58_悪夢
なぜできると思ったのか。
今となってはわからない。
本来できるはずもない。
しかし体は勝手に動く。
鮮烈でありながら、朧げに流れていく情景。
結末はわかっている。
そこに迷いも躊躇も一切ない。
最後に手に残る感触は、確実に仕留めた手応え。
呆然と視界を巡らせてみれば。
足元に転がっているモノ。
それがこちらを見て目を逸らさない。
瞳に映る全てが焼き付いている。
つば—く――
そして途切れる間際に聞こえる声が――
「っ!!」
全身を汗に塗れ、翼はベッドで飛び起きる。
(またこの夢か……)
なぜ忘れていたんだろう。
頭を押さえ、吐き気と頭痛に耐えながらそう自問する。
夢で見るたびに、あの夜の輪郭がくっきりとなり、脳に焼き付いて離れない。
昨日よりも今日――その記憶が色濃くなっていく。
眠ろうにも悪夢にうなされて眠れず、体調は悪化の一途を辿る。
他人に見せることすら憚られるような酷い有様だ。
そのためすでに一度、心桜へは『来ないでほしい』と連絡を入れてしまっていた。
313の報告を受けた夜が明け、一人で考えたいと告げ、さらにもう一晩距離をとっている。
明日の朝ともなれば、さすがに彼女は何かしら動くことだろう。
これ以上拒むことはできない。
心桜が来てしまえば、どこかで話をすることになる。
もう丸二日、まともに眠れていない。
これほど憔悴した状態で会えばどんな顔をされるか、どれだけ気苦労をかけてしまうか。
それを想像するだけで、翼の思考が重くなる。
襲撃から目覚めた直後は記憶がまばらだった。
しかし時間が経つにつれてそれが鮮明になっていく。
あの刹那の間が、翼の意志と反しながらも、フィルムのように焼き付いている。
鉄パイプの軌跡。
思うがまま動く自らの体。
絶命間際の――死相が浮かぶ男の表情。
夢にまで見てしまうのは、ひとえに罪の重さに耐えきれない、甘さとしか言いようがない。
余裕などなく、心は荒んで荒れるがまま。
人を手にかけたことで、ここまでボロボロになるのかと、奥歯が鳴るほど強く噛み締めた。
「……弱いな、おれは」
それでも、やったことは覆らない。
心桜が来るまで少しでもマシになるようにと、布団を被り直す。
頭の中で無数に回る惨状にのまれたまま。
ピンポーン――
そしていつしか明けた朝にて、インターホンの音が翼の耳に届く。
やはりというべきか、体調はさらに悪くなる一方だった。
うまく回らない思考により、本能的に逃げたい気持ちに駆られる。
流されるがままスマホを手に取り、心桜へ連絡を試みる。
彼女に何を言われているか怖くて見れなかったチャットアプリを、震える指先で開く。
『大丈夫ですか?』
『いつでも頼ってほしいです』
『わたしにできることがあれば、なんでも言ってください』
すると翼の身を案じる言葉が、画面いっぱいに並んでいた。
その一言一言が、かえって鋭く胸に刺さる。
人を殺し、それに打ちひしがれて、主にさえ気を遣わせている。
こんな自分に、この言葉を受け取る資格があるのか。
(……行かなきゃ)
人に会えるような状況ではない。
しかしこれ以上心配はかけられないと、彼女に会う覚悟を決める。
のそのそと全身を引き摺りながら、玄関へとつく。
ドアの穴から向こうを覗き見れば――暗い表情で立ち続ける心桜が目に映る。
ゆっくり動いた分、それなりに時間は経ったはずだが、まだ玄関前にいる彼女。
外は猛暑で、汗ばんでいるようにハンカチで額を拭っているのが見えた。
その様子から、おそらく彼女はここで何時間でも待ち続けることだろうと察しがつく。
これ以上このままではいられない。
そう判断して、翼はドアを開けた。
「……おはよう」
「あっ! おはようございま――」
心桜は翼の声を聞くや否や、一瞬ぱあっと笑顔を浮かべた。
しかしやはりというべきか、翼の顔を直視した瞬間、表情が曇る。
「目のクマが、ひどい……寝れてないんですか?」
「……うん」
「……ご飯も食べてないようですね」
睡眠不足に加えて、胃にものを詰めると起床直後に吐いてしまうため、入れていなかった。
今の翼はそれすらもすぐに看破されるほど、相当酷い見た目なのだろう。
心桜の瞳に、隠しようのない心配の色が滲んでいた。
「心配かけて、ごめん」
「それよりも……どうして、こんなことに」
「……それは……言えない」
口ごもる翼は、浅く唇を噛む。
『人を殺したから』なんて、今の翼が言えるはずもない。
心桜に嫌われでもしたら――そう思ったら怖かった。
どちらの理由も本当のことで、だからこそ口が動かない。
その拒絶の意を受けて心桜は、悲しげにくしゃっと表情を歪ませる。
「わたしは、そんなに頼りないの……?」
そう胸に手を当てる心桜。
そんな彼女の様子に、すぐさま翼は謝罪を挟む。
「ごめん」
「……謝らないで」
しかし心桜はそこで退こうとはしなかった。
ああ、よく見る彼女の姿だと、翼はその真剣な眼差しを受け止める。
「あなたの力になりたいの」
そういってまた一歩翼へ歩みよる心桜。
涙を目に溜めて、彼女は口を開いた。
「翼くん」
――翼くん。
その瞬間――どくんっと、鼓動が耳を塞ぐ。
「……翼、くん?」
憔悴しきっていた翼の表情が、一変した。
それを察した心桜は再び名前を呼ぶ。
しかし呼びかけた心桜の声に、翼は応えない。
その身体は、何かの延長にあるかのように固まっている。
「翼くん! 翼くん!!」
いくら声をかけても、反応がない。
近寄って揺さぶってみても、一切心桜を見ていないことがわかる。
「ど、どうし……あっ」
自分ではどうにもならないと、心桜は翼の手首の緊急信号を押す。
常日頃、緊急事態に備えてつけている代物によって、小宮の人間が駆けつけてくれるはず。
そうやって数分、ただ心配そうに翼を見つめる。
「どうされましたか!?」
するとエレベーターから走って、313が廊下に飛び込んできた。
「翼くんの様子が……!」
心桜は焦る口調でそう言いながら、翼へ視線を送る。
「お前……」
同じく翼を見た313は言葉に詰まる。
いまだに翼は騒ぎ立てることもない。
ただ表情は抜け落ち。
その手は剣を握っているかのように構えている。
――まるで襲撃の続きかのように。
意識の芯が、どこか遠いところへ行ったまま戻ってきていない。
状況を理解した313の瞳が、かすかに細まる。
表情の消えた顔、重心の低い構え、虚空の一点を貫く視線――これは混乱でも体調不良でもないと確信する。
その直感から次いで、重い危機感を抱いた彼女は、まず心桜に声をかけた。
「お嬢様は無事ですか?」
「わたしはなんともなくて……でも、翼くんが何も反応しないんです」
313の視線が一瞬、翼の足元へ落ちる。
まだヒビが入ったままの重傷の片足。
それでも重心の分配に寸分の隙もないのを見て、313は決断する。
――試すしかないか。
313はまず心桜へ向けて指示を出す。
「お嬢様、283の後ろにいてください」
「は、はい」
言われるがまま、翼の横を通り抜けて移動する心桜。
やはり心桜に対しては、近寄っても何のそぶりも見せない。
であれば彼女の心配はいらない。
そうして313は警戒を最大限に高めたまま翼に近寄るが――
「ぐっ!?」
――間合いに入った瞬間、鋭い蹴りが飛んでくる。
313は受けの姿勢で全力でガードし、完璧な受け身を取る。
しかしそれでも廊下の壁にまで蹴り飛ばされる。
「あ、あぐ……!」
生半可な威力ではなかったのか、腕に直視したくない感触が残った。
これは――と誰しもが言葉に詰まる。
重傷の足で迷いなく蹴りを放ち、微塵も表情を変えない。
警戒したにもかかわらず凄まじい反応速度をみせ、ガードの上からでもただの一撃で相手を屠る。
「つばさ……くん」
心桜の声が廊下に痛々しく響き、力なく掠れて解けていった。
明日の12時に投稿します!




