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54_帰還

 なぜできると思ったのか。


 今となってはわからない。


 本来できるはずもない。


 しかし体は勝手に動く。


 鮮烈でありながら、朧げに流れていく情景。


 結末はわかっている。


 そこに迷いも躊躇も一切ない。


 最後に手に残る感触は――





 翼は目を覚ますと、ぼんやりと隅にまとまった荷物を眺める。


 ここは以前と変わらぬ病室。

 ではあるが、整えられた荷物はこの部屋への別れを告げている。


 運び込まれた時の重傷を負った見た目に反して、意外と翼の退院は早かった。


 足へのダメージについて、骨が完全に折れたわけではなかったのが大きい。

 パイプで殴られた際に響いた音は、骨のひび割れによるものだった。

 全治まで不自由を強いるものの、ちょうど夏休みが明ける頃にはほぼ完治する見込みだという。


 片手を手錠から引き抜いた際の指も、診断としては脱臼に留まる程度。

 皮膚の裂傷は後遺症が残るほどのものではない。

 そのため怪我した手は、退院時には不自由なく動かせるようになった。


 ただ一点。

 頭部に受けた鉄パイプの打撃による記憶の混同は、未だに残る。

 どこか晴れぬモヤに包まれた記憶。

 襲撃から日が経つにつれ、思い出せない夢を見ていることだけが記憶に蘇ってくる。


 しかしながら全体的に、外傷自体は致命的なものではない。


 それはつまり、素人の先輩が、殺人への恐怖から無意識に手を抜いていたという証左。

 いまだに同じ恐れを抱いている翼としては、助かった身ではあるがなんとも複雑な気分だ。

 ただ顔面への殴打は抜かりなく、まだ少し痕が残るままだが。


 脳への見えない影響は計り知れないため、しばらくは絶対安静が言い渡されている。

 しかし、日常生活において足の不便以外は特に目立たず、退院の運びとなった。


 閑散としている病室に思い残すこともない。

 迎えへ連絡し、松葉杖を手に翼は身支度を一人で進める。


 なんとも寂しい退院というべきだろうが、ここに訪問したのは心桜と上司の313、そして脅された先輩たちのみだったので、いつまでも居座る気にもなれない。


 313からは、事件の事後処理は小宮家が引き受けるとの報告を受け、目下調査中。


 脅されて加担せざるを得なかった二人の先輩が来た際は、少し空気が張り詰めはした。

 ただ、小宮家が突入するために先輩が手引きをしたと聞いていたので、修羅場にはならなかった。

 翼としても本件が彼らの今後に響くことを望まなかったため、禍根を残すこともなく心桜と共に穏便に和解。


 以降、翼の次にこの病室にいたのは心桜だが、彼女もそこまで長くはいなかった。

 どこか慌ただしく去った彼女は、登校に迫られたというわけでもない。

 すでに学校は夏休み期間に入っており、実家へ帰っているとのことだ。


 元々彼女はこの夏、そうすると翼も聞いていた。

 その中で、翼の看病につきっきりになるのではと、心桜の両親が強く帰宅を望んだのだ。

 いつまでも自分の看病に心桜を拘束する必要もないと考えていた翼は、それを素直に受け入れる。


 ただ翼の予想に反して、心桜はすんなり病室から離れた。


 かつ翼が声をかければ、どこか心桜の様子がおかしかったのが気になるところではある。


 視線を合わせれば逸らされ、逸らせば視線を感じる。


 まだ何かあるのは明白だったが、それを聞く前に彼女は去ってしまった。


 それもまた、本人に直接聞けばいいだけの話でしかないと、翼は割り切る。


 ということで、ほとんど一人で居た病室にいつまでも留まる必要もない。


 そうして翼は、無事に退院を果たした。





「この家も久しぶりだな」


 翼は呟きながら、実家ではなく、自身の一人暮らしの家へと足を踏み入れる。


 松葉杖をつきながらの生活ではあるが、食材は定期的に支給されるのもあって、大きな問題はないだろう。

 夏休み期間のため、部屋から出ることもほとんど必要ない。


 多少不便ではあるが、翼としては心情的に一人を選びたかった理由があった。


 まず一つが、小宮の実家へ帰れば、祖父の一弥と顔を合わせなければならない。

 元々気が抜けなかったのに加えて、三者面談にて勉学関連で釘を刺されたこともあり、気を休めるにも休めない。

 他に肉親がいないことから、彼へ何かしらの負担がかかるかもしれず、これ以上の面倒は憚られる。


 そしてもう一つが、広く、且つ事務所が近い実家にいれば、不自由な翼の面倒を313が見ることになる懸念があった。

 いまだ蟠りを残す相手に、これ以上の負担をかけるのも忍びない。


 また、翼がもっとも懸念するのは、入院による体の鈍りだ。

 実家であれば、安静を理由に監視や制限をかけられるのは目に見えている。


 今は心桜も帰省中で不在なのだから、一人でゆっくりリハビリに励みたい。

 そうして翼は、自宅での療養を選んだ。


「よし、どれぐらい鈍ってるかまずは確認だな」


 翼は松葉杖を壁に立てかけ、トレーニングマットの上へと、不自由な足を踏み入れた。


 冷たい鉄の匂いを放つダンベルを手に取り、静かに息を吐く。

 試しに足を使わない、上半身のみのトレーニングをひととおりこなしてみる。


 やはりというべきか筋力は落ちており、思うように体が連動しない。


 自己を主人の盾と定義する彼にとって、咄嗟に動けない体の鈍りは己の価値の喪失に等しい。


 自然と灯った焦りが、胸の奥底で渦を巻く。


「......片足ぐらいならセーフだよね」


 翼は誰に言い訳するわけでもなく、ひとりでに呟き、片足で立ち上がる。


 次いで足を運んだのは、下半身を鍛えるトレーニング器具。

 木刀をメインに、蹴り技をサブに、獲物がないときは蹴りを優先する戦闘スタイルなため、この鈍りは無視できない。


 そう自らに言い聞かせながら、片足でもと筋トレをこなす。


「剣を振るぐらいならできるか」


 続いて、部屋の隅に置かれた木刀へと向かう。


 足を鍛えたならやはり剣も。

 そう考えるのは当然だと、自らに言い聞かせながら立ち上がる。


 片足でふらふらと歩きながら、木刀を手に。

 上段に構えて、集中を研ぎ澄まし、振り下ろす。


 その感触に慣れ始め、汗を拭ったその時。


 ピンポーン。


 静寂を破るように、無機質な電子音が響き渡る。


「......誰だろう?」


 そのチャイムの音に、翼は怪訝な顔でモニターへと視線を向ける。

 遠目ではあるが、その映像には、エントランスではなく直接家の玄関の前に人がいる案内が映し出されていた。


 上司が様子を見に来たか、あるいは報告のための訪問か。


 思考を巡らせはするが、不自由な足では出迎えにも時間がかかると気づき、とにかく玄関へ向かうべきかと判断。


 遠くに転がっている松葉杖を手繰り寄せるのは遅すぎると思い、片足で器用に跳ねながら玄関へと向かう。


「はい、お待たせし――」


 ドアノブを引き、上司を招き入れるために挨拶を告げる。


 しかし扉の前で待つその相手を視認した瞬間、翼の言葉が途切れた。


「こんにちは」


 そこに立っていたのは――薄手の清楚な服に身を包み、和かに微笑む心桜だった。


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