74_好み
「あ、あなたはどんな服が好きですか?」
居た堪れなくなった空気を入れ替えるように、心桜が話題を変える。
ただその耳はまだ赤いままで、照れ隠しなのはお互い様。
それに気づかないフリをしつつ、翼はあえて聞き返す。
「服?」
「はい。異性の好みの参考にしたいな、と」
さらりと言っているが、その内容はまったくさらりとしていない。
異性の好み。
つまり男性全般の見え方を想定した話なのだろう。
そこへ自分が意見を求められている時点で、翼の心拍数は地味に限界へ近づいていた。
できる限り時間をかけないようにと少し考えたあと、翼は思ったことを正直に告げる。
「いままで心桜さんの服を見て、可愛いと思わなかったことはないけど」
ピシッとそんな効果音が聞こえそうな勢いで、心桜が固まった。
目を丸くし、呼吸すら止まりかけている。
数秒遅れて、翼はようやく自分の発言の威力に気づき、慌てて言葉を付け足す。
「こ、好みはわからないけど、いつもオシャレだなとは思ってるよ」
これもまた本心だとそう補足するが、もう遅い。
心桜の顔は完全に茹で上がっており、モゴモゴと呟く。
「……なら、言ってくれてもいいのに」
彼女は指先をいじりながら、落ち着かない仕草でポツリとこぼした。
その声は小さい。
けれど、どこか拗ねた響きが混じっているのは、さすがの翼でも読み取れる。
「いやだってさ、毎回可愛いなんて言われてもじゃないか? 心桜さんとか特にそうだろうし」
「……?」
意味を測りかねたのか、こてんと首を傾げる彼女。
翼としては気を遣っていたつもりだった。
『学園の姫君』と称されるように、彼女は類稀なる容姿の良さを普段から賞賛され続けている。
そんな風に周囲から日常的に褒められ、困っている様子を見かけることなんて珍しくない。
「いつもみんなに可愛いって言われてるでしょ。だから逆にあれかなって」
ならば自分まで同じことを言う必要はないという、翼なりの配慮。
ついこぼれてしまうことはあったが、極力言わないようにしていた気遣い。
だが、それはどうやら心桜の求めていたものとは違ったらしい。
「確かにありがたい話です」
心桜がゆっくり息を吐きながら、表情を和らげる。
その微笑みには困ったような色が滲んでいた。
「反応に困るというか、あなたの配慮も助かっていなかったといえば嘘になります」
柔らかな笑みを浮かべながらも、心桜の声にはどこか慎重さが滲んでいた。
謝意を告げながらも、どこか言葉を選んでいる。
そんな空気が伝わってきて、自分の対応は取り越し苦労ではなかったと確信を得る。
ただ、次の言葉は翼の予想から大きく外れた。
「でも、もうその配慮はしなくていいですよ」
「え?」
心桜はそこで一度だけ呼吸を整える。
琥珀色の瞳が、まっすぐ翼を見つめていた。
逃げ道を断つような真剣さではない。
むしろ不安げで、それでも勇気を振り絞っているのだとわかる眼差し。
だからこそ、その次の言葉が翼の胸へ深く刺さる。
「……あなたに言われると、嬉しいから」
今度は目を逸らすことなく、正面から翼に向かい合う心桜。
たったその一言で脳が熱を持つ。
それまで冷房で落ち着き始めていた体温が、一瞬で引き戻されたようだった。
「わ、わかっ、た」
「……はい」
しどろもどろながら、かろうじて同意を挟むと、心桜は満足そうに目を細めた。
彼女は悪気なく言っている。
むしろ混じり気なく素直に伝えているだけなのだろう。
それがより破壊力を高めているのだが、否定などできるはずもない。
これ以上ここにいたら、絶対に何か余計なことを口走る。
何か自制の効かない感情の濁流に呑まれる前に。
そう本能的に判断し、翼は逃げるように立ち上がった。
「ちょ、ちょっとトイレに」
完全に敗走宣言ではあると思いつつも、動きは止められない。
こうでもしないと耐えられない、というのが切実な心境だった。
「あ、肩を貸しますね」
しかし拒否する間もなく。
心桜がするりと隣へ入り込み、そのまま当然のように肩を差し出してくる。
何度でも言いたいが、距離感がおかしい。
もはやゼロ距離としか言えない。
肩を支えるためとはいえ、密着している部分が多すぎる。
柔らかな感触が、意識するなと言われても無理な位置へ触れていた。
細く華奢な印象を受ける反面、女性らしい部分はしっかり存在感がある。
だからこそ危険すぎる。
意図的に考えないよう避けてきた情報が、何度も繰り返し強制的に脳へ流し込まれてくる。
さらに言えば、少しでも離れようと体を引けば、逆に心桜が自然に寄ってくる。
もちろん本人に悪気はないだろう。
それがわかるからこそ、翼も強く拒絶できなかった。
さらに言えば、それを心桜に言えば困らせる気がしてならない。
しかも心桜は、一度決めたら簡単にやめない性格だ。
お互いに困った状況であっても、心桜は絶対にやめないと想像ができる。
ならば選択肢は一つ。
(た、耐える……しか、ない)
痛みや苦しみに耐えるのは、翼の得意分野。
しかしこの種類の耐久戦だけは、いつか本気で限界を迎える気がしてならなかった。




