら、その辺の引っ繰り返った虫のほうが色っぽい。

「あらあら、もしかして風呂上がりの美女にドキドキしちゃった?」

 口元をにやつかせるケイトに、キースは腹が立ってくる。自分で美女と言っているのも鬱陶しい。

「すみません。団員の裸のほうが見応えがあります。だからといって、同性愛者ではありません」

 きっぱりと本心を告げると、ケイトは唇を尖らせた。

「あたしだって、腹筋が割れなくて悔しいのよ」

「え? 問題はそこですか?」

「他に何があるのよ」

 互いにきょとんとしている。

「それと同性愛者って差別にならないかしら?」

「さあ、俺もよくわかりません。最近は何かとうるさいですよね」

「しまいに性別を口にしただけで極刑になる日がくるわよ」

「嫌な世の中ですね」

「本当にゆるかった時代が懐かしいわ」

 しみじみと呟くケイトに、キースは首を傾げる。

「ケイト様って何歳なんですか?」

「それは時代関係なく失礼な質問よ」

 魔族は長命なので見た目では年齢がわかりづらい。おそらく、かなりの年上だとは思われる。

「それにしても、復讐する相手から貰った物をよく着れますね」

 説教がはじまりそうな雰囲気だったので、キースは慌てて話題を変える。

「それはそれ、これはこれよ。もったいないじゃない」

 ちゃっかりしているなと思ったが、怒られそうなので黙っておく。

「もしかして、服は全部、ポリン様からの贈り物だったりして──」

「うん。そうよ」

「え?」

 キースは目を丸くする。

 ケイトはため息を漏らした。

「ポリンは可愛いものに目がなくて、給金のほとんどをお洒落に費やしてしまうのよ。注意しても聞かなくて、あたしにまでフリフリのドレスを押しつけてくるのよ。リボンやレースが邪魔で魔獣を取り逃がしてしまったこともあったわ」

「ドレス、着たんですね」

「布地が少なかったから、楽でいいかなと思ったのよ。でも、一人じゃ着れないし、裾が足にまとわりついて、つまずいてしまうしで散々だったわ。それで文句を言ったら、今度は王子様みたいな格好をさせられて……。今はなるべく地味な服を選んでいるけど」

「あの男装はポリン様の趣味なんですね」

「ドレスより動きやすいから着ているだけよ」

「ケイト様は機能性重視なんですね」

 そういう問題なのかと自分でも悩んでしまうが、あまり深く考えるとよくないことが起こりそうなので、コーヒーでも飲んで落ち着こうと、キースは台所へ向かう。

「ケイト様もコーヒー、飲みますか?」

「ミルクと砂糖は多めで」

「わかりました」

 キースはいつも使っている青いカップと、ケイトが持ってきたドラゴンの絵が描かれたカップを食器棚から取り出す。

「…………」

 ケイトが着ている可愛らしい寝間着と男の子が喜びそうなカップを見比べて、キースはおそるおそる尋ねた。

「このカップはケイト様が自分で買われた物ですか?」

「それはスカールが友情の証だと言ってくれたものよ」

「まさか、スカール様のカップも……」

「色違いのものを使っていたわね」

 ケイトの持ち物が男の子っぽいとは思っていたが、爆炎の刃とおそろいだったとは。

 これは聞いていいのか躊躇ったが、どうしても気になるので思いきって尋ねた。

「ペアグッズですか?」

「そんな可愛いものじゃないわよ。昆虫採集でカブトムシをいっぱい捕まえたから、お前にもやるって感覚よ」

「確か二人は幼馴染でしたね」

「近所に住んでいただけだから」

 苦虫を噛み潰したような顔で言われて、キースは思わず怯んでしまう。

 ケイトは幼いころを思い出したのか、怒りでわなわなと震えだした。

「──あいつはね、あたしを女だと思ってないのに癖で女扱いするのよ。それが気持ち悪くてたまらない」

 キースは想像してみるが、何も思い浮かばなかった。

「癖で女扱いとは女性に優しくすることですか?」

「ただの親切なら悪寒と吐き気だけですんでるわよ」

 今の魔界は、人間界の春の気候に似て過ごしやすいのだが、ケイトは思い出しただけで全身に鳥肌が立っている。

「スカール様とは一回ぐらいしか話したことがないのでわからないのですが、そんなに女癖が悪いのですか?」

「あいつは勇者みたいな熱血野郎しか眼中にないからね。知らなくて当然か。言っておくけど、あいつはアホだから、愛も恋も友情なのよ」

「よけいにわからなくなったのですが……」

「悪気がないから質が悪い。ポリンならそう言うでしょうね」

 復讐の手伝いをしていたら、いずれわかることだろう。キースはドラゴンが描かれたカップにコーヒーを淹れて、ケイトに差し出す。

「ありがとう」

 普通にカップを受けとるケイトを不思議そうに見ながら、キースも青いカップを片手にソファに腰を下ろした。

「ダン様は子供と老人に人気がありますよね。無邪気で愛くるしいとよく聞きます」

 老人の話し相手になったり、子供達と一緒に遊んだりしているので親しみやすいと評判がいい。

 ふっとケイトは鼻で笑った。

「飼い主の苦労を知らないから、そんなことが言えるのよ」

「飼い主って……」

「言葉のとおりよ。あの子は酔っ払うと巨大な狼に変身して、見境なく襲いかかってくるのよ。たまたま立ち寄った酒場で巨大な狼に遭遇して、あたしが殴っておとなしくさせたのだけど、店は全壊で、なぜかあたしが弁償することになったのよ。しかも、危なっかしいから躾けるようにと魔王様に命令されて、もう踏んだり蹴ったりよ」

「危険だから四天王にしたんですね」

「巨大な狼は戦力にはなるけど味方まで全滅してしまう。普段は臆病で、すぐあたしの後ろに隠れるから、役に立たない。それどころか、あたしを盾にするから、足を引っ張られて体はボロボロよ」

「どっちにしろ、死にかけてますよね。ケイト様……」

 気が向いたら可愛がる他人には、飼い主の苦労はわからないものだ。キースは少しだけ同情する。

「スカール様とポリン様に任せたらよいのでは?」

「可愛い狼が大暴れするだけよ」

 本当にそうなりそうで恐ろしい。ケイトはコーヒーに口をつけずに、じっと見つめる。

「それに、なぜかあたしに懐いているのよ。親にも殴られたことがないから感動したとか意味不明なことを言って……」

「刷り込みに似ていますね。最初に見たものを親と認識する、ヒヨコのような」

「ヒヨコなら、もっとおとなしくしてほしいわよ。大声であねごって呼ばれるのが恥ずかしくてたまらないのよ。あたしがダンをいじめてるみたいで、白い目で見られて迷惑なのよ」

「ガキ大将、ぴったりですね」

「何か言った?」

「いえ、何も……」

 今まさに、自分はこき使われているとは口が裂けても言えない。キースも命は惜しい。

 ケイトは物憂げにため息をつく。

「どうして、ダンはいつもあたしに飲み物やパンを買ってくるのかしら? 頼んでもないのに給料日には高いお酒まで買ってくるのよ」

 キースはあんぐりと口を開ける。

(貢ぎ物?)

 白銀の牙が喜んで使い走りになっている。爆炎の刃も永久の操り人形もケイトのために散財している。

 もしかしなくても、思いっきり愛されているのではないのか。

 キースは黒髪を掻き毟って、思わず大声で言ってしまった。

「四天王の無駄遣いの原因はケイト様じゃないですか!?」 

 あまりの迫力に、ビクッとケイトの肩が跳ね上がる。

「どうして、あたしのせいになるのよ!」

 驚きはしたが、この程度で怯むケイトではない。

「あなたに貢いでいるじゃないですか!」

「だから、こっちは頼んでないのよ。それにスカールは女に養われて、ポリンは男に尽くされて、ダンは子供と老人からお菓子やご飯を奢ってもらっているのよ。あんなスカポンタンと一緒にしないでちょうだい」

 キースは呆気にとられてしまう。四天王がここまで自堕落な生活をしているとは思ってもみなかった。その頂点にいるのがケイトだが、本人は全く気づいていない。

 キースはコーヒーを飲み干して立ち上がる。

「俺、疲れたので寝ます」

「そうね。どうやって復讐するかは明日、考えましょう」

「うげっ」

 キースは思わず変な声が出てしまった。



 翌日は食事や掃除当番をカードゲームで決めた。

 ケイトは腕相撲で決めようとしたが、それではキースが惨敗してしまうので、無難なカードゲームにした。

 ケイトは四天王の中ではまともなほうなので、意外と白熱した勝負になった。

 これが爆炎の刃なら、気合と根性で勝手に勝敗を決めていただろう。永久の操り人形は色仕掛けで、白銀の牙は負けると泣きじゃくるのでやりづらい。

 頭脳戦ならケイトに余裕で勝てると思っていたが、予想以上に勘が鋭く、運までも味方につける。四天王よりギャンブラーになったほうがいいとさえ思ってしまった。

 結局、当番を決めるのに夕方までかかり、二人で買い物に出かけて、夕食はキースが作った。一人暮らしが長いので家事は得意だ。

 勝負の結果は、ケイトが主に掃除をすることになった。特に洗面所や浴室はあまり見られたくないようだ。ケイトにも僅かだが羞恥心はあったようだ。

 当然だが洗濯は別々で、一ついかない物干し竿の取り合いになった。互いに下着だけは自分の部屋に干している。

「これ、美味しいわね。おかわり」

 ケイトは遠慮なくキースの分まで食べる。幸せそうな顔を見ていると、こちらも少しむず痒くなる。

 いつも一人で食べる食事は味気なかったので、こういう雰囲気もいいものだと思った。

「ずっと気になっていたのですが、荒ぶる稲光という異名は誰がつけたのですか?」

 鶏肉のトマト煮込みを食べながら、キースが尋ねる。

「あのアホしかいないでしょう」

 ケイトがこめかみに青筋を浮かべて、食べかけのパンを握り潰した。

「やはりそうでしたか」

 爆炎の刃への恨みが一番深そうだ。

「他の方々は不満を抱いていないのですか?」

「ダンはお子様だから、カッコイイと思っているわ。ポリンは基本、スカールの話は聞き流してる。下手したら視界にも入ってないんじゃないかしら」

「スカール様の扱いが雑ですね。美男美女でお似合いだと言われてるのに意外です」 

「それ、ポリンには言わないほうがいいわよ。地獄を見るから」

 真顔で言われて、キースは背中に冷や汗が流れる。

「そういえば、どうしてポリン様は永久の操り人形と呼ばれているのですか? 時折、ポリン様を見かけた兵士が奇声を上げて逃げ出すのですが……」

「たぶん、ずいぶん昔の戦争の生き残りでしょう。バカの前の勇者が剣に体を乗っ取られて暴走してね、魔界が滅びかけたのよ」

「それは知っています。俺は魔王様の護衛をしていたので、実際は見ていないのですが、阿鼻叫喚だったらしいですね」

「そうなのよ。剣の暴走を抑えるために大勢の兵士が立ち向かっては木っ端微塵。それを回復したのがポリンだったのよ」

「ポリン様がいなかったら、とっくに全滅していたと聞きました。素晴らしい力ですね」

「そうね。心臓さえ動いていれば元通りだから、回復したら突撃の繰り返し。停止した心臓もあたしの雷で一瞬でも動けば回復できる。兵士は剣の暴走が止まるまで戦い続ける。兵士にとっては勇者の剣よりもポリンが恐ろしかったと思うわ」

 鶏肉のトマト煮込みを食べていたキースは真っ青になり、そっと赤い皿をテーブルの隅に移動させた。

 本当の地獄は勇者の剣ではなく、永久の操り人形の回復魔法だったのだ。

「死にたくても死ねないから、永久の操り人形なのですね。荒ぶる稲光も地味に恐ろしいことをしていますね」

「あたしだって大変だったのよ。丸焦げにならないように手加減して心臓をビリッとさせるのに神経をすり減らして」

「荒ぶるところはそこですか?」

 ぷんぷんと怒っているケイトを見て、改めて四天王だなとキースは思った。

 すっかり食欲を失ったキースに、ケイトがテーブルの隅にある鶏肉のトマト煮込みを指さす。

「それ、食べないのならちょうだい」

 自分が繊細すぎるのか、ケイトが図太いのかわからなくなってくる。

 スレンダーな体型なのに、軽く三人前は食べている。底なしの胃袋や食費のことなど言いたいことは山ほどあるが、今は見ているだけで吐きそうなので、手で口を押さえて、ケイトに頷いた。

 ケイトは顔を輝かせて、ペロリと鶏肉のトマト煮込みを平らげた。

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