73_口下手
妙な空気に呑まれる前に話題を変えるべきだと判断し、翼は無理やり別方向へ思考を逸らした。
「……心桜さんは部屋着に着替えないの?」
「え?」
心桜がぱちりと瞬きを返す。
今日の心桜は、家で勉強するだけにしては随分と整っていた。
淡い色合いで統一された服装は上品さが際立っており、柔らかな素材感が彼女の清楚な雰囲気をさらに引き立てている。
どこか外出前のような完成度すら感じさせる。
「いや、いつもよりオシャレな服着てるなと思って」
しかし彼女は外出する予定はないはず。
だからこそその違和感が、翼の意識にも残っていた。
「……そうですね」
心桜は少し間を置いてから、ゆっくりと言葉を返す。
ただ、それ以上は続かない。
視線だけが落ち着かなさそうに揺れている。
そして揺れを伴ったまま、声を震わせつつ翼に手を広げてみせた。
「ど、どうですか?」
「……え?」
聞き返したのは、理解できなかったからではない。
思考が完全に止まった、といったほうが近い。
まさか真正面から、そんな問いを投げられるとは思っていなかったのだ。
しかも心桜の顔が、耳まで真っ赤になっているのが見えてしまう。
もちろん普段から綺麗な身なりをしているとは思っていた。
ただあくまで外に出る用と、家でゆっくりする服装を分けているのはなんとなく察していた。
そして今の彼女はいわゆる外向きの、見られるのに応える服装。
しかしそれを見るのは翼のみ。
「えっと、その……」
翼は必死に言葉を探す。
彼女の意図を測りかねながらも。
ただやはりというべきか、語彙が出てこない。
正確には、出てくる言葉すべてが軽く思えてしまう。
さらには羞恥と緊張で崩れかけた彼女の表情が、逆にどうしようもなく破壊力を増していた。
可愛い。
綺麗。
似合っている。
どれも本心ではあるのに、どれだけ並べても足りない気がして。
そうやって翼が黙り込んでいると、心桜がわずかに肩を落とす。
「……何かだめ、ですか」
その声には、目に見えて落胆が滲んでいた。
だからこそ、翼の脳が慌てて回転し、急いで口が出る。
「いや、ちがう!」
気づけば大きな声が飛び出していた。
もはや反射に近い。
そんな大声を受けて、心桜がびくりと肩を揺らし、のけぞる。
しまった、と翼は即座に後悔しながらも、拙く言葉を続ける。
「ご、ごめん、なんていうか。おれの語彙力がなくて、どう言えばいいのか分からなくて」
慌てて取り繕う翼の姿が、逆に必死さを物語ってしまっている。
ただ、その必死さを隠せるほど器用でもないので、ただ垂れ流すことしかできない。
「と、というと?」
必死すぎて当然伝わらなかったのか、心桜がおそるおそる問い返してくる。
期待と不安が入り混じった声音だった。
だから翼は逃げることをやめて、思ったまま口を開くことにした。
「すごく可愛いよ」
言葉は驚くほど素直に出た。
考えて捻り出したというより、胸の奥からそのまま零れ落ちた感覚に近い。
「でも普段からずっと可愛いから、でも今はまた違った、綺麗でもあるしさ、どうやって伝えればいいのか……うーん」
言いたいことは確かにある。
あるのに、上手く形にならない。
目の前の彼女があまりにも綺麗で、だからこそ陳腐な言葉で済ませたくなかった。
そうやって、うーんうーんと頭を捻ることしばし。
「ふ、ふふ……ふ」
心桜から妙な音が漏れる。
堪えきれず吹き出したような、不意に感情が溢れた種類の声だった。
なんとも微妙な反応を受けて、翼は羞恥に駆られる。
「ご、ごめん口下手で」
「そんなことは!」
翼は情けなさそうに頬をかく。
だが心桜は即座に首を横へ振った。
勢いよく否定したあと、心桜は胸元で手を組み直す。
どこか大事なものを抱きしめるような仕草。
「……とても、嬉しいです」
満面の柔らかな微笑み。
それを向けられるだけでも、十分すぎるほど破壊力があった。
こんな顔を向けられて平静でいられる人間がいるなら、逆に会ってみたいと現実逃避するほかなかった。




